強迫性神経症 | 強迫性障害 | OCD体験記・子育てブログ

強迫性神経症(強迫性障害/OCD)の娘と向き合う父親の体験記・子育てブログ

532.余計なお世話

2009.11.23 [ Edit ]

またまた、やってしまった、私の”余計なお世話”の、お話です。

後味の悪いコメントを書いてしまいました。
ちょっと後悔していますが、「まあ、ええか。」とも思っています。
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突然来てごめんなさい。
お風呂につかれない強迫ってあるの、知りませんでした。
私も湯船に浸かるのは一ヶ月に一度でいつもシャワー。
でもそれは面倒なだけ。
はい、面倒くさがりなんです。
でも友達が強迫神経症で引きこもっています。
私、彼女のこと判ってあげてなかった‥
判ってもらえないだろう、こんな苦しみ自分だけ、と思う辛さは
私も経験済みですが
友達の事、もっと親身になって話を聞いてあげようと
心底思いました。
ありがとう、気づかせてもらって。

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このコメントに対しての返信コメントです。
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文字伝達は、とても難しいものです。
私も、しょっちゅう失敗していますし、断定するわけではないのですが。
という、前置きを書いて、ちょっと失礼なことを書かせてもらいます。

友達の事、もっと親身になって話を聞いてあげようと心底思いました。
こういうふうに思われたことは、すごくいいことだと思います。
ただ、私が、すごく気になったフレーズがあります。

でも友達が強迫神経症で引きこもっています。
私、彼女のこと判ってあげてなかった‥


この、「引きこもっています」って言う言葉が、
私の勘違いというか、気にしすぎなのかもしれませんが、
とても軽く聞こえて、聞きづらい感じなのです。
お叱り、お怒り、を覚悟で、もっと言えば、
こんな言い方を出来る人が、ほんとに友達なんだろうかとさえ思ってしまいました。


○○さんは、学校の先生をなさっているのですね。
中学生が、この表現なら、私は、そうは思わなかっただろうと思いますが、
学校の教師の表現にしては、心がなさ過ぎる、
冷たすぎる表現ではないかと感じてしまったのです。
たいへん過激な表現をして、申し訳ないのですが、
この表現をする人が、人に心を説いたりするのだろうかと心配になってしまいました。

お風呂に入れない強迫ってあるの、知りませんでした。

もっと、正直に言ってしまえば、この言い方には、怒りさえ覚えてしまいました。
あなたに、どれだけ強迫性神経症に対する知識があって、
こんな表現をされるのでしょう?
いくら、面倒くさがりやでも、教師というような立派な職業、
人を導く職業に就いている方がされる表現ではないのではないでしょうか?
これは、まったく、私の誤解かもしれませんし、
後で、反省して、おおいに謝らなければいけない話なのかもしれませんが、
私の、余計なお節介の虫が、むくむくと起き出してしまいました。
気分を悪くされたことでしょうが、私の正直な気持ちを書かせていただきました。
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私の、このブログを普段から読んでくださっていて、
教師とか教育に関する私の考え方を、理解してくださっている方なら、
理解といっても、もちろん、良いほうにも、悪いほうにも、と言うことですが。

この私の返信コメントに対して、
「こいつの考え方なら、こんなことも言うかもなあ。」
というふうに思って、流してくださるかもしれない、とは思うのです。

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531.一歩を踏み出す

2009.11.21 [ Edit ]

退職してから、お気楽なプー太郎生活が、五年経過しました。
まあ、ええ会社に勤めてたんやなあと思います。

リストラ、倒産、肩たたき、なんて話が満載の中。
明日からの生活をどうしようって悩んでおられる人がいっぱいの中。
娘が病気でという理由はありながら、
なんとなく、安穏と、何もせずに、五年間も生きてきましたから。

「おまえ、会社、辞めたんやろ?」
「どうして生活してるんや?」
「大きな土地でも持ってるのか?」
「気楽に、サッカーやってるけれど?」

そんな、不思議そうな顔の、先輩の質問を、たくさん受けてきました。

その度に、「ええ、まあ、なんとか・・・。」と、適当な返事。
事情を知ってくれている奴は、気の毒そうな顔をしてくれて、
そして、話題を違う方向に持っていってくれたり。

まあ、私自身、お気楽そのもののところもあるとは思いますが、
実のところは、不安もいっぱいではあります。

そんな不安を知ってくれているキムチのチングが、
ひょんなことから、風俗店の経営をすることになりました。

かわいそうな境遇の私に(彼は、もちろん、そんなふうには思っていません)、
「手伝ってくれるか?」と、
いつものように、気を使わせない、気配りの誘いをくれました。

「言わば女衒やけどなあ。」
「職業に貴賎なしやで。」

そんな世界には、まったくの素人の二人ですが、
彼に着いて行こうと決めました。

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530.出口はどこなんやろ?

2009.11.19 [ Edit ]

退職して、五年。
家計のゆとり、ほぼ無く。
それでも、怠惰に過ごす毎日。

これを怠惰と言うのか。
精一杯というのか。

精一杯といえば、精一杯。
怠惰と言えば、怠惰。

不思議なことに、力の抜けた身体からは、焦りのエネルギーさえ消えさるもの。
危機感、これ無く。
ただ、あるのは絶望にほど近い虚無感のみ。

こんなことでは、あかん。
解っている、つもりではある。

「冬の風呂は、一番辛いなあ。」
「いややなあ。」
「入りたくないなあ。」

寒い冬に風呂に入るのは、「えーいっ」、「いくぞーっ」的な覚悟がいるもの。
誰もが、風呂に入る前は、こんなふうに思うもの。

でも、娘の「入りたくない、冬の風呂は辛い」には、ちょっと違う理由がある。

普通の人には、解らない理由がある。

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529.来世の約束

2009.11.18 [ Edit ]

叔母が亡くなったという電話を受けた時。
娘と買い物の途中の車の中でした。

「あのおばちゃん、わたし、好きやったわ。」
「なんか、怖い感じやったけど、優しかったでえ。」
「死なはったんか。」
「悲しいなあ。」
「寂しいなあ。」

「そうやなあ、あの叔母さんは、大きな人やったなあ。」

「大きな人って、どういうこと?」

「うん、大きな心を持った人ってことかなあ。」

「なんとなく、解るわ。」

そんな話をしていた時、突然、

「わたしが死んだら、迎えに来てや。」

「どういう意味???」

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528.精一杯が持つ力

2009.11.17 [ Edit ]

私は、この11月に、56歳になりました。
親父は、59歳で亡くなりましたから、あと3年で、親父の亡くなった歳になります。

オヤジが すべてだなんて 言いませんよ
僕ひとりで やったことだって たくさんありましたよ
ひとつだけ 言ってみたいのは
オヤジが 生きるということを 教えてくれたこと
オヤジは やるせないくらいに 精一杯でしたよ


親父を思い出すときに、よく浮かんでくる、吉田卓郎の”おやじの唄”です。

私が死んだら、子供たちは、精一杯だったと思ってくれるのかなあ?
そんなことを、考える歳になったような気がします。

吉田卓郎の、この唄での精一杯って言葉のなかには、
かなり多くの意味が含まれているのだと、私は解釈しています。

生きていく為に、みんな精一杯ですからね。
生きていく為に、たくさんの精一杯が、ありますからね。
でも、他人の精一杯は、あまり見えないものですからね。
自分自身は、精一杯なのですけれどね。

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527.必死な発想のごまかし

2009.11.16 [ Edit ]

娘を叱りつけました。
あまりに無責任な発言と所作。
病気が苦しいとは言え、あまりの我儘、常識の無さ。

「おまえ、北村さんの仕事、ミスのあった分の描き直しは、納品書つけてないやろ
な?」

「納品書つけてる。」
「一から描き直してるし、それも同じ一枚やと思って。」

「それは、あかんで。」
「おまえのミスの描き直しなんやから。」

このやり取りのあとで、娘が不満げな表情だった為、

「そんなことは、常識やろ。」
「おまえの信用も、父さんの信用もなくなってしまうぞ。」
「そんな奴に、仕事なんてくれはらへんぞ。」

かなり強い口調で、叱りました。
涙ぐんでいた娘は、それから、ずっと塞ぎこんでいました。

そんなことが解らない娘ではないはずです。
「どう考えての行動なんやろ???」
私の頭は、疑問でいっぱいでした。

こんなことを、疑問に思う必要は、普通なら無いことです。
100%、間違っていることですから。
自分のミスの描き直しでの作業料請求なのですから。

「こんな常識が解らない娘なんやろうか?」
「そんなことは、ないと思うんやけどなあ。」
「なんで、そんなことを、しよったのかなあ?」

自身の責任ということについては、幼いころから、うるさく言い聞かせてきたし、
この、うるさく言い聞かせてきたことが、
病気の一端の原因でさえあると思っているほどなわけなので、
間違いなく、娘の頭の中には常識としてあるはずのものですから。

その疑問の答えは、数日後の、ヒライのおっちゃんとの、
喫茶店での会話で、はっきりしました。

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526.暗黒のスパイラル

2009.11.08 [ Edit ]

時々、陥る暗黒世界。
吸い込まれるブラックホール。

身体は、がんじがらめで、
心は、しぼんでしまう。

娘に見せてはいけない姿なので、表情と行動は、通常通りなのですが、
私の力は、ブラックホールに吸い取られてしまって、
脱力、無力。

そんな感じかなあ。

この前に書いた文のタイトルナンバーに、524が二つ続いていることに気づきました。
こういう凡ミスが、私は大嫌いなのですが、
そんなミスを見逃してしまう情けなさも、脱力、無力の心からの所作だと思います。

「まあ、ええやろ。」
「なんとかなるわ。」

心の中で、唱えるように続ける独り言。

「ひとつ積んでは、・・・」の、賽の河原の石積を、鬼が出てきて蹴飛ばしていく。

ここしばらく、ゆっくり積んだ石の塔が、
崩れることなく、うまく高い塔になってきていたのですが、
またまた、憎たらしい鬼が現れて蹴飛ばしていきました。

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524.俺の人生を妨害する悪魔

2009.11.04 [ Edit ]

「美容室アン」
娘が、月二回、髪を切ってもらいにいく美容室です。

「あのな、アンさんに行く時だけ、わたし普通の人になれるねん。」

「なんでや?」

「一人で店に入って、普通に世間話して、髪切ってもらうやろ。」
「汚いとも感じひんし、すべてが普通なんや。」
「アンさんの人も、みんな普通に話してくれはるしなあ。」

娘の髪型は、モヒカンを女性風にしてあるような髪型。
モヒカンよりは伸ばしてある部分が多くて、
伸ばしてある短めの髪にはパーマをかけて、メッシュ風の染め方がしてある。
それをジェルで立てめにして女性らしく整えている。
ちょっとファッショナブルな髪型なのですが、
実は、娘は髪が伸ばしたくて、気に入って、その髪型にしているわけではありません。

耳の横と、うなじの部分に髪が当たると、汚れたときに着ている物に触れて、
最悪は、気に入った服を捨てなければならないはめになる。
それの防止の為の、苦肉の策の髪型なのです。

時々、家族以外の、ごく少ない会話のある人から言われます。、

「変わった髪形やなあ。」

答える娘は、

「おかしい髪型やろ?」

と笑っていますが、いろいろ考えた上の、究極の髪型なのです。

娘の病気を知ってくれている美容室アンさんの店主と、娘が相談して、
たどりついた髪型です。

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524.息子たちの優勝

2009.11.02 [ Edit ]

市のサッカー協会社会人リーグに登録して戦っている息子たちのチーム。
今日がリーグ最終戦。
全勝で優勝だと息巻いていましたが、
先週の試合で一敗してしまい、今日、手綱を引き締めて勝利することで、
優勝を確定させたいと、最終戦に臨みました。
引き分けでも優勝、負けても得失点差で、たぶん優勝ではあったのですが、
負けは許されないと言う雰囲気で、全員が試合に臨む姿がありました。

約40年前にスタートした、この、市の社会人リーグに、
ちょうど私が20歳から参加していますから、
たぶん登録は最古のチームで、36年目くらいになるのかなあ。
最初は、私の高校のOB仲間と、キムチのチングの高校のOB仲間が、
合同で作ったチームでの参加でした。

10年間くらいは、負けなしで優勝を重ねていました。
歳とともにや、仕事の都合でメンバーが欠けていき、
同年代のベテランたちを誘いながら、
合併に合併を重ねて、その都度チームの名前を変えたりしながら続けてきたものです。

40歳になって、今のシニアチームに登録してからも、
継続して登録参加してきたチームです。

20代の、まだ全員が独身だったころ、

「結婚して、子供ができたら、俺たちの息子のチームを作ろう。」

そんな話をしていたものです。

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523.戦友との会話

2009.11.01 [ Edit ]

ここは、御国を何百里、離れて遠き満州の、
赤い夕日に照らされて、友は、野末の石の下

延々と、15番までだったか、続いていくこの軍歌を、
小学校の低学年くらいだったと思います、
舞台となった場所や、その背景、意味を含めて、
親父に教えてもらいました。

親父の休みの日曜日に、いっしょに軍歌のレコードを聞いて、
私は、たくさんの軍歌を、含まれている重い意味と共に覚えました。

ただし、軍国主義の復活などということとはまったく関係はありません。
戦争賛歌ではないのです。
もちろん、軍歌の中には、かなりのウエイトで、
国民に対する戦争賛美の心の高揚という意味が含まれているのも事実です。

親父は、私に軍歌を教えてくれながら、
「絶対に、あんな戦争はしたらあかん。」
「どんな戦争も、あったらあかんのや。」
ということを、しっかりと付け加えながら教えてくれていました。

冒頭の歌詞は、その中の、「戦友」という唄の歌詞です。

何番目かの歌詞に、
思えば去年、船出して、御国が見えずなった時、
玄界灘に手を握り、名を名乗ったのが初めにて。
というものがあります。

召集されて、戦地へ向かう船の中で知り合って、
それから生死を分ける戦場での友情が芽生えていき、
最後は、戦死した戦友の家族に便りを書くという、
悲しい物語ですが、
友情の美しさも感じられる、素晴らしい唄だと思います。

私が会社に入ったころは、
上司とカラオケに行くと、けっこう軍歌を歌うような方もおられました。
いつのころからか、軍歌を歌う人はダサい人だと言うことになって、
世のカラオケから軍歌ははじき出されてしまったようです。

こんなことを言っている私も、けっして軍歌世代ではないし、
それは、それで、仕方のないことというか、自然な流れなのだとは思います。

軍歌談議がしたいわけではなく、
昨日、久しぶりに戦友と話しをしたということが言いたかったのです。

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Author:一人の父親
強迫性神経症(強迫性障害 | OCD)と闘う父親の日記。画像は娘が描いたものです。

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