強迫性神経症 | 強迫性障害 | OCD体験記・子育てブログ

強迫性神経症(強迫性障害/OCD)の娘と向き合う父親の体験記・子育てブログ

141.祭りのあとの寂しさ

2008.08.22 [ Edit ]

私の大切な仲間の、ことりんさんが、墓参りに出かけたそうです。

妹さんが帰省してきて、家族揃って出かけたそうです。
ついでに陶器の里のようなところに行って、素敵な陶器を見つけたそうです。

ことりんさんも、娘と同じ苦しみ持ってるので、
いろんなことに、相当覚悟して行ったことが想像できます。

ことりんさんがくれたメールに、

「楽しい日を過ごした後は、なんともいえぬ虚無感に襲われます。」

こんなフレーズがありました。

祭りのあとの寂しさは、誰にもあるものなのだから。
もちろん、祭りのあとの寂しさが核にはなっているでしょう。
でも、それだけじゃないはずです。

これに対して私が返したメールです。


---

これなあ、びっくりした。
娘と同じこと言うんやなあと思って。

どこかに遊びに行けて、楽しかったら楽しいほど、帰ってきてからが不安定や。
虚無感なあ、娘も、「むなしい」って言うて泣きよる。

ことりんも、娘も、虚無感ももちろんあるけど、

出来るかな?
行けるかな?
行けへんかったらいっしょに行こうとしてる人に悪いな。

このプレッシャーに先ずいじめられて、直前までいじめられて、
出発したら、いろんな障害があって、
いややって言って、人にいやな思いさせたくないから無理して我慢して、
それでも楽しいから、心がはしゃいで、
帰ってきた安心と、達成感と、出来たけどしんどかったなあが、
いっぺんに吹き出す感じかなと、おっさんは思ってる。

だから、この虚無感は当たり前の虚無感で、
けっこういい虚無感やと捉えてるんやけど、おっさんは。
娘がむなしいって泣くときは、できてよかったなあ、
行けてよかったなあってハグするんや。
ことりんも、虚無感に襲われたら、おっさんがハグしたるから、
出来た喜び、行けた喜びだけ噛みしめろ。


---


こんな感じが、ほんとのところかなと思います。
但し、これは、勝手に私が感じたままを書いて送ったものだから、
ことりんは、ちょっと違うんやって言ってくるかもしれません。

もう一つ、メールで送ってること勝手に人に見せるなって怒るかもしれません。

その心配にも、私が勝手に答えておきます。

この文章発信はじめてから、コメントくれて仲良くなって、
出会ったこともないのに仲間だといってる関係。
アナログの極致みたいな私に、こんな世界を受け入れる要素があったことに自身驚いています。

しかし、現実に今、心が通っていると実感しているんです。

”ええかげん集団”なるものを結成しました。
すずめと、ことりんと、私。

触れ合う心が希薄なものになってきていると感じてるこのごろ。
なかなかいいものだなあと自負しています。

だから、推察でもの言うことも、勝手にメールの中身公表することも、
プライバシーポリシーのうるさい現在に逆行するかもしれませんが、
ことりんとの信頼を持って許されることだと確信しているのです。

リアルの世界でなかっても、心と心が通いあうものであれば、
アナログ世界は存続させれるものなのです。

”ええかげん集団”の仲間になって、アナログな付き合いしようと思う人あれば、
参加コメント入れといてください。
ことりんと、すずめと、私が歓迎します。

Comment

おっちゃんへ☆


ことりんの意見v-521

メールの内容が掲載されること、全然怒ってないですよ♪
おっちゃんは、思慮分別のある方ですので、おっちゃんが載せようと思って載せられることに何もいうことはないです!
お気になさらずにv-521

でも「祭りの後の虚無感」の捉え方は、正直言うと微妙に違うんだぁ。
たしかにおっちゃんが考えてらっしゃるようなむなしさも、以前はありました。
でもね、今はちょっと違う気がするの。

少しずつやけど、楽しいと感じる時間が増えてきて、とくに普段とは違う親戚や友人たちとにぎやかに過ごせてる時って、私の中の厄介な強迫野郎は小さ〜くなってるんです。意識してないけど、そんな気がするの。
だから普段なら触れないものが触れたり、手洗いが心なしか短くなったり。
それっていわゆる健康な時間ですよね。

そんな健康な時間が終わり、また普段の生活が始まる、私の感じる虚無感は、強迫と共存しているという現実に引き戻されることへのむなしさだったり、不安だったりかなぁと思います。
まぁ、それにもだんだん慣れてくると、今度はそれがあたりまえになって、不安も減少するんやけどね・・・。

うーん・・・伝わったかなぁ?
やっぱり活字オンリーの表現は難しいなぁ。
まぁ、それもええかげん、ということで、おおまかに分かってもらえればいいんですけどね。

「祭りの後の寂しさ」って健康な人にもきっとありますよね。
現実社会に戻るむなしさ、みたいな☆

健康人も病気の人も、所詮はおんなじ人間やと思っています。




ええ感じやなあ

なかなかええ感じ。

その微妙な感じ、ようわかる。
ちょっとへんな感想かもしれんけど、よかったなあって感じで、とてもうれしい。

おっさんが書いたのは、現在の娘の状況やな。
娘の状況は、だいたいおっさんが書いたとおりやと思う。

ことりんは、一歩前進してるわけで、おめでとうの手前の状況やな。
苦しんで、受け止めてたから、闘ったから、前進できたんやなあ。
よかったなあ。
娘も、その場所まで前進できたらと思います。
まあ、そこからもしんどさは残ってるから手放しじゃないけど、頑張ったなあって自信にしときや。

それから、言うとおり、祭りの後の寂しさは、人によって感じる強さは違うやろうけど、誰もが持ってる感情やろ。
白状すると、特におっさんは、それが強い。

若いときから、そして今でも、何人かの仲間とどこかに遊びに行きます、誰かの家でも、サッカーの試合でも、なんでもいい。
帰りになって解散する時、おっさんはいつも、最後の人が帰るまで帰らない。
自分が最後でないといやなんです。
最後の一人を見送って、そして自分が帰り着いてからも、寂しさがなかなか消えなくて胸が苦しくなるような感じ。

女々しいおっさんなんです。

これ、大人になったら治るかと思ってたけど、死ぬまで治らなん感じやなあ。

馬鹿みたいやろ、笑わないように。

コメントの投稿

-----------注意事項-----------

コメント欄ににコメントいただいた内容は、
ブログの本文に引用することがあります。
このことをご了承の上でコメントをお願いします。

管理人にのみ表示する
 

Track Back

TB URL

最近の記事

最近のコメント

月別アーカイブ

カテゴリー

最近のトラックバック

カウンター

プロフィール

一人の父親

Author:一人の父親
強迫性神経症(強迫性障害 | OCD)と闘う父親の日記。画像は娘が描いたものです。

ブログ内検索

RSSフィード

リンクと読んでいるブログ