265.正月前の墓参り
2008.12.31 [ Edit ]
起きだすしるしであるべき朝方の明るさが、睡眠を誘う。
若さの中の健康生活を送っている末娘に、
朝方の”うつらうつら”の親父の姿を、おもしろおかしく命名されてしまいました。
”フカオ”
ふかふか寝ているから、フカオだそうです。
娘の夜中の発作に対応するため始めた居間での生活。
もう5年以上、布団で寝たことがない私。
冬は、居間のコタツが私の寝床なので、
起きてきた末娘は、寝入りばなの私の横で出勤の準備をします。
ふかふか寝ている私を見ながら、朝のひと時をすごすことになる。
それで、つけられた名前がフカオ。
最近、妻にも姉娘にも、フカオと呼ばれてしまっています。
このごろは、ほとんど夜中の発作がなくなってきており、
そろそろ生活を変えないといけないと思いつつ、
発作にびくびくしての一時間が経過したあとの、
自分の時間の、ゆったりしたひと時が楽しみになってきているので、
ついつい明け方まで過ごしてしまう。
なにかをしているという時間ではないのですが、
ほっとしている時間とでも表現すればいいのか、
ボーっとしながら映画を見たり、サッカーの下働きの用事をしたり。
年末の慌ただしさのも無縁の生活、区切りのない生活。
来年は、区切りがあればと思っています。
そんな、怠惰な空気の朝。
「フカオ、はよ起きや。」
「おじいちゃんの墓参り行くで。」
娘の声で、無理矢理起こされました。
264.塾講師による公立中学補習授業
2008.12.30 [ Edit ]
聞き違いなのか、どうも理解できない話。
公立の中学校で、高校入試を控えた3年生を対象に、
補習授業というか、集中講座というか、
とにかく任意参加で、有料の勉強会をしているそうです。
高校入試は、子供達の最初の厳しい試練かもしれないし、
親たちにも、子供の将来を左右する大問題。
それが為に、常軌を逸した提案も、疑わずに受け入れてしまうのか。
私には、常軌を逸していると思えるのだけれど、私が変なのか?
ニュースによると、その任意参加の有料補習授業を、
公立中学の教室で、有名進学塾の講師を招いて実施しているとのこと。
主催者は、公立中学校なのか、教育委員会なのか、詳しくはわかりませんが、
時間外の授業なので、それでいいということなのか?
その中学の校長先生がインタビューを受けて、
「プロフェッショナルだから、教え方がうまい。」
などと、満足げに話していた。
生徒がインタビューを受けて、
「成績順の教室になっているので、授業が受けやすくていい。」
これも、満足顔。
インタビュアーの話によると、いいことなので、全国的に広まっていく可能性があるとのこと。
私が、こんなところに書くことじゃないのかもしれないけれど、
我慢ができませんでした。
263.六波羅蜜時 踊り念仏
2008.12.29 [ Edit ]
一喜一憂の、一喜なのかもしれませんが、素直に喜んでいます。
醍醐天皇第二皇子光勝空也上人により開創された西国第17番の札所。
六波羅蜜寺。
その寺で、毎年12月13日から31日まで、毎日午後4時から
「空也踊躍(ゆやく)念仏」、通称踊り念仏が公開されます。
空也上人が疫病や天災に苦しむ民衆の心の救済として始めたものだそうです。
何年か前までは、妻と娘が毎年この時期になると参拝していました。
私は、あまり宗教というものを信じていないので、
参拝はしたことがありませんが、
娘が、真摯に仏様を拝む姿には、いつも心を打たれます。
私は、宗教を信じていないことはないのかもしれません。
特定の宗教に帰依していないというほうが正確なのかもしれません。
けっこう、教義等は、のめりこんで勉強するほうですから。
この六波羅蜜というのも、興味深い言葉です。
興味深いなどと表現すると罰が当たるのかもしれませんが、
こんな表現をしてしまうところが、宗教に帰依できないところなのかもしれません。
誰もがよく知っている般若心経。
般若波羅蜜多心経というのが、本当の名前です。
この波羅蜜というのは、簡単に言うと、悟りに至るという意味の言葉だそうです。
悟りに至る為の、六つの修行のことを六波羅蜜というそうです。
布施、貪欲の気持ちを抑えて、完全な恵みを施すこと。
持戒、常識を持ち、自らを戒める事。
忍辱、如何なる辱めを受けても、堪え忍ぶこと。
精進、ひとときも無駄にすることなく日々誠心誠意尽くすこと。
禅定、冷静に第三者の立場で自分自身を見つめること。
智慧、貪りや怒り愚痴によって智慧を曇らせず、中道を歩み修行を実践すること。
この六つが、六波羅蜜です。
ちょっと簡単に書きすぎたので、そんな簡単なことではないと叱られそうですが、
だいたいこれであってると思いますし、間違いではないと思います。
薄い宗教の知識で、叱られそうな勝手な説明はこれくらいにしておきます。
実は、嬉しいことに、昨日、娘が、妻を連れて、踊り念仏に参拝しました。
妻を連れてです。
母親に連れてもらって参拝するという方が普通でしょうが、
うちでは、神社仏閣の参拝は、いつも、娘が連れて行くのです。
数年、電車にも乗れませんでしたから、前日は大変でした。
262.慈しみの心
2008.12.28 [ Edit ]
世の中では、年末のボーナスは、もうすべて出たのかなあ。
ボーナスカットなんて話もよく耳にするし、
派遣切りも、たくさん話題になっている。
大変な不況。
ボーナスカットや、派遣切りをする会社が引きもきらない。
でも、リストラしてる会社の社長や幹部の生活は、今までと変わらないような気がする。
会社が立ち行かないから仕方がない。
そういう理屈ですが、そう言う理屈を言ってる方に、あまり痛みは届いていない。
会社が苦しいから、取締役以上が、個人資産を供出して一般社員のボーナスを払った。
それを見て、管理職全員が、ボーナスを3割供出した。
こんな、あほな会社のニュース、一回聞いてみたいなあ。
261.のんびり
2008.12.27 [ Edit ]
会社辞めて、もうすぐ4年。
経済的苦境がひしひしと押し寄せてきている。
あるサッカーの先輩が、退職して半年くらいの時、
たぶん、かわいそうなリストラ社員がと思ってくれたんだと思います、
公営のスケートリンクの管理の仕事があると紹介してくれました。
すべてを知ってくれている友が、
「贅沢な人やから、サッカーが出来ることが条件で、完全土日休みのとこしか行きませんよ。」
こう言って、笑い事にして、はぐらかしてくれました。
その同じ先輩が、事情を後に解っていただいたのですが、
それでも、私がノー天気に暮らしていることを見て、
「おまえ、山でも持ってるのか?」
「えっ?」
「いや、働いてないのに、ゆっくり暮らしているように見えてなあ。」
「あっ、なるほど、そんなことないですよ、貧乏プー太郎ですよ。」
こんな答えで、笑い飛ばしました。
このやり取りだけ紹介すると、
この先輩が、あまり気のつかない人みたいに聞こえてしまいますが、
そんなことは、ないんです、教育委員会の幹部で、賢い人なんです。
私だけでなく、苦しみ抱えている人のこと、聞いても見ても、
すべてが解る筈はありませんから、しかたないことです。
だいたい、10年も付き合っているのに、
私自身、娘の病気をすべて理解できてやれてないのですから。
理解するということだけでなく、対処の仕方も、それぞれでしょうし、
どうするのが一番いいのかなんてことも、確信なんてないのですから。
とにかく、そんなことで、例えばカミングアウトということについても、
良いことなのか、どうなのか、答えはないのだと思います。
言えるのは、すべて自分で決めるしかないことだということかなあ。
毎日が、ぐらぐら、びくびく、どきどき、ふらふらです。
でも、病気の娘がいるからといって、金がなかったら生活はできないのだし、
仕事をしていないというのは、世間様には、理解できないことだと思います。
自分自身も、それではいけないと思っていますし、
時々、恐ろしい焦燥感に攻め込まれて、ひどく落ち込んでしまいます。
そんな時です、私のそんな弱気と焦りの心を見破って、娘が私にかける声。
260.言葉の薬 (幼なじみ2)
2008.12.26 [ Edit ]
盆休みだったと思います。
幼なじみの友の帰省の連絡で、家に遊びに行ったとき。
勝手に玄関を開けて、挨拶もせずに奥に入っていきました。
彼の家は、大きな百姓家で、玄関から奥の居間までが遠いのです。
おすっと、声をかけようと思ったところ、
兄貴と彼が深刻な顔で話をしていたので、黙って勝手に上がりこんで、ちょっと離れて座りました。
話の内容は、サッカーをどう続けるかという相談。
法政のサッカー部時代、早稲田との大事な試合でゴール前の簡単なシュートを外してから、
レギュラーを外されて不遇の大学サッカー生活だったことは、彼から聞いていますが、
東芝サッカー部に入って、頑張っているということだったので、安心していたのです。
ところが、東芝に入ってから、監督と意見が合わず、これまた不遇。
努力は人の3倍したはずの彼ですが、運となにかがずれたのか、
その時、彼が兄貴に言ってたのは、
監督が選手はあきらめて、マネジャーの仕事をしろと言う、
自分は選手を続けたいから、東芝のサッカー部はやめて、
神奈川選抜で選手を続けたいということ。
兄貴が、東芝のサッカー部をやめて、他のチームでサッカー続けたら、
サッカーどころか、会社を辞めないといけないことになる。
我慢しろということでした。
彼は、泣いていました。
挫折、人生の中で、これを味わわない人はいないでしょう。
自分の心の中で、耐えられないような屈辱感と闘うのです。
再起して勝利を得ることも、稀にありますが、ほとんどは、諦めか妥協。
彼のサッカーは、その時が頂点というか、最高ポイントだったのだと思います。
一生懸命の、それ以上を目指してしまった辛さだったのかと思います。
妥協して、頂上のサッカーを目指すことを諦めた彼は、サッカーから離れていきました。
その兄弟の相談の時、兄貴が、黙って横に座っている私のことを、彼に言ったことば、
「こいつは、もうサッカーを諦めて、結婚して子供までいて、ちゃんと暮らしとる。」
259.幼なじみ
2008.12.25 [ Edit ]
新居の住所は同じ市内でしたが、小学校の学区はまったく違う場所になり、
2年間はバスで通学していました。
首から定期券が入ったカードケースをぶら下げての、
毎日約一時間の通学を、いまでも薄っすら覚えていますが、
その時は一人前気分でしたが、頼りないものだったのだと思います。
ところが、越境通学は許されないということで、
新居のある学区の小学校に転校することになりました。
大人の世界の理由なので私にはよく解らず、仕方ないことと親父に聞かされ、
心の中では動揺していましたが、平気な顔をしていました。
そうしないといけないものだと思っていたような記憶があります。
ただ、一回だけ、親父方のおばあちゃんの前で、大泣きしたことも覚えています。
すべてが、薄っすらとした記憶ですが、
今思っても、なぜか心が寂しくなるような記憶です。
幼なじみ。
いい響きの言葉です。
私には、幼なじみが成長して今も仲が良いという友達は、そんな理由でありません。
小学校5年生から、友達の総入れ替えになりました。
その転校初日から、仲良くなった友達が、幼なじみと言えば、そうなのかもしれません。
もちろん、子供のことですから、転校してすぐに友達はできましたし、
別に、かわいそうな話ではないのですが、
新しく出来た友達数人と、友達の家に遊びに行った時、
その友達の母さんが、
「みつお、母さんは元気か?まさと、兄ちゃんは、今年から中学やなあ?」
こう言って、ひとりひとりに声をかけた後、
「その子は、だれや?」
私のことを、自分の息子に聞くのです。
その時、すごく悲しくて、すごく寂しくて、自分だけが仲間ではないという、
強い疎外感があふれてきたことは、今も鮮明な記憶です。
その鮮明な記憶の中の、友達の母さんが、先日亡くなりました。
「その子は、だれや?」から、
高校を卒業するまで、その母さんの息子が一番の親友になったことで、
その母さんは、いつも、私を息子の一人のように接してくれました。
息子が三人いて、私の親友は末っ子。
末っ子の友達だから、末っ子ともども大切にしてくれたのだろうと思います。
そして、実は、その家の長男が、私のサッカーのルーツなのです。
258.やるなあ、弟
2008.12.24 [ Edit ]
いや、すでに依存症まっただなかかも。
そこにしか行けないからと、
そこに行けば、機嫌がよくなる、明るくなるからと連れて行っていた。
甘い父親。
甘やかして、逆に、間違った安心を与えているのかもしれない。
いろんな反省。
いろんな落ち込み。
日々考えに考えているけど、容易に答えは見つからない。
このままではいけないと、今頃になって、パチンコから遠ざけようとしている。
数年前に、ハラグロ先生に、娘が相談した。
257.牢屋の鍵
2008.12.23 [ Edit ]
久しぶりに、下働きのみで参加しました。
出場メンバーを決めて、昼食の弁当を買いに行き、全員に配る。
ベンチに座って、試合を見ながら聞こえるように、失敗した奴に罵声を浴びせる、
交代メンバーが、出場している奴の明るい悪口いっぱい言いながら、大笑いの連続。
そんな最中に、娘からの携帯の着信音。
お父さんさあ、私、パチンコ行くのはそんな綺麗なかっこして行かへんし、
楽しいしなにかを自分でやってる感があるし行くの平気やねん・
でも京都とかは、なんかお腹痛くなっても、すぐ帰れへんし、買うもんないし、
お腹痛くならへんかな、お腹痛くならへんかなで、楽しんでいけへん・
ようパチンコは行けるのにとか思われると、あ、わかってもらえてないなとか思うわ・
私だってなんでこんな病気になったんかわからへんし、
何が平気なんかも自分でわからへん・外に出るのは怖い。
もし汚いもんにあったら、悔しくて悔しくて泣きたくなる・あの気持ちをなるたけ味わいたくない・
パチンコに平気で行けるのは、私だってわからん・
色々葛藤があって、この病気になってしまったおかげで、普通じゃない葛藤があって生きてる・
私は自由になりたい・自分から自由になって生きたい・
今あるこの体、脳みそ、魂から自由になりたいんや・
試合中の楽しいベンチに、急に作られた私一人の暗くて重い部屋。
その孤独の部屋から、仲間に気づかれないように返信しました。
256.カミングアウト
2008.12.22 [ Edit ]
励ましの返信の中に、いろんな事実がありました。
そのなかで、いままで普通に付き合ってきて、
まったく知らなかったことがありました。
びっくりしました。
その後輩からのメールを紹介します。
256.すばらしい奴ら
2008.12.21 [ Edit ]
回避であって、完治ではない。
痛みがとれて、直立二足歩行が可能になったと言うだけ。
腰に爆弾を抱えていることに変わりは無い。
なので、練習会には、遅めに参加しました。
早めに行くと、医者に止められているのに、絶対サッカーやってしまうから。
先週、サッカーの仲間にカミングアウトしました。
255.幸せな一歩
2008.12.20 [ Edit ]
田舎者の珍しい物好きで、たいへん賑わっています。
ここしばらく調子の悪い姉を気遣ってくれたのでしょう、
妹娘から姉娘の携帯にメールが入って、夜勤明けの明日はヒマなので、
買い物と食事に行こうとの誘いがあったそうです。
「父さん、妹からメールで、昼ご飯奢ってやるから買い物に付き合えやって。」
「電車乗れへんし、明日、父さんもいっしょに来てや。」
「よっしゃ、わかった。」
ということで、夜勤から帰って来た妹娘と三人で出かけました。
254.キムチの配達
2008.12.19 [ Edit ]
前に説明した、名前のとうりの、私を支えてくれるチング(親友)のキムチです。
親友が、私を元気付けるために誘ってくれたキムチ販売。
もう一人の親友が、最初の客になってくれて、
「俺、キムチ大好きやし、注文するの面倒やから、2週間に一回、配達してくれ。」
こう言ってくれて、それでも、どこか遠慮があって、2週間が一ヶ月になったり、
それ以上の間があいたり。
その親友のところに、娘と二人で配達に行きました。
「ヒライのおっちゃんとこに、キムチの配達行くけど、いっしょに行くか?」
「うん、行く。」
「ヒライのおっちゃん、久しぶりやなあ。」
「元気にしてはるのかな。」
喜んで、ついてきました。
253.しんどさの中の夢
2008.12.18 [ Edit ]
ずっと経験し続けている私の感覚。
誰かに、娘の調子がいいと言った瞬間から娘の調子が悪くなって引き戻される。
心の中で、少しの安心を感じた時から、元の不安を呼び覚ます事象が発生する。
このことが、賽の河原の石積みを、
鬼が出てきて蹴散らしていくという表現であらわしていたものです。
「わたし、編み物始めるわ。」
ということで、毛糸を買い。
「わたし、また、絵を描き始めることにする。」
これに、大いに喜んで、黙ってられなくて、ちらっと、親友に報告する。
そんな嬉しいことがあった瞬間から、私の心の底のほうで声がして、
言われなき、どきどきと、びくびくが、ちらちらと顔をだす。
「喜んだらあかん、まだ安心出来へん。」
「また、なんかあるかもしれん。」
夜遅く、だいたい事件が起きるのは夜遅くがほとんどです。
風呂から上がってきた娘の形相が険しくて、
何があったのか、頭がぐるぐる回りだす。
妻に対して、娘が怒って、
「わたしの病気が邪魔なんか?」
「なんのことや?なにを怒ってるの?」
「青いスリッパ捨てといてって頼んでたやん。」
「こんなことを言うのが嫌やっていうことと、病気が言わせるっていうことを解ってほしい。」
「わたしが邪魔やって思うけど、助けてほしいて言うたことは、して欲しいて言うてんねん。」
それだけ言って泣き出しました。
252.オバハンの便り
2008.12.17 [ Edit ]
私も同感。
64さん宛の返信に、こんなことを書いてしまいました。
そそっかしさが文章に漂っていて、それでいて、すごいあたたかさを感じる。
きっと、そそっかしい肝っ玉母さん。
そんな感じの、周りに気配りばっかりして、自分はそんなに楽しまず、
それでも人が微笑むのを見て喜んでる。
失礼かとは思いましたが、思ったままを書きました。
しんどさに思い切り耐えてきたこころの強さが、そう感じさせているのだと思います。
そしたら、思ったとおりの、このオバハン。
こんなタイトルで、メールくれました。
”そそっかしい〜オバハンです〜.:♪*:・'(*⌒―⌒*))) ”
励ましとアドバイスをいっぱいくれたあとに、こんな詩を、おまけで付けてくれました。
”雨にも負けず”の九州女性版のような感じがして、
楽しく読ませていただきました。
お裾分けで、貼り付けます。
251.芽吹き
2008.12.16 [ Edit ]
「絵を描きたい。」
「大阪まで、電車で行きたい。」
「昼間に外を歩きたい。」
こんな言葉が、最近、娘の口から出るようになっている。
私が望んでやまない言葉達ではありますが、
具体的にどうしようというところまでは続かない。
入り口までには到達しないので、実現には結びつかない。
心の中で、前向きの闘いが始まっている気配があることは嬉しいことなのですが、
大きな壁が阻んでいるので、余計に心の調子が悪い。
「こんな病気にならへんかったら。」
「耳が悪くなかったら。」
どうしても、続きの言葉がこうなってしまう。
この苛立ちに、たどり着いてしまうと、どんどん気持ちが落ちていく。
「寂しい。」
「なんにも出来へん。」
「何のために生きてるんやろ。」
「わたしなんか、生まれて来おへんかったらよかったんや。」
「生きるのしんどい。」
今までと同じ言葉の行列が行進し始める。
そうなると、私や妻の、おどおどしたような慰め言葉が後を追うのですが、
娘の悲しい心からは、どんどん離されていくばかり。
250.三井寺
2008.12.15 [ Edit ]
今日は、久しぶりに三井寺に、娘と二人で行ってきました。
「ヒマやー、寂しい。」
この言葉が、娘の口から出ると、私の肩が急に重くなる。
私の肩が急に重くなるのに、3パターンほどの決まったきっかけがある。
居間のガラス障子が、大きな音でガシャーンとしまる音がする時。
階段を二階から乱暴に下りてくる音が聞こえて、
すぐに玄関の戸が乱暴に開けられる音が聞こえる時。
「ヒマやー。」と娘が言い出した時。
その他、娘が突然泣き出すとき、一点を見つめて黙り込んだとき、
突然、大声で怒り出すとき、いろいろありますが、
だいたい、よくあるのは、上記代表3パターン。
腰痛で、今現在サッカーを諦めさせられている私ですが、
練習会には出かけていって、休憩タイムの男の会話には参加してきました。
息子は、久しぶりの休みだったので、早くに練習会に出かけてライン引きからの準備作業。
末娘は、以前働いていた中華料理店が北新地に出店したので手伝いに行くのだと早朝に出発。
妻は、予約していた美容院に昼から出かけるとのこと。
昨夜、娘が、
「明日は、妹も、弟も、母さんも休みで、久しぶりに家族全員そろう日や。」
と、喜んでいました。
ところが、当日、それぞれに予定が入っていて、
一週間の我慢から、家族と話せて、いっしょに過ごせる予定が崩れて、
「ヒマやー。」の発声となったわけです。
「ええ天気やから、どこかでコーヒーでも行こうか?」
「また、父さんとか?」
「ええやんけ、さあ、行くぞ。」
暗いところに思考が走り出すヒマを与えずに誘い出しました。
249.こんくらいでよかたい
2008.12.14 [ Edit ]
毎日がしんどくて、辛い日々を送っている。
「おっちゃん、助けて。」
直接は言わないけれど、書いてくる文章は、すべて、これに変換できる。
私は、自分の無力に歯噛みする。
自分のしんどさで精一杯のなかで、
私にメールしてくる内容に失礼がないかが気になって、何度も何度も書き直すそうだ。
そんなことを気にするなと言ってやっても、気にしているのが、よく解る。
真面目がゆえに、繊細がゆえに、いわれなき苦しみを味わわされている。
家族にも、わかってもらえない苦しみも持っている。
健常な友達たちに、羨望の苦しみも持っている。
まだ、短い付き合いしかしていませんが、
文章でのみしか付き合ってはいませんが、
彼女が、人より頑張り屋なのを、私は充分感じています。
可愛い性格で、優しい性格なのもわかっています。
先日、彼女から夜中の一時にメールが入りました。
248.遠足の日の雨
2008.12.13 [ Edit ]
そんな気分の日曜日。
誰にでも何度かはあるだろう、遠足の日の朝の雨。
日曜日は、いい天気だったから、悔しさが余計につのる。
腰が機嫌を損ねなかったら、楽しいサッカー日和だったのに。
先週の日曜日の話ですが、医師の指示により雨が長引くことになりました。
直立二足歩行も可能になって、人間の歩き方に戻れたので、
そろそろサッカーマンとしての再起をしようと考えていたのですが、
ヘルニアのMRI撮影写真を見ながらの医師とのやり取り。
「押されてる神経の変形は、そんなにひどくないので、手術は見合わせましょう。」
「先生、そろそろサッカーしてもいいですか?」
「あのね、手術は、せんでええでしょうと言ってるのであって、大丈夫だとは言ってませんよ。」
「最低、今年いっぱいは、走ることもやめなさい。」
「えっ、12月21日に試合があるのですが、そこからで、どうでしょう?」
「我慢することですね。」
「あっ、はあぁ。」
笑いながら、冷たく、サッカー禁止の指示。
246.診察の意義
2008.12.11 [ Edit ]
昨夜は、いつもの、理屈がいっぱい。
「行きたくない。」
「行ってもしゃあない。」
「話すことない。」
「行っても治らへん。」
以前は、こう言って泣き出して、発作になっていた。
ただ、このごろは、ひとしきり、これを言って、言い終わった後に、
行く覚悟を決めてから、もうひとつ言うことがある。
「明日、先生に、これが出来たって言おうかな。」
「これが、したいんやけど、なかなかでけへんって言うわ。」
最近は、一ヶ月分の薬を出してもらっていて、
一ヶ月に一回のペースで通院している。
最初は、毎週行っていた。
「いつ治る?」
「どうしたら治る?」
「こんな薬、飲んでもいっしょや。」
「先生と話してても、なにも答えてくれへん。」
「お医者さんなんやから、はやく治してよ。」
「苦しいって言うてるのに、いつも話をそらしてる。」
こんなやり取りを、毎回続けていたような気がする。
となりに座っていて、はらはらしていたことを思い出す。
帰り道に、
「先週は、どうでしたか?って聞かはるけど、わたしのこと覚えてはるのかなあ?」
「いっぱい患者さんいてて、疲れて、適当に話してはるだけみたいや。」
そんなことを言ってました。
2〜3年が経過したころから、
「わたし、先生と喋るのが好きなんや。」
「父さんと違うこと言うてくれはるし。」
こんなことを、言うようになりました。
「わたし、家族以外とほとんど話したことないやろ。」
「先生は、わたしが話せる唯一の他人や。」
「父さん、他人と話すのって、ええなあ。」
こんなことも、言うようになりました。
そして、今日。
245.蝋燭
2008.12.10 [ Edit ]
娘の、お気に入りのお兄ちゃんなのです。
「あっちゃんと、ずっといっしょやったんや。」
あっちゃんは、三軒隣に住んでいた、私の母親の妹の息子です。
私より、ひと回り下なので、43歳になる、子供が三人いるりっぱなお父さんです。
そのひと回り下が、娘です。
三人とも、干支が巳だということです。
あっちゃんは、私がとても可愛がってる、大切にしている数少ない親戚の人間です。
244.偏見
2008.12.09 [ Edit ]
「せっけん、せっけん。」って、小声で言わないといけなかった人がいたのではと、
ちょっと反省しています。
またまた、普通に生活している人には、不可解な表現。
強迫の人には、すぐに理解できる話。
こんなことも、言わないでいい話かもしれません。
「タンスを毎日、移動しないと気がすまない、キチガイだと思われる。」
こんな表現をしてきた、かわいい仲間、おっさんの娘がいます。
放送禁止用語なので、使用してはいけない言葉。
ほんとに、そうなのでしょうか?
確かに、言われていることの意味はわかります。
不快な言葉、人を傷つける言葉。
きっと、そうなのでしょう。
私の、少数意見は、ちょっとだけ違います。
反対するわけではないのですが、
普通に使われてきた言葉を、すべての場所から排除してしまう、
どんな場合においても、絶対悪にする。
そうでもないのではないかと思うのです。
この、可愛い娘の告白コメント。
悲しさの、辛さの叫びの中での、キチガイっていう表現。
私は、そんなに不快感を覚えません。
少なくとも、私と彼女の会話の中では、解り易い表現であり、
他人を蔑視しているような気持ちなどは、どこにもありません。
前に話した、青森遠征での、仲間の失敗、
「マッチャンの家庭は、ようキムチ食べるみたいやけど、奥さんは韓国の人か?」
「ちがうわい、失礼なことを言うな。」
三人で歩いていた時、いっしょに、帰化をした元在日韓国人の仲間がいた時のやりとり。
243.重症は複雑
2008.12.08 [ Edit ]
もう何十回と繰り返してきたことなので、
だいたい症状の進行具合は理解できている。
先ず、腰の中心部あたりの背骨の部分で、ぐちゅっという感じの鈍い痛みの予兆があって、
それだけで過ぎてしまうときもある。
ただし、その後一時間くらいで、ぴりっとした痛みが、背骨に走ると、最悪のはじまり。
その夜くらいから、小さな動きのたびに腰に激痛が走り出す。
翌日に立って歩けるかどうかが、重要なポイントで、
歩けても、まっすぐ立てずに、腰が曲がった状態ならば、治るまでが長引くという答えになります。
今回は、約2年ぶりに最悪の進行状態。
ついに、二足歩行が不可能になってしまいました。
こうなると、もうひとつの大きな障害が発生します。
我が家で一番厄介な場所であるトイレに、
這って行かなければいけなくなることです。
私が腰痛になると、このことを密かに怯えている娘です。
242.美しい涙
2008.12.07 [ Edit ]
医師からは、背骨近辺に、大きな痛み止め注射を二箇所打たれて、
三日間は、絶対安静を言われてましたが、
ひと月前から、準備していて、、宴会の進行や、宿泊手配や、二次会の手配も、
放っておけないし、キャプテンは休めないので、いや、なにより楽しみにしていたので、
老婆のように腰を曲げて、杖をついて参加しました。
西日本OBサッカー連盟のルールで、
60歳代をVクラス、50歳代をAクラス、40歳代をBクラスと定めています。
腰を直角近く曲げて、杖を突いて、3メートルを1分かけて歩く私を見て、仲間たちが、
「おーい、今日は、Vクラスは誘ってへんやろ。」
「Vクラスの爺さんが一人混じってるぞ。」
と、大笑いしてました。
みんな、そんな言葉で、私を心配してくれ、歓迎してくれているのです。
大笑いしながら、私が持っているバッグを走ってきて持ってくれたり、
肩につかまれと言ってくれたり、ドアを開けてくれたり、
先輩が、後輩に、
「ぼけっとしてんと、おんぶしてやれ。」と、命令してくれたり、
言葉以外は、心が暖かくなることだらけなのです。
もちろん、超スローモーションで、自分の痛くない歩き方を探しながらなので、
おんぶなどしてもらったら、死ぬほどの痛さになるので、
言葉だけいただいたわけですが、ありがたい仲間たちです。
会社の都合があったりするので、参加者は二十数名だけでしたが、
どうしても参加したいけれど、行けないって返事の奴がその倍ほどいてるので、
来れた奴は幸せ者、そんな感じの気持ちを持って、宴会スタート。
一年上の先輩は神様の、超上下関係、スポコン根性が充満している宴会です。
ただし、それを嫌がっている奴は一人もいなくて、全員が嬉しそうな顔をしています。
241.人生の結果
2008.12.06 [ Edit ]
人生の結果は、死だけだ。
これ、また得意の韓国ドラマのなかのセリフ。
メジャーな作品ではないので、題名を言っても解らないようなドラマです。
そんなことは、どうでもいいのです、
普通の会話の中で、ただのおっさんが話した言葉なんですが、
みょうに引っ掛かってしまって、なんども言い返して覚えてしまいました。
「そうやなあ、途中で結果でえへんし、死だけが結果、なるほどなあ。」
こんな感じです。
いろんなことに、当てはまる話です。
運命なんて言葉で、結果が出てしまったことを無理矢理受け入れたり、
あの時、こうすればよかったなどと後悔してみたり、
ああしたから、こうなったんだと喜んで、自分を褒めたり、
生きていくなかでの、反省や、納得。
でも、生きていく途中には、何本も道があって、分岐点はいっぱいある。
誰も、同時に二本の道は歩けないから、
分岐点では、どちらかを選ぶ、
いや、選ぶことも出来ない場合もある。
知らないうちに、進んでしまった道もあるし、
進みたかっても、進めなかった道もある。
死だけは、終着点。
死を迎えるときには、もう分かれ道は見当たらないのです。
人生の結果だというわけです。
腰痛持ちの私は、きつい腰痛に襲われるたびに、
もう立ち上がれないのではという恐怖感に襲われます。
その発想が飛躍して、腰にもっと重い病気があって、
入院して、動けないまま死ぬのかなあ、などと考えてしまうことがある。
そんなときに、いつも考えること、
三人の自分の子供たち、子供達といっても、もう大人達ですが、
けっこう、他人には、自分の本音を話してきたなあと思う、
でも、子供達には、自分の子供ゆえ、本音が話せていないような気がする。
気がするではなく、実際、本音を伝えられていない。
自分も、言えないし、子供も、聞こうとしない。
私の親父の場合、どうだったかと考えると、
真剣に、私が、親父に、親父をどう思ってるとか、
親父が、私に、私をどう思ってるとか、
話し合ったことなんか、まったくありませんでした。
これって、極当たり前のことのようですが、
できれば、本音を伝えたほうがいいと思う。
でも、死んでから、結果として、考えてくれたらいいことなのかなあとも思う。
腰痛で、弱気になっている今。
ここに、少しだけ、本音を書いておこうと思います。
私が死んだら、このページを、誰か、私の子供達に伝えてくれたらありがたいです。
240.腰痛
2008.12.05 [ Edit ]
寝たきり状態です。
やっとの思いで、パソコンの前に座っています。
今週の土日は、サッカーの予定ぎっしりやのに、くそっ。
「腰痛の痛さは、なった者にしかわからへん。」
「一分間、あの痛みが、もし続いたら、気が狂うで。」
よく、言ってきたフレーズです。
239.夜中の仕事
2008.12.03 [ Edit ]
手を洗う回数が、入浴の回数が多いのだから、当たり前の話ですが、
ちょっと雨が続くと、タオルが不足してしまう。
タオルだけでなく、もちろん、それと同時に衣類にも同じことが言える。
視覚や、感覚での汚れで、手洗い、入浴をするので、
清潔以上の生活があり、
妻の、洗濯とベランダへの洗濯物干しは、かなりの仕事量になる。
この生活が、十年以上続いているので、
この生活に、違和感は、まったくない。
これまた、普通の生活をおくる家庭には、理解できない話です。
237.晴れたり曇ったり
2008.12.01 [ Edit ]
くるみ からの励ましメール。
今日も、夜中の娘からのメール。
さあ、また、しっかり考えて、返信してやらんとあかん。
こう思って、ちょっとしんどかったので、
「風呂に入ってくるわ。」
湯に浸かって、肩をほぐしてから、返信しよう。
こう考えて、ゆっくり、湯船に浸かりました。