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強迫性神経症(強迫性障害/OCD)の娘と向き合う父親の体験記・子育てブログ

144.罰

2008.08.25 [ Edit ]

サッカーの地蔵盆が終って、解散したあと、

「二次会でカラオケ行くぞ。」

先輩からの誘いと言うか、命令です。
命令といっても、絶対服従じゃないですが、まあ、命令です。
私にも、直接命令をいただきましたが、
私の、娘が待ってますからの一言で命令は解除され、
「帰ってから、来れたら来いよ。」に変わりました。


帰ってから行こうかなと思い、家に帰ったのですが、
やっぱり行く気になりませんでした。

「ええなあ、サッカーがあって。」

という、娘の独り言。

ちょっと、具合が悪い娘。

妹が、友達のところに出かけ。
弟と父はサッカーへ。
母親が来週から、パートに行こうという話もある。
妻が家以外で他人と話しして、気がまぎれるかなと思い賛成したのです。

そんななか、娘は自由に外に出られない。

することがない。
したくても行動できない。
身体も心も、毎日しんどい。

言いませんが、そんな顔をしていました。

「どこか出かけようか?」

「うん。」
しばらく考えて、
「やっぱり、ええわ。」

そのままふさぎこんでしまいました。

しばらくして、「出かけようか?」というより、
出かけるぞっていう感じで着替えて立ち上がると、
突然、我慢していたものが吹き出てきたのか、
静かに泣き出しました。

「泣いてんと、ちょっと外の空気吸いに行こう。」

ゆっくり立ち上がって、外に出て、いっしょに車に乗りました。

どこに行くあてもなく、いつもの喫茶店でコーヒー飲んで、
どこか家族以外の人と話せるところがあったらいいのになあと、
ぼんやり考えてました。
娘も、そんなことを考えているのか、ふさぎこんだままでした。

「帰ろか。」

ほとんど話すこともなく帰路につきました。
二人黙ったまま車に乗って、家に帰ってきて車を降りた娘が、
家に入らず、自転車に乗って出かけようとします。

「どこ行くの?」
「雨降ってるで。」

私が止めると、
「もう、いらいらして我慢でけへんから、どっか一人で走ってくる。」
泣きながらそう言う娘。

いろんな制約もあるし、危険もあるし、どこに行くのかも心配で、
「やめとき。」
とは言うものの、一人で行けるんなら行ってきてもいいかなと。
少しでも、気分が変わるかなと考え、手を放しました。

家に帰って妻に言うと、
「どこへも行けへんのに、どこ行きよったんやろ?」
「探してくるわ。」

すぐに、自転車で追いかけました。

やっぱり止めればよかったと後悔して、
そのあと、心配になってきて、
私も、自転車で雨の中出発しました。

なんか、かなしい、暗い、重い、感覚でペダルを踏んでるんです。
力が入らないとか、そんなはっきりした感想がでないんです、
目は開けているけど、なにも見ていない、
足を動かしているけど、勝手に自転車が動いている、
そんな、ぼやっとした感覚で、雨の道を走っていました。

ポケットの携帯電話が鳴って、妻から帰ってきたかと聞いてきた。
俺も自転車で探してるやって返事すると、
帰ってくるかも知れんから、家にいといてと妻。
そうやなあと返事して、私は帰路に。

かなり遠くまで来ていて、
雨と汗で、やっと疲れたなあって感覚が私に戻ってきたころ、
末娘から携帯に連絡、「帰ってきよったで。」

「母さんにも連絡したし、心配せんと帰ってきいや。」

自転車走らせながら、真っ暗ななかで、悲しかった。
すごく悲しかった。
かなしいのに、涙が出ない。
自分で、顔に表情が無いのがわかる。

なんでやろ?
なんでなんや?

なんか悪いことしたんかなあ?
なんの罰なんやろ?

Comment

罰なんて一つもあってはならない!


”家族以外の人と話せるところ”
当事者にとっても、介助者にとってもこれは本当に大事だと、私自身痛感しています。
母と私、おのおのがそれをもつことによって、ずいぶんと楽になった気がします。
もちろん、そうなるには、”私が母のサポートなくてもなんとか一人で過ごせる”という絶対条件がなくてはなりませんでしたから、ずいぶん時間がかかりましたが。

今ならダイジョウブかな?っていうタイミングと一歩踏み出す勇気だと思います。
タイミングを間違うと、ガラガラと崩れちゃいますよね。でも時々は、周囲が強引に後押ししてくれることで、結果、「よかったな」につながる場合もありました。

押すか引くか・・・周囲の人間は難しいですよね☆

家族以外との時間を作りたいと思う智沙さんの気持ちがもっともっと強くなれば、一歩踏み出すタイミングは智沙さん自身に見えてくるんじゃないかな。

雨の中、娘を探すご両親。
私の父だったら、心配しながらも自宅のTVの前で待機してますよ、きっと。
実際の現場は、しんどくてたいへんなことだと思いますが、そうやって即行動に移せる家族の絆って、すばらしいと思います。

おっちゃんが罰を受けることなど何もないはず。
罰なんて思わないで!







辛いけど・・・☆

自転車走らせながら、真っ暗ななかで、悲しかった。
すごく悲しかった。
かなしいのに、涙が出ない。
自分で、顔に表情が無いのがわかる。

悲しいですね・・・。

辛いですね・・・。

涙が出ないくらい、おっさん、苦しいのかな?・・・。

「もう、いらいらして我慢でけへんから、
どっか一人で走ってくる。」
一人で行けるんなら行ってきてもいいかなと。
「どこへも行けへんのに、どこ行きよったんやろ?」
末娘から携帯に連絡、「帰ってきよったで。」

雨の中、おっさんも大変だったでしょうね。

後悔して、心配して・・・辛かったでしょうね。

おっさんのように、私はうまく言えないけど・・・。

おっさんは、雨の中で大変だったけど、

娘さんを、見つける事は出来なかったけど、

無事を祈って、探しに出かけたんだよね?

娘さん、無事に帰って、良かったですね。

娘さんは、一人でどこか?へ行って、

無事に帰ってきて、本当に良かったですよね。

娘さんは、一人で行って、帰って来たよ。

おっさんも娘さんも無事で良かったです。

なんとかな

ことりん、ひょっとしたら罰かもしれんで、ええことばっかりして人生過ごせへんもんなあ。

会社時代、仲のええ奴の息子が鬱病で、うちの娘が神経症で、そいつとよく言ってたこと、
「俺たち、けっこう真面目に人生生きてるのに、ずるいことしてるような奴になかなか罰があたらへんなあ。」って。

でも、ことりんが言うように、そんな捉え方はあかんよなあ。

ゆっくりがんばるわ。

たんぽぽさんありがとう

なんとか、ゆっくり、ぼちぼち、がんばりますわ。
生きるのしんどいけれど。

ええ日と悪い日が交互に来て、一応、少しいい日もあるけど、今は気持ちが重い日のほうが多い。
完全に、軽い日と重い日が交互になるようだと、普通って言えるのかなあ?

あこがれるなあ、普通。

普通ってええなあ。

普通に戻りたいなあ。

普通ってなんやろ?

普通・・・☆

おっさんの言う、憧れる普通ってなんだろうなあ〜?

たんぽぽさんへ、普通の説明

前に書いたと思うんですが、末娘が、引きこもり状態の兄に対する私の話し方をみて、「お父さん、お兄ちゃんにもっと普通に話したほうがええと思うわ。」と言ったことがあります。
私が気をつかいすぎてビクビク話しているのが気に入らなかったようでした。

「そうやなあ。」で、済む話だったんですが、
娘の病気、娘の発作、会社辞めようかどうしようか、こんな感じの真っ只中だったので、うつうつ毎日考えてばかりのころだったので、
その時、私が末娘に、「普通ってなんやろ?」って聞き返したんです。

自分自身にも、心の中で同じ質問をしていました。
いや、末娘には難しすぎる質問だとわかっているわけですから、きっと、自分自身に問いかけただけだったんだと思います。

一応、末娘には説明しました、

「高校出て、大学に行くか就職するか、大学を出て就職しました、30手前くらいで結婚しました、子供が出来ました。子供も同じような道を歩みます。」
「こんなんが普通かな?」
「常識の枠内に生きること、これが普通かな。」
「あたりさわりない生活が出来て、争いごとがなく、平穏な暮らし。」
「個性があると、普通じゃないのかな?」
「病気じゃないこと、これも普通の条件かな?」

こんな説明と言うか問いかけを、末娘にしながら考えてました。

「普通って何やろ?」

「悩まずに、苦しまずに、悲しまずに生きれること。」

末娘が言う、普通に話せは、気をつかわずに親らしく毅然としてというような意味で、わかりやすい普通なんですが、普通に生きるの普通は、とても難しいです。

なにが特別なのか、どこからどこまでが普通なのか?

ただ、今は憧れているんです。

”普通の暮らし”

もっと言えば、抽象的な普通に憧れてるのかな。
わからないけど、良さそうやな。
しんどいことないやろ、普通なら。
そんな感じで、正直言うと、まだまだ普通がわかりません。

わかりにくいでしょう?
でも、ちょっとわかってくれたかな?

普通の暮らし・・・☆

おっさんの「普通の説明」をありがとうございました。

分かった事は・・・。

おっさんは、引きこもりの息子さんに対して、
気を遣いすぎビクビク話をしたことがあった。
普通(平常心)なら父親らしい態度がとれたのに、
娘さんの病気・発作・退職を考え鬱々していた時だから、
父親らしく毅然とした態度がとれなかった。
また、末娘さんにも「そうやなあ」と言えなかった。

団塊世代の幸せの価値観(生活)(常識)が、
おっさんの思う普通の暮らし=幸せ(悩み悲しみが無い)
昔はそれで幸せだった。満足していた。

けど今は、その生き方では、生き難い現実がある。
又その生き方では、生き難い現実を自ら体験している。
だから、団塊の価値観の普通が、憧れとなり、
今は、その普通が抽象的にもなり始めている。・・・かな?

おしゃべりなら、得意なんですけど、文章は苦手なので、
言葉で説明しようとするとヤヤコシイ事になりました。が、
おっさんの全てを知りませんから、失礼があったら、
ごめんなさい。m(_ _)m

普通について。
言っている人の立場(時代)で変わると私は思う。
世間一般に言う普通は、ひろく一般に通ずること。
世間一般に言う常識も、同上。枠に合ったルール。
そして精神科で言えば私の病状は普通で常識(想定内)。

でも、おっさんは、その事を言っているのではなくて、
おっさんが普通の暮らしを抽象的にし憧れてしまうほど、
今が辛くて苦しいのかなあ。と、感じました。

そんな感じかなあ

たんぽぽさんの言うように、文章で伝えるのは難しいなあ。

話し合ったら3分で理解できること、文章だと3日かかっても通じないばあいもある、もっと言えば、余計に誤解が生じたりもする。

そうじゃないねん。
こうやねん。
そうそう。
こういう場合もあるやろう。
そんな感じやなあ。

こんな感じで通じるやろう、話し合いなら。
お互いの訂正が瞬時やからね。

今回の話の場合は、たんぽぽさんが最後に言ってくれている、

「でも、おっさんは、その事を言っているのではなくて、
おっさんが普通の暮らしを抽象的にし憧れてしまうほど、
今が辛くて苦しいのかなあ。と、感じました。」

こんな感じやと思います。

ところで、思い出して見てみたのですが、月別アーカイブの5月に、
NO.47で、 ”普通ってなんやろ?”というのを私が書いてます。

もし、読まれてなかったら読んでみて下さい。

同じ様なこと書いてるんですが、そちらのほうが少しわかり易い説明になるかもしれません。

結論は、結局、普通ってなにかわからへんってことなんですが。

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