139.言いたくない話
2008.08.20 [ Edit ]
この話は、理解されにくい話でもあり、
自身情けない話なので、人にはほとんど言ってませんでした。
母親って言うのは、愛という言葉とイコールくらいの崇高なものなので、
それの否定の話なんて受け入れられるものでもないでしょう。
ゆう という女の子のブログに辛い魂の叫びがあって、
何度かコメント入れたんですが、
最近、母さんとの確執の記事があって、
思わず、正直なところをコメントしてしまいました。
たぶん、やめといたらよかったって、後悔するのかもしれませんが、
えーいっという感じで、正直に書いてみようかと思います。
藤村の破戒です。
だれにも言ってない話でもないのですが、二人くらいかな、言ってあるのは。
私の母親の話。
あんまり詳しくは言いませんが、自分のこと以外考えていない母。
損得でしか物事を量らない母。
自己愛以外に愛を知らないのかもしれません。
母って言葉は絶対的な力を持ってるような言葉なので、
私は自分の母親を、母としてなかなか受け入れられません。
母って、ええ響きがあるから、夢の中の話だけに、母という言葉を置いておきたいような感じ。
世の中にはけっこう、ほとんどかな、母は存在してますよね。
私の母は、75歳で今だ元気です。
と言っても、もう3年前に男作って出て行きましたから、
風の噂で元気だということだけですけれど。
私は長男なので、結婚してから30余年、両親と同居してきたんです。
親父が亡くなったのが18年前なので、その後15年は母親と同居していたということになります。
息子が不良の仲間入りして刺青してきた時も、
娘が神経症の発作を起して気も狂わんばかりに暴れて泣いていた時も、近くにいて知らん顔でした。
親父の退職金や、遺族年金で、かなり金は持っていますが、自分の物以外に金を出す人でもなかったです。
母親から、もらった物はなにもありません。
親父の形見さえ、私にはないんです。
親父の腕時計が欲しかったんですが、
母には人に自分の所有物をあげると言う行為は存在しないんです。
育ててもらった親やろうって言われるかもしれませんが、
それは、親父にしてもらったことだと思っています。
母親にしてもらった事と言えば、近所や親戚中に私と妻の悪口たらたらかな。
孫の悪口まで言っているのを聞いた時は、ちょっとびっくりしました。
今、いろんなことで、ふらふらな私。
助けてくれて、支えてくれるような、やさしいお母さんがいてくれたらええのになあと夢みます。
ある友人の話、会社をリストラされて生活ぎりぎりなんやけど、
いっしょに暮らす母親が年金を全部くれてるから生きていける。
私には、ありえない話です。
まあ、詳しく書いていくとすごく長くなるのと、どんどん自分を貶めることになるので、
このへんにしておきます。
きっと、これだけ書いただけでも、
「お前、それはあかん。まちがってる。」という意見の方が多いんだろうと思います。
自分で言うのはおかしいけれど、だいたい、私の性格は、こんな話を他人から聞いたら、
「親は先に死ぬんやし、我慢して、笑いながらやさしくしたれ。」
なんて、絶対に言うだろう性格なんですよ。
でも、自分の母親は許せそうにありません。
親父の仏壇もほったらかし、墓も参った形跡はありません。
まあ、ええんですけどねえ。
娘の病気の為にも、いなくなってくれた方が助かってますから。
またまた非難がありそうなので言い逃れしときます。
娘がホテルの仕事に行ってたころ、
母親(祖母)と娘が家で二人だけになることが多かったのですが、
「父さんと母さんの悪口いっぱい言わはるし、しんどかった。」
「わたし、病気になりかけてて助けてほしかったのに自分の事しか考えてはらへんし。」
ということだったんです。
病気の娘に時々言うんです。
「しんどいやろうけど、お母さんが一生懸命やってくれて幸せや。」
「父さんには、母さんがいてないからなあ。」
「父さんもしんどい時、お母さんって呼べる人がいたらええのになあって思うんや。」
55歳のおっさんが、こんなこと言うてたらあかんでしょう。
自分自身も、あかんなあと思っているのです。
「母親やぞ」 何度も、自分に投げかけた言葉です。
それに対する言い逃れは、
「人間やから、親子関係がこうあるべきというのも正しいけれど、
人間も動物やから、子供捨てる親もいるということや。」
こんなところかなあ。
まあ、寂しいことです。
でも、これも現実。
受け止めないと仕方のないことなのです。
人間界の法則からは逸脱する考え方かも知れませんが、
関わらんでええ時は、母親の存在を頭から消去するくらいの生き方をしようとしています。
いろんなことが、たぶんこれからも起こって、ほってはおけないこともあって、
消去なんて現実には難しい話なんです。
勝手に居所も知らせずに出て行った母親ですが、
長男の責任はありますし、それは自覚していますから。
母親という言葉や、母親の存在自体に、いろいろ呪縛はあるけれど、
娘のことやいろいろあるので、逃げておこう今は、って思っているのです。
情けない話。
悲しい話。
馬鹿な話。
恥ずかしい話。
やめといたらよかったかなあ。
自身情けない話なので、人にはほとんど言ってませんでした。
母親って言うのは、愛という言葉とイコールくらいの崇高なものなので、
それの否定の話なんて受け入れられるものでもないでしょう。
ゆう という女の子のブログに辛い魂の叫びがあって、
何度かコメント入れたんですが、
最近、母さんとの確執の記事があって、
思わず、正直なところをコメントしてしまいました。
たぶん、やめといたらよかったって、後悔するのかもしれませんが、
えーいっという感じで、正直に書いてみようかと思います。
藤村の破戒です。
だれにも言ってない話でもないのですが、二人くらいかな、言ってあるのは。
私の母親の話。
あんまり詳しくは言いませんが、自分のこと以外考えていない母。
損得でしか物事を量らない母。
自己愛以外に愛を知らないのかもしれません。
母って言葉は絶対的な力を持ってるような言葉なので、
私は自分の母親を、母としてなかなか受け入れられません。
母って、ええ響きがあるから、夢の中の話だけに、母という言葉を置いておきたいような感じ。
世の中にはけっこう、ほとんどかな、母は存在してますよね。
私の母は、75歳で今だ元気です。
と言っても、もう3年前に男作って出て行きましたから、
風の噂で元気だということだけですけれど。
私は長男なので、結婚してから30余年、両親と同居してきたんです。
親父が亡くなったのが18年前なので、その後15年は母親と同居していたということになります。
息子が不良の仲間入りして刺青してきた時も、
娘が神経症の発作を起して気も狂わんばかりに暴れて泣いていた時も、近くにいて知らん顔でした。
親父の退職金や、遺族年金で、かなり金は持っていますが、自分の物以外に金を出す人でもなかったです。
母親から、もらった物はなにもありません。
親父の形見さえ、私にはないんです。
親父の腕時計が欲しかったんですが、
母には人に自分の所有物をあげると言う行為は存在しないんです。
育ててもらった親やろうって言われるかもしれませんが、
それは、親父にしてもらったことだと思っています。
母親にしてもらった事と言えば、近所や親戚中に私と妻の悪口たらたらかな。
孫の悪口まで言っているのを聞いた時は、ちょっとびっくりしました。
今、いろんなことで、ふらふらな私。
助けてくれて、支えてくれるような、やさしいお母さんがいてくれたらええのになあと夢みます。
ある友人の話、会社をリストラされて生活ぎりぎりなんやけど、
いっしょに暮らす母親が年金を全部くれてるから生きていける。
私には、ありえない話です。
まあ、詳しく書いていくとすごく長くなるのと、どんどん自分を貶めることになるので、
このへんにしておきます。
きっと、これだけ書いただけでも、
「お前、それはあかん。まちがってる。」という意見の方が多いんだろうと思います。
自分で言うのはおかしいけれど、だいたい、私の性格は、こんな話を他人から聞いたら、
「親は先に死ぬんやし、我慢して、笑いながらやさしくしたれ。」
なんて、絶対に言うだろう性格なんですよ。
でも、自分の母親は許せそうにありません。
親父の仏壇もほったらかし、墓も参った形跡はありません。
まあ、ええんですけどねえ。
娘の病気の為にも、いなくなってくれた方が助かってますから。
またまた非難がありそうなので言い逃れしときます。
娘がホテルの仕事に行ってたころ、
母親(祖母)と娘が家で二人だけになることが多かったのですが、
「父さんと母さんの悪口いっぱい言わはるし、しんどかった。」
「わたし、病気になりかけてて助けてほしかったのに自分の事しか考えてはらへんし。」
ということだったんです。
病気の娘に時々言うんです。
「しんどいやろうけど、お母さんが一生懸命やってくれて幸せや。」
「父さんには、母さんがいてないからなあ。」
「父さんもしんどい時、お母さんって呼べる人がいたらええのになあって思うんや。」
55歳のおっさんが、こんなこと言うてたらあかんでしょう。
自分自身も、あかんなあと思っているのです。
「母親やぞ」 何度も、自分に投げかけた言葉です。
それに対する言い逃れは、
「人間やから、親子関係がこうあるべきというのも正しいけれど、
人間も動物やから、子供捨てる親もいるということや。」
こんなところかなあ。
まあ、寂しいことです。
でも、これも現実。
受け止めないと仕方のないことなのです。
人間界の法則からは逸脱する考え方かも知れませんが、
関わらんでええ時は、母親の存在を頭から消去するくらいの生き方をしようとしています。
いろんなことが、たぶんこれからも起こって、ほってはおけないこともあって、
消去なんて現実には難しい話なんです。
勝手に居所も知らせずに出て行った母親ですが、
長男の責任はありますし、それは自覚していますから。
母親という言葉や、母親の存在自体に、いろいろ呪縛はあるけれど、
娘のことやいろいろあるので、逃げておこう今は、って思っているのです。
情けない話。
悲しい話。
馬鹿な話。
恥ずかしい話。
やめといたらよかったかなあ。
Comment
心の荷物を軽くすること☆
本音・・・☆
「ええかげん」について、
御丁寧に御説明、ありがとうございました ♪
とても、解りやすかったです。私の気持ちや考え方に、
焦点を合わせてくれて、嬉しかったです ♪
「情けない話。悲しい話。馬鹿な話。恥ずかしい話。」
ブログで、話せて良かったですね。
(私は、そう思うけど・・・。)
呪縛が言葉や文字になってくると、
絡まった糸(家族関係・人間関係)が見えてくる。
見えてきたら、心の宿題の交通整理ができるから・・・。
私事で恐縮ですが・・・。
(私の情けなく悲しい馬鹿な恥ずかしい話)
幼い頃、私も毎日母親から「悪口」を沢山聞かされました。
夫婦喧嘩は絶えなくて、又、父の躾が理不尽な事でも、
母も私も叩かれますから、父には逆らえません。
両親には、私の話(本音・出来事)を聞いて貰ったと言う、
愛を十分に感じた事は、一度も未だにありません。
ただ、数年前、私が涙を堪えながら振り絞る声で(電話)、
当時の私の辛さを訴えると、母は「私は一度も悪口を
言った事はない。子どもに言う訳がないじゃないか。」と、
言い張ったのです。けれど、訴え続けたら、最後に、
「田舎から出てきて近所に一人も友達がいなかったから、
寂しかったんだよ。ごめんね。」と、一言だけ言いました。
その時、私は「やっと!母が本音を話してくれた。」
と、感じました。(今日はココまで)
その時、私は母に言えなかったけど、
今もまだ、素直に正直に、言えないかもしれないけど、
おっさんサンには、言えるなあー♪
今日、私は、おっさんサンの本音が聞けて、
とても嬉しかったです。
「話してくれて、ありがとう ♪」
おっさんサンと御家族の呪縛が癒されますように・・・☆
御丁寧に御説明、ありがとうございました ♪
とても、解りやすかったです。私の気持ちや考え方に、
焦点を合わせてくれて、嬉しかったです ♪
「情けない話。悲しい話。馬鹿な話。恥ずかしい話。」
ブログで、話せて良かったですね。
(私は、そう思うけど・・・。)
呪縛が言葉や文字になってくると、
絡まった糸(家族関係・人間関係)が見えてくる。
見えてきたら、心の宿題の交通整理ができるから・・・。
私事で恐縮ですが・・・。
(私の情けなく悲しい馬鹿な恥ずかしい話)
幼い頃、私も毎日母親から「悪口」を沢山聞かされました。
夫婦喧嘩は絶えなくて、又、父の躾が理不尽な事でも、
母も私も叩かれますから、父には逆らえません。
両親には、私の話(本音・出来事)を聞いて貰ったと言う、
愛を十分に感じた事は、一度も未だにありません。
ただ、数年前、私が涙を堪えながら振り絞る声で(電話)、
当時の私の辛さを訴えると、母は「私は一度も悪口を
言った事はない。子どもに言う訳がないじゃないか。」と、
言い張ったのです。けれど、訴え続けたら、最後に、
「田舎から出てきて近所に一人も友達がいなかったから、
寂しかったんだよ。ごめんね。」と、一言だけ言いました。
その時、私は「やっと!母が本音を話してくれた。」
と、感じました。(今日はココまで)
その時、私は母に言えなかったけど、
今もまだ、素直に正直に、言えないかもしれないけど、
おっさんサンには、言えるなあー♪
今日、私は、おっさんサンの本音が聞けて、
とても嬉しかったです。
「話してくれて、ありがとう ♪」
おっさんサンと御家族の呪縛が癒されますように・・・☆
楽に生きよう
他にもけっこう荷物あるで。
重たいなあ。
でも、世の中みんな、たくさん荷物背負いながら黙ってはるんよなあ。
娘と夜中の散歩に行ってたころ、静まり返った街並みの家々を一軒ずつ指差して、
「この家は、嫁と姑が仲悪いんや。」
「この家はなあ、息子が家出しよったんや。」
「この家は、お父さんが病気やねん。」
「この家はなあ、お父さんがリストラされて大変や。」
こんな想像を娘として、静かそうに外からは見えても、一軒一軒かかえている問題があって、悲しんだり苦しんだりしながら、みんな生きてるんやって話しながら歩いてたこと思い出すわ。
”花の命は短くて苦しきことのみ多かりき”やなあ。
ことりんの言うとおり、荷物は軽くせんとなあ。
せめて、降ろせる荷物は降ろしておこう。
人の一生は重き荷を負って長き道のりを行くが如し。
家康さんの言うとおりやけど、道のり長いなあ。
ゆっくりがんばろやなあ。
ことりん、ありがとう。
重たいなあ。
でも、世の中みんな、たくさん荷物背負いながら黙ってはるんよなあ。
娘と夜中の散歩に行ってたころ、静まり返った街並みの家々を一軒ずつ指差して、
「この家は、嫁と姑が仲悪いんや。」
「この家はなあ、息子が家出しよったんや。」
「この家は、お父さんが病気やねん。」
「この家はなあ、お父さんがリストラされて大変や。」
こんな想像を娘として、静かそうに外からは見えても、一軒一軒かかえている問題があって、悲しんだり苦しんだりしながら、みんな生きてるんやって話しながら歩いてたこと思い出すわ。
”花の命は短くて苦しきことのみ多かりき”やなあ。
ことりんの言うとおり、荷物は軽くせんとなあ。
せめて、降ろせる荷物は降ろしておこう。
人の一生は重き荷を負って長き道のりを行くが如し。
家康さんの言うとおりやけど、道のり長いなあ。
ゆっくりがんばろやなあ。
ことりん、ありがとう。
これがええんや
「田舎から出てきて近所に一人も友達がいなかったから、寂しかったんだよ。ごめんね。」
これですべてが解決するんや。
これがええんや。
ごめんねって言うのが、簡単に出来る人とそうでない人がいる。
それと、ごめんねの重さも人によってまちまちや。
でも、たんぽぽさんの母さんの、この”ごめんね”は”ほんまもん”やなあ。
主観と客観が入り混じるから、ごめんねのあとの生活でまた不信感が出てきたりするんやけど、
この”ごめんね”は記憶に残る心の言葉やからええ。
人のことやと、こういう風に母さん大切にしたれよみたいなこと言うてしまうんや。
「愛を十分に感じた事は、一度も未だにありません」て、たんぽぽさんが言うてるのになあ。
適当に言うてるのと違うんやで。
本音でもある。
これから仲良く付き合っていく上で、いろんな意見へと変わったりするんやと思う。
じっくり、ゆっくり付き合って、いい仲間になろう。
何度か書いてることやけど、美しいの語源。
羊の肉を、大いに食らうっていうこと。
蒼き狼ジンギスカンの時代、羊の肉を仲間がわいわい言いながら食べている姿。
これが、美しいの語源です。
諸説あるらしいけど、私はこの説が大好きで、美しいの語源は、私の中ではこれだけにしています。
美しい仲間になりましょう。
ところで、ひとつお願いです、おっさんにさん付けはおかしいので、おっさんでええよ。
もしくは、おっさんが言いにくかったら、ことりんがつかってる、おっちゃんでもいい。
おっさんさんは、へんやろ。
これですべてが解決するんや。
これがええんや。
ごめんねって言うのが、簡単に出来る人とそうでない人がいる。
それと、ごめんねの重さも人によってまちまちや。
でも、たんぽぽさんの母さんの、この”ごめんね”は”ほんまもん”やなあ。
主観と客観が入り混じるから、ごめんねのあとの生活でまた不信感が出てきたりするんやけど、
この”ごめんね”は記憶に残る心の言葉やからええ。
人のことやと、こういう風に母さん大切にしたれよみたいなこと言うてしまうんや。
「愛を十分に感じた事は、一度も未だにありません」て、たんぽぽさんが言うてるのになあ。
適当に言うてるのと違うんやで。
本音でもある。
これから仲良く付き合っていく上で、いろんな意見へと変わったりするんやと思う。
じっくり、ゆっくり付き合って、いい仲間になろう。
何度か書いてることやけど、美しいの語源。
羊の肉を、大いに食らうっていうこと。
蒼き狼ジンギスカンの時代、羊の肉を仲間がわいわい言いながら食べている姿。
これが、美しいの語源です。
諸説あるらしいけど、私はこの説が大好きで、美しいの語源は、私の中ではこれだけにしています。
美しい仲間になりましょう。
ところで、ひとつお願いです、おっさんにさん付けはおかしいので、おっさんでええよ。
もしくは、おっさんが言いにくかったら、ことりんがつかってる、おっちゃんでもいい。
おっさんさんは、へんやろ。
母親だけど母親になれる人となれない人がいると思う。
私の母親も親だけど親じゃないから。
難しい事はわからないけど、おっさんは自分の子供の病気と向き合ってるんだよね。
それだけど十分な気がする。
おっさんが親と子供の両方を気にしてしまったら、おっさんが疲れてしまう気がするから。
うまく言えないけど、おっさんの心が少し疲れてる気がする。
時々は休憩が必要だよ。
私の母親も親だけど親じゃないから。
難しい事はわからないけど、おっさんは自分の子供の病気と向き合ってるんだよね。
それだけど十分な気がする。
おっさんが親と子供の両方を気にしてしまったら、おっさんが疲れてしまう気がするから。
うまく言えないけど、おっさんの心が少し疲れてる気がする。
時々は休憩が必要だよ。
『親』って、生きている間は、絶対に勝てない存在・・・だと思います。
特に年老いてきた親は、子供にとって、『何でしっかりしてくれないんだ?』になってしまう。
でも、親を早くに亡くしたものは・・・
『寝たきりでもいい、何にもしてくれなくてもいいから、生きていてくれたら〜』になってしまう。
おっさんも、お母様が健在でいるから、自分と価値観?が違うお母様が・・・歯がゆい・・・と思います。
特に、おっさんは『男性』だから、『理想』とかけ離れた『母親』が許せない・・・と思います。
親も子も、同じ環境を共有しても、思考は食い違うものです。
食い違って良いんだと思います。
上手く伝わらないのが『人間』だと思います。
人間は 『相手は自分とは違う』を 認め合うしかないと思うんです。
まして家族は、『他人じゃないから、もっと分ってくれよ』ではなくて、
家族だから・・・
『分かり合えない。だから、自分が相手を包み込もう・・・』と努力が必要になると思います。
家族にこそ、『無償の愛』を相手からでなく、
自分から与える努力が必要なんだと思います。
私は、出来た人間ではありません。
理解していても、行動や言動で表現できません。
でも、『努力』することが大事だと思います。
おっさんは、お嬢さんに対して『無償の愛』を実行していると思います。
試行錯誤に、悩み悩み、時には休みながら、どうぞ、『愛』を注いであげてください。
特に年老いてきた親は、子供にとって、『何でしっかりしてくれないんだ?』になってしまう。
でも、親を早くに亡くしたものは・・・
『寝たきりでもいい、何にもしてくれなくてもいいから、生きていてくれたら〜』になってしまう。
おっさんも、お母様が健在でいるから、自分と価値観?が違うお母様が・・・歯がゆい・・・と思います。
特に、おっさんは『男性』だから、『理想』とかけ離れた『母親』が許せない・・・と思います。
親も子も、同じ環境を共有しても、思考は食い違うものです。
食い違って良いんだと思います。
上手く伝わらないのが『人間』だと思います。
人間は 『相手は自分とは違う』を 認め合うしかないと思うんです。
まして家族は、『他人じゃないから、もっと分ってくれよ』ではなくて、
家族だから・・・
『分かり合えない。だから、自分が相手を包み込もう・・・』と努力が必要になると思います。
家族にこそ、『無償の愛』を相手からでなく、
自分から与える努力が必要なんだと思います。
私は、出来た人間ではありません。
理解していても、行動や言動で表現できません。
でも、『努力』することが大事だと思います。
おっさんは、お嬢さんに対して『無償の愛』を実行していると思います。
試行錯誤に、悩み悩み、時には休みながら、どうぞ、『愛』を注いであげてください。
休憩の仕方
休憩の仕方がむつかしい。
身体の休憩は、睡眠。
心の休憩は?
今ある課題から逃避することって難しいことやなあ。
人には、ゆっくり歩けとか言うてるくせに、ゆっくりどうしたらええのかわからへん。
ずっと会社行ってて、3年前に辞めて、その後、人と話す機会が激減したことが主因かな。
環境変化がないと、同一のストレスから逃れるきっかけがなくなる。
山に魚釣り行くのも良し。
高校にサッカーの指導しに行くのも良しなんやけど、することはけっこう有る人なんやけど、行動の直前に頭から中止命令が出る。
最低、土曜のサッカーの練習会は休まないようにしてる。
最近、他人と話すのはサッカー仲間だけになってる。
ところが、サッカー仲間も、ほとんどが仕事持ってるから、それが羨ましくなると言うか、劣等感になるというか、あせりを生じたりする。
ほんま、アドバイスのとおり、心が少し疲れている。
娘からも少し離れて、ひとり旅行でもしようかなと思う。
これも、思うだけやろうなあ。
アドバイスほんとにありがとう。
休憩の仕方、まじめに考えます。
身体の休憩は、睡眠。
心の休憩は?
今ある課題から逃避することって難しいことやなあ。
人には、ゆっくり歩けとか言うてるくせに、ゆっくりどうしたらええのかわからへん。
ずっと会社行ってて、3年前に辞めて、その後、人と話す機会が激減したことが主因かな。
環境変化がないと、同一のストレスから逃れるきっかけがなくなる。
山に魚釣り行くのも良し。
高校にサッカーの指導しに行くのも良しなんやけど、することはけっこう有る人なんやけど、行動の直前に頭から中止命令が出る。
最低、土曜のサッカーの練習会は休まないようにしてる。
最近、他人と話すのはサッカー仲間だけになってる。
ところが、サッカー仲間も、ほとんどが仕事持ってるから、それが羨ましくなると言うか、劣等感になるというか、あせりを生じたりする。
ほんま、アドバイスのとおり、心が少し疲れている。
娘からも少し離れて、ひとり旅行でもしようかなと思う。
これも、思うだけやろうなあ。
アドバイスほんとにありがとう。
休憩の仕方、まじめに考えます。
なかなか注げへんなあ
愛、注ぎたいと思ってるけど、なかなかうまく注げません。
64さんが言うように、「相手は自分とは違う」ので、こうしてやればいいと思ってしてやっても、こう言ってやったら気が楽になるかなと思って言ってやっても、逆に辛さを呼び込んでしまったり、悲しい目にあわせたり。
簡単には人の心を癒すことはできません。
でも、してやろうなんて魂胆では、きっとあかんのでしょう。
自然に、共に生きていくようにせんとあかん。
最近、私が弱っているので、ちょっとバランスが取れてきているように感じたりしています。
私のスローガン、
”ゆっくりがんばろ”でいきます。
アドバイスありがとうございました。
64さんが言うように、「相手は自分とは違う」ので、こうしてやればいいと思ってしてやっても、こう言ってやったら気が楽になるかなと思って言ってやっても、逆に辛さを呼び込んでしまったり、悲しい目にあわせたり。
簡単には人の心を癒すことはできません。
でも、してやろうなんて魂胆では、きっとあかんのでしょう。
自然に、共に生きていくようにせんとあかん。
最近、私が弱っているので、ちょっとバランスが取れてきているように感じたりしています。
私のスローガン、
”ゆっくりがんばろ”でいきます。
アドバイスありがとうございました。
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このことをご了承の上でコメントをお願いします。
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物事って、自分がそれに対して関わる立場によって、考え方も捉え方も変わりますよね。
おっちゃんのお母様の話が、客観的なことだったら、きっとおっちゃんは今と違う見解なんだということも、自分のことだからこそ許せなかったり、受け入れられなかったりするということも、だれだってそういうもんじゃないかなって思います。
目の前に向き合うものがたくさんある今は、消去できるものや傍らにおいておけるものは、おいておかれてよいのでは☆
以前、カウンセリングで言われたことですが・・・、
「荷物が重すぎると山登りはたいへんだよ。下ろせるものは下ろしましょう。また力がついたら持てばいいよ。」
どんなことも、なるべく自分が楽に生きれるように考えられたらいいですね