353.サッカーの花見
2009.03.30 [ Edit ]
352.初めてのお迎え
2009.03.29 [ Edit ]
4年前に退職する時、ちょうど今の時期でした。
名刺フォルダーを整理していた時に、千枚ほどの名刺がありました。
数回の転勤の際に整理したものもあるので、
その倍以上の人に出会っているのだと思います。
変な話だと思いますが、
取引先の方の名刺よりも、社内の人の名刺のほうが多いのです。
会社にいた時は当り前のことだと気にもしませんでしたが、
今思うと、同じ会社の者同士が名刺交換するのは、ちょっと変なのではと思います。
日本の企業では、社内営業なんていう変な言葉もあるくらいだから、
それでいいのかもしれませんが、やっぱり少しおかしいのかもと思います。
新入社員の頃、他部門の本部長に紹介されたことがあって、
その本部長を紹介してくれた上司が、
「この方の名刺は、なかなかいただけないものだ。」
なんてことを言ってたことを思い出しました。
30数年、不思議に思わなかったことですが、
社内の名刺交換は、やっぱり不自然かなと。
べつに、どちらでもいいことです。
何万人も社員がいる会社、関連会社が山ほどある会社なのだから、
同じ会社といっても、違う会社のようなものがいっぱいあったわけですから、
それは必要なことなのかもしれません。
そんなたくさんの人達との出会いがあった中で、
私が一番信頼している、一番大切にしている後輩がいます。
351.渡り鳥の隊形
2009.03.28 [ Edit ]
温かい心で、たくさんの心配をいただいてしまい、恐縮しています。
同時に、弱気を見せすぎたことに、すこし反省しています。
いつもそうではありませんし、何かがあった訳でもありません。
時々、ほんとに時々の話なので、大丈夫なのです。
いや、大丈夫でも無いのかな。
ただ、払おうとしても払いきれない苦しみと闘っている娘たちに比べれば、
時々の暗雲なんて、なんでもないことです。
まだまだ負けないつもりですし、負けるわけにはいきません。
頼り無いけど、トンネルの出口までの先導を、自分の役目と考えて進んでいきますから、
頼り無いけど、いっしょに歩いていただきたい。
ちょっと偉そうな言い方でした。
訂正します。
先導役ではありません。
頼り無い歩調で、いっしょに歩いて行くだけです。
先日、パートの帰り道で、妻が、渡りの鳥の団体飛行を見ていたそうです。
「渡り鳥が、琵琶湖の上空を飛んで行くのを、見えんようになるまで見てたわ。」
「先頭を交代しながら飛んで往きよる助け合いに感動したわ。」
そんなことを言っていました。
350.黒い空気の塊が
2009.03.27 [ Edit ]
その空箱は、箱ではなくて空気の塊が四角の箱の形になっているものかな、
どんどん胸の中で大きくなって、心を締め付ける。
最近、こういう感覚によくなるものです。
うまく言えないのですが、内から締め付けられる感覚かな。
349.生きることが憎い
2009.03.26 [ Edit ]
「生きることに、なんの楽しみも感じてへん。」
「楽しいと思ったことなんてないねん。」
「わたしは、生きることに、怒りと憎しみしか感じてへん。」
「おまえには、感謝するという感情は無いのか?」
「考えること、することが何も無いから、怒りと憎しみを感じたら、ずっとそれだけしかない。」
「感謝なんて考えられへんねん。」
「わたしは、クズで、情けない人間なんや。」
「わたしなんかと関わらへんかったらええんや。」
一日中、塞ぎこんで機嫌の悪い娘に、何を話しても返事をしない娘に、
すこし叱り口調でかけた言葉に対しての、怒り口調の返事でした。
348.ありえない奇跡
2009.03.25 [ Edit ]
考えられない私の行動。
5回目のプールに娘と行きました。
強迫が邪魔をするので、なかなか続けて行けません。
途切れ途切れながら、でも、なんとか続けられています。
娘が続けられてるのも、そうですが、
そういう場所に私が行っているというのは、もともとあり得ないことなのです。
347.毘沙門天
2009.03.24 [ Edit ]
財宝や、福徳を与える力を持った神様です。
七福神の一神でもあり、戦勝を祈願する神様でもあります。
そんな毘沙門天を奉っている山科の毘沙門堂。
苦しくなった時に、娘とよく行く場所になっています。
最近、ちょっと詰まっている娘。
「毘沙門堂に連れて行ってくれる。」
心がしんどい時の、呼びかけです。
車を停めて、寺内に二人で入っていったのですが、本堂の前で、突然、娘が大笑い。
345.悲しすぎる約束
2009.03.22 [ Edit ]
サッカーの後輩ですが、ほんとの兄貴になれたらなあと思っています。
サッカーの仲間に、娘のことを聞いてもらった時に、
施設育ちだということをカミングアウトしてくれた後輩。
施設で育ったことは、勇気を出してカミングアウトしなければいけないことなのか?
そんなふうな綺麗事を言う人が多いんだろうなと思います。
たしかに正論だと思います。
なにも恥ずかしいと思うことではないし、隠すことでもないことです。
でも、その立場に無い人が、重さを理解しないで言う理屈なのだと思います。
精神神経症をカミングアウトした時に、
よそよそしくなった友達の態度に悩んでいた仲間がいました。
きっと同じように、恥ずかしいことではないし、
隠すことでもないというふうに言う人は多いでしょう。
でも、つい最近まで、恥ずかしいことのように家族が隠してきた事実はありますし、
表に出るなといわれていた患者の苦しみも事実なのです。
可哀想にねえと口では優しく言う人が、自分の子供を近づけなかったり、
「あそこの家の娘さんは、神経症らしいよ。」と
小声で知らない人に教えたりしてきた事実があるのです。
人は、知らず知らずであるのかもしれませんが、残酷なものなのです。
士農工商も、カーストも、アパルトヘイトも、良識ある人間が作り上げたものなのです。
残念ながら、優位な者は、弱者を蔑むことが多いようです。
自分は、例外だと言うつもりはありません。
きっと、私の中にも、そんな悪魔は住みついているものなのだと思っています。
ここに、今、これを書いていることも、悪魔の所作だと言われれば、そうなのかもしれません。
後輩に、許しを得て書いているのではありませんから、気を悪くするかもしれません。
言い逃れをしておきます。
私は、今、これを書いているとき、娘のことを仲間に聞いてもらった時と同じような気持ちで、
施設で育ったことを大きな声で言う必要は無いけれど、
隠しておかなければならないことでも無いだろうと、
弟に対して思いながら書いているということは解ってくれるだろうと思っています。
前置きが長くなりましたが、
今日、彼が工場長として勤めている会社の仕事で、自宅で出来る作業があるので、
娘にアルバイトしてみないかと誘ってくれていた仕事の説明を受けるために出会ったのですが、
その時に、彼に聞いた話を、どうしても伝えたく思ったので、書くことにしたのです。
344.田舎への想い
2009.03.21 [ Edit ]
343.ありふれた奇跡
2009.03.20 [ Edit ]
随分久しぶりに、日本のドラマでよかったなあという感想を持ったドラマでした。
今日が最終回でした。
私たちは、ありふれてはいるけれど、
考えれば奇跡と呼ぶしかない人生を危うく生きているところはないでしょうか。
平凡な日々も出来事ひとつで突然崩れてしまう。
小さな微笑が大きな救いになることもある。
それぞれのエゴを生きるばらばらな人たちが、こんな奇跡を生きたという物語です。
脚本の山田太一氏のコメントです。
そんなストーリーのドラマでした。
342.喜びも悲しみも幾歳月
2009.03.19 [ Edit ]
たぶん毎年の、雪の中の放流作業と、
気象状況や釣り場条件の問い合わせ等の負担軽減の為でしょう。
今日、入川券の購入に娘と山の漁協に行ってきました。
娘には、あまり興味の無いドライブの為、静かな車中で退屈そうな感じでした。
毎年の渓流釣り、この漁協での入川券購入も20年あまり続けている行事です。
退屈そうに黙って横に乗っている娘だったので、一人で山道を運転しているような感じ。
山間のカーブの多い道を、ただ走るだけの静かな車中で、いろんなことを考えていました。
341.理想の大人の話し方
2009.03.18 [ Edit ]
もう、人生の終盤に差し掛かろうとしているのに情けない話です。
若い頃、高校生くらいだったか、よく言っていたこと。
10代は、無茶苦茶話す。
20代は、遮二無二話す。
30代は、一生懸命話す。
40代は、ゆっくり話す。
50になったら、一言ですべてを伝える。
そういうふうに大人になっていくんだと考えていましたし、友達にも言っていました。
55歳、情けなくも、今でもべらべら喋ります。
340.夢とと と とと の寛解
2009.03.17 [ Edit ]
理解できるようで、理解できない、理解したくないような話でもある。
寛解というのは、そんな言葉のような気がします。
ゆえに、いろんな話を娘としていますが、
未だに、話せていない話になっています。
きっと、自分の中では考えているのだろうと思います。
そんな寛解についてを書いてきてくれた、夢とと と、ととの話を転載します。
夢ととは、強迫症ではありませんが、心に擦り傷を負っているのは同じことです。
ととは、強迫症と闘っています。
339.悪者さがし
2009.03.16 [ Edit ]
夜中に、パソコンと悪戦苦闘していましたが、悲しいかな薄知識。
いらいらしたり、運を天に任せたような処理しか出来ず、ドンキホーテの戦いのまねのみです。
翌日の岐阜での試合は、またまた一睡もせずの参戦。
膝が痛くて歩くのもやっとの状態で、2試合。
命かけてのサッカー。
「あほちゃうか?」との自分の声ですが、やめられない。
岐阜に負けて、豊田に勝って、一勝一敗で、まあまあ楽しかったと満足しながら足を引き摺って帰宅しました。
パソコンの達人に岐阜への移動中に教えを請うていたので、入浴後パソコンに再挑戦。
ちょうどパソコンに向かった時に、達人から親切にも、電話が入り、
教授いただきながらの回復作業のかいあって、やっと復活しました。
たまっていた受信メールを開いてみると、娘からのメールが入っていました。
一生懸命サッカーの試合で、足引き摺りながらも楽しんでいた時間に入っていました。
338.寛解
2009.03.14 [ Edit ]
医学的には寛解(かんかい)という語を用いる場合がある。
これは永続的一時的を問わず、病気による症状が好転または、ほぼ消失し、
臨床的にコントロールされた状態を指す。
すなわち、一般的な意味で完治せずとも、臨床的に「問題ない程度」にまで状態がよくなる、
あるいはその状態が続けば寛解したとみなす。
辞書の解説の一部をを貼り付けたものです。
特に、精神神経障害で医師が使う言葉らしいです。
怪我して傷跡が残った場合も、厳密には治癒したと言えず、
寛解と言う表現が近いのでは、などということが書いていました。
私は、あまり本に書いてあることを鵜呑みに信じたくないので、
深読みしないように気をつけています。
医師との話も、信じ込み過ぎないようにしてきました。
誤解するような話し方をしてはいけませんが、
話を聞かない、本を読まないということではありません。
たくさんの医師の話を聞いたし、今通ってる医師とは、
隔週で3年間、話し続けていました、本もたくさん読みました。
ただ、飲み込まれないようにしないといけないと思っているということが言いたいのです。
こういう話を、文字で残すのは、あまり良くないかなと思いながら書いています。
リアルで話していたら、「あー、そういう考えもあるなあ。」程度で消えていくから安心ですが、
文字は残るので、訂正もしにくいものですから。
怯えた前置きはこれくらいにします。
337.一段上った虚しさ
2009.03.13 [ Edit ]
「なんやろ、これ。」
「パチンコも、やめんとあかんと思う。」
「でも、普通になれるとこって少ないし・・・。」
「もう、楽になりたいなあ。」
「親兄弟にも相当迷惑かけてるし、自分を信じてやれへん。」
「こんな生活嫌や。」
「でも、ずるずる・・・。」
「生きる希望が湧いてこうへんわ。」
「楽になりたい。」
朝からちょっとうつむき加減かなあと思っていたら、
友とサッカーの打ち合わせをしていた時に入ってきた娘のメールです。
大阪に出かけられたことを喜んでいるのは、周囲の話で、
本人は、必死の思いで行ったわけで、
行けたということに特別な喜びを感じている様子はありません。
行けることは、当たり前のことであって、
それを必死で、こなさなければなならない自分の情けなさ。
わざわざ言葉には表すことは無いのでしょうが、
言葉に表せば、そんな感じなのでしょうか。
間を置かずに入ってきたメール。
「働きたい。」
「絵、習いに行きたい。」
「髪のばしたい。」
「電車乗りたい。」
返信を考えていた時に、続けて入ってきたメール。
「もとの自分に戻りたい。」
この一行が、追加のように入ってきました。
焦るなという意味の言葉を探して返信した後、家に帰って娘を外に連れ出しました。
「どこか出かけようか?」
「しんどいし、ええわ。」
抑揚の無い返事。
「昼ご飯にマクドに行こう。」
無理に作った明るい声で、無理矢理に連れ出しました。
335.妹の置いた低いハードル
2009.03.11 [ Edit ]
「妹がか?」
「違う、わたしと妹がや。」
「へえー、電車でか?」
「違う、父さんの車で、3人で行くことになってるらしい。」
妹が珍しく2連休なので、姉を大阪に行こうと誘ったようです。
大阪に、しょっちゅう遊びに行く妹に、いつも嫉妬している娘が、
笑顔で元気そうに話しているのですが、車ででも行けるものなのか、半信半疑で聞いていました。
334.少しずつ違う春へ
2009.03.10 [ Edit ]
一生懸命練習しても、自分が上手くなったというふうには思わない。
たぶん、一生懸命練習していれば、技術も上がるでしょうし、経験も身に付く。
しかし、実際に試合になれば、上手くなっていれば、自然に相手のマークも厳しくなっているし、
そのことに、自分では気づかないから、上手くなっているという満足感まで達するのは、なかなかです。
サッカーの話です。
これとは、ぜんぜん違う話なのでしょうが、
不潔恐怖と必死に闘って、これが出来た、あれが出来たといっても、
まだまだ、出来ないことがたくさんある。
ゆえに、サッカーの満足感といっしょで、
出来た喜び、出来た自信に繋がらないで、
出来ない苦しみが、継続していく。
そんな感じの娘のような気がします。
333.一歩前進
2009.03.09 [ Edit ]
「どういうこと?」
「昨日な、トイレにだれかの痕跡があったんや。」
「寝る前やったし、すごくいらいらしたんやけど、我慢したんや。」
「起きてきたら、お風呂入らんとあかんやろ 。」
「パジャマも洗いたかったけど、そのまま寝たんや。」
”普通”の人には、全く理解できない話だと思います。
私たち親子には、すごい話なのです。
風呂に入らず、パジャマも洗わず、そのまま寝た。
この簡単なことが出来るまでに、10年が過ぎているのです。
332.足長おじさんからの宝物
2009.03.08 [ Edit ]
大阪や、兵庫のチームと、40歳代、50歳代ともに2試合ずつを思い切り楽しみました。
遠征に行ったグランドで、素晴らしい宝物を拾ったのです。
例えれば、虹、オーロラ。
そう、心を、そんな色にしてくれる宝物を拾ったのです。
331.暴力について
2009.03.07 [ Edit ]
東映の任侠シリーズで、「日本侠客伝」というのが目にとまりました。
1971年の映画です。
38年前。
私が高校3年生の時の映画です。
330.不本意
2009.03.06 [ Edit ]
「夏場は、ちょっとだけで、すぐ乾くやろ。」
「冬場は多いのに、なかなか乾かへん。」
「人生みたいやなあ。」
「不本意って言うねん。」
「なんのことや?」
「解らんか?」
「洗濯物のことや。」
「なるほど。」
なんとなく、上手く言えてるような、言えてないような。
329.産まへんかったら
2009.03.05 [ Edit ]
「わたしは、生まれたくなかった。」
だれもが、一度は親に向かって、口にする言葉のような気がします。
誰もがというのは、言い過ぎなのかもしれませんが。
娘は、一度ではなく、病気になってから数回、この言葉を吐き出しました。
病気が酷かったとき、どうすればいいのか、私も娘も何も解らなかった時は、
「そんな、寂しいことは、言うたらあかん。」
静かに諌めていたように思います。
「諦めたらあかん。」
「我慢するところは、我慢せんとあかん。」
また同じようにこの話を、昨日もしていました。
同じ話を毎日しています。
妹には自由があって、わたしには無いという話。
我儘と一言で解決できない話。
その話の中で、我慢できなくなって、また吐き出してきた、「産まへんかったら良かった。」
昨日は、私が爆発しました。
328.意地悪な春
2009.03.04 [ Edit ]
なんでやねん?
春は、すごしやすい気候で、明るくて、外に出られるのに?
なにより、裸のトイレからシャワーへの苦行も楽になるやろ?
そんなふうに簡単に考えてしまう私ですが、
きっと、なにも理解できていないのだと思います。
半分くらいは、理解できているのかなあ。
小中の同窓生の友達から、ありがたいメールが送られてきました。
数年前に、娘の話を聞いてもらった時に、
自分のパニック障害をカミングアウトしてくれた大切な友達です。
327.自暴自棄
2009.03.03 [ Edit ]
ここしばらくの、いや、最初からかもしれません。
娘のことです。
自暴自棄になっても仕方がないくらい辛いことだと思います。
這い上がろう、立ち直ろう、前に向いて歩きたい。
その必死の心の隙間にある、耐えられなさからの自暴自棄。
塞ぎ込んだままのここ数日。
タバコの火を手の甲につけた傷は、かなり治ってきていますが、
赤くなっている火傷の後は、もう取れないものになるのだと思います。
自暴自棄の傷跡です。
326.奢り
2009.03.02 [ Edit ]
嘘を書いたことはありません。
嘘は書いていないですが、これは内緒にしておきたいという話もあります。
内緒にしておきたいというのは、すこし表現が違って、
娘が、もし今読むことがあった場合に、まだ受け入れられないと言うか、
誤解してしまうのではないかと心配がある部分を、
もう少し後から書こうと思うところです。
何度も書いていますが、もともとこのブログを始めたきっかけは、
娘に残すメッセージにしようと思ったところからです。
父は、あの時、こういうふうに思っていたのかと、
後で娘がゆっくり考えてくれたらとか、
寛解した時の娘の道しるべになればいいなと思ったところからです。
325.老醜
2009.03.01 [ Edit ]
書いてる途中で、出かける用事が出来て、帰ってきて続きを書こうとすると、
何を書こうと思っていたのかが、すっかり飛んでしまっていて、
結局、思い出せずに、妹の話の続きを書いてしまっていました。
最近、よくある話です。
認知症とまではいかないのですが、頭の中に消しゴムが増えてきました。
55歳、まだまだ若いと自分では思っていますが、
何かを読む時に、老眼鏡は必需品になりましたし、
老人扱いされることに慣れてきている自分がいます。
50歳手前だったと思います、仕事の書類の字が、ぼやけて見えることに気づきました。