強迫性神経症 | 強迫性障害 | OCD体験記・子育てブログ

強迫性神経症(強迫性障害/OCD)の娘と向き合う父親の体験記・子育てブログ

522.夜の買い出し

2009.10.31 [ Edit ]

最近、夜中の喫茶店には、ほとんど行かなくなりました。
一時過ぎには、娘が部屋に寝に行きます。

ありがたいことです。
ずいぶん楽になりました。

過呼吸や、慟哭、大暴れ、この世のものと思えない目つき、
異常な行動、死にたいとパジャマのままで夜中に裸足で飛び出す。
思い出すだけで、両肩がずっしり重たくなって、
胸の辺りが苦しくなってくる状況が、ほとんど無くなってきたように思います。

けっして、すべてが解決したわけではないのですが、
心の中では、納得できない苦しさを、まだまだ持ち続けている娘なのですが、
悪魔の支配に、少し抗えるようになったのかなあと考えています。

贅沢な発想ですが、
痩せられて、自由に出かけられて、なにかと出会える、
そんなふうになったらなあと考えてしまいます。

友達が出来て、
恋人が出来て、
なんでもいいから、仕事に就けたら、
すべてがオッケーになるのになあと思ってしまいます。

「焦るな、焦るな。」と、自分に言い聞かせながら、
贅沢な願いに想いを傾けてしまいます。

「今までどおり、ぼちぼち歩もう。」
そう考えながら、一足飛びの幸せを望んでしまいます。

「幸せ」?
「普通」なのですけどねえ。

一足飛びの幸せじゃなく、一足飛びの”普通”を望むっていうのが正解かな。

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521.”元の自分に戻る”の意味

2009.10.30 [ Edit ]

ハラグロ先生の話の中で、
「前の自分に戻ると考えないほうがいいですね。」
という、先生のおっしゃった言葉を書きましたが、
幾通りにも解釈できるこの言葉の意味は、先生には聞いていません。

私は、娘に、
「治らないって言うてはるのと違う。」
「今の自分、過去の自分は、時と共に変わるものやからな。」
「新しい自分を見つければええって言うてはるのかなあと思う。」
「もちろん、病気のことも含めて話してはるんやと思うけど。」
「潔癖症がなかったものが、未来の自分には、綺麗好きとして残るかもしれん。」
「前は、汚いものとして気にならなかったものが、絶対嫌なものでなく、
不潔なものとして考える自分がいて、今ほどは、気にならない。」
「そんな形でも、もとの自分ではないわけや。」
「先生は、そんなふうに言ってはるのとちがうかなあ?」
「未来に向かえって言ってはると思えばええのとちがうかなあ。」

そんなふうに言ったことを覚えています。
ちょっと、娘向けにアレンジしたのかなあと思いますが、
そんな解釈を、私自身もしています。

「病気が治るものではない。」
そんなふうにも聞こえますが、
こういう解釈なのでは、ないと思っています。

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520.宮崎漫遊記 番外編

2009.10.29 [ Edit ]

宮崎行きの話を、おいおいしようと思いながら、
どの話からと考えているうちに時間が過ぎていきます。

ちょっと面白い話というか、おっさんの、得意の余計なお節介話を、
ひとつ記すことにします。

お世話になった旅館に、お礼のメールを送りました。

嫌味な皮肉の詰まった礼状。
悪趣味で、好きになれないおっさんやなあと、自嘲しながら披露してみます。

前置き長くなりますが、私が常々言っている、隣の仲間に意見をして、
仲良くなれば、大きなことが出来なくても、それでいいというところの実践なので、
嫌わないでくださいよと言う注釈つきの披露です。

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519.ハラグロ先生

2009.10.27 [ Edit ]

娘のつけたクリニックの先生のニックネーム。
石黒先生が、うちの家では、いつの間にか、ハラグロ君になってしまっています。
通院も、「明日、ハラグロ君とこに、行ってくる。」ってことになっています。

けっして、腹が黒いってことではなくて、
素晴らしい先生と出会えたと感謝している先生です。

最初のころ、はっきりものを言う先生なので、
娘は、先生が大嫌いだったのです。
「来なくていいですよ。」
こんなふうに、娘は言われて、待合室で大暴れになったこともありました。

「いつごろ治るの?」
「ほんまに、治るの?」
の、娘の質問に、

「治るとは、言えません。」
こんな返事もありました。

お医者様は、商売人ではないので、サービスするなんてことは考えてないし、
その短い言葉から、自分で意味を引き出すものなのかなあ?
そんなふうに考えながら、
治ると、寛解の違いを、一所懸命考えたものです。

「前の自分に戻ると考えないほうがいいですね。」

この言葉も、難しいものでした。
なんとなくは解るような言葉なのですが、
治るのか、治らないのかを必死で考えている親娘には、
ほんとに難しい言葉です。

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518.道しるべ

2009.10.26 [ Edit ]

「日記、付けとこうと思って」という書き出しで、
「心斎橋」という題名の、娘からのメールです。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
今日は電車に乗って大阪へ行った。
母さんと、さおと、三人で行った。
電車に乗って大阪は行けないと思いこんでたけど、
新快速やったら車より早い・
心斎橋までの道程もツラいことなかった。
着いたら、アフタヌーンティーで昼食・んで、お店いっぱいあって、
靴、安くでお気に入りあったし、サイズ持ってきてもらって買う。
買った店長がコテコテの大阪のオッチャンで絵の先生と喋ってるみたいやった。
パチンコ行く。2000円だけ。さおりが当てる。
私も一回当たる。
景品変えて、街に繰り出す。さおりがどんどん買う。
私もどんどん買う。
楽しい。
梅田でりんと落合う。
李さんとこいく。
汗だく。汗だく。
李さんのごちそうよばれる。
李さん元気やった。
オコズカイもらった(●^o^●)なんていい人なんや・いいことありますよう。
帰り汗だく。汗だく。
電車つかれる。
楽しい。楽しい。生きてる(`▽´)って感じ。
家族乾杯(^O^)さおりも乾杯(^O^)よかったよかった!

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

妻と、弟の彼女とが、二人で大阪に行くとのこと。
友達の結婚式で大阪に行っている妹と、梅田で待ち合わせて、
北新地の李さんの中華料理店で食事するとのこと。

自分は、行けないことを前提に、羨ましそうに話していました。

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517.会話の明るさ三段階

2009.10.24 [ Edit ]

久しぶりに、喫茶店で、ゆっくり娘と話した。

「あのな、父さんがいない時に、北村さんの仕事をカンガルー便まで自転車で持っていったんやで。」
「国道をカーコまでは走れるようになったんやけど、市民病院までは、ちょっとしんどかったわ。」
「走ってる途中でなあ、身体が震えて寒くなった感じがして、怖かった。」
「まだまだ、あかんなあ。」

「あかんことないがな。」
「思い出してみいな、前は、外にも出られへんかったやろ。」
「行けるようになったことは、すごい進歩やで。」
「カーコまで行くのも、最初は震えてたやろ?」
「二回、三回、行けるようになったら、安心出来てきた。」
「そんなもんや。」
「市民病院までも、二回目、三回目を越したら、行けるわって安心が感じられるようになる。」

「そうやなあ。」
「そうかなあ?」

「怖いなあって思った時は、出来たことを思い出して安心したらええねん。」

「でも、出来たことって、出来て当たり前のことやろ。」
「なんか情けないなあ。」
「わたし、マクドのバイト、ずっと辞めんと続けてたらよかった。」
「そしたら、こんな病気ならへんかったのに。」
「わたしの人生ってなんなんやろ?」
「なんにも、ええことあらへん。」

「そんなふうに考えんでもええんや。」
「焦らんでもええねん。」
「まだまだ人生終わってへんねん。」
「これから先、ええこと、たくさんあるんやって。」
「気楽に生きてたらええんや。」

いつもの会話なのですが、この会話には、三段階の明るさがあって、
暗い、普通、やや明るい、と三つに分類できるのです。
今日は、同じ内容ですが、やや明るいに分類される会話です。

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516.宮崎漫遊記

2009.10.23 [ Edit ]

たくさんの出来事があって、書き残すことがたくさんあって、
迷っているうちに2日過ぎました。

それと、1試合目の前半に、私自身の、全勝するぞという気持ちと、
俺たちは強いんだというところを見せてやるぞと言う気持ちから、
カッコよくオーバーヘッドキックぎみのジャンプボレーでパスを出して、
着地した時に、自分の肘でわき腹を強打して、たぶん肋骨のヒビ。

カッコよくジャンプボレーキックが出来たから、
本来ならば、自分の中で、”えっへん”と密かに胸を張って立ち上がるところですが、
目の前は真っ黒、きつい痛みに、息も出来ず。

それでも、そのまま倒れていては、
「ええ歳して、若いプレーするからや。」と笑われるのも悔しいので、
目の前真っ暗な状態で立ち上がって、平気な顔をして10歩ほど走りましたが、
息が出来なくて、その場に倒れて担架で運ばれて退場でした。

退場してから胸を氷で冷やしながらの観戦。
退場したのが前半10分くらいだったと思います。
その時には、もう2点先行していましたから、安心して見ていましたが、
なんとも、痛くて、悔しい、情けない観戦でした。
まあ、チームは、初戦の島根県戦3対0の完勝ということで、よかったよかった。

午後からの2試合目も、残念ながら痛さと息苦しさの中での観戦。
でも、この2試合目、福岡戦も3対1で、チームは完勝。

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515.55歳の修学旅行

2009.10.16 [ Edit ]

高校の修学旅行。
後輩の練習中の無理なタックルで、脛の骨が縦に割れて、
松葉杖生活真っ最中の為、
校長先生が、自宅に来てくれて、
「まことに、残念に思うのですが、君のその状態では、団体行動が困難でもあり・・・。」
ということで、その時は、そんなに残念だとも思わなかったのですが、
連れて行ってもらえませんでした。

修学旅行が過ぎて、
やんちゃ坊主のサッカー部主将のところに、
たくさんのお土産をいただきました。

うるさい、古文のオバハン先生やら、
美人の英語のマドンナ先生、
音楽の気取った高慢先生、
怖かった体育の熱血先生、
その他、ほとんどの先生が、わざわざ家まで来てくれて、
同級生の友たちからも
それぞれに温かい気持ちのこもったお土産をいただきました。

「骨折して、修学旅行に行けへんのも、なかなかええもんや。」

そんなふうに思ったものです。

でも、時間がたつにつれて、そう、卒業してからも、
カッコつけの私なので、弱気な泣き言を正直に人には言ったことはありませんが、
同級生みんなで行ける旅行なんて、もう一生ないのだろうなと思うと、
寂しさでいっぱいになるものでした。
考えれば考えるほど、胸が詰まるような悲しい残念さ。
本音は、そんなところでした。

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514.躓きの記憶

2009.10.14 [ Edit ]

もう4年が過ぎたのか、5年前だったか、
娘が急激に、良くなってきた感じがして、
外に出れるようになって、ハスキーのゲンと散歩に行くことが出来て、

「このごろ、すごく気持ちがええねん。」
「もうちょっとで、治る感じや。」

そんな娘の明るい発言があって、

「二人で、自転車買ってサイクリングしようか?」

ということになって、ミニサイクルを2台買いました。

病気になって、気に入っていた自転車が汚れているからと捨ててから、
何年が経過したのか、久しぶりに乗る自転車に、つかの間の明るい娘がいたものでした。

私が、焦らなければ、そのペースが続いて、躓くこともなく、
今は、もっと楽になっていたのかもしれません。

私の焦りからの、苦い思い出です。

琵琶湖から唯一流れ出る瀬田川、最後は淀川となって大阪湾まで流れ行く最初の出口。
そのあたりに、琵琶湖にまたがる近江大橋があります。
古来から有名な瀬田の唐橋の手前に架かる橋で、
全長1.3kmの有料道路となっている橋です。

その橋の西側の付け根の辺りに、膳所城跡公園があります。
「水に浮かぶは、膳所の城」と謳われた美しい天守があった場所です。
今は、つわものどもが夢の跡になっているだけで、
城の形はまったく残ってなくて、桜の季節に花見で少し賑わう程度の小さな公園です。

家から、娘と自転車で、その膳所公園まで来て、
ベンチに腰掛けて、芽吹く寸前の桜の木を二人眺めていたことを覚えています。

「近江大橋を渡ってから、唐橋を渡って戻って、石山寺まで行こうか?」

「ええなあ、そうしようか。」

ということになりました。

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513.喫茶店のジンシルさん

2009.10.13 [ Edit ]

いつものように、娘の、「ヒマやー。」の声で、
いつもの喫茶店までのドライブ。

私の若いころには、24時間営業の喫茶店なんて、ほとんどありませんでしたし、
娘の病気と闘うにあたって、ほんとに助けられている場所です。

喫煙コーナーの、いつもの場所に座っていると、
素敵なカップルが入ってきました。

なんとも言えない品の良さ、
おとなしさ、賢さ、優しさ、温かさ。
そんなものを、すべて感じさせるような雰囲気の二人でした。

年恰好は、25〜6歳くらいかなあ。
大学生なのかもしれません。
女性のほうは、韓国女優のチェ・ジンシルさん。
小柄で品のある美人顔。
男性のほうは、スターの恋人でのユ・ジテ。
芯の強さのなかに知性を含んだ優しさを感じる男前。

ちょっとマニアックな表現なので、解りづらいかもしれませんが、
娘と私の感想が合致しましたから、そんなに外れてはいないと思います。

とにかく、「ええなあ、ええ感じやなあ、あの二人。」と言う感じで、
娘と二人で、見とれてしまいました。

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512.過保護

2009.10.12 [ Edit ]

16日の19時、大阪南港発のフェリーで17日の8時に宮崎港着。
17日の開会式に出て、18〜20日まで試合をこなして、
20日19時、宮崎港発のフェリーで帰ってくる。

そんなスケジュールで、滋賀県チームの、
選手兼、監督兼、雑用係兼、添乗員をさせていただきます。

この2ヶ月間、選手選考に始まって、申し込みやら、宿泊手配やら、
なかなか準備で忙しかったのですが、
残すところ一週間までこぎつけました。

スケジュールを細かく書いて、旅行のしおりを作成して、
メンバー18名には配り終えているのですが、
なにぶん、50歳を超えたオヤジ集団なので、いろんな奴がいます。

「何時に何処で集合やったかなあ?」
「ユニフォームは、どれを持っていけばええのかなあ?」
「泊まるホテルは、どこやったかなあ?」
「帰ってくるのは、何時ごろになるのかなあ?」

細かく書いて配ってあるのに、
子供みたいに聞いてくる奴が、必ず何人かいるのです。

「スケジュール表を作って配ったつもりやけど、おまえには渡してなかったかなあ?」

皮肉を返しても、まったく悪びれずに、
「すまんすまん、読んでへんわ。」

「そんな奴は、迷惑やから、連れて行かへんことにする。」

「そんなに怒るなよ。ハハハ・・」

と、笑いで終わるのですが、
ちょっと言いすぎだとも思いますが、社会生活のルールの認識のない奴かな。

いろいろな想定を考えて、やっとこさ決めたことに対して、

「これは、こうしたほうがええと思うんやけど。」
「車で行くんやったら、荷物がすべて載せられへんのと違うかなあ?」

細かな部分で、無責任に発言してくる奴。

「細かい指示をしてくるんやったら、任せてやるから最初からやれ。」
「荷物が載せられへんと思うんやったら、自分の荷物は送っとけ。」

これも、笑いながらあしらっておくのですが、
いつものことながら困ったものです。

まあ、こんな奴は、どこにでもいるものですけどね。
学生はもちろんのこと会社で立派な社会人の顔をしていても、たくさんいるもので
す。

偉そうなことを言っている私も、
きっと立場が替わって世話されるほうにまわれば、そんなふうな奴になるのでしょう。

そんなことがあっても、信頼はしてくれているので、
ほとんど、主張がぶつかることはないし、
先輩から、「黙って、言うこと聞いとけバカ。」の一言が出たり、
率先して手伝ってくれる先輩がいたりするものですから、
うまくバランスが取れて、楽しく、温かい、いい集団なのですけどね。

それぞれが、生まれも育ちも違った仲間ですし、考え方も違って当然なのですが、
それぞれ、サッカーを一生懸命やってきたというところで繋がっていますから、
そこのところで、すべてがオッケーになるのだろうと思っています。

そんな楽しい、大人の修学旅行に5泊6日のスケジュールで宮崎に行きます。

「父さん、5泊もするの、かなんなあ。」

不安そうに娘が言いますが、
岩手も青森も、鳥取も、韓国も行っていますから、安心はしています。

と言うより、過保護からの脱却の為には、ちょうどいい私の不在かなと考えます。

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511.老いを感じる

2009.10.10 [ Edit ]

台風が過ぎて、うちの家には少しの被害がありました。

家の前が約100台の駐車場で、家の裏に児童公園があり、
隣家との間に公園に抜ける2メートルの道があります。
ということで、台風の風の通り道になってしまっており、
近所に被害はまったくないのですが、
うちと、隣だけが、被害を受けました。

被害といっても、滋賀県大津市というところは、
琵琶湖があって、比叡山延暦寺があるくらいで、
これといった特徴の無い土地柄ですが、天災とは無縁のところで、
被害なんて言葉を出すと、本当に大変な被害を受けておられる場所に対して、
失礼だと思うくらいの些細なことなのです。

並べてあった植木鉢が飛ばされたのと、
ハスキーのゲンの住まいになっていた場所の屋根になっていた、
重くて大きなウッドデッキが飛ばされたこと、
それと、地上波のアンテナの向きが変わってしまったことくらいのものです。

ただ、近所を見回しても、何の変化も無く、まったく台風の後を感じられないので、
近所で唯一、隣との二軒だけに、少しだけですが被害があったので、
隣のご主人と、「2軒だけが貧乏の家みたいですなあ。」などと言葉を交わして苦笑
い。

ウッドデッキを元に戻そうと頑張りましたが、
重くて動かず、諦めて、「仕事から帰ったら手伝えよ。」と息子に言っておいたとこ
ろ、
帰ってきた息子が一人で直してしまいました。
「参ったなあ、息子に負ける歳になったか。」
そんなふうに思ってしまいました。
悔しいと言うのではなく、半ば嬉しい悔しさです。

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510.この線を越えるな

2009.10.09 [ Edit ]

娘と二人で見ていた韓国ドラマ、「スターの恋人」のなかに、よく出てきた場面。

地面に線を引いて、「この線を越えるな」と、
子供の世界の命令をする場面。

買い物に行く途中の車の中で、そんな話をしていました。

大津市役所の前に陸上競技場と、クレーのサブグランド、
そして、税金の無駄遣いだと私は思っている、野球にしか使えない立派過ぎる野球場。

そのスポーツ施設の側道に、銀杏の木が並んで植わっています。
その側道の横の道を走っていた時、
「ぎんなんは、台風でみんな落ちたなあ。」娘が言いました。
黄色い葉っぱの隙間に少し濃い目の黄金色の実が、台風の前に通った時には、
鈴なりに実っているのが見えていましたが、
運転しながら横目で見ても、黄色しか目に入りませんでした。

「ほんまや、みんな落ちたなあ。」

「うわあ、いっぱい踏んどかはるわ。」

「えーっ、臭いのになあ。」
「ぎんなんは、美味しいけど、ウンコの臭いがするからなあ。」
笑いながら、危険に挑戦してみました。

「あほっ、言わんといて。」
「セッケン、セッケン。」
「父さんも、セッケンって言うといて。」

汚いものの単語が出たとき、娘は、せっけんという言葉を重ねて、消去するのです。
幼児みたいで、普通の人から見れば、あほな話だと思います。
でも、イメージの世界の病気なので我々親子には、真剣そのもののやり取りなのです。

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509.悪霊なのか?

2009.10.08 [ Edit ]

今日は、主夫の私が、妹娘のリクエストでキムチ鍋をつくりました。

まず、豆もやしのナムルを作りました。
そして、鍋の準備。
白菜、長ネギ、椎茸、ニラ、マイタケも買ってきました。
アサリと、豆腐と、豚肉と。

だしに、ごま油で炒めたキムチと豚肉ををたっぷり入れて、味噌で味を調えます。
味にこくを加える為に、アサリも入れてやります。

なかなかの味になりました。

台風が強そうだからと、あまり災害の被害を受けたことのない地域ではありますが、
妻が、全ての部屋の雨戸を閉めて廻っています。
まだ、風は弱くて、雨だけが強くなってきたころ、
下準備が済んで、妹娘の帰りを待っていた時です。

居間で、娘と妻と三人で、息子と妹を待っていました。

息子が帰ってきた足音だと思いました、
廊下から聞こえる足音、
でも、玄関が開く音が聞こえませんでした。
「違うのかなあ?」と思った瞬間。
居間の入り口のガラス障子を閉めていなかったので、
そちら向きに座っている私にしか見えなかったのですが、
とんと、一つ大きな足音がして、黒い塊が台所に入っていきました。

「帰ってきよったんやなあ。」

「まだやでえ。」

「えっ?今、通りよったぞ。」は、声にしませんでした。

立ち上がって、何事も無いような顔をして、台所を確認しに行きました。
全身鳥肌になりながら、明かりをつけて、隅々確認しましたが何の気配もありません。

心の中で、「出て行け、馬鹿野郎。」と叫びました。

気のせいならいいのですが、
気のせいだとは思うのですが、
うちの家に災いを与えている悪霊なのかと考えてしまいました。
それが、私の前に姿を現したのかと。

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508.心の裏側

2009.10.06 [ Edit ]

32歳。
「この歳、俺は何をしてたのかなあ。」
「もう、3人とも生まれてたなあ。」
「8歳、6歳、4歳の子供がいてたのか。」
「仕事は、どうやったかなあ。」
「京都で頑張ってた時やなあ。」

こんなことを、ぼんやりと考えることが時々あります。
決まって、娘の機嫌が悪くて無理難題を言う時。
発作になる前の恐怖を感じているとき。

「病気なのだから、我慢してやらんとあかん。」
「優しく慰めてやらんとあかん。」
「許してやらんとあかん。」
「どうしてやったら、ええのかなあ?」

いつもいつも考えていること、思っていることです。

でも、時々、いや、いつもかな。
心の裏側で考えていること。

「このままで、ええのかなあ?」
「俺が、どこかに行ってしまって帰ってこないっていうふうにしてみたらどうか
な?」
「思い切り、怒ったら、どうなるんやろ?」
「怒っても、ちゃんとは伝わらないやろうなあ。」
「自分では、解ってるんやろうからなあ。」

びくびくしながら優しい言葉をかけている心の裏側では、そんなことを考えています。

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507.心のスローペース

2009.10.05 [ Edit ]

ここに来てくれている仲間からのコメントに、
くどくどと返事を書いたのですが、
いや、ほんとに、”くどくど”とです。

旦那さんが鬱病で、娘さんが強迫性神経症。
言葉にすると、こんなに短く表現できるものですが、しんどいものだと思います。
一生懸命、闘っている仲間です。
「私の電池が切れるまでに・・・」なんて言葉があったので、
なんとか気持ちが楽になるようにと考えて返事を書いたのですが、
どうもうまく表現できない情けなさです。

「心のスローペース」なんて表現をしたのですが、
書いているうちに、自分自身が、心をスローペースにしてやるのには、
どうすればいいのだろうと迷ってしまっていました。

いっしょに考えてもらって、
いい方法があったら教えてもらいたいなあと送信してから思いました。

以下に、私の書いた返事を貼り付けますので、
こんなふうに考えたらとか、こういうふうにすればどうかなあとか、
私の不足を補っていただければなあと思っています。

しんどい仲間に温かい言葉をと思って、考えていただければ幸いです。

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506.堂々巡り

2009.10.04 [ Edit ]

「お腹が痛い、背中が痛い。」と言い続けて、
娘が、行きたくない、行くのが嫌な、内科医院に行って、もらってきた病名。
”神経性胃炎”

「精神的なものやって言わはるんやけど、そんなん嫌やなあ。」
「ただ、食べ過ぎたから胃が悪くなったとか言ってくれはるほうがええのに。」
「神経性とか、精神的にとか言われたら、どうしたらええのか解らへん。」
「わたしは、いつも精神的に不安定なんやから。」
「それから抜け出したいって考えても、なかなか出来へん。」
「それやのに、それが理由で他の病気になったら、どうしたらええのやろ?」

泣きながら訴える娘に、答える言葉を探しながら、
神経症だと伝えて診断を受けているのだから、
もう少し患者のことを考えて病名を与えてくれたらいいのにと、
内科の医師に、心の中で毒づいていました。

「ちょっと胃が荒れているみたいです、薬を出しておきますからね。」
「そんなに心配しないでいいですよ。」

投薬だけの治療なら、神経症の娘には、こんな答えにしてくれたらいいのに。
何が原因なのかをはっきり患者に伝える責任があって無理なのかなあ?
でも、医者にとって、神経症だと言ってる患者に、
その心の病気に対する気遣いも、あってもいいのになあ。

娘を慰める言葉を探しながら、うまく言葉が見つからずに、
そんなふうにばかり考えてしまいました。

そして、私が娘に言った言葉は、

「くよくよ考えててもあかんって言うことやから。」
「自分で抜け出そうって考えることや。」
「暗い方向にばかり考えてるから、体の調子も悪くなる。」
「病気やから、出来へん、行けへん、って自分を閉じ込めんと外に出してやる。」
「そんなふうな考え方も大切やで。」

最低です。
出来ない娘に無理難題。
娘は、私のこの言葉で、唖然とした顔をして、泣くのをやめて黙り込みました。

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505.偏見

2009.10.03 [ Edit ]

偶然の事故で、殺人の罪を背負い少年院に入り、社会復帰した女性の独白。

「いつもそうなる。」
「わたしが過去を話した時の、人の反応。」
「まず凍りついたように口を閉ざして、そして、いつの間にか、いなくなってしま
う。」

いつも勝手に流れている状態の夜中のテレビで偶然見たドラマの一シーン。

斜めで見ながらの私の夜中の独り言。

「そんなもんやろうなあ。」

綺麗ごとなんて、何歳くらいから言い始めるのかなあ。
またまた、そんなアホなことを考え始めてしまいました。

小学校のころなんて、けっこう、みんな、そのままを話していたような気がするし、
中学校も、そんなに賢くも無かったなあ。
高校くらいからかなあ、綺麗ごとを、うまく表現できるように皆がなったのは。

「そんなこと言うてあげたら可愛そうでしょ。」
なんて言いながら、平気な顔で差別的な行動をする奴。

「そういうふうに考えるのは、あかんと思うわ。」
なんて言いながら、影で平気で、人を傷つける発言、発想、行動のできる奴。

「この話は、彼女を傷つけることになるからやめておきましょう。」
なんて言いながら、自分が一番に、傷つける発想を、しっかりと持っている奴。

その上に、まだ、こんな奴もいる。
「彼は、悪気で言ったんじゃないから許してあげたらどうや。」
馬鹿野郎、悪気でなく傷つけるのも謝罪に値するものなんじゃ。

ちょっと厳しい言い方で、顰蹙かもしれませんが、
私は、そんなふうに思っています。

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504.山の渓は禁漁になりました

2009.10.02 [ Edit ]

9月が終わりました。
山の渓流は、禁漁になります。

濃い緑から、山々が濃い紅色の化粧をした時、
岩魚が、アマゴが、産卵期に入ります。

サケ科の魚たちですが、彼らは産卵が終わっても死なずに生きています。
痩せさらばえて、川底の朽ちた落ち葉の底に潜り込んで、
凍った水の、冷たい冬を越すのです。

また来年の春が来ると、一生懸命えさを求めて、秋の産卵に備えます。
彼らは、産卵の為にだけ一生を過ごすようなものです。

サケ科の陸封魚、そんな名前で彼らは呼ばれています。

一部は、鮭と同じように海に下る者もいるのです。
アメマス、サクラマス、サツキマス。
彼らが長い道のりを終えて、生まれた川に戻ってきた時の名前です。

この、海に下る一部の、岩魚、ヤマメ、アマゴは、
よほど屈強な魚たちのように思えるのですが、
実は、山奥で多く生まれた仲間たちの中では、弱虫の魚たちなのです。
強いものは山に残って、弱い者が海に下るのです。
えさの量がが限られているので、
生まれたみんなが、いっしょに山では暮らせないからです。

選ばれた奴らだと思いがちなのですが、
実は、ふり落とされた奴らなのです。

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503.なにかが終わる恐怖

2009.10.01 [ Edit ]

「何かが終わってしまうことが怖い。」
娘が、不安そうな顔をしながら、こう言いました。


私の答えは、
「何かが終わる時には代わりの何かが始まる。」
「耐えられるものやし、気づかないで通り過ぎることもあるもんやで。」

「そうやなあ、ゲンが死んだのに、なんとか耐えられてるもんなあ。」
「ゲンが死んだら、わたしはどうなるんやろうって思ってたけど、なんとか我慢できたなあ。」
言いながら、それでも涙を流す娘でした。

今あること、今していること、今存在しているものに永遠はありません。
自分を支えてくれているもの、生き甲斐を感じること、
自分の現在の思考もまた永遠ではないものです。

その終わりに対する恐怖。

「なくなったらどうしよう。」
「あの人と別れたらどうなるんやろ。」
「この仕事が出来なくなったらどうしよう。」
「親が死んだらどうしたらええんやろ。」

さまざまな終わりが、生きていれば続いていくものです。

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一人の父親

Author:一人の父親
強迫性神経症(強迫性障害 | OCD)と闘う父親の日記。画像は娘が描いたものです。

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