強迫神経症 | 強迫障害 | OCD闘病記

強迫性神経症(強迫性障害/OCD)の娘と向き合う父親の体験記

707.ごまめ

2018.11.02 [ Edit ]

私の知る限りの所なので、間違っているかも知れないが、
京都と、京都寄りの滋賀、滋賀県大津市あたりで使われる表現。

「ごまめ」

子供達の遊びの中で、
まだルールが理解できかったり、動きがまともに出来ないような、
小さな子供を仲間入りさせてあげる為のルールで、
何ごとも大目に見てやり、許してあげながら一人前になるまでの期間を、
猶予してあげる存在としての幼い仲間を指す言葉、
それを、「ごまめ」と呼んでいる。

今日、木曜日の60歳以上のメンバーの練習日でサッカーを楽しんでいた時、
紅白戦のゲームの中で、85歳の先輩が、俺を指して、
「うちのチームには”ごまめ”がいるから弱いな」と、
冗談では無く、苦々しい表情で、
私の方は見ずに、私に指して聞こえるように、独り言のように・・・

後輩達や、優しい先輩が、さりげなく遊ばせてくれるというか、
私がボールを持つと、真剣に取りに来ないことを、
「快く思ってないのやろうな」

元国鉄マンで、運転士だった85歳、
最近まで冬は山小屋で生活して、スキーのインストラクター、
サッカーでも80歳を超えていても、よく走られるし、
80超の老人なので上手いということも無いのだが、
そんなに下手クソでも無い。

クラブの爺さま達、あまり病気の話は聞かないのだが、
この85歳は、特に元気である。

それが故に、解らないのだろう、
「弱者への思いやり」というものが。

吐き捨てるように私にかけられた、
「ごまめ」発言。

気分の良いものでは無いが、
「まあ、しゃあないなあ」と、心の中で苦笑い。

こういう類いの悔しさは、たくさん経験させてもらってきたので、
慣れてはいるが、この動かない身体に対してのジレンマはある。

娘の耳が聞こえにくいことに対して、
世の中の人の優しくないところ、たくさん感じてきたけど、
まあ、身内や近しい人に、難聴の方がおられなくて、
理解できない人の、気づかない残酷。
これと同じことなのだと思う。

悪い人では無いのだと思う。
厳しい言葉でありながらも、
私の身体を気遣って声をかけていただくこともあるので、
どちらかというと、良き先輩だとは思っている。

ただ、健常な人は、時々、すごい残酷をしてしまうものなのだということ。

「解らんから、しゃあない」
とは言え、
深く考えれば、残酷を回避するというか、
「真の優しさ」
こういうものを持てるんやけどなあ。

「真の優しさ」
持てる人にならんとあかんなあ、俺も。

706.解ってもらえないのか、伝えられてないのか

2018.10.21 [ Edit ]

樹木希林の「あん」という題名の映画。
ハンセン病の元患者が、樹木希林と市原悦子。

この二人の名前がある映画であるだけで、
「渋い」であったり、「深い」であったりが想像できる。

詳しくあらすじは説明しないけれど、
俺の感覚で表現すると、
「軽いタッチとも言えながら、重さをあまり感じさせなくて、深く重い内容」
まあ、これは、主演の樹木希林さんと、助演の飯原悦子さんの持つもの故なのだと言えるのかも。

もっと言えば、
良い作品を観た時、観た時間の数十杯の時間を余韻に支配される。
そんな映画なのだが、演者が変わると、
きっと、このすべての感覚と表現は変わってしまうのだろう。

まったく違う話だが、
心や、身体の不自由さも、伝える側と、受ける側の感性の違いで、
解ってもらえないのと、伝わらないことが多いなあと、つくづく。

映画とは関係もないのに、
観おわった余韻の中で、ぼんやりと、そんなことを考えた。

ある精神科医が、
心を病む人は、感受性が強く、心根が優しく、気配りが人より出来ると。
長い闘病の中で、症状が過激に出るのは一時期で、
その一瞬で、敬遠されたり、怖がられたりするが、
「健常者」でも、怒ったり、強く悲しんだりする時は、異常であって、
平穏な時間と、異常な時間が交互すると考えれば、境目は、ほぼ無いものだと考えてもいいと。

まあ、そこのところも、俺の感性では、
あまり断定的な解答には、なっていないのかもなどと偏屈に考えてしまったりする。

もっと、わかりやすい例で言えば、
俺の麻痺した足でサッカーをしていると、
先輩や後輩が、いろんな有り難い言葉をかけてくれる。

「脳梗塞発症直後に見た時は、いつも転けそうだったのに、よく少しでも走れるようになったなあ」
と、言葉を選びながら、励ましてくれる人。
「ここまで回復したら、もう少しで、元に戻れるねえ」
と、励ましてくれる人。
「もう、普通に見えるわ、大丈夫や」
と、励ましてくれる人。

この上の三つの励まし。
あまり大差ないように思える、それぞれに有り難い言葉なのだが、
当の本人の考えてる不便さや、悔しさや、悲しさは、
実は解ってもらえていないと思ってしまったりしてしまうものなのである。

いや、非難しているなんてことは決してなく、
それぞれの方に、温かく、有り難く、感謝しているものなのだが、
心の内では、伝わらないジレンマ、解ってもらえないジレンマがあるものなのだ。

ただ、時々、ストンと心に抵抗なく受け入れられる言葉に出会うことがある。
どういうものかと言うより、ストンとおちるのである。

ほんまもんの樹木希林さんを感じるというようなものなのかもしれん。

そんな表現が出来る人でありたいものである。







705.人生が二度あれば

2018.09.18 [ Edit ]

俺が二十歳ころに、
クルマのステレオでよく聴いていた井上陽水の曲。
なんか思い出して口ずさんで、
ふと、気がついた。
45年前になるのだということにも気がついた。
親に思いをはせ、老人を敬う唄。

ところが、何も考えず、亡くなった父、母を思い浮かべて口ずさんでいて、
出だしの歌詞に立ち止まってしまった。

40数年前、クルマの中で大きな声で歌っていたとき、
自然に涙が出て、詰まりながら歌っていた唄の、
歌詞の中の父親の歳に自分がなっていることに気がついた。

父は今年二月で65 顔のシワは増えていくばかり
仕事に追われ この頃やっと ゆとりができた
父の湯飲み茶碗はかけている
それに お茶を入れて飲んでいる

人生が二度あれば
この人生が二度あれば

母は今年九月で64 
母の細い手 漬け物石を持ち上げている
子供を育て 年老いた母

そんな母を見てると 人生が 誰のためにあるのか解らない

人生が二度あれば
この人生が二度あれば

父と母が コタツで お茶を飲み
若い頃のことを話し合う
夢見るように・・・


なんで、この井上陽水の唄が浮かんできたのやろ?
たしかに好きやった唄なんやけど、
この間から、俺の人生、どうやったんやろ?って考えてたからかなあ。

しっかり覚えてないので、母以降の歌詞は間違っているかもしれない
なんか、ぼんやり父親の顔を浮かべながら、よく歌っていた唄。
父の生前に、口に出して言ったことは無いが、
「父さんありがとう」の気持ちでいつも歌っていた記憶がある。

自分の両親だけにとどまらず、
世の中の親、世の中の大人の人たち、
すべてに対する尊敬と心からの感謝を感じていたような気もする。

俺は、そういうふうに見られる大人だとは全く思えないし、
自分が尊敬や感謝をされるような人生は送ってきていないと思う。
まだ、どこへも到達していないし、未完成というか、途上にある身だと。
それなのに、65歳にはなっている。

鮭の一生で言えば、
産卵床のある緩やかな流れの所までたどり着いた、
人生を終えるポジションまできている歳なのに、
振り返っても、後悔、未練、後悔、未練・・・
満足という言葉が見当たらない。

死にゆく時の覚悟
そんなものは、まったく見えない
後悔、未練、後悔、未練・・・

こんなものなんかなあ 人生

まあ、まだ、もうちょっと考える時間は、残ってるか。




704.終活の始め

2018.08.29 [ Edit ]

私も知らぬ間に65歳。

「知らぬ間に」
ほんまに気づかずに60を過ぎて、身体も心も弱くなったように思う。

51歳で会社を辞めた時、
「俺が治してやる」と、娘のことを考えてた。

あの頃の俺、ほんの10数年前だったけど、
ずいぶん若かったし身も心も強かったように思う。

毎日、夕食と弟の弁当の料理をしてくれる娘は、ずいぶん良くなったと思う。
おかずに卵料理が無いのと、冷蔵庫にマヨネーズが無いことを除けば、
おかげさまで、普通に近い娘のがんばりがある。

ほとんど、私は娘を気遣わないというか、びくびく心配することも無くなった。
これは、娘の頑張りが主な要因ではあるが、
私が弱ったのもあるのかも。

先日、ねんりんピックのサッカーメンバーで練習試合を企画したが、
クラブの仲間から、クレームが出て、
仲間というのは、50年以上の付き合いがある一つ後輩。
仲間として小さな意見の違いがあったことはあっても、
真っ向から対立したことなど50年来無かったのだが・・・
そう言えば、ほとんど対立したことも無く仲良く、
後輩ではあるけど、俺が助けてもらったこと多かったなあなどと考えながら・・・

「俺、そんなに大きく間違ったことはしてないけどなあ」
と考えたものの、
夜になって寝ようとすると、俺の内部が壊れそう???
脳梗塞になって不自由な身を考え続け、気に病み、壊れそうになった時と同じ症状。

「あかん、あかん」
どうしようも無い焦燥感、不安感、悲壮なまでの哀しみのような心。

「鬱病です」と診断されて処方された薬を急いで服用。
なんとか、眠くなってくれて朝を迎えられた。

よくよく考えると、
不自由な俺を、もう一度、参加させてやりたかったから、
仲間としてのポジション探しのために、詭弁で我が儘を誤魔化したかも。

「これは、あかんなあ」
「サッカー、もう諦めた方がええなあ」
不自由な俺を、仲間は邪魔にせずに、まぜてくれているけど、
邪魔してるかも?
気を遣わせているのかも?
面倒やろうなあ。
そんなふうに、冷静に考えると、「辞めた方がええ」という結論になった。

クラブの副会長として、事務局全般、遠征手配等々、役割はあるので、
すぐに、ほっぽり出すことは出来ないけど、
引き継ぎの準備をして、クラブの運営がスムーズに続けられるように計画して、
一会員として身を置き、口出しは一切しないポジションで、練習会だけ参加しよう。

65歳、ええ頃合いかもやなあ。

「引き際」

会社では、上手く出来たけど、
サッカーでもうまくやらないと。

これって、「終活の始め」かもやなあ。

703.ワールドカップの追想

2018.07.18 [ Edit ]

サッカーを始めて、53年になる。
初めてワールドカップの存在を知ったのは、1966年のイングランド大会。

その頃の日本は、スポーツと言えば野球の頃だったので、
テレビでサッカーが放映されることも、ほとんど無くて、
もちろんニュースで流されたなんて記憶に無い。

俺が高校の時に県大会で優勝できたのも、
県の選抜選手に選ばれて国体に出られたのも、
親友の兄貴のおかげ。
その友人の兄さんに中学3年間と高校3年間、
合計6年間コーチをしてもらったおかげ。

中学の3年間は、友人と共に、
高校の3年間は、
その兄貴が、友人(弟)をサッカーの有名校に行かせたので、
俺に悪いことをしたから、高校の3年間は、
俺が進学した高校のコーチをしてやると。
(大人になってから聞いた話であるが)

その友人の兄貴が、中学3年生の時に、
連れて行ってくれた映画がある。
「ザ・ゴール」という題名の映画。
1966年のワールドカップの記録映画。

後のイエローカードやレッドカードのきっかけになった、
ペレに対する悪質なファールで、ペレが負傷してしまった場面。
イタリアが予選で負けたので、イタリアに帰った選手達が、
国民にトマトを投げつけられて立ち往生している様子。
北朝鮮が、アジア初でベスト8まで勝ち上がり、
「赤い悪魔」と賞賛されていた。

優勝はイングランドで、
ウエンブリースタジアムの表彰式では、
エリザベス女王が、選手達にメダルを授与していた。

サッカーって、すごいスポーツなんやと、
当時、世界の人口が30億人で、
10億の人が何らかの形でサッカーに関係していると。

「目から鱗」のサッカー映画だった。

日本では、野球がスポーツの中心で、
その当時、イングランドのアーセナルが来日し、
全日本と対戦して、もちろん日本は負けたのだが、
それを観た、ある野球監督が、アナウンサーに、
「手も使えないスポーツなんて」と馬鹿にした発言をして、
それに憤ってたことを覚えている。

日本のサッカーのポジションは、そんなものだった。
俺も、中学生の頃は、サッカーに対する知識を急激に吸収して、
「俺が生きている間に、日本がワールドカップに出場することは絶対に不可能」
そんなふうに思っていた。

それが、今や出場して当たり前みたいなポジションになっている。

でも、考えてみれば、1966年のイングランド大会から、
50年以上の月日が流れているわけで、
公園のグランドにリハビリに行っても、
キャッチボールをしている少年は、滅多に見ず、
ボールを蹴っている少年達がほとんどで、
こんなところで、歳をとったなあと実感させられる。

先日、優勝したフランスの若い選手達より、
俺にはデシャンのイメージの方がピンと来る。

デシャンが監督では無く、
優勝チーム(フランス)のキャプテンだった時の、
試合前のロッカールームのミーティングの様子が映されたドキュメント。
若いキャプテンのデシャンが、
今では、ダンディな白髪の渋いおじさん監督に。

サッカーの話をし出すと夢中になって止まらない。

いつまでワールドカップを観られるのだろうかと、
4年先を楽しみになんていつも考えていたけれど。

何もかも、そんな風に捉えてしまう今日この頃。

まあ、生きられるだ生きればええか。













702.ゴミ収集車

2018.04.29 [ Edit ]

俺は、家族でスーパーに買い物に行く、
子供とデパートに買い物、
子供と遊園地、
そういうことをしなくて生きてきた。
クルマで連れて行っても、駐車場のクルマで待っていたり。

先日、娘が、
「私は、海水浴場に行ったことがないなあ」と。
「父さんが連れて行ってくれたところは、必ず、砂と違って、岩場やったからなあ」と。

今考えると、アホみたいな粋がり、と言うか、、馬鹿な勘違いのカッコつけ、
そんなたぐいのアホ親父やったと思う。
無条件の親の優しさを見せたことがなかったから、
子供達を萎縮させて、心を閉じさせ、
しまいには、病気にさせてしまったのかなあと。

今日は、孫と二人でイオンモールに行ってきた。
二度ほど、イオンモールのトイザラスで、孫がゴミ収集車のオモチャを手にとって見ていたのを思い出し、
覚えてるかなと、「アイマル、ゴミ収集車、買ってあげようか?」と声をかけると、
「うん、イオンモール行こか?」と、つたない返事が返ってきた。

中学校の体育の教師に聞いた話を覚えていて、
「先生は、うちの子供にオモチャを買ってやるときに、欲しいものをノートに書き出させて、
 消去させていって、最後に残ったものを買ってやることにしている」
たしか、そんな話だった。
今思えば、めんどくさい教師の”ええカッコ話”やっただけやがな、と思う話なのだが、
自分が親になって、自分の子供に、その真似事をしたことがあった。
たぶん、父親の上から目線で、”偉そうに”子供に選択させていたように思う。

子供は、嬉しくなかっただろうなと、今は思う。
父親が、変な”威厳”を子供に見せつけただけだっただろうと思うから。

孫には、”威厳”を感じさせようとは全く思わないし、
3度目で覚えているなら、ほんとに欲しいのだろうなと考え、
連れて行ったら、陳列している場所も覚えていたし、
一目散に、「ジイ、ゴミ収集車、ここにあるよ」と、三歳前が、迷わずに駆けていった。

ジジ馬鹿な顔で満足して買ってやった。

これって、自分の子供達に、「こういうふうに、してやってたら、よかったのになあ」と。
孫と遊ぶと、俺は、日々反省やなあと苦笑い。
駄目な親やったなあと。

帰ってきて、飽きずに、長く、ゴミ収集車を動かして遊んでいたので、
やはり、二度の我慢がよかったかなあと、
これまた”偉そう”な話かなあと、ここは、微笑みかな。

ジジ馬鹿の反省話でした。






701.「運転士さんありがとう」

2018.03.17 [ Edit ]

末娘の息子、私の初孫。

亡くなった親父が巳年で、私が巳年、そして長女が巳年。
家に三代、同一の干支が住むと繁栄すると、
ほんとか嘘か、昔からそう言われたらしい。

その話の真偽はどうでもいいのだが、
亡くなった親父は、48歳で爺さんになったわけである。

私が男性だから、娘が同じ巳年なら、女の方が早く結婚するだろうから、
私もきっと50歳までには爺さんと呼ばれるものだろうと考えていた。

ところが、サッカーの遠征に行くと、
後輩が「孫のみやげ」と、子供が喜びそうなものを買っているのを、
羨ましそうに眺めていたことが、何度もあった。

やっと、60歳を過ぎてから、孫を持つ爺さまになれた。

待ち望んでいたわけでもないが、
孫は可愛いものである。

まあ、先日書いたように、少しばかり問題はあるが、
孫と私には関係の無いはなしである。

子供と違い、孫に対しては、とかく寛大な姿勢でいられる。
客観視できるというか、
「こうあらねば」という強い思い込みみたいなものが無く、
いつも笑顔で、寛大にみていられるものなのである。

その都度、若かった父親の私は、常に子供に対し、
「こうあらねば」を必死に思い、
厳しく、自分の思い通りに、苦しめたなあと思い、悔やみ、反省している。

ここにも前に書いたことがある、
「父さんを、いつか殺そうと思っていた」
長女に、この言葉を言われた時まで、
すべてに自信を持っていた、大過信の父親だった。

孫の守をしているとき、独り心の中で反省し、子供に詫びている私がいる。

もうすぐ三歳になる孫坊主は、ありがたいことに私をすごく好いてくれていて、
それは、私が甘いから当然なのかもだが、
よく二人で、出かける機会がある。

今日も、電車が大好きな孫坊主と、
電車に乗りに行ってきた。

いつも、コースは同じで、
まず、JRの石山駅の裏の駐車場にクルマを停め、
エスカレーターで石山駅のJRの改札を通り抜け、
京阪電車の石山駅の直前にあるデリカフェの自動扉を孫が背伸びして手を触れて勝手に開けて入っていく、
孫について行くのが必死の私は、そこでやっと、孫に追いつく、
「これ、食べるの」孫が指さすドーナツをトレーに取って、
レジに行き、氷抜きのオレンジジュースとホットコーヒー。

おなじみの爺さんと孫の二人づれなので、店員さんも、
私が孫を、先に席に座らせるのを待って、
セルフサービスなのだが、ルールを曲げて運んでくれる。

それから京阪電車に乗って、短い間隔の7駅、
JRでは一駅の膳所駅に到着。
そこでJRに乗り換えて、JR石山駅に一駅戻るという決まったコース。

そのコースに、もう一つ決めごとが有り、
電車では、一番最前列の運転士が見える車両に乗る。

そして、石山駅に到着すると、
孫を抱っこして、運転士が運転席の窓を開け、全車両の安全を確認する時間に、
孫が、「運転士さん、ありがとう」。
この、孫の挨拶で、コースが終了。

JRの運転士は、いい人が多く、
ほんとは、いけないことなのだろうが、
「こちらこそありがとう」など、孫に一言返してくれる人が多い。

孫が、いつの間にか勝手に始めた、この儀式。
いつも、JRの運転士に対し、私が感動している。

感動だけしていたらいいものを、こんなことを続きに考える。
若い頃の父親の私なら、
「もっと、大きな声で挨拶しなさい」など、うるさいことを言っていただろうなと。

こんなところでも、子供に心で詫びている私がいる。





700.「燕燕爾勿悲」親の気持ち共有の奨め

2018.03.09 [ Edit ]

白楽天の燕の詩をプレゼントします。

私が高校生の時、
古文の授業で習って、その時、心を打たれ、今でも忘れず覚えている詩です。
サッカーばかりしていた高校時代なのに、変に記憶に残っている詩です。
やんちゃを気取り、悪ぶっていた私は、授業に感動したなど、素振りも見せなかったものですが。

50年経って、あの時の感動と、今の感動が同じものだというのも不思議な感じですが、
きっと、気づかないだけで、自分の中での感動の種類は変わっているのかも知れません。

梁上有雙燕  梁上双燕有り
翩翩雄輿雌  翩翩たり雄と雌と
銜泥兩椽閒  泥を銜む両椽の間
一巣生四兒  一巣四児を生む
四兒日夜長  四児日夜長じ
索食聲孜孜  食を策めて声は孜孜たり
靑蟲不易捕  青虫捕ら易からず
黄口無飽期  黄口飽くる期無し
嘴爪雖欲敝  嘴爪敝れんとすと雖も
心力不知疲  心力疲れを知らず
須臾十來往  須臾にして十たび来往し
猶恐?中飢  猶お巣中の飢を恐る
辛勤三十日  辛勤三十日
母痩雛漸肥  母は痩せ雛は漸く肥ゆ
喃喃敎言語  喃喃言語を教え
一一刷毛衣  一一毛衣を刷く
一旦羽翼成  一旦羽翼成れば
引上庭樹枝  引きて庭樹の枝に上らしむ
舉翅不回顧  翅(はね)を挙げ回顧せずして
随風四散飛  風に随いて四散して飛ぶ
雌雄空中鳴  雌雄空中に鳴き
聲盡呼不歸  声尽き呼べども帰らず
卻入空?裏  却って空?の裏に帰らず
?啾終夜悲  ?啾終夜悲しむ
燕燕爾勿悲  燕よ燕よ爾悲しむこと勿かれ
爾當返自思  爾当に返って自らを思え
思爾爲雛日  爾の雛為りし日
高飛背母時  高く飛びて母に背きし時を思え
當時父母念  当時の父母の念
今日爾應知  今日爾応に知るべし

梁の上に二羽の燕が住み、身軽に飛び交いながら雄と雌が、
泥をくわえてきて、二本のたるきの間に巣づくりをし、中に四羽の雛を生んだ。
四羽の雛は日ごと生長し、食物を欲しがって、ピーピーと声をあげて鳴く。
えさの青虫は簡単には捕まらないし、雛たちの腹は満ちるときがない。
親鳥のくちばしとつめは、今にも傷つきやぶれそうだが、雛鳥のために、心も体も疲れを忘れて一生懸命、
またたく間に、十回も行き来してえさを運び、それでもまだ巣の中の雛が腹をすかせぬかと心配する。
苦労に苦労をかさねて三十日、母鳥は痩せたが、雛はしだいに太ってきた。
ピーチクパ―チクと言語を教え、一枚一枚、羽をきれいにそろえてやる。
そうして、羽がすっかり生えそろうと、飛ぶ力を教えるため、庭の木の枝に雛をつれて上らせる。
ところが雛たちは、飛べるようになると羽をひろげてふりかえりもせず、風にのり四方に飛んでいってしまった。
雌雄二羽の親鳥は空中で鳴き、声をかぎりに子を呼んだが、とうとう帰ってこない。
仕方なく子鳥のいなくなった巣に戻り、夜どおし悲しい泣き声をあげる。
燕よ燕よ、お前たち悲しんではいけない
自分たちのことをふり返って考えてごらん。
お前たちがまだ幼かった雛だった日、やはり高く飛び去って、母に背いたときのことを思い出してごらん。
あのときの父母の悲しい心のうちを。今日こそお前たちも身にしみてわかったことだろう。

699.俺の悩むところ

2018.02.07 [ Edit ]

2017年が過ぎ去り、新年を迎え,もう早一月半。
月日は百代の過客にして、行かふ年も又旅人也。
もう少しの旅が続く。
今年、私は前期高齢者という名前をいただくことになる。

昨年の大晦日も孫が来ていたのだが、
うち中が風邪で、孫本人も風邪で、寒さも厳しくて、
暖かい部屋にこもってテレビを見るだけだった。

恒例の初詣、比叡山延暦寺も諦め、
30日の蹴り納めも参加できず、
風邪でしんどくて、遅れていた年賀状も31日に、やっと投函。
すべてが、うまく回っていない状況。
それだけが原因ではないが、ちょっと鬱状態だった。

娘ではなく、私の鬱の主な原因は、
末娘の旦那さん、すなわち婿殿との食い違いを気に病んでというか、
理解しがたく、ちょっと呆れた言い分に、友人に相談するのも恥ずかしく、
ここにぶちまけて、ストレス解消にしようかと。

婿殿は、シニアのサッカーもやっていて、
私の夢描きで、いろいろと仲良く出来そうだと。

ところが、婿殿は、あまり俺には近づかない。
「煙たいのかなあ?」
それくらいしか考えていなかったのだが。

ある時、末娘が、
「お父さん、うちのアパートの玄関の前の溝にガム捨てたか?」
「誰かに嫌がらせされてるのかと思って、管理会社に連絡したわ」
と、私にクレーム。

たまたま訪れた時に、ガムを溝に捨てたことを思い出し、
「ああ、捨てたわ」と末娘に答えたのだが、
えらく責められたのを覚えている。

それが、半年なのか、一年なのか、ずいぶん前の話だったのだが、
えらく大事件だったらしい。
この言い方、すごく無責任な言い方なのだが、
私自身の思考の中では、
実は、そんなに罪悪感を持っていないというのが、いけない。

確かに、良いことではないし、
ガムを捨てるには紙に包んでゴミ箱へ、
これが正解なのは理解しているのだが、
私の中に、男がガムを捨てるのに、溝は有りだろうという乱暴な考え方があって、
「玄関に捨てたものでも無いしなあ」と、
それほどまでには、罪悪感が無いものなのである。
種々の意見、私の間違いがあることは理解しているのだが、
正直、それほどの罪悪感が無いのです。

これを、夫婦の揉め事があって、末娘から「来てくれ」と呼び出しがあったとき、
婿からきつく文句を言われました。

「えっ?揉め事の相談やったんと違うの???」
「これは俺に文句吐き出す場やったん?」
そんな感じで、俺の中でも少し「むかっ!」

「父親に向かって謝れってか?」と、婿に毒づくと、
「人間として謝れ」と言ってると。

その時は孫も、聞いていたので、
婿に、「子供の前で声を荒げるな」と一言怒って話は終了。

あろう事か、知らないうちに婿の姿が無く、
娘に「旦那はどこに行った」と聞くと、
「仕事に行ったみたい」。
呼び出されて家に入った時も、
「すいません、いらんことで、呼び出しまして」この言葉は無し。

アホなこと、カッコの悪いこと、ええかげんにしとこ。
この辺でやめとかんと、あまりに情けない話やなあ。

最後に一言だけ。

文句言うことはいっぱい俺にもあるけど、
この挨拶の話だけでも、
「人間として」常識が外れすぎやろ!

てっ、ムキにならんでも、
俺が気に入らんだけの話であって、
新年を迎え一月が過ぎても、顔も見せんというのは、それはそれでええけど、
娘と子供と、義理の親の関係を、どうするつもりなんやろ?
「人間として」あかんやろ。

ここが、俺の悩むところやな。

698.新年の独白

2018.01.03 [ Edit ]

昨年末の最終のサッカー練習会に参加しなかった。
参加しなかったと言うより、参加できなかった。

風邪をひいていたのもあったけれど、
それが原因で行けなかったのではなく、
若いときから
「風邪?」
「雨の中でサッカーしたら治るぞ」
これが信条で、実践してきたものだから。

まあ、しかし、シニアも年長になってきたら、無茶はできないものですが。

「鬱的症状が、またまた発生かもやな」
まあ、これが主因ってところかな。

たいそうに参加できなかったことを大きな出来事みたいに思う必要は無いのだが、
二十年あまり、年末の最終練習会には欠かさず参加してきたものなので、
「ちょっとあかんで、おまえ」って感じで、自省モードかな。

気温が低くなると、梗塞の麻痺がひどくなって、
ろれつも回りにくいし、
足が思うように動かない。
温かかっても動かないのは同じなのだが、
その程度がひどくなる。

これが原因で、自分自身がゲームの中で萎縮してしまう。
もともと、ゲームを引っ張るというか、
全体のコントロールは俺の役目で、
ゲーム中の声は、俺が一番大きいし、口数も多かった。

麻痺の身体になってから、しばらくは、あまり声を出さなくなった。

リハビリで少し参加できるようになって、
少しずつ、前のように指示する声を大声で出すようになったけれど、
「こんな中風の俺が指示の声なんか出したら」
「おとなしく、参加だけしとけ」って思われてないかなあ?

そんなことを考えながら、周りに気を遣ってる自分がいる。

先輩からメールが入っていて、
「年末の練習会、二回続けて欠席やったけど、身体大丈夫か?」
ありがたい言葉で、心に染みる。

なんも考えんでええんやけど、ごちゃごちゃ考えすぎる。
これが鬱の一番要因。

末娘の旦那、婿殿が、
どうも俺が気に入らないらしい。
細かい説明は、不細工で格好の悪いことが多いので独り言も控えるけれど、

孫が可愛いのは世の当たり前で。
親が一番は、子にとっては当たり前。

爺ちゃんは、いつ死ぬかわからんわけで、
孫がいくつになるまで、可愛がれるかなんてこと考えてるのに、
孫を取り上げるようなこと、言わんでええのになあ。

「サッカーは親が教えるので、爺ちゃんはサッカーを教えないでほしい。」
笑ってしまうような話しではあるが、いたって真剣らしい。

二歳の子にサッカー教えへんぞ。
ボール触らしても、どう蹴れなんてなあ・・・

全日本の香川でも、
レアルのロナウドでも、
バルサのメッシでも、
爺ちゃんが子供を可愛がってボール触らせてたら、
微笑みながら眺めてるやろうになあ。

これも、鬱の原因分子かなあ。








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強迫性神経症(強迫性障害 | OCD)と闘う父親の日記。画像は娘が描いたものです。

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