強迫性神経症 | 強迫性障害 | OCD体験記・子育てブログ

強迫性神経症(強迫性障害/OCD)の娘と向き合う父親の体験記・子育てブログ

10.いじめ(2)

2008.03.28 [ Edit ]

数日の日記のやりとりで、
西村さんていうボスがいて、彼女の指示により皆が娘を無視していること。

原因は、耳が悪い娘が皆の話に入ろうとして、
「今の何の話?えっ?何?」と質問することが邪魔になる。

「みんなが笑ったはるやろ、その時、何の話かわからへんし、
楽しそうやし、何の話?って聞くやろ。そしたらみんな私から離れて行かはる。」

ということだった。

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9.いじめ

2008.03.27 [ Edit ]

交換日記、けっこう楽しいものでした。

たしかに、継続はしんどかったし、娘を励ます為に、
継続は力なりという言葉を文面に多用したりしていたものです。

でも、どんどん文章は上手くなるし、親が驚くほど絵は上手いし、
内容も温かな微笑みみたいな内容が続いていたので、
しんどいけれど、負担に感じるようなことは、まったくなかったです。

ところが、5年生になって春が過ぎた頃から、急に文章に可愛さが無くなって、
抽象的とも思えるような表現が出てきたり、絵が無くなってきたり、
大人になってきたのかなあって考えてました。

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8.交換日記

2008.03.26 [ Edit ]

最初は、意味がわからない文章でした。
子供の言葉がそのままの文章。

読んでいて、ちょっと笑えるような、かわいい文が並んでいる。

初めての手紙なんやけど、何を伝えたらいいかわからないし、
必要ないのに伝える事をさがして必死で書いているのがよくわかる。

そんな出だしでした。

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7.交換日記

2008.03.25 [ Edit ]

今日、娘から机の上に置手紙。
といっても、家出したわけではありません。

神経症のくすり、とてもきついクスリ、8錠のせいで、
朝はやく起きようとしているのですが起きれない。
それで、夜中に起きてきて、いや、起きている夜中という表現が正解です。
たぶん朝方に机の上に置いたのでしょう。

「緊張して寝られないけれど、明日は必死で行こうと思ってる。
行けるかなあ?絶対行きたいんやけど。わからんなあ。でも、ありがとう。」

京都四條南座で公演中の「坂東玉三郎 中国・昆劇 合同公演」。

「これ見に行きたいなあ」ってテレビのコマーシャル見て娘がつぶやいたので、
行けなかってもええから、行けたら行ったらええからと言って、
チケットを母親と二人分購入しておいたお礼の置手紙です。

そういえば、小学校4年生から卒業するまで、交換日記していたなあ。
小学校3年生のときに、耳が痛いって言って、医者にかかって、
中耳炎ですって診断で、中耳炎は治ったけれど、ちょっと心配な点があるので、
紹介状持って大学病院に行きなさい。

「なかなか幼児言葉がぬけへんなあ、智沙は。」
弟はしっかりアニメの唄を歌ってるのに、智沙は甘えたなんかなあ。
そんなふうに笑っていたのに。

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6.サッカーに命助けられて(2)

2008.03.24 [ Edit ]

ただ、どうしても言っておかないといけないことがあって、

何もかも忘れて夢中になり、グランドではまったく馬鹿になっている仲間たちは
最高であるということです。

パスの出し方やもらい方、攻め方や守り方で、真剣に喧嘩することもあったりするんですが、
スポーツ馬鹿の男たちの世界は素晴らしいんです。

ちらっと言いましたが、私の息子が不良になって、16歳のころやったと思います。
ある日、息子の部屋から家内の叫び声が聞こえ、急いで息子の部屋に入って目にしたものは、
息子の背中一面にある美しい竜の絵でした。

殺してしまうような勢いで息子を殴っている私がいました。

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5.サッカーに命助けられて(1)

2008.03.23 [ Edit ]

今日は、岐阜の中池公園の球技場でサッカーの試合をしてきました。
対戦相手は三重選抜と長野選抜。

選抜なんていうと、高校生みたいやけど、実は全員が50歳代。

西日本OBサッカー連盟という組織があって、
静岡以西の地域で四国と九州にももちろん加盟しているクラブがあり、
40歳代、50歳代、60歳代、70歳代の各年代別の親善試合を楽しんでいる
結構おおきな組織なんです。

40歳までは、地域のリーグに高校の仲間とチームを作って参加してたんやけれど、
40歳になると同時にOBサッカーに参加させてもらいました。

したがって、今年55歳になる私は、OBサッカー歴15年になるわけです。
私の所属クラブは、NPO滋賀サッカークラブ、会員は全員で100名を超えています。
大正生まれから40歳までが92人で、会員の息子たちが16名の大所帯なんです。

シニアサッカーでなく、OBサッカーと呼んでいるのですが、
NPO法人登録すると年齢差別や性別の差別があってはならないということで、
OBサッカーという呼称は我がチームでは使っていません。
しかし、OBサッカーがなんとなくしっくりきます。

通常のサッカーの競技ルールとほぼ変わりないのですが、
試合時間が20分ハーフの40分であること、スライディングタックルは危険なので
反則にするという特別ルールが設定されています。

もう一つおもしろいのは、年代によって、パンツの色を変えているところです。

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4.ばらばらの回想

2008.03.22 [ Edit ]

けっこう、国語には自信があるのですが、自分のことを、娘の事を、他人向けに表現しようとすると、
時間割も、起承転結も、ばらばら事件になる。

まあ、自分の子供のことを他人に説明することなんて、
医者にかかる時にする病状説明くらいしかないのではと思うし、
支離滅裂も仕方なしかなと。

もう一つ、言葉遣いもあえて無茶苦茶にさせてもらうことにする。
敬語と、謙譲語と、タメ口と、みんな同時に出てくるような文章になると思うけれど、
学校の先生みたいに、意味がわかれば良い事に対し、ごたごた文句を言わないように。

こんにちわって言いなさい。
これ、俺は大嫌いで、なんとか自然に子供の口から心から出てくるようにするにはを、
頭ひねって考えた。どうやろ?頭ひねって考えたんかなあ?ごめんなさい。

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3.会社辞めたおっさんの履歴

2008.03.21 [ Edit ]

息子がどうで、娘がこうでって言っても、なんでってところは、根っこから考えんとあきません。
とても厳しく育てました、と表現すれば、なんかすごく狭く理解できるというか、されると言うか、
簡単明瞭に近い説明になって、余計に理解されないものです。

ごたごた自身の回想もあまりと思い、ここは簡単に表現してみます。
中学、高校時代に、番長というには少し新しく、ヤンキーというにはちょっと古い、
番長とヤンキーのちょうど中間のような生きようだったと思います。
この表現は、今度はとても分かり易いような気がして満足できます。

蛇足の説明を少し加えると、バンカラの孤高ではなく、徒党を組んだはみ出しでもない、
心の熱さを少し持った男のプライド。

そんな内外を人に見せて、また、見てもらいたく生きていた学生時代だったと思います。

ちょっと、自分一人で懐かしんでいるだけで、いくらも伝わらないのが本当のところかなと。
とにかく、男らしいが最高みたいに思っていました。

一生懸命サッカーやって、人の為の喧嘩もやって、
勉強もそれなりに出来て、みたいな生徒でした。
ちょっとだけ、いや結構自信もあったかなあ。

そんな奴が、22歳で結婚して、結婚してから会社に入って、
そして24歳で娘が生まれて、26歳で息子が生まれて、
下の娘が28歳のときに生まれて。

三人の子供に対しても、番長とヤンキーの間の父親だったと思います。

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2.退職を決意した理由

2008.03.20 [ Edit ]

息子が不良になってと言う話は、今となっては軽い暗闇だったのか。
その時は、その時で、人生終りみたいな大変さと苦しみがありました。
ちょうど京都から大阪に転勤になった頃でした。
大阪8年、滋賀4年、辞めて3年なので、もう15年前のことです。

まあ、息子の方は、なんとか立ち直ったので、といっても3年くらい闘ったのはしんどかったし、
そう、闘うという表現はぴったりの表現です。闘った跡に残るものは、戦争と同じで、
たくさんの大切なものが破壊されるという意味からも、闘うがぴったりです。

形あるものでなく、息子の学歴や、息子自身の自信、幼い感じでの将来の夢への急激な現実的縮小。
他人は、人生には躓きがたくさんあって、若い失敗はいくらでも取り戻せるなんて簡単に言うけれど。
そういうと会社の仲間に、私の息子高校退学した話をした時に、最近は高校中退なんて
少なくない話やから、そんなに気にすることでもないよって言ってくれた。

その時、そうですねえ、でも貴方の息子さんが高校退学するって言ったら、
いいよって言ってあげますか?って聞いたら、彼がうつむいて私にごめんって謝ったことがありました。
まあ、息子のあのころの話は、違う機会に詳しく聞いてもらうことにして、
今日は、退職決意までの話をすすめることにします。

息子が不良から抜け出したと同時くらいの時期から、もう一つの暗闇に襲われました。

難聴の長女が、強迫性神経症というやっかいな病気にかかってしまったんです。

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1.はじめに

2008.03.19 [ Edit ]

三月、春の匂い、思い出す送別の哀しさと寂しさ。
感傷ばかりの自分がいて、意気込みや決意はどこにあったのか?
苦しさに閉じ込められていたという自身への言い逃れ。
他人へではなく、自身に言い逃れする事の方がやっかいなことのようです。

退職して、はや3年が経過しますが、情けなく時間が過ぎていくだけで、
なかなか心が落ち着かずにいる私は、何にとは言わず、他人に対した羨ましさが隠せず、

見栄を張ることに苦心している滑稽さに、余裕のない苦笑い。

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Author:一人の父親
強迫性神経症(強迫性障害 | OCD)と闘う父親の日記。画像は娘が描いたものです。

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