強迫性神経症 | 強迫性障害 | OCD体験記・子育てブログ

強迫性神経症(強迫性障害/OCD)の娘と向き合う父親の体験記・子育てブログ

483.再見 ツァイチィェン

2009.08.31 [ Edit ]

聖徳太子や、南部六宗や、鎮護国家的性格のこと、
鑑真についての話。
こんなことを、英語で説明させられました。
これは、マリアが翌日に、奈良に行くからと、
夜の家での説明だったので、
なんとか辞書を片手にこなせたのかなと思います。

まあ、しかし、55歳の知恵熱でした。

翌朝早く出発すると言う、タフネス娘。
うちに泊まるのは、これで最後です。

金沢に行って、広島に行って、長崎、鹿児島。
その後、東京で、ポーランドと台湾の教育組織の仕事が一日あるそうです。
それを終えて、台北に帰るとのことでした。

実は、金沢に行く前に、後二日、滋賀に泊まるのです。
最初は、すべて我が家に泊まる予定だったものが、
考えに考えた末の、「やっぱり、嫌や。」という娘の辛い決断があって、
妹娘の親友の家に泊めてもらうことになっているのです。

泊めたいけれど、ままならない自分の強迫。
私のせいでという自己嫌悪。
それに加えて、楽しかったマリアとの生活が終わったことの、
祭りの後の寂しさ。

マリアが去って、不安定な娘でした。

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482.比叡山 英語行脚

2009.08.29 [ Edit ]

比叡山延暦寺に、マリランと私と娘の3人で行くことになりました。

毎日、早起きして、貪欲だと思えるくらいに日本を吸収しようとしているマリラン。
9時前には行ける準備完了でしたが、娘は、決心がつくまでと、
様々な準備があるので、ゆっくり朝食を済ませて、
出発は、10時過ぎになりました。

まあ、とにかく、行けることになりました。

先ず、比叡山の山頂まで車を走らせて、
「マリラン、レッツ エンジョイ ヴュー」
彼女は、ポーランド語の他には、中国語と英語を話しますが、
日本語は、まったく駄目です。

私と娘は、必死に引き出しから英語を搾り出しての会話です。
それでも、3人が笑いながら、なんとか途切れることなく会話していました。
案ずるを、なんとか通り越して、産むになったので、娘も楽しそうでした。
引き出しから、あらん限りの英語を引っ張り出して、
マリランに、説明してやっていました。

山頂では、
「ザット イズ ビワコ」
「ビワコ イズ ナンバーワン ビッグ レーク イン ジャパン」
「ザット イズ マイハウス」
右方向を指差して、
「ザット イズ キョウトシティ」
この数日、彼女が周った京都の寺院と、
泊まっている家のある滋賀県の位置関係を、
比叡山頂からの美しい景色を見ながら説明するのに夢中になっていました。

マリランも、あれは何?あれは、どこ?と、娘に質問していました。

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481.ポーランド娘の再訪

2009.08.28 [ Edit ]

我が家に一泊して、
渓流紀行を終え、ポーランド娘は、
京都のホテルに一旦は、宿泊に行ったのですが、
9月14日までの滞在に費用がかさむので、助けてほしいと、
再度、我が家にやってくることになりました。

別れ際に姉娘は、「もっと泊まればいいのに。」
「最初から、ずっと泊まればって言ってあげられたらよかったのに。」
「わたしが、悪かったなあ。」
こう言っていたので、再度の宿泊に問題は無いものと思っていましたが、
妹の、「また、マリラン泊めてあげてもいいかな?」の問いに対して、
「えーっ、いややー」と、拒否発言。

「もっと泊まればいいって言ってたやん?」と、妹。

「そうは、言うてたけど・・・」
「トイレのこととか、いろんなことで、また一から覚悟せんとあかんのが辛いんや。」

二人のやり取りを、黙って聞いていたのですが、
「また、マリランが来れば、楽しく話せるし、大丈夫やろ?」
”摩璃蘭”、本名はマリアだそうですが、中国語での呼称で、マリランだそうです。
「一回、覚悟して出来たことやしなあ。」
たまらず、やわらかく口を挟みました。

反発があるかなあと、ちょっとした賭けでしたが、
「そうかなあ?」
「大丈夫かなあ?」
という返事だったので、たたみかけて、
「大丈夫や。」
「死んだ後の話や。」

「まあ、ええか。」
「来はっても、ええわ。」

ということで、また、夜遅くに彼女は再び家に帰ってきました。

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480.渓流紀行

2009.08.26 [ Edit ]

「死んでしまったら大丈夫」
娘の、変な理屈の下、ちょっと遅めの山への出発。

ほんとは、早朝出発で、ゆっくり遊んで楽しんで、がいいのですが、
なかなか病気は、そうはさせてくれません。
慎重に、慎重に、そしていろいろな確認が、
これがオッケー、あれもオッケー、
そして、やっとの出発です。

途中のスーパーで食料の買い込み。
夏休みだから、山も混雑かなと思いきや、
盆もすぎて、秋のような気候に、そんなに混雑はしていませんでした。

もっとも、第二の住処のような山の中ですから、
混んでいようが、人のいない崖の下など、
地元の人のように地理はわかっているので大丈夫。
河原に降りやすい、いい場所があいていました。

到着して、皆で協力して荷物を降ろし、
私は、食卓と休憩スペースの製作。
姉娘は、一心に携帯シャベルで土を掘っています。
幼い頃から、毎年キャンプに行っていたので、
囲炉裏を作って火をおこすことも、お手のものです。
ただし、汚いには、打ち勝たなければならないので、
一昨年くらいの山行きで、やっと出来るようになったことなのですが。

汗だくになりながら、満足げな顔で、
「囲炉裏、作ったから、火たいてや。」

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479.優しいポーランド娘

2009.08.25 [ Edit ]

25歳とは思えない落ち着いた娘さんでした。
妹から、姉の病気のことを聞いて、しっかり理解してくれている様子でした。

風体は貧乏旅行学生そのものでしたが、大きなバッグをすぐに妹の部屋に入れて、
姉が嫌がらないようにすることを、すべて心得ている動作です。

迎えにいって、遅くに帰宅したので、部屋に荷物を入れて、
すぐに入浴、食事は外で済ませたので、後は寝るだけだったのですが、
お土産だけは、姉に渡してくれました。
顔を合わせないかなと思っていた姉娘が、妹の部屋の入り口で土産を受け取って、
笑顔で、「センキュー、ナイスミートゥュー」。
彼女もそれに合わせてくれました。

居間に戻った姉娘が、
「ええ感じの娘やなあ。」
「わたしな、わたしの太った身体を見て、オーゥとか言われるのかなと思ってたんや」
「物静かで、賢そうな娘やなあ。」

おそるおそる、私が、
「居間で、お茶でも入れてあげるか?」

「そうやなあ、呼んできてあげたら。」
ということで、まずは、産むが易しの状況で、ほっとしました。

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478.マリーキュリーの末裔

2009.08.23 [ Edit ]

ポーランド娘が、泊まりました。
来日して、ホテルに泊まると言う話を聞いて、
「一晩だけ泊めてあげよう。」と、
姉が、考えに考え、悩みに悩んだ末に、妹に提案したものです。

奇妙な来客風景です。
まず、迎えにいった初対面が不思議な光景。
日本でありながら、ポーランド人と娘が会話しているのは中国語です。
「ニーハオ」が、最初の挨拶でした。

そして、家についたのは夜中だったので、
そんなに多くの奇妙はなかったのですが、
トイレのルールや、手洗いのルール、入浴のルールを守ってくれるお客様です。

普通なら、居間で歓談して打ち解けてという前段があるのでしょうが、
来るなり妹の部屋に閉じ込めてのような迎え方です。

妹が、すべての説明をしていて、それを受け入れてくれているお客様です。

さすが、世界一の大学進学率の国、
キュリー夫人を産んだ国の、賢い娘さんだと感じました。

まあ、短い間ですが、困難はあるのかもしれません。

これから、家族でポーランド娘をまじえて、
山でバーべキューに行くことになりました。

びくびくしていますが、なんとかなるでしょう。
また、後ほど、どんな感じだったか説明します。

477.火を囲んで話をしよう

2009.08.22 [ Edit ]

マイナス感情の極致のときに、
としさんと、ミミリンさんから、コメントが入っていて、
実は、読んだけれど返信も出来ずにいて。
「ごめん、ちょっと休憩します。」と、言い逃れの独り言。

としさんも、ミミリンさんも、書いていることが、
「そんな簡単なことじゃないよ。」と投げかけてくれていて、
「そうじゃないのですよ、俺はね・・・」
と書くのも、しんどかって。

ところが、やっと返信を書こうと思って、
ミミリンさんのコメントを開いてみたら、
「あれっ、違うことが書いてある???」

私が、返信をサボっている間に、夢ととが、ミミリンさんに話していて、
としさんが、別のコメントをいれてくれていて、
その後のミミリンさんのコメントを、前のコメントと勘違いして読んでいたもので
す。

「そうじゃないのですよ、俺は、こういうふうに思って・・・」
を、書こうとして開いたコメントが、
「そういうことが、言いたかったのです。」と、
言えるコメントになっていたので、「あれっ?」だったのです。

その後、間違いに気づいて読み返した、
としさんと、ミミリンさんと、夢ととのやり取りに感動しました。

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476.情けなさの吐露

2009.08.22 [ Edit ]

一喜一憂。

一喜は、あることにはある。
でも、一憂のほうが、はるかに多い。

一喜一憂ではなく、一喜十憂かもしれないなあ、などと思う。

「焦るな」、「諦めるな」、そう人に言う私。
人に、そう言いながら、実は、必死に自分に向けている言葉。
実は、毎日、諦めそうな自分、投げ出しそうな自分がいます。

こんな自分が、人に意見していることに、嫌悪感さえ覚えます。

一喜した後に、必ずやってくる、憂いの時。
憂いの言葉、憂いの事象、憂いの気持ち・・・
押しつぶされそうな、泣き出したいような、逃げ出したいような気分。

ときどき、空虚。
ときどき、逃避。

現実に引き戻されて、
無理やりに引き戻されて、嫌々歩く。

一喜があっても、毎日、耳にする、
「生きてても、しゃあない。」の娘の声。

毎日、必ず、心の中で呟く、
「しんどいなあ。」の、私の心の中の独り言。

たしかに、「負けへんぞ。」の気持ちも持っている。
でも、毎日、負けそうになっている自分がいる。

この日記も、もうやめてしまおうかなと。

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475.今からでも遅くはないから

2009.08.20 [ Edit ]

「今からでも遅くはないから。」

2・26事件の話ではありません。

と言っても、「今からでも遅くはないから。」という言葉で、
2・26事件を思い浮かべる人など、
今の時代では、ほとんど皆無だと思います。

まったく最初から余談ですが、
2・26事件とは、昭和11年の2月26日におこった、
青年将校による軍事クーデターのことです。
その時の、反乱軍となってしまった決起将校たちに、
投降を呼びかけた言葉の中に含まれている一行です。

そんなことを説明したかったわけではありません。
まったく関係のない話です。

こんなコメントをくれた彼に、言いたかった言葉。
それが、「今からでも遅くはない。」と言う言葉です。

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「僕は長い間、社会から蚊帳の外で、病気でつらいといい、
なんやかんやで長いブランクや、一般から考えると、
遅く始めるということの重さに耐えられずどうでも良くなってしまう」
「親には迷惑という言葉できかないくらい親不孝な不良息子なわけですが・・・。」

「それもこれも一歩一歩努力してと、思って頑張ります。」
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

「遅く始めるということの重さ。」
こう言いながら悩む彼に、私のコンプレックスの話を披露しました。

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474.滝澤友恵という競艇選手

2009.08.18 [ Edit ]

私の不良話。
高校時代に始めた、競艇の話。
途切れることなく30数年。
会社を辞めてからは、ほとんど行くことはなくなりましたが、
選手の顔を見れば名前が出てくるくらいの競艇ファンでした。

数千万の無駄遣いを後悔しています。
まあ、サラ金に手を出して破滅するところまででなかったことは救いです。

とはいえ、そんなに罪悪感は、実は持っていません。
小遣いの範囲で、やってきたのだからなどと自己弁護です。
ギャンブル好きの、勝手な言い逃れ。

サッカーと、渓流釣りと、隠れて密かに競艇場が、
私の主な趣味活動。

今では、ドラマと映画のための必需品になっているCSチューナーも、
もとはと言えば、競艇放送を見るために購入したものです。

競艇場に足を運ぶことはなくなりましたが、
時々、CS放送で放映している競艇を覗いてみたりはしています。
もう、ギャンブルではなく、懐かしい趣味としてです。
「この選手、ウマかったのに、歳には勝てへんなあ。」
そんな見方をして楽しんでいます。

新人選手の紹介を、ぼんやりと見ていたときです、
「ええっ、この娘さんは、すごいなあ。」と、
見入ってしまった女子選手。
一度に、顔を覚えてしまいました。

中学生のときから、競艇選手になろうと思って、
中学3年生のときに、競艇学校を受験したそうです。
15歳からなので、中3から受験できるのです。
ところが、8回連続で不合格。
半年に一回の試験なので、4年間受験し続けたということになります。
選手を諦めて、高校卒業と同時に化粧品会社に就職したそうです。

就職してから、競艇場にレースを見に行って、
関係者と偶然出会い、「諦めないでがんばれ。」と言われたことから、
再チャレンジして、やっとのことで合格した。

そんな女の子の話でした。

ここまでの話でも、なかなかの話なのですが、
その後が、もっとすごい話でした。

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473.弟の嫁

2009.08.17 [ Edit ]

盆なので、弟の家族が親父の仏壇に掌を合わせに来ました。
帰省というほどではありません。
同じ市内に住んでいて、月に一度くらいは家に寄りますから。

私は、この弟と二人兄弟。
弟は、5歳下です。
昨年、大腸癌だと診断され手術をしたのですが、元気に回復しています。


男兄弟なんて、きっと、そんなものなのでしょう、普段は、あまり長く話しません。
盆と正月くらいかな、家族を含めてゆっくり話をするのは。

そんな感じで、盆なので、長い時間話しました。

弟の家族には、詳しく娘の病気を説明してあるので、
皆が、さりげなく気配りしてくれているので、娘も会話に参加します。

いろんな会話の中で、「生きるのが、しんどい。」話になりました。

弟の嫁の、しんどい話、いや、しんどかった話。
私も妻も、よく知っている話なのですが、
娘に聞かせる話として振り返ってくれたものです。

弟の嫁は、四国徳島の田舎の出身。
有名な、大歩危の「かずら橋」のあるところです。

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472.墓参り

2009.08.15 [ Edit ]

今年の墓参りは、なかなか家族全員のスケジュールが合わず、

妹娘と妻は、明日にするということで、

私と娘と息子の三人で行くことになりました。



家族全員であれば、行く気になりやすいだろう娘が、

例のごとく、ひとしきり悩んでいました。



「どうしようかなあ?」

「行けるかなあ?」

「家で待ってようかなあ?」



「明日になって、行けるようやったら、行ったらええ。」

「明日になってから考えたらええ。」



私もまた、いつものように話しかけました。



このやりとりは、特別なもので、“普通”ではないものだと思います。

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471.ポーランドからのお客様

2009.08.14 [ Edit ]

妹娘の中国留学の時の友達で、ポーランド人の娘さんが遊びに来るとのこと。

「仲良くしてた娘で、すごく優しい、ええ娘なんや。」
「半月くらいなんやけど、家に泊めてええかな?」

「泊めてあげたらええ。」
「おまえの部屋の、隣の部屋で寝かせてあげたらええやろ。」

「うん、でも、お姉が、ええって言うかなあ?」

「そうやなあ、どうやろうなあ?」
「父さんが、言うてみるわ。」

「うん、泊めてあげたいんやけどなあ。」
「あかんやろうなあ。」

夕食の時に、姉娘に聞いてみました。
妹の友達を半月ほど家に泊めてあげたいのだけれどと、切り出しました。

「ポーランド人で、すごく優しい、ええ娘なんや。」

妹娘も、なんとか姉が受け入れるように説明します。

「えーっ。」
「そんなんいやや。」

と、困った顔をしていましたが、
姉娘の生活空間を侵害しないようにすると言う提案に、

「うん、泊めてあげたら。」

ということになって、落ち着きました。

ほっとしていたとともに、何かのきっかけになるかもしれないと、
期待もしていました。

ところが、その二日後、

「やっぱり、泊めるの嫌や。」と、姉娘。

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470.縄跳びが飛べへん

2009.08.13 [ Edit ]

「縄跳びが飛べへんわ。」

「なんでや?」

「身体が重くなって、飛べへんねん。」
「前は、千回とか、軽く飛んでたんやけどなあ。」

この「前は、」は、もう10年以上も前の話の、「前は、」です。
高校生だったころの話かな。

「60キロ超えて、あかんと思って、50キロまで落としたんや。」
「それを維持するのに、縄跳びしてたけど、軽く飛べてたんや。」
「90キロになったら、飛べへんなあ。」

「急に、無理したら、膝が悪くなったりするから、徐々にやりや。」

「うん。」

こういうふうに書くと、”普通”の、自然な会話に聞こえます。
まあ、90キロは、ちょっと太り過ぎで、異常なのかもしれませんが。

私の会社時代の後輩で、今でも仲良く付き合っている、
一番かわいい奴と言えるかな、
気骨があって、思いやりがあって、剛毅で、
私から見ればの話ですが、すばらしい男がいます。
日体大のバレー部の出身で、スポ根の権化みたいな男です。

そいつが曰く、
「俺は、肥えてるは嫌いです。」
「自己コントロールが出来てないわけですから。」
「肥えてる奴は、我慢が出来ない奴やから。」

そんな乱暴発言をする奴なのですが、
まあ、言葉そのままを聞くと、なんと冷酷な奴、
そんな感じに聞こえますが、そうでもないのです。
彼の弁護をすると、自分に当てはめての言葉とでも言うか、
それをもって個人を蔑むというような意味でもないのです。

スポ根の、なんたるかを理解できない人には、
この弁護の意味は、なかなか伝わり難いものだとも思います。

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469.親父の驕り

2009.08.11 [ Edit ]

昨日の、哀しみを入れる心の引き出しの話は、
まったく人の気持ちを解っていない、馬鹿な駄目親父がした話で、
削除してしまおうかとも思いましたが、
ここで、お詫びと反省を記すことにします。

解ったような顔をして、偉そうな文章を書いてしまっていることにも気づかない、
驕った おっさんに、

「あほか、おまえは。」
「驕った考えなんじゃ、馬鹿。」
「反省せい。」

と言ってくれているようなコメントを二人の方にいただきました。
まことに、そのとおりだと思いました。

以下は、そのコメントです。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
むき出しの哀しみ、むき出しの感情。
でも、引き出しはあることも、ある場所も知ってるんです。
どうしてしまうかが判らない。
しまってしまう事が出来ないのです。

ここにあるで、こうやって包んでしまって置いたら楽になるからやってみ。

出来ますか?

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

わたしも心の中に引き出しをもっています
けど 引き出しがあることを知っているから
開けてしまいます。

わたしは引き出しの整理が上手ではないです。


自然にしまえる人はしまっているんでしょうね。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


このコメントに対して、懲りずに、くどくどと言い逃れの返事を返しました。

恥の上塗りみたいな感じですが、自業自得、
そのまま、私の返事を転載します。

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468.哀しみを入れる心の引き出し

2009.08.10 [ Edit ]

硫黄島からのラブレターっていう題名だったと思います。
そんな題名の、ドキュメンタリー番組を見ました。

64年前に、アメリカ兵が激戦の硫黄島で、封筒を拾ったそうです。
石川県から出征してきていた日本兵へ宛てた、その妻からの手紙です。

手紙を拾ったアメリカ兵が、大切に保管されていたものですが、
殺しあった相手から受け取っても、嬉しくないだろうし、
苦い想い出が浮かんでくるものではとの、気配りから、
返そうと思っても、返せなかったものだったそうです。

文面には、生まれたての子供のこと、
また、夫が出征してから妊娠に気づいた子供が自分の中にいるという報告。
そして、悪い水を飲まないようにとか、身体を大切にしてくださいとか、
旦那様を気遣う、愛情あふれた言葉の数々。
無事で帰って来てくださいと願う、気持ちがいっぱい詰まった手紙でした。

その手紙が、最近、そのアメリカ兵から届けられたという話です。

差出人の奥様は、91歳になられる方で、健在でした。

戦死された、愛するご主人の遺骨もなく、
苦労されて育てた67歳の長男と、いっしょに住んでおられました。
手紙にあった、父さんの顔を知らずに生まれた次男も、65歳になっておられました。

送られてきた手紙以外にも、そのご主人と奥様の交わされた葉書や手紙を紹介していました。

私は、幼いころに親父に教えてもらった、

父よ あなたは強かった
兜も焦がす 炎熱を
敵の屍と ともにに寝て
泥水すすり 草をかみ
荒れた山河を 幾千里
よくこそ撃って くださった

こんな唄を、思い出しながら、涙を流しながら見ていました。

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467.今年も花火大会の日

2009.08.09 [ Edit ]

今年も、花火大会の日がきました。
30万人が、近畿各地から見物に来ます。
ここ数年、家族で花火見物に行った思い出はありません。

去年の、琵琶湖花火大会を、振り返っていました。

めったに書いたものを振り返って見ないのですが、
去年の8月8日に書いたものを読んでみました。

智恵子抄の、
「わたしもうじきだめになる。」の解説を丁寧にして、
自分に当てはめたりしていました。

あんまり、一年の進歩がないような感じでした。

でも、昨年の、そのあたりの文章を読み返してみると、
前向きを感じる表現に、実感がこもっていず、
無理やりに、自分の気持ちを、
文章を書くことによって前進させようとしているようなところを感じてしまいました。

最近、前向きを書いているときには、
前向きを、ある程度実感しながら書いている。
そんな気がするのです。

実際、この一年は、今までの数年よりも、
進歩のスピードが格段に早いように感じている私がいます。

一日の、出来事と気持ちを書き残しておくと、
小さな変化を実感できるものだということを、読みながら感じました。

一日だけでは、解らないのですが、一週間くらいを、
並べて比べると、確実な変化を感じることが出来ます。

しかし、娘は、何の変化も感じていません。

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466.明日の予定は?からの大爆発

2009.08.07 [ Edit ]

「明日の予定は?」

また、雨は降るだろうけど、そんなに、もう続かないだろうと、
まったく久しぶりに、車を洗いました。
穢れを嫌がる娘のために、車内は常に綺麗にしているのですが、
外は、私のものぐさと、娘が嫌がる物置小屋からホースを出してという作業がしにくいために、
続いた梅雨の雨に打たれて、汚れにまかせた状態でした。

車が美しくなったことと、着ていたシャツが透けるくらい汗だくになった気持ちよさ。
サッカーやった後みたいだなあと思いながら、タバコを一服の爽快感。

汗をかくのが気持ち悪いからと、なかなか外に出られない娘と付き合って、
クーラーの部屋の生活をしていると、汗をかくことが少なく、
タバコを喫いながら、娘も、汗をかけたらなあと、ぼんやり考えていました。

物置小屋に入ったので、決まりごとの風呂への直行。
風呂からあがってきた私が、

「汗かいたら、気持ちええぞ。」
「いっしょに走りに行こうか?」

「あほか。」
「そんな汚いこと、出来へんわ。」

そこで、突然、

「父さん、明日の予定は?」

「明日は、朝からサッカー、夜もサッカー、一日中、サッカー三昧やなあ。」

「ええなあ。」

「サッカーは、、父さんの生きてきた道で、父さんが出会ったもの。」
「一生懸命のなかで、父さんのものになったものや。」
「それを、おまえに譲ることは、出来へんしなあ。」

いつもは、こうは、言わないのですが、
きっと、ひねくれて考えるだろうと考えて、適当にかわす言葉にしておくのですが、
思い切って、いつも考えていることを言ってみました。

黙り込んでしまった娘が、しばらくしてから、

「わたしは、なにもしてきてへんのと違う、出来へんかったんや。」

私を見ないで、小さな声で、不機嫌そうに言いました。

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465.終戦の時期に想う

2009.08.06 [ Edit ]

この時期になると親父を思い出します。

私の親父は、戦争経験はないのですが、
終戦時には、予科練入りが決まっていたという話を何度も聞かされていますし、
戦争の悲惨さについて、いろんな話をしてくれました。

予科練なんて言葉は、今は、ほとんど知る人もいない言葉になっているのだと思います。

予科練とは、海軍飛行予科練習生、即ち、少年航空兵のことです。

卒業生の80%が戦死されたと言われています。

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僕はもう、お母さんの顔を見られなくなるかもしれない。
お母さん、良く顔を見せて下さい。
しかし、僕は何んにも「カタミ」を残したくないんです。
十年も二十年も過ぎてから「カタミ」を見てお母さんを
泣かせるからです。
お母さん、僕が郡山を去る日、自分の家の上空を飛びます。
それが僕のあいさつです。

母上様
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特攻隊として出撃されて戦死された方の遺書です。
彼の亡くなった時の年齢は、19歳です。

検閲が入って、無理やり美化された文章が多いと言われていますが、
肉親に対する思いは、真実のものに違いありません。

戦争を美化したりするものではありません。

19歳の若者に、こんな文章は、絶対に書かせてはいけません。

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464.羨むものが無い世界

2009.08.05 [ Edit ]

”普通”に生きていたころ、
羨むものが、あまり無かったような気がします。

息子が不良で、どうしようもなかったころも、
そんなに、羨むということは、しなかったような気がします。

中学3年でサッカー部が解散してから、不良グループへ、
高校入学してすぐに、喧嘩して、中退して、
家出して、やくざと付き合って、刺青を入れてきて、
そんな時も、苦しかったけれど、羨ましいと思ったことはありませんでした。

確信があったから、羨むことをしなかったのかな。

息子は、必ず、すぐに戻ってくるからと、確信を持っていたから羨まなかった。

そんな気がします。

「男の子の、通る道や。」
「ハシカみたいなものやから、すぐになおるわ。」

そんな言葉をかけてもらっても、その時は、そんなふうには考えられなかったし、
「他人のことやから、そんなふうに言えるんや。」なんて考えていたところもあります。

でも、どこか、確信があって、
たしかに、フラフラになっては、いましたが、戻ってくることを信じていました。

妹娘が、いじめを受けて、高校を中退した時も、
立ち向かう姿勢で、気持ちを強く持っていたから、
羨むことはなかったのかなと思います。

姉娘が、病気になった時からです。
羨ましいと考えるようになったのは。

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463.ピエロの反省

2009.08.04 [ Edit ]

昨日の夜中3時ころに、久しぶりに、
ふさぎこんだ娘が、2階の部屋から下りてきました。

緊張で、固まる私。

しずくさんのコメントにあった、しずくさんの娘さんの言葉。

辛い
もうできない
頑張っても意味がない
何もいいことない
私ばかり
普通になりたい

このとおりの言葉を、順番も同じに、無表情のまま吐き出しました。

そして、これも、久しぶりの、夜中の彷徨。

黙り込んで、助手席にいる娘に、
ピエロになって、声をかけ続ける私。

”普通”の人が、この光景を見たら、
きっと、甘やかしすぎなんて言うのだろうなあ。

そんなことを考えながら、あてもなく車を走らせていました。

久しぶりの京都一周ドライブかな、
ピエロが、おどけて話しながら、考えていました。

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462.慟哭の薦め

2009.08.03 [ Edit ]

「生きるのしんどい。」

何百回も聞いている娘の口癖。

「なんで、わたしだけが?」
「なんにも悪いことしてへんのに。」
「えことなんか、なんにもない。」
「我慢だけして生きてるんや。」
「生きてても、しゃあない。」

そんななかで、毎日毎日、がんばっている。

「でも、助けてくれてる家族がいるから。」
「みんなが、優しくしてくれてる。」

自分に、我慢を強いている毎日。

「普通に生きたいなあ。」
「なんとか、頑張らんとあかん。」
「努力せんとあかん。」

努力しようと、焦る毎日。

そんな毎日が繰り返されて、

溜まりに溜まった頑張りのストレスと、努力のひずみ。
諦めへの抵抗。
焦りからの苛立ち。

心が腫れて、傷口から血が滲み出す。

そんな時に、突然の慟哭になります。

ここに書き連ねた、心の中の言葉は、
あくまで、心の中の言葉であって、いつも吐き出せている言葉ではありません。

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461.モーガン・フリーマンのいた深夜スーパー

2009.08.01 [ Edit ]

「ショーシャンクのモーガンフリーマンやなあ。」

最近、またちょっと娘の寝る時間が遅くなってきていて、
夜中の彷徨まではいかないですが、
夜中に、起きている人を眺めに行くドライブが多くなっています。

「ドトールに行こう。」

という声を、夜中の1時半や2時に聞くことは、
懐かしいようでもあり、すこし情け無いようでもあり、
複雑な心境です。

今夜は、3時の出発。

「喫茶店はやめて、買い物に行こう。」

「ええっ、なに買うんや?」

「コーヒーがなくなりそうやから、コーヒーと、それからヨーグルト。」
「それに、花が欲しい、絵描くための花。」

ということで、24時間営業のスーパーへ。

必要なものを、売り場を一周してかごに入れレジへ。
娘が支払いをして、袋に商品を入れている間に、
私は、買い物カートを元の位置に、ころころ押して戻しに行く。

もう何度もしている慣れた作業なのですが、
その度に、「こんなことは、俺は絶対しなかったことやなあ。」
同じことを、頭の中の独り言でつぶやきます。

まず、スーパーの買い物なんて、男が行くものではない。
こんな変なポリシーがあって、娘が病気になるまでは、
買い物に付き合っても、駐車場の車で待つというのが当たり前でしたから。

カートを戻して、喫煙コーナーでタバコを喫って待っていると、
娘が出てきて、

「ショーシャンクのモーガンフリーマンやなあ。」と言ったのです。

「そうやなあ。」と、私が答えました。

何の暗号かと思われるような、突拍子もないフレーズですが、
私と娘には、それで会話が成立しているのです。


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Author:一人の父親
強迫性神経症(強迫性障害 | OCD)と闘う父親の日記。画像は娘が描いたものです。

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