296.まいどキムチ屋です
2009.01.31 [ Edit ]
「うん、行く。」
ということで、親娘キムチ配達便。
前に話した、キムチ販売をすると同時に、私が気を使わないような注文の仕方、
「2週間に一回持って来てくれや。」
「いちいち注文するの、面倒やから。」
こんな、ぶっきらぼうな、温かい注文をくれた親友のところに、
チングキムチの親娘配達便です。
彼の家が経営している修理工場に到着して、
工場の中の彼を見つけると同時に、まだ車がしっかり止まっていないのに、
急いでドアを開けて、嬉しそうに駆け寄っていく娘。
「ヒライーっ。」
「まいどー。」
大きな声で、おっちゃんに声をかけて、汚れた整備服を着ている彼に抱きついている娘。
男の中の男を目指して生きてきた私の仲間は、みんなシャイな奴ばかり。
「こらっ、ちょっと待て。」
大いに照れて、娘を振りほどいていますが、顔は優しく笑っています。
「こらっ、はなせっ、おっちゃんキムチのお金を、先に払うから。」
「そうや、コーヒー飲みに行こう。」
ということで、娘に抱きつかれて照れる彼は、喫茶店へ娘を誘ってくれることで、解放されました。
295.焦らないを考える
2009.01.30 [ Edit ]
やんちゃ娘が、今度は、焦るなって言うけど、どうしたら焦らないで生きられるんや?
という以下のような質問状をよこしました。
焦るな=ゆっくりでしょ?
ゆっくりというのは行動の事?
気持ちの事?
両方の事?
行動だったら、Digoみたいに、ゆったり動くって事?
心だったら、ゆったりするって事?
今のままじゃ、ゆったりはできないんよ。
どうやって、ゆったりできるんだろう?
また難しい質問だろうけど教えてほしいな。
294.踏み出せない一歩
2009.01.29 [ Edit ]
「なんでやろ?」
こう言って、涙ぐむ娘。
「ゆっくりでええ。」
私は、こう言うのが精一杯。
頭の中に、言葉が次々に浮かぶことは浮かぶのですが、
口に出しても、娘を焦らせるような言葉ばかりなので、
浮かんでくる言葉を、次々に消去する。
トンネルの出口は、大きな岩だらけ。
なかなかうまく進めません。
賽の河原の石積みを、鬼が出てきて蹴飛ばします。
293.喫茶店のママ
2009.01.28 [ Edit ]
寒いから、駅まで送ってやろうと出かけたついでに、大津駅前の喫茶店に寄り道しました。
前に頼んであった腰痛に良く効く魔法の葉っぱをもらう用もあったので。
ずいぶん久しぶりに寄りました。
「ひさしぶりやなあ。」の挨拶。
黙ってカウンターに腰掛けたら、向こうも黙って、勝手にホットコーヒーが出てきました。
ちょうど、モーニングが終わりの時間で、昼前のヒマな時間帯。
ボックス席に、客が一人いるだけでした。
292.トンネルの出口
2009.01.27 [ Edit ]
「絵の教室に行こうと思うねん。」
「えっ?」
「そろそろ、もう一回、絵を描いてみようかなと思うんや。」
「おばちゃんに教えてもらった、教室に電話してみようかな。」
「やっぱり、もうちょっと考えてからにしようかな。」
「いや、思い立った時に、してみるのがええで。」
「電話しいな。」
「うん、するわ。」
ということで、電話をかけたのですが、番号が間違っていたらしく、
残念ながら繋がりませんでした。
「やっぱり、まだ早いってことかなあ。」
「こんど、おばちゃんに電話番号また聞くわ。」
「今、聞いときいな。」
「電話して、聞いたらええやんか。」
親友の奥さんに、電話をかけたのですが、
「今、忙しいから後からかけてくれはるって。」
「やっぱり、ゆっくり考えろってことやなあ。」
「まあ、焦らんでもええわ。」
「いろんなこと出来てきてるし、いつでも、行こうと思ったときに行ったらええ。」
その後、すぐに電話があって、
携帯からかけていたのに市外局番を回していないという単純ミスでの不通だったということ。
「わたしの単純間違いやったわ。」
「やっぱり、もうちょっとゆっくりすることにするわ。」
「わたし、もう、病気になって10年近くなるやろ。」
「わたしな、今まで、世話になることが恥ずかしいことやと思ってたんや。」
「病気になる前は、誰にも助けてもらえへんと思ってた。」
「父さんとも仲良くなかったし、兄弟にも助けてもらえへんと思ってたんや。」
「だから、漫画家になって自分で生きていくしかないと思ってた。」
「それで、何年も、昼3時間、夜3時間だけ寝て、必死で漫画描いてきた。」
「でも、なかなかうまくいかへんし、いらいらもして、生活も、ずっと普通に送ってなかったと思う。」
「友達も、漫画の邪魔やと思って、誰とも付き合わへんかった。」
「ストレスだらけやったと思う。」
「そんなことも、きっと病気の原因なんやろうなあって思う。」
「でもな、このごろ、だんだん出来ることも多くなってきて、夜もけっこう早く寝れるやんか。」
「朝も、早く起きれるようにもなってきて、ちょっとだけやけど、楽やと思えるねん。」
「父さんとも、仲良くなれたし、弟妹も優しくしてくれるやろ。」
「ありがたいと思ってる。」
「助けてもらって、助けてあげたらええのかなあって思えるようになってきたんや。」
残念だと思った後に、こんな嬉しい会話が続きました。
「そんなことを書いて、みいちゃんにメール送ったんや。」
「見せてあげようか。」
ということで、前にも少しだけ言ったことがある、
私のブログに最初にコメントをくれて、”ええかげん集団”の結成をした長女ことりんに送ったメールを、
転送してくれました。
以下は、そのメールです。
291.安心には触媒がいる
2009.01.26 [ Edit ]
安心について、いろいろ考えてみました。
考える、悩む、苦しむ、こんなこと自体が、安心から遠のく要因なのだと考えながら。
安心の反対語は、心配かなあ。
恐怖という言葉も、反対語だと考えられるかなあ。
不安が、一番反対に位置する言葉かなあ。
これは、国語の試験ではなく、
今ここで考えている安心についての反対語なので、
学校の勉強での反対語の正解を求めているのではないのです。
心の平穏を求めての、大きな答え探しなので、
学問上の間違いは、許される答え探しです。
なので、「あほか?」とは、思わないでいただきたい。
考えてみると、あんまり一人で歩かない言葉たちかなと思います。
安心、不安、心配、恐怖。
どれをとっても、何かでとか、何かがとか、どうなってとか、
触媒になるものが必要な言葉たちのようです。
安心を考えてくれた仲間からのコメントを紹介します。
嫁さんが強迫症で、一生懸命闘っている夫の立場の仲間です。
290.安心ってどういうもの
2009.01.25 [ Edit ]
理屈は、解るんだけど、意味が解らない。
多分「ゆっくり」は心をゆっくり?って事と判断しているけど
自分の心に「ゆっくり」と言う言葉が受け入れられない・・。
ただ私の頭が心が受け入れてくれない・・
どうしたら受け入れる事ができるようになるんだろう
おやじ、このブログ見てくれたら教えて。
こんな質問状がありました。
しんどい、寂しい、悲しい、苦しいと訴える娘たち、
私の娘に対してもを含めて、ほとんどいつも、私の返す言葉は、
焦るな。
ゆっくり。
安心しろ。
本心から、そうあって欲しい、
そういうふうにゆったりとした気持ちになって欲しいと思っているのですが、
簡単に、そう言われたから、出来ることでもないのも解っています。
難しいものですが、焦らないようにしてほしいし、
自分にも、言い聞かせる言葉たちです。
どう言って説明してやれば良いのか、これまた難しい。
だれもに必要と言うか、重要な話だと思うので、
私の拙い返答を、公開することにします。
いっしょに考えてみて欲しいと思います。
288.美しい話
2009.01.23 [ Edit ]
ちょっと、ええ話を聞かせようと思います。
前に少しだけ話したことがある、鼻炎の専門医というか、耳鼻咽喉科の有名医。
JR向日市か、JR長岡京の駅を降りて、タクシーに乗って、その医院の名前を言えば、
どのタクシーでも、質問無しで直行してくれるくらい有名な医院の院長さんの話。
ちょうど娘が、強迫性神経症だと告知を受けて、
本人も、親も、何がなんだかわからなくて最高に苦しんだ頃かなあ。
いや、その後、症状がはっきりしてきて、
それに耐えられなくて、自分をコントロールできなかった頃のほうが苦しかったかなあ。
もっと、その後の、死んだほうがましと言い続けていた頃が大変だったかなあ。
いやいや、苦しさ、しんどさは、今も変わらずあって、
どれがとか、いつがとかを特定して、高低を言うなんて、まったく意味がない話です。
287.お前だけが、苦しいのと違う
2009.01.22 [ Edit ]
「あんただけが、苦しんでるんやない、あんたより、苦しんでる人がいっぱいいる。」
これほど、慰めにならない慰め言葉は、ないような気がする。
心がこもっていないとは思わないのですが、大きな勘違いがあって、
今、苦しんでいる人や、悲しんでいる人が、他の人の苦しみや、悲しみを考えて、
そして、それと比べて自分は楽だなあとでも思えると思っているのか、
失礼な言い方ですが、馬鹿な発想やなあと思ってしまいます。
まあ、サッカーの練習してて、優勝目指して頑張ってる選手達に、
「お前らだけが、苦しいと思うな、ライバルたちも苦しんでるんや。」
こんな程度の、励ましになら有効な言葉かもしれませんが、
「生きるのがしんどい。」とまで、苦しんでいる人に対して、
どうどうと、俺は良い人みたいな顔をして、この言葉をかけている人。
人の気持ちが、わからない、気の毒な人といえるのかもしれません。
でも、一種簡単な、この慰め言葉は、かなり大きな顔で横行しているような気がします。
286.偏見の根元
2009.01.21 [ Edit ]
自分から行くといって、近所の内科医院に行ってきました。
私が、今日は、人と会う為、出かけると言っていたので、
一人で歩いて、診察を受けてきました。
熱でふらふらしながら、もちろん、帰ってきてから風呂に直行、寒いなかシャワーでしたが。
とにかく、一人で医者にかかって帰ってきました。
これまた、すごい階段の一段が上がれたと喜んでいたのですが、
帰って来た娘は、すごく不機嫌で、塞ぎこんでいました。
「どうしたんや?」
「病院が気持ち悪かったんか?」
「ちがう、病院は普通に行けたんやけど・・・」
ここまで言って、泣き出してしまいまいした。
「よかったやんか、普通に病院行けたって、すごいやんか。」
泣きながら、話し出しました。
285.車椅子のサッカー監督
2009.01.20 [ Edit ]
三木町総合運動公園で今季の初練習を行った。
イレブンは体力強化中心のメニューで約2時間汗を流し、
目標の「JFL昇格」に向け、気持ち新たにシーズンをスタートさせた。
この日の練習には昨季から残る14選手のほか、新戦力や練習生ら計20人が参加。
ミーティング、入念なウオーミングアップの後、体力トレーニングやミニゲームなどをこなした。
羽中田監督は「アクションフットボール」を今季のテーマに掲げ、
昨季からのパスサッカーの精度を高めるとともに、組織的なカウンター攻撃も試すという。
練習初日を終え、「各選手ともしっかり体を作っている。
これからガンガン追い込んでいきたい」と話した。
四国新聞社のニュースの抜粋です。
この記事を、普通に読めば、何の変哲もない、
地方紙の、サッカー地域リーグの1チームの近況記事。
但し、ひとつ変わっているところがあって、
実は、この記事の中の、羽中田監督は、車椅子の監督なのです。
はちゅうだ、と読みます。
彼は、有名な、中田英寿の先輩で、韮崎高校サッカー部で活躍した選手でした。
1964年生まれですから、44歳。
サッカーによほど詳しい人でないと、カスタマーレ讃岐も、羽中田も知らないと思います。
高校時代、羽中田は、全国一有名なサッカー選手でした。
彼の高校時代のプレーは、テレビで見ただけですが、
頭抜けたセンスの選手だったので、鮮明に覚えています。
高校を出てすぐに、オートバイ事故で、脊髄損傷、一生車椅子での生活を余儀なくされます。
それを、ニュースで見たときの残念さは、今でも記憶にあるほどです。
その後、彼は、サッカーを諦めて、県庁職員になるのですが、
Jリーグが始まったときに、高校時代の仲間達がプロ選手として活躍するのを見て、
もう一度、サッカーの世界に戻ってくることになるのです。
選手としてではなく、指導者を目指して。
284.戦争中のはなし
2009.01.19 [ Edit ]
私を、若い時から可愛がってくれた人。
娘が、今通っているクリニックも、その方の知り合いのお医者さんから紹介していただいた、
いろいろなことで世話になった方が言っていた話。
283.先輩さよなら
2009.01.18 [ Edit ]
282.デブが見ている
2009.01.17 [ Edit ]
「デブって言われた。」
「誰に?」
「今日行ったパチンコ屋さんと違うパチンコ屋の店員さんが、
少し離れた場所でパチンコしてはったんや。」
「わたしの顔、知ってはるかなと思って、そっちを向いてたら、
彼女といっしょに来てはったんやけど、彼女に言わはったんや。」
「デブが、こっち見とるって。」
「彼女といっしょに笑ってはった。」
「聞き間違いとちがうのか?」
「ううん。」
「わたし、耳が聞こえへんから、口の動きで言葉がわかるやろ。」
「だから、なにを言わはったか、ようわかるんや。」
「そうか。」
「まあええやんか、ほっとけそんな奴。」
こんなことしか言ってやれませんでした。
辛いだろうと、心は涙の寸前なのですが。
281.ちょっと嬉しい話
2009.01.16 [ Edit ]
寝られないとか、寂しいとか、なにもする気が起こらないとか。
同じように、もう一人も、しんどそうなことばかり。
どうしてやることも出来なくて、焦るなよ、ゆっくりな、
これくらいしか、言ってやれない。
非力な自分に、ほとほと情けなさ。
いい大人なのに、かけてやる言葉も浮かばない。
いつも思うとおり、歳だけが大人で、大人になりきれていない自分。
まあ、これにしても、自分に向かって、焦るなとしか言いようが無い。
そんなもんだろうと、諦めていたこのごろ。
280.仏様がわたしを守ってくれている
2009.01.15 [ Edit ]
そこで、年始に毎年、信者さんや、阿闍梨さんのお手伝いをした人に、
配られるお守りがあるそうです。
親友の奥さんが、阿闍梨さんの身の回りのお世話をてつだっており、
その奥さんが、娘の為に、そのお守りをもらってきてくれました。
親友の話では、家族分のお守りとしていただいたなかの一つを、
娘にくれようとしていたそうなのですが、
それは、家族にいただいたお守りであって、
娘の為ではないというところから、改めて、律院に行って、娘の為にもらってきてくれたそうです。
お守りは、木製で、干支の牛の形で、比叡山 律院の刻印がされている。
親友の奥さんは、キリスト教信者でありながら、一日回峰行を10回経験している人です。
一日回峰とは、千日回峰を、信者が一日だけ体験できるもので、
娘も、病気のひどくなりかけた時に、一日だけ体験しています。
冬場を除き、月に一度、一日回峰の日があるのですが、
10回で満行となり、その証の数珠がいただけるそうです。
前にも書いたことがありますが、
もう一度、回峰行の説明をしておきます。
千日回峰行は不動明王と一体となることを目指す行で、
十二年籠山行を終え、百日回峰行を終えた者の中から、
さらに選ばれたものだけに許される行である。
行者は途中で行を続けられなくなったときは自害する決まりで、
そのために首をつるための紐と短刀を常時携行する。
頭にはまだ開いていない蓮の華をかたどったヒノキの笠をかぶり、
白装束(死に装束)をまとい、草鞋ばきといういでたちである。
回峰行は七年間にわたる行である。
無動寺谷で勤行のあと、深夜二時に出発。真言を唱えながら、東塔、西塔、横川、
日吉大社と二百六十箇所で礼拝しながら、約30キロを平均6時間で巡拝する。
700日目の回峰を終えた日から堂入りが行なわれる。
無動寺谷明王堂で足かけ九日間(丸7日半ほど)にわたる断食断水断眠の行に入る。
入堂前に行者は生き葬式を行ない、不動明王の真言を唱え続ける。
出堂すると、行者は生身の不動明王ともいわれる大阿闍梨(だいあじゃり)となり、
信者達の合掌で迎えられる。
これを機に行者は自分のための自利行(じりぎょう)から、
衆生救済の化他行(けたぎょう)に入り、
これまでの行程に京都の赤山禅院への往復が加わり、
1日約60キロの行程を100日続ける。
7年目は200日ではじめの100日は全行程84キロにおよぶ京都大回りで、
後半100日は比叡山中30キロの行程に戻り、千日を満行する。
この行を終えた行者は延暦寺の記録では47人である。
こんな厳しい行が、今でも行われているのです。
この行のすべてを体験するわけではありませんが、
一日回峰も、阿闍梨さんが、夜中から明け方まで歩く山道を、参加者がたどるものなので、
かなり厳しい行だと、参加した娘が言っていました。
279.IKE
2009.01.14 [ Edit ]
そんな映画を観ました。
またまた、ちょっと、脱線の話題ですが、
感動したところがあったので、共有できればと思い書いてみます。
あらすじを追うことは、しませんので、これから観ようという人も、安心してください。
ノルマンディー上陸作戦の、連合軍総司令官、
アイゼンハワーの心理的苦悩をたどっていった物語です。
ドキュメンタリーではありませんが、史実を忠実にたどり、
その折々のアイゼンハワーの、トップとしての苦悩を細かく表現していました。
史上最大の作戦と称される、ノルマンディー上陸作戦は、幾多の映画でも表現されており、
多くの人が、特にオマハビーチの激戦を目に浮かべ、困難な闘いを勇敢に勝利した連合軍と、
手ごわいドイツの防衛をイメージしていますが、多くの戦争での激戦の例に漏れず、
数々の幸運が、連合軍に勝利をもたらしたものなのです。
大西洋の壁と呼ばれるドイツ防衛線の不備、
司令官ロンメル元帥が、気候条件の悪い6月に、上陸は無いと思い込んでいた部分。
大部分のドイツ将兵が、ドイツ人でなく、占領地域の募集将兵や、傷病後の兵士等、弱体だったこと。
6月6日の上陸決行日に、ロンメル元帥は、ドイツの自宅で休暇中だったという史実を捉えても、
連合軍の勝利は、決定していたような気がします。
と、このような歴史観は、私のような素人が語ることでもありませんし、
多くの歴史家に問うことにして、いい加減なことを書くのは、この辺にしておきます。
278.哲学の道
2009.01.13 [ Edit ]
コメントの返信で書いた文を、転記することにします。
けっこう、誰もに当てはまるような話かなあと思ったので。
ただし、コメントくれた、夢ととさんは、別にこんなふうには思ってないかも知れない話を、
私の勝手な解釈と、得意のお節介で書いたものなので、コメントの返信より、
ここで、私の独り言として書いておくほうが良かったのかなとも思っています。
これは、手抜きの言い逃れでもあります。
自分を解ってくれる人が、なかなかいないなあというところに対しての返信です。
277.警察の仕事
2009.01.12 [ Edit ]
携帯メールの着信音。
「眠れない、孤独を感じる。」
こんな内容の、心の叫び。
「どうしたんや?」って、返信しました。
「肩と首が凝ってしんどい。」と返ってきました。
「孤独感から、しんどいんやったら、おっさんも、いっしょに起きてるから、
寂しいと思わんと、安心しいや。」
と返信。
もう一度返ってきたメールで、苦しさの核になるところを訴えてきました。
苦しさの核になる部分が、すこし重たかったので、
どう返事してあげたらいいか考えていたのと、
若くない私は、携帯のメールを打つのが苦手、
老眼で見難いのと、ボタンが小さいので打ちにくい。
うろうろしていたところに、待ちかねたのか、私の返事を待たずに、またメールが、
「眠剤30錠のんで、リスカしたら眠たくなってきたので、携帯の電源切ってもう寝ます。」
276.毎日が大晦日やったらええのに
2009.01.11 [ Edit ]
「正月から、もう10日経つのか。」
「毎日が、大晦日やったらええのになあ。」
「なんでや?」
「なんでかってか、大晦日やったら夜中じゅう、たくさん人が起きたはるし安心するんや。」
「それとな、どうぞ良いお年を、って、いろんな人に声かけられるし、なんか嬉しいんや。」
「毎日、大晦日でええわ、わたし。」
「春も、夏も、いらんし。」
初詣に行けるからかなあと単純に考えていたのですが、
ちょっと重い理由が二つあったわけです。
一番重要な部分は、誰にでも声をかけられる、
「どうぞ良いお年を」という言葉があるところなのかなと思いました。
この人は、どんな人だろう?
この人とは仲良くなれるのだろうか?
この人は、わたしが話しかけたときに、嫌な顔しないかな?
話したいけど、なにを話せばいいのかな?
そんな不安を気にすることなく、人に言葉をかけられる嬉しさ。
寂しさを解消することができる日が、大晦日だという表現なのでしょう。
275.ごみ収集車から退職祝い
2009.01.10 [ Edit ]
二十日ぶりぐらいに、突然、内職仕事が入ってきたのですが、
ほんの少量。
手先が器用な娘は、ほんの30分で仕上げてしまって。
「父さん、わたし、この仕事辞めるわ。」
「なんで?」
「毎日とちがってもええけど、定期的に、仕事があるんやったらええけど。」
「突然、仕事が入ってきて、なんか緊張するんや。」
「それで、ぱーっと、焦ってやってしもて、給料もらったら何百円やろ。」
「なんか、余計に自分が惨めになるんや。」
「そうか、まあええやんか、辞めえな。」
その後、思いつめたような表情で、仕事先に電話を入れて、
丁寧に、お世話になりありがとうございましたの挨拶を済ませてしまいました。
なんか、あっけない幕切れみたいな感じで、ちょっと複雑な心境でした。
「2年間、この仕事やったんやで、それでも。」
「そうか、がんばったなあ。」
「退職祝い、せんとあかんなあ。」
「うん、ケンタッキーのチキン食べたいなあ。」
「チキンで、退職パーティーしよう。」
早速、フライドチキンを買いに出かけました。
274.助け合うと、助かろう
2009.01.09 [ Edit ]
昨日、テレビのニュースを見てたら、辞めた会社の社長さんがインタビュー受けてました。
ちょっと、情けなくなって、悲しくなって、腹立たしくて、
今も、頑張ってる、親しくしてる、心のある人に、メールを送ってしまいました。
まったく関係のない、辞めた人間の余計なお節介は、
迷惑以外何ものでもないとは思いましたが。
以下が、そのメールです。
273.医師の指示
2009.01.08 [ Edit ]
初めての医師からの指示。
娘が、今のクリニックに通いだしてから、もう7年以上。
最初は、娘の一方的な反抗で、通院というより、
医師との争いというような感じのスタートがありました。
「なんで、わたしは、こんなことになったん?」
「いつ、治るの?」
先生に対して、敬語さえ使わず。
こんな娘とちがったのになあと、横で泣きそうになりながら聞いていました。
診察が終わって、外に出てから、娘をたしなめて、
「お医者さんに、あんな言い方したらあかん。」
それに対しても、
「わたしらみたいな、下の下の人間と違って、賢い大学出て、高いお金もらってる医者なんやから、
ちゃんと答えられへんかったら、おかしいやんか。」
「医者は、病気治すのが仕事やのに、なんも答えてくれへん。」
「わたしのことなんか、なんにも、わからへんくせに、偉そうにしてるだけや。」
こんなことを言っていたものです。
272.ねたみ
2009.01.07 [ Edit ]
値段というより、原価に反応するというほうが正しい。
定価に、売価、その原価、この商品の利益率は、経費は、
というふうに思考することに慣れている。
今日、娘とコンビニの弁当を買った。
娘は、コンビニの弁当が好きなのです。
いっしょに、カップの味噌汁も買った。
夜中に二人で食べている時に、ふと思った。
この味噌汁160円くらいやったなあ。
家で作ったら、いくらかかるかなあ?
水と味噌と、かつおと、ネギと、わかめが、ほんの少しずつ。
一人分だと、10円もかからないなあ。
営業生活で物の価格に敏感に反応するといっても、
こういう反応は、あまりしたことがない。
これは、最近、主夫をはじめてからの反応である。
会社時代には、妻が、折込チラシを見て、インスタントコーヒーが安いから、
このスーパーまで連れてくれというのを、
「他と比べて、いくら安いの?」
「50円も安いんやで。」
「どれだけ買うの?」
「5本ほど買っておきたいし、他にも買いたいものあるから乗せていってくれる。」
「250円あげるから、近所で買っとけ。」
こんなことを、言っていた私でした。
271.ONE FOR ALL
2009.01.06 [ Edit ]
この言葉を聞くと、何故か涙ぐんでしまう。
涙が出るまではいかないのだが、鼻の奥がつんとしてしまう。
それほど大好きな言葉なのです。
伏見工業ラグビー部の、山口良治先生の言葉。
信は力なりと同じで、山口良治という名前にも、鼻の奥が反応する。
ここまで書いただけで、馬鹿みたいな話ですが、涙ぐんでいる自分がいる。
サッカーは、もちろん大好きですが、同じくらいラグビーが好きです。
サッカーの試合と、ラグビーの試合を見た回数を比べたら、
テレビ観戦が多いので、もちろんサッカーのほうが多いのですが、
生の試合観戦では、ラグビーの方が多いと思います。
やるのはサッカー、見るのはラグビーという感じです。
山口良治監督率いる伏見工業の全国優勝を見てから、
そして、その伏見工業がどんなチームだったのかを知ってから、
ラグビーの虜になりました。
昭和55年、ばりばりサッカーをやっていたころ、
伏見工業の全国優勝に出会いました。
会社の同僚に、同志社のラグビー部OBがいて、そいつと仲が良かったこともあって、
そいつに、誘われて伏見のラグビーを見始めたのです。
270.もう一つの初蹴り
2009.01.05 [ Edit ]
もう一つの初蹴りを思い出しました。
高校のOB会。
実は、私はOB会長。
開始時間は過ぎていましたが、顔を出さないわけにはいきません。
ほんとは、こちらのほうが熱そうな感じがするのですが、
そんなにサッカー部が強くて伝統があってという高校でもないので、
もうひとつ盛り上がりに欠ける。
これは、OB会長としての私の責任でもあり、最近頭を悩ませている問題でもある。
後輩達が、一度、何かの大会で優勝でもしてくれれば、
いろんなイベントを開催するきっかけにもなるのだが、
今ひとつ成績がぱっとしないサッカー部なので、これも望み薄。
いや、望みは無いこともないのです。
昨年、県内の強豪高校を指導していた監督先生が、我が母校に異動してきて、
今は、その有名監督が、我が母校のサッカー部の監督になっており、
力を注いでくれているので、すこしの望みは持てているのです。
この監督は、私より5歳年下で、私の高校の後輩で、
私が大学生の頃に、母校のコーチをしていた時のトップ選手だった奴です。
高校選手権では、県内で優勝したのですが、当時は京滋代表だったため、
京都府代表の朱雀高校との決定戦をPK戦で敗北、涙を呑んだメンバーでした。
その後、早稲田のサッカー部に入り、故郷に帰って教鞭をとっている後輩です。
数年前には、自分の教える高校を、高校選手権準優勝させたほどの優秀な奴なのです。
テレビで、決勝戦を観戦していたときは、残念ながら敗戦だったのですが、
テレビで映された、ベンチで監督として座っている彼を見て、
自分のことのように喜んだことを覚えています。
遅れてグランドに着いた私を、彼が迎えてくれました。
”あけまして”の挨拶を交わした後、いろんな話しをしました。
269.サッカー初蹴り会
2009.01.04 [ Edit ]
今日は、朝からクラブの初蹴りと、昼から高校サッカー部OB会の初蹴り会。
子供のようにわくわくと、熱でうなされながらも、昨夜は何度も天気予報を確認していました。
「もう歳なんやから、風邪ひいてて、腰の調子も良くないのに無理したらあかん。」
こう話しかける自分と、
「風邪なんか、雨の中でサッカーしたら治るんやって生きてきたやろ。」
と言う自分がいる。
朝、例によって、コタツの中で目を覚ますと、またまた二人の私が言い争って、
どっちが勝つのか、互角の闘い。
悩みに悩んで、身体のためにやっぱり我慢しようと思いました。
決心しかけたところへ、息子が起きてきて、ユニフォームに着替えながら、
「はよ起きや。」
「サッカー行くで。」
悪魔のささやき。
「うーん。」
「熱あるし、やめとくわ。」
「あとから行くから、先に行っとけ。」
息子が出かけたあと、今度は、雨の中でサッカーするほうの私が勝ってしまいました。
268.明けましてが言いにくい
2009.01.03 [ Edit ]
明けましておめでとうの挨拶が出来ていたのですが、どうしたことか、
今年の正月は、”あけまして”が、出てこない。
いただいた年賀状を見ても、”あけまして”が、すごく空虚。
メールでいただいた、”あけまして”も、素直に、その言葉で返信がしにくい。
普通に生きていたころの、”あけまして”は、なんの躊躇もなく、なんの感慨もなく、
”こんにちわ”と同じ感覚で口から出ていたような気がする。
普通に生きていたころというよりも、昨年も、こんな暗い考えにはならなかった。
暗い考えというものでもない気がするが、素直に明るく、”あけまして”が言えないのは、
やっぱり、なにか、自分の中が暗いような気がする。
風邪をひいて、熱のなかのうつらうつらで、気分が沈んでいるのかな。
昼過ぎの、うつらうつらのなかで、突然、携帯の着信音。
見覚えの無い番号表示。
だれからかなあと、丁寧に名前を言って電話を受けると、
「あっこ、か?」
”あっこ”は、もう40年以上使っていない私の幼いころの呼び名。
かけてきた相手は、どうも酔ってる様子。
二言三言交わしながら、相手がだれなのか頭をめぐらしました。