180.汚れた千円
2008.09.30 [ Edit ]
「父さん、この千円札、きれいなお札と変えて。」
「これは、なんで汚いの?」
「母さんが、ゲンのうんこ掃除して、お風呂入ってへんのに触ったからや。」
「父さん、千円札、今持ってへんから、母さんの新しいのに変えてもらい。」
「あほやなあ、母さんのは、あかんて言うてるやろ、
強迫がわかってへんなあ。」
そう、なかなか全部解ってやれません。
強迫観念は、複雑なものなんです。
ただ、なにかが汚いという単純なものではなく、
これが汚いから、これも汚いという連鎖があったり、
この汚いものに、これは触れたから汚いという、
接触からの伝染の汚さ。
これは汚いものかも知れんという想定の汚さ。
汚いものの絵を見るだけで、汚いと感じる汚さの連想。
その他、色々なもの、さまざまな場合に、
強迫が迫ってきて苦しんでいる娘。
10年付き合っても、解らないことだらけ。
娘自身も、きっと解らないことだらけなのだと思います。
ただ、娘は解らなかっても、汚いということを感じさせられるのですから、
想像できない辛さなのだと思います。
気づかなかったらいいのにと思いますが、
気づく前に、感じてしまうのです。
前にも言ったことがありますが、
虫の嫌いな私が、ムカデのいっぱいうごめいている部屋に、
閉じ込められるような感じなのだろうと想像します。
それに加えて、正常が何かを知っている娘は、
汚さの恐怖を感じながら、遠慮して我慢することの辛さも持っています。
「これは、なんで汚いの?」
こう聞かれるのが、すごく辛いことだと言います。
「汚いことはないということは、頭で解ってるんや。」
「でも、わたしには、汚いものなんや。」
「それが解ってるから、それが嫌やって言うのが嫌なんや。」
私は、解っておいてやりたいと思って質問するのですが、
やっぱり、答えるのが嫌な質問は、してやりたくないと思います。
ただ、それだけではなく、自然に質問している場合もあります。
そんなときは、心の中で、娘に謝っていますが、
この不自然を娘も自覚しているので、
必死で我慢していることもわかるのです。
「いつまでたっても、おんなじや。」
そう言って、娘は涙ぐみますが、
いろんなことを克服してきていることも事実なんです。
前は、気軽に私に触れることも出来ませんでした。
最近、車に乗ると、助手席から、恋人のように私の手を握ります。
「気持ち悪いから、やめとけ。」
払いのけるように手を振りほどいた私に、
「さわれるようになったから、うれしいんや。」
こんな、嬉しいこともたくさんあるのです。
でも、辛さが邪魔をして、なかなか素直に喜ばないし、
克服できてきていることを認めません。
一歩一歩少しずつ、歩めている現実もあることを、
素直に認められるようになれたら、もう少し楽になれるのでは、
それを、静かに心で願っています。
これも、ゆっくりゆっくり少しずつでいいと思います。
素直に認められる、素直に喜べる、
ここまでは到達していませんが、
ちょっと考えて認める、ちょっと考えて喜べるということは、
出来てきているように思います。
トンネルは今まで真っ暗でしたが、
少しだけ、少しだけですが、出口の明かりが見えるような日もあります。
娘の中では、きっとまだまだで、
「わかってへんな。」と、怒るかもしれませんが、
前進の自覚を、私は持ち続けたいと思っています。
「これは、なんで汚いの?」
「母さんが、ゲンのうんこ掃除して、お風呂入ってへんのに触ったからや。」
「父さん、千円札、今持ってへんから、母さんの新しいのに変えてもらい。」
「あほやなあ、母さんのは、あかんて言うてるやろ、
強迫がわかってへんなあ。」
そう、なかなか全部解ってやれません。
強迫観念は、複雑なものなんです。
ただ、なにかが汚いという単純なものではなく、
これが汚いから、これも汚いという連鎖があったり、
この汚いものに、これは触れたから汚いという、
接触からの伝染の汚さ。
これは汚いものかも知れんという想定の汚さ。
汚いものの絵を見るだけで、汚いと感じる汚さの連想。
その他、色々なもの、さまざまな場合に、
強迫が迫ってきて苦しんでいる娘。
10年付き合っても、解らないことだらけ。
娘自身も、きっと解らないことだらけなのだと思います。
ただ、娘は解らなかっても、汚いということを感じさせられるのですから、
想像できない辛さなのだと思います。
気づかなかったらいいのにと思いますが、
気づく前に、感じてしまうのです。
前にも言ったことがありますが、
虫の嫌いな私が、ムカデのいっぱいうごめいている部屋に、
閉じ込められるような感じなのだろうと想像します。
それに加えて、正常が何かを知っている娘は、
汚さの恐怖を感じながら、遠慮して我慢することの辛さも持っています。
「これは、なんで汚いの?」
こう聞かれるのが、すごく辛いことだと言います。
「汚いことはないということは、頭で解ってるんや。」
「でも、わたしには、汚いものなんや。」
「それが解ってるから、それが嫌やって言うのが嫌なんや。」
私は、解っておいてやりたいと思って質問するのですが、
やっぱり、答えるのが嫌な質問は、してやりたくないと思います。
ただ、それだけではなく、自然に質問している場合もあります。
そんなときは、心の中で、娘に謝っていますが、
この不自然を娘も自覚しているので、
必死で我慢していることもわかるのです。
「いつまでたっても、おんなじや。」
そう言って、娘は涙ぐみますが、
いろんなことを克服してきていることも事実なんです。
前は、気軽に私に触れることも出来ませんでした。
最近、車に乗ると、助手席から、恋人のように私の手を握ります。
「気持ち悪いから、やめとけ。」
払いのけるように手を振りほどいた私に、
「さわれるようになったから、うれしいんや。」
こんな、嬉しいこともたくさんあるのです。
でも、辛さが邪魔をして、なかなか素直に喜ばないし、
克服できてきていることを認めません。
一歩一歩少しずつ、歩めている現実もあることを、
素直に認められるようになれたら、もう少し楽になれるのでは、
それを、静かに心で願っています。
これも、ゆっくりゆっくり少しずつでいいと思います。
素直に認められる、素直に喜べる、
ここまでは到達していませんが、
ちょっと考えて認める、ちょっと考えて喜べるということは、
出来てきているように思います。
トンネルは今まで真っ暗でしたが、
少しだけ、少しだけですが、出口の明かりが見えるような日もあります。
娘の中では、きっとまだまだで、
「わかってへんな。」と、怒るかもしれませんが、
前進の自覚を、私は持ち続けたいと思っています。
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