強迫性神経症 | 強迫性障害 | OCD体験記・子育てブログ

強迫性神経症(強迫性障害/OCD)の娘と向き合う父親の体験記・子育てブログ

115.生きよ、今日が最後の日のように

2008.07.25 [ Edit ]

「なにかいいことがあるかもしれんて、父さんは言うけど、いいことなんか、あるとは思えへん。」
「行きたい所も、どこも行けへん。」
「やりたいと思うことも、何もでけへん。」
「今は、ドラマみるのを小さな楽しみにして、ごまかしてぎりぎり生きてるようなもんや。」

そう言って、毎日涙ぐむ娘の楽しみにしているドラマの一つに出てきた詩です。



踊れ   誰も見ていないかのように

愛せよ  傷ついたことのないように

歌え   誰も聴いていないかのように
  
働け   金が必要でないかのように

生きよ  今日が最後の日のように


「ええ詩やなあ、全部おもいきりやりたいことやなあ。」
「恋人、わたしも欲しいなあ。」
「仕事、出来たらええのになあ。」

部屋の中で、遠くを見る目で、娘が言いました。

一生懸命で生きたいのに、その一生懸命を邪魔する自分自身がいること、
はがゆい、くやしい、かなしい、くるしい。

考えれば、息が詰まってくるしんどさを、親の私が感じます。

私が感じている百倍も、娘は感じているのでしょう。

怖がらないで生きていこう。

精一杯に生きていこう。

しんどかっても、生きていこう。

前を向いて生きていこう。

父さんの持ってる力、みんなみんなお前にやるから。

今日が最後の日のように生きていこう。

Comment

親だからこそ

子の苦しみは、自分の心をえぐられるように辛いです。

うちの息子が幼稚園になかなかなれず、吃音が出たりチックが出たり、自分を出せずどうしていいのかわからずお部屋の椅子にじっと座ったままの姿を思い出すと、今でも胸が締め付けられます。
それでも泣かず幼稚園に行く息子に、「泣いていいんやで。いややったらいややって言っていいんやで」と思っていました。
それからしばらくして、泣いて自分の気持ちを言い出した息子に少し安心したのを思い出しました。
今のおっさんの辛さ、しんどさ、心配な気持ちを考えると、その頃の私の悩みは、屁のつっぱりにもならないんですけど、親として胸が締め付けられる思いは痛いくらいわかります。

どうしてやったらいいんやろ。いつもそればかり考えていました。それは今でも変わりませんが・・・

今日を最後のように生きていこう。
ほんと素敵なフレーズです。当たり前に明日が来ると思ってるけど、そうでないかもしれない。
当たり前ってないんですよね。

スティーブ ジョブスのスピーチ

スティーブ ジョブスのスピーチ

スティーブ・ジョブズが、スタンフォード大学の卒業祝賀
パーティーでスピーチした内容をお送りします。


PART 1 BIRTH

 ありがとう。世界有数の最高学府を卒業される皆さんと、
本日こうして晴れの門出に同席できて大変光栄です。
実を言うと私は大学を出たことがないので、
これが今までで最も大学卒業に近い経験ということになります。

 本日は皆さんに、私自身の人生から得たストーリーを3つ紹介します。
それだけです。どうってことないですよね、たった3つです。

最初の話は、点と点を繋ぐという話です。
私は、リード大学を半年で退学しました。
が、本当にやめてしまうまで18カ月かそこらは
まだ大学に居残って授業を聴講していました。
じゃあ、なぜ辞めたんだ?ということになるんですけども、
それは私が生まれる前の話に遡ります。

 私の生みの母親は若い未婚の院生で、私のことは生まれたら
すぐ養子に出すと決めていました。「育ての親は大卒でなくては」
彼女はそう固く思い定めていたので、ある弁護士の夫婦が出産と同時に
私を養子として引き取ることで手筈はすべて整っていたんですね。

ところが、いざ私がポンと出てしまうと最後のギリギリの土壇場になって、
その弁護士夫婦はやっぱり女の子が欲しいということになってしまった。
そこで、養子縁組待ちのリストに名前が載っていた今の両親のところに
夜も遅い時間に電話が行ったんです。
「予定外の男の赤ちゃんが生まれてしまったんですけど、欲しいですか?」。
彼らは「もちろん」と答えました。

 しかし、これは生みの母親も後で知ったことなんですが、
2人のうち母親の方は大学なんか一度だって出ていないし、
父親に至っては高校もロクに出ていないわけです。
そうと知った生みの母親は、養子縁組の最終書類にサインを拒みました。
そうして何カ月かが経ち、今の親が将来私を大学に行かせると約束したので、
さすがの母親も態度を和らげた、といういきさつがありました。

               ◆◇◆

PART 2 COLLEGE DROP-OUT
 こうして私の人生はスタートしました。
やがて17年後、私は本当に大学に入るわけなんだけど、
何も考えずにスタンフォード並みに学費の高いカレッジを選んでしまったもんだから、
労働者階級の親の稼ぎはすべて大学の学費に消えていくんですね。

そうして6カ月も過ぎた頃には、私はもうそこに何の価値も見出せなくなっていた。
自分が人生で何がやりたいのか私には全く分からなかったし、
それを見つける手助けをどう大学がしてくれるのかも全く分からない。
なのに自分はここにいて、親が生涯かけて貯めた金を残らず使い果たしている。
だから退学を決めた。全てのことはうまく行くと信じてね。

 そりゃ当時はかなり怖かったですよ。ただ、今こうして振り返ってみると、
あれは人生最良の決断だったと思えます。だって退学した瞬間から、
興味のない必修科目はもう採る必要がないから、そういうのは止めてしまって、
その分もっともっと面白そうなクラスを聴講しにいけるんですからね。

 夢物語とは無縁の暮らしでした。寮に自分の持ち部屋がないから、
夜は友達の部屋の床に寝泊りさせてもらってたし、
コーラの瓶を店に返すと5セント玉がもらえるんだけど、
あれを貯めて食費に充てたりね。日曜の夜はいつも7マイル
(11.2キロ)歩いて街を抜けると、ハーレクリシュナ寺院で
やっとまともなメシにありつける、これが無茶苦茶旨くてね。

 しかし、こうして自分の興味と直感の赴くまま当時身につけたことの多くは、
あとになって値札がつけられないぐらい価値のあるものだって分かってきたんだね。
 ひとつ具体的な話をしてみましょう。

               ◆◇◆

PART 3 CONNECTING DOTS
 リード大学は、当時としてはおそらく国内最高水準の
カリグラフィ教育を提供する大学でした。キャンパスのそれこそ至るところ、
ポスター1枚から戸棚の1つ1つに貼るラベルの1枚1枚まで、
美しい手書きのカリグラフィが施されていました。
私は退学した身。もう普通のクラスには出なくていい。
そこでとりあえずカリグラフィのクラスを採って、
どうやったらそれができるのか勉強してみることに決めたんです。

 セリフをやってサンセリフの書体もやって、
あとは活字の組み合わせに応じて字間を調整する手法を学んだり、
素晴らしいフォントを実現するためには何が必要かを学んだり。
それは美しく、歴史があり、科学では判別できない微妙なアートの要素を持つ世界で、
いざ始めてみると私はすっかり夢中になってしまったんですね。

 こういったことは、どれも生きていく上で何ら実践の役に
立ちそうのないものばかりです。だけど、それから10年経って
最初のマッキントッシュ・コンピュータを設計する段になって、
この時の経験が丸ごと私の中に蘇ってきたんですね。
で、僕たちはその全てをマックの設計に組み込んだ。
そうして完成したのは、美しいフォント機能を備えた世界初のコンピュータでした。

 もし私が大学であのコースひとつ寄り道していなかったら、
マックには複数書体も字間調整フォントも入っていなかった だろうし、
ウィンドウズはマックの単なるパクりに過ぎないので、
パソコン全体で見回してもそうした機能を備えたパソコンは
地上に1台として存在しなかったことになります。

 もし私がドロップアウトしていなかったら、あのカリグラフィの
クラスにはドロップインしていなかった。そして、パソコンには
今あるような素晴らしいフォントが搭載されていなかった。

 もちろん大学にいた頃の私には、まだそんな先々のことまで
読んで点と点を繋げてみることなんてできませんでしたよ。
だけど10年経って振り返ってみると、これほどまたハッキリ
クッキリ見えることもないわけで、そこなんだよね。

もう一度言います。未来に先回りして点と点を繋げて見ることはできない、
君たちにできるのは過去を振り返って繋げることだけなんだ。
だからこそ、バラバラの点であっても将来それが何らかのかたちで
必ず繋がっていくと信じなくてはならない。
自分の根性、運命、人生、カルマ…何でもいい、とにかく信じること。
点と点が自分の歩んでいく道の途上のどこかで必ずひとつに繋がっていく、
そう信じることで君たちは確信を持って己の心の赴くまま生きていくことができる。
結果、人と違う道を行くことになってもそれは同じ。
信じることで全てのことは、間違いなく変わるんです。

               ◆◇◆

PART 4 FIRED FROM APPLE
 2番目の話は、愛と敗北にまつわるお話です。
 私は幸運でした。自分が何をしたいのか、人生の早い段階で見つけることができた。
家のガレージでウォズ(スティーブ・ウォズニアック)とアップルを始めたのは、私が20歳の時でした。
がむしゃらに働いて10年後、アップルはガレージの我々たった2人の会社から
従業員4000人以上の20億ドル企業になりました。
そうして自分たちが出しうる最高の作品、マッキントッシュを発表して
たった1年後,30回目の誕生日を迎えたその矢先に私は会社を、クビになったんです。

 自分が始めた会社だろ?どうしたらクビになるんだ?と
思われるかもしれませんが、要するにこういうことです。
アップルが大きくなったので私の右腕として会社を動かせる
非常に有能な人間を雇った。そして最初の1年かそこらはうまく行った。
だけど、互いの将来ビジョンにやがて亀裂が生じ始め、
最後は物別れに終わってしまった。いざ決裂する段階になって
取締役会議が彼に味方したので、齢30にして会社を追い出されたと、
そういうことです。しかも私が会社を放逐されたことは当時大分騒がれたので、
世の中の誰もが知っていた。

 自分が社会人生命の全てをかけて打ち込んできたものが消えたんですから、
私はもうズタズタでした。数カ月はどうしたらいいのか本当に分からなかった。
自分のせいで前の世代から受け継いだ起業家たちの業績が地に落ちた、
自分は自分に渡されたバトンを落としてしまったんだ、そう感じました。
このように最悪のかたちで全てを台無しにしてしまったことを詫びようと、
デイヴィッド・パッカードとボブ・ノイスにも会いました。
知る人ぞ知る著名な落伍者となったことで、
一時はシリコンヴァレーを離れることも考えたほどです。

 ところが、そうこうしているうちに
少しずつ私の中で何かが見え始めてきたんです。
私はまだ自分のやった仕事が好きでした。
アップルでのイザコザはその気持ちをいささかも変えなかった。
振られても、まだ好きなんですね。だからもう一度、一から出直してみることに決めたんです。

 その時は分からなかったのですが、やがてアップルをクビになったことは
自分の人生最良の出来事だったのだ、ということが分かってきました。
成功者であることの重み、それがビギナーであることの軽さに代わった。
そして、あらゆる物事に対して前ほど自信も持てなくなった代わりに、
自由になれたことで私はまた1つ、自分の人生で最もクリエイティブな時代の絶頂期に
足を踏み出すことができたんですね。

 それに続く5年のうちに私はNeXTという会社を始め、
ピクサーという会社を作り、素晴らしい女性と恋に落ち、
彼女は私の妻になりました。

 ピクサーはやがて全編コンピュータ・アニメーションによる世界初の映画
「トイ・ストーリー」を創り、今では世界で最も成功しているアニメーション・スタジオです。

 思いがけない方向に物事が運び、NeXTはアップルが買収し、私はアップルに復帰。
NeXTで開発した技術は現在アップルが進める企業再生努力の中心にあります。
ロレーヌと私は一緒に素晴らしい家庭を築いてきました。

 アップルをクビになっていなかったら、こうした事は何ひとつ起こらなかった、
私にはそう断言できます。そりゃひどい味の薬でしたよ。
でも患者にはそれが必要なんだろうね。
人生には時としてレンガで頭をぶん殴られるようなひどいことも起こるものなのです。
だけど、信念を放り投げちゃいけない。私が挫けずにやってこれたのはただ1つ、
自分のやっている仕事が好きだという、その気持ちがあったからです。
皆さんも自分がやって好きなことを見つけなきゃいけない。
それは仕事も恋愛も根本は同じで、君たちもこれから
仕事が人生の大きなパートを占めていくだろうけど、
自分が本当に心の底から満足を得たいなら進む道はただ1つ、
自分が素晴しいと信じる仕事をやる、それしかない。

そして素晴らしい仕事をしたいと思うなら進むべき道はただ1つ、
好きなことを仕事にすることなんですね。
まだ見つかってないなら探し続ければいい。
落ち着いてしまっちゃ駄目です。心の問題と一緒でそういうのは
見つかるとすぐピンとくるものだし、素晴らしい恋愛と同じで
年を重ねるごとにどんどんどんどん良くなっていく。
だから探し続けること。落ち着いてしまってはいけない。

               ◆◇◆

PART 5 ABOUT DEATH
 3つ目は、死に関するお話です。
 私は17歳の時、こんなような言葉をどこかで読みました。
確かこうです。「来る日も来る日もこれが人生最後の日と思って生きるとしよう。
そうすればいずれ必ず、間違いなくその通りになる日がくるだろう」。
それは私にとって強烈な印象を与える言葉でした。
そしてそれから現在に至るまで33年間、
私は毎朝鏡を見て自分にこう問い掛けるのを日課としてきました。
「もし今日が自分の人生最後の日だとしたら、
今日やる予定のことを私は本当にやりたいだろうか?」。
それに対する答えが “NO”の日が幾日も続くと、
そろそろ何かを変える必要があるなと、そう悟るわけです。

 自分が死と隣り合わせにあることを忘れずに思うこと。
これは私がこれまで人生を左右する重大な選択を迫られた時には常に、
決断を下す最も大きな手掛かりとなってくれました。
何故なら、ありとあらゆる物事はほとんど全て…
外部からの期待の全て、己のプライドの全て、屈辱や挫折に対する恐怖の全て…
こういったものは我々が死んだ瞬間に全て、
きれいサッパリ消え去っていく以外ないものだからです。

そして後に残されるのは本当に大事なことだけ。
自分もいつかは死ぬ。そのことを思い起こせば
自分が何か失ってしまうんじゃないかという思考の落とし穴は
回避できるし、これは私の知る限り最善の防御策です。

 君たちはもう素っ裸なんです。
自分の心の赴くまま生きてはならない理由など、何ひとつない。
              
               ◆◇◆

PART 6 DIAGNOSED WITH CANCER
 今から1年ほど前、私は癌と診断されました。
朝の7時半にスキャンを受けたところ、
私のすい臓にクッキリと腫瘍が映っていたんですね。
私はその時まで、すい臓が何かも知らなかった。

 医師たちは私に言いました。
「これは治療不能な癌の種別である、ほぼ断定していい」と。
生きて3カ月から6カ月、それ以上の寿命は望めないだろう、と。
主治医は家に帰って仕事を片付けるよう、私に助言しました。
これは医師の世界では「死に支度をしろ」という意味のコードです。

 それはつまり、子どもたちに今後10年の間に言っておきたいことがあるのなら
思いつく限り全て、なんとか今のうちに伝えておけ、ということです。
たった数カ月でね。
それはつまり自分の家族がなるべく楽な気持ちで対処できるよう
万事しっかりケリをつけろ、ということです。
それはつまり、さよならを告げる、ということです。

 私はその診断結果を丸1日抱えて過ごしました。
そしてその日の夕方遅く、バイオプシー(生検)を受け、
喉から内視鏡を突っ込んで中を診てもらったんですね。
内視鏡は胃を通って腸内に入り、そこから医師たちは
すい臓に針で穴を開け腫瘍の細胞を幾つか採取しました。

私は鎮静剤を服用していたのでよく分からなかったんですが、
その場に立ち会った妻から後で聞いた話によると、
顕微鏡を覗いた医師が私の細胞を見た途端、
急に泣き出したんだそうです。何故ならそれは、
すい臓癌としては極めて稀な形状の腫瘍で、手術で直せる、
そう分かったからなんです。こうして私は手術を受け、
ありがたいことに今も元気です。

 これは私がこれまで生きてきた中で最も、
死に際に近づいた経験ということになります。
この先何十年かは、これ以上近い経験はないものと願いたいですけどね。

 以前の私にとって死は、意識すると役に立つことは立つんだけど、
純粋に頭の中の概念に過ぎませんでした。
でも、あれを経験した今だから前より多少は確信を持って
君たちに言えることなんだが、誰も死にたい人なんていないんだよね。

天国に行きたいと願う人ですら、まさかそこに行くために死にたいとは思わない。
にも関わらず、死は我々みんなが共有する終着点なんだ。
かつてそこから逃れられた人は誰一人としていない。
そしてそれは、そうあるべきことだから、
そういうことになっているんですよ。

何故と言うなら、死はおそらく生が生んだ唯一無比の、最高の発明品だからです。
それは生のチェンジエージェント、要するに古きものを一掃して
新しきものに道筋を作っていく働きのあるものなんです。
今この瞬間、新しきものと言ったらそれは他ならぬ君たちのことだ。
しかしいつか遠くない将来、その君たちもだんだん古きものになっていって
一掃される日が来る。とてもドラマチックな言い草で済まんけど、
でもそれが紛れもない真実なんです。

 君たちの時間は限られている。
だから、自分以外の他の誰かの人生を生きて無駄にする暇なんかない。
ドグマという罠に絡め取られてはいけない。
それは他の人たちの考え方が生んだ結果とともに生きていくということだからね。
その他大勢の意見の雑音に自分の内なる声、心、直感を掻き消されないことです。
自分の内なる声、心、直感というのは、どうしたわけか
君が本当になりたいことが何か、もうとっくの昔に知っているんだ。
だからそれ以外のことは全て、二の次でいい。

               ◆◇◆

PART 7 STAY HUNGRY, STAY FOOLISH
 私が若い頃、"The Whole Earth Catalogue(全地球カタログ)"
というとんでもない出版物があって、同世代の間ではバイブルの
一つになっていました。

 それはスチュアート・ブランドという男が
ここからそう遠くないメンローパークで製作したもので、
彼の詩的なタッチが誌面を実に生き生きしたものに仕上げていました。

時代は60年代後半。
パソコンやデスクトップ印刷がまだ普及する前の話ですから、
媒体は全てタイプライターとはさみ、ポラロイドカメラで作っていた。
だけど、それはまるでグーグルが出る35年前の時代に遡って出された
グーグルのペーパーバック版とも言うべきもので、理想に輝き、
使えるツールと偉大な概念がそれこそページの端から溢れ返っている、
そんな印刷物でした。

 スチュアートと彼のチームは
この”The Whole Earth Catalogue”の発行を何度か重ね、
コースを一通り走り切ってしまうと最終号を出した。
それが70年代半ば。
私はちょうど今の君たちと同じ年頃でした。

 最終号の背表紙には、まだ朝早い田舎道の写真が1枚ありました。
君が冒険の好きなタイプならヒッチハイクの途上で一度は出会う、
そんな田舎道の写真です。

写真の下にはこんな言葉が書かれていました。
「Stay hungry, stay foolish.(ハングリーであれ。馬鹿であれ)」
それが断筆する彼らが最後に残した、お別れのメッセージでした。
「Stay hungry, stay foolish.」

 それからというもの私は常に自分自身そうありたいと願い続けてきた。
そして今、卒業して新たな人生に踏み出す君たちに、それを願って止みません。

 Stay hungry, stay foolish.
 ご拝聴ありがとうございました。

あたりまえ

あたりまえとか、普通とか、これがなかなか難しい。

普通に生きたいなあ。

でも、普通ってなんやろ?

長いはげまし

長い励まし、ありがとうございます。

アップルのように、アップルのジョブスのように、述懐できるように生きたいと思います。

成功者の述懐。

だれにでもあるんですよね。
辛かった時、むりやりの曲がり道、困難、その他その他いっぱいいっぱいね。

あれが、あの苦しみがあったればこそと述懐できるまでの人生の成功者になりたいですね。

しかし、なにをもって、成功者とするのか?
自分が納得できれば、それでいいと思います。

そういう意味で、娘も私も、成功者を目指します。

このままでは、終らへん。

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Author:一人の父親
強迫性神経症(強迫性障害 | OCD)と闘う父親の日記。画像は娘が描いたものです。

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