116.なんとかなるわい
2008.07.26 [ Edit ]
娘が生まれた時の、私の失言。
「なんや、女か。」
今でも、時々ちくりと言われます、「ひどい親や。」。
子供の誕生に、自分といっしょにサッカーをやり、いっしょに山へ入って岩魚を釣る。
そんな親父と息子の姿を夢描いていました。
娘が生まれて、すこしづつ成長する姿に
「なんや女か。」なんて誰が言ったのかと思うほど、かわいかったし、
勝手な話で、「女の子はええなあ。」に変わったりもしました。
結局、子供の性別なんてどちらでも同じで、自分の子供は自分の子供、
じぶんの命より大切なものであることに変わりはないわけです。
息子が生まれたときは、「うれしいな、男や、息子やで。」だったし、
末の娘が生まれたときは、「よっしゃ、もう一人かわいい娘や、よかった。」だった。
それぞれ、みんな、私の命より大切な宝物です。
今日、娘と、病院を舞台にしたドラマをみていたのですが、
主人公の女医が重い心疾患で、手術室にストレッチャーで運ばれて入っていく場面がありました。
その場面を見て、もう10年以上前の、息子の手術を思い出していました。
息子の手術は、病気の手術ではありません。
背中から左腕にかけて、美しく生きているような姿の、竜の刺青を剥がす手術でした。
まだ、16歳の息子が、不良からヤクザへの門をくぐろうとして入れた刺青。
殺してしまおうと思いました。
実際、殺す勢いで息子を殴っていたのを妻と二人の娘が止めてくれたのでした。
今でも、耳に残っています、娘二人の声、
「お兄ちゃんが、死んでしまわはる、父さんやめて。」
「弟が死ぬから、もうやめて父さん。」
息子は、涙ながしながら殴っている私に、逆らうこともなく、黙ってうなだれて殴られていました。
息子の、辛い形の卒業式だったのかなと思っています。
男らしく、やさしく、思いやりを持って、気配りを大切に考えて、
自分のことを後にして人のために生きる。
こんなふうに息子を育ててきました。
そのとおりに育ちました。
気配りが出来て、やさしい男です。
毎週いっしょにサッカーやってる、サッカーの仲間のオジサンたちも、みなそう言ってくれます。
きっと、現在に、現在の社会にマッチングしなかった部分があったんだろうと今思っています。
サッカー部の仲間は、一生の仲間なんていう考え方が、今は流行ってないんです。
進学の為の勉強と塾が、サッカー部が終れば待っていて、ゲームがあって、
サッカー以外に、仲間以外に付き合うものがたくさんある時代に、
マッチングしなかった部分があったのでしょう。
私自身や周りの仲間たちは、それでも間違っていないと信じてますし、信じてくれていますが。
中学のサッカー部、3年生で引退を迎えた頃、それぞれが進学の為に生活を切り替える。
息子は、切り替えが出来なかったんだろうと、勝手に思っています。
「仲間は?仲間は大切やろ、みんなどこいったんや。」
こう考えて寂しかったところに、不良グループのあたたかさがあったのではと考えています。
息子に、直接聞いたわけではないので、ホントのところはわかりませんし、
今となっては、どうでもいい話です。
中学の3学期から、ちょうど3年間ほど、
詳しいことは言いませんが、たくさん泣きました。
あのころもしんどかったです。
あれから10余年、まあ、まだ、よかったよかったまでは到達してないですが、
親の苦しみも、姉の苦しみも判り、妹に対する心配もしてくれていることを感じさせる言動行動がありますから、
普通には程遠いですが、心配はそんなにしてません。
息子の小さい時の口癖、祖父が教えたものですが、
「僕は、父さんの次の大黒柱や。」
まだまだ、なかなか頼りになるところまではいきませんが、
息子と力をあわせて、がんばろうと思っています。
おもえば、息子が不良からの帰還をしてすぐ、娘の病気がはじまったのかな。
”普通”にはなかなか近づけず、しんどい時間が続きますが、
「このままでは終らへんぞ。」、これは、いつも思ってることです。
「もうじき、なんとかなるわい。」、これも、いつも思ってることなんです。
家族のスローガンにして生きて行くんです。
「なんや、女か。」
今でも、時々ちくりと言われます、「ひどい親や。」。
子供の誕生に、自分といっしょにサッカーをやり、いっしょに山へ入って岩魚を釣る。
そんな親父と息子の姿を夢描いていました。
娘が生まれて、すこしづつ成長する姿に
「なんや女か。」なんて誰が言ったのかと思うほど、かわいかったし、
勝手な話で、「女の子はええなあ。」に変わったりもしました。
結局、子供の性別なんてどちらでも同じで、自分の子供は自分の子供、
じぶんの命より大切なものであることに変わりはないわけです。
息子が生まれたときは、「うれしいな、男や、息子やで。」だったし、
末の娘が生まれたときは、「よっしゃ、もう一人かわいい娘や、よかった。」だった。
それぞれ、みんな、私の命より大切な宝物です。
今日、娘と、病院を舞台にしたドラマをみていたのですが、
主人公の女医が重い心疾患で、手術室にストレッチャーで運ばれて入っていく場面がありました。
その場面を見て、もう10年以上前の、息子の手術を思い出していました。
息子の手術は、病気の手術ではありません。
背中から左腕にかけて、美しく生きているような姿の、竜の刺青を剥がす手術でした。
まだ、16歳の息子が、不良からヤクザへの門をくぐろうとして入れた刺青。
殺してしまおうと思いました。
実際、殺す勢いで息子を殴っていたのを妻と二人の娘が止めてくれたのでした。
今でも、耳に残っています、娘二人の声、
「お兄ちゃんが、死んでしまわはる、父さんやめて。」
「弟が死ぬから、もうやめて父さん。」
息子は、涙ながしながら殴っている私に、逆らうこともなく、黙ってうなだれて殴られていました。
息子の、辛い形の卒業式だったのかなと思っています。
男らしく、やさしく、思いやりを持って、気配りを大切に考えて、
自分のことを後にして人のために生きる。
こんなふうに息子を育ててきました。
そのとおりに育ちました。
気配りが出来て、やさしい男です。
毎週いっしょにサッカーやってる、サッカーの仲間のオジサンたちも、みなそう言ってくれます。
きっと、現在に、現在の社会にマッチングしなかった部分があったんだろうと今思っています。
サッカー部の仲間は、一生の仲間なんていう考え方が、今は流行ってないんです。
進学の為の勉強と塾が、サッカー部が終れば待っていて、ゲームがあって、
サッカー以外に、仲間以外に付き合うものがたくさんある時代に、
マッチングしなかった部分があったのでしょう。
私自身や周りの仲間たちは、それでも間違っていないと信じてますし、信じてくれていますが。
中学のサッカー部、3年生で引退を迎えた頃、それぞれが進学の為に生活を切り替える。
息子は、切り替えが出来なかったんだろうと、勝手に思っています。
「仲間は?仲間は大切やろ、みんなどこいったんや。」
こう考えて寂しかったところに、不良グループのあたたかさがあったのではと考えています。
息子に、直接聞いたわけではないので、ホントのところはわかりませんし、
今となっては、どうでもいい話です。
中学の3学期から、ちょうど3年間ほど、
詳しいことは言いませんが、たくさん泣きました。
あのころもしんどかったです。
あれから10余年、まあ、まだ、よかったよかったまでは到達してないですが、
親の苦しみも、姉の苦しみも判り、妹に対する心配もしてくれていることを感じさせる言動行動がありますから、
普通には程遠いですが、心配はそんなにしてません。
息子の小さい時の口癖、祖父が教えたものですが、
「僕は、父さんの次の大黒柱や。」
まだまだ、なかなか頼りになるところまではいきませんが、
息子と力をあわせて、がんばろうと思っています。
おもえば、息子が不良からの帰還をしてすぐ、娘の病気がはじまったのかな。
”普通”にはなかなか近づけず、しんどい時間が続きますが、
「このままでは終らへんぞ。」、これは、いつも思ってることです。
「もうじき、なんとかなるわい。」、これも、いつも思ってることなんです。
家族のスローガンにして生きて行くんです。
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