2.退職を決意した理由
2008.03.20 [ Edit ]
息子が不良になってと言う話は、今となっては軽い暗闇だったのか。
その時は、その時で、人生終りみたいな大変さと苦しみがありました。
ちょうど京都から大阪に転勤になった頃でした。
大阪8年、滋賀4年、辞めて3年なので、もう15年前のことです。
まあ、息子の方は、なんとか立ち直ったので、といっても3年くらい闘ったのはしんどかったし、
そう、闘うという表現はぴったりの表現です。闘った跡に残るものは、戦争と同じで、
たくさんの大切なものが破壊されるという意味からも、闘うがぴったりです。
形あるものでなく、息子の学歴や、息子自身の自信、幼い感じでの将来の夢への急激な現実的縮小。
他人は、人生には躓きがたくさんあって、若い失敗はいくらでも取り戻せるなんて簡単に言うけれど。
そういうと会社の仲間に、私の息子高校退学した話をした時に、最近は高校中退なんて
少なくない話やから、そんなに気にすることでもないよって言ってくれた。
その時、そうですねえ、でも貴方の息子さんが高校退学するって言ったら、
いいよって言ってあげますか?って聞いたら、彼がうつむいて私にごめんって謝ったことがありました。
まあ、息子のあのころの話は、違う機会に詳しく聞いてもらうことにして、
今日は、退職決意までの話をすすめることにします。
息子が不良から抜け出したと同時くらいの時期から、もう一つの暗闇に襲われました。
難聴の長女が、強迫性神経症というやっかいな病気にかかってしまったんです。
その時は、その時で、人生終りみたいな大変さと苦しみがありました。
ちょうど京都から大阪に転勤になった頃でした。
大阪8年、滋賀4年、辞めて3年なので、もう15年前のことです。
まあ、息子の方は、なんとか立ち直ったので、といっても3年くらい闘ったのはしんどかったし、
そう、闘うという表現はぴったりの表現です。闘った跡に残るものは、戦争と同じで、
たくさんの大切なものが破壊されるという意味からも、闘うがぴったりです。
形あるものでなく、息子の学歴や、息子自身の自信、幼い感じでの将来の夢への急激な現実的縮小。
他人は、人生には躓きがたくさんあって、若い失敗はいくらでも取り戻せるなんて簡単に言うけれど。
そういうと会社の仲間に、私の息子高校退学した話をした時に、最近は高校中退なんて
少なくない話やから、そんなに気にすることでもないよって言ってくれた。
その時、そうですねえ、でも貴方の息子さんが高校退学するって言ったら、
いいよって言ってあげますか?って聞いたら、彼がうつむいて私にごめんって謝ったことがありました。
まあ、息子のあのころの話は、違う機会に詳しく聞いてもらうことにして、
今日は、退職決意までの話をすすめることにします。
息子が不良から抜け出したと同時くらいの時期から、もう一つの暗闇に襲われました。
難聴の長女が、強迫性神経症というやっかいな病気にかかってしまったんです。
幼い時から大変繊細な子だったんですが、それに加えて難聴というハンデを背負っているために、
小学校のころから、先ず親に迷惑をかけない人生を歩もうという頑なな縛りをもって
進むことを決めて生きてきたようです。
(すべてが、発病してから、いろいろな話をして気づいたことなんですが)
耳の聞こえない自分は、普通の仕事はできないから、漫画家になろうと考えたそうです。
(これも、自分は、彼女が単に漫画が好きで、漫画家になることが夢なんや
くらいにしか考えてませんでした)
高校の3年間、寒い冬の通学に一度もコートを着ませんでした。
寒いからコートを買ってあげると言っても、いつも断る彼女に対し、
健康のためと、こだわりなんやと俺は思っていました。
(それも、難聴の自分が生きていく上で、金銭的にも親に負担をかけるだろうから、
出来るだけ今から金銭的にも迷惑をかけないという縛りからだったようです)
高校を卒業するときに、漫画家になりたいので4年間だけ就職せずに
自分で修行したいと相談を受け、美術大学への進学をすすめた時にも、
かたくなに断った彼女がいました。
その後、耳が悪いんですがと説明しながら自分でアルバイトを探して歩き、
漫画の修行の時間がとれて、人と会話をする必要が無い職場をみつけてきました。
プリンスホテルの便所掃除の仕事です。
元気に働いてました、実は、元気にみせて働いていましたというのが本当です。
俺も家内も、一生懸命彼女なりにがんばっていると安心していました。
最初は彼女も、そうだったそうです。
ほんの最初のうちだけは。
働き始めてしばらくしてから、一生懸命自分の手を消毒し、
通勤に使っていた自転車を毎日消毒するようになったそうです。
それを両親は、まったく気づかず、自分もそんなにおかしいことだとは思わなかったそうです。
そして3年が経過した頃、汚物の入った袋を持ってホテルの廊下を歩いていた時に、
家族客とすれ違った時、スーツ姿の父親が、その場で鼻をかんだティッシュペーパーを丸めて
娘に投げつけたそうです。そのティッシュが娘の肩に当たったそうです。
「父さん、その時から、わたしなあ、自分のことが汚いと思うようになったんや。」
ということです。
そのころ、トイレで落し物の財布を拾って届けたそうです。
「わたしは、ほめてもらえるのかなあと思ってたんや。
そしたら次の日にホテルの偉い人に呼び出されて、
中身を開けて見たやろうって怒られたんや。
そのとき、ずーっと泣いてたんや。
そのときから、わたしは耳が悪いから、下の下の仕事しかでけへん
最低の人間なんやって思うようになったんや。」
ということです。
「5年以上働いて、最後の方は、事務所で掃除の制服に袖を通したら、
身体が震えてきて、なんやろうって思ってたんや。」
何も気づいてやれなかった両親の責任も大きいです。
やっと気づいたのは、一日に何度も何度も、長い時間をかけて
手を洗うようになった娘になってしまってからでした。
強迫性神経症というのは、単純に潔癖症だけでなく鬱症状や
情緒不安定なさまざまな症状が複合するそうです。
手洗いや潔癖症だけでなく、大声で泣き出したり、過呼吸の発作があったり、
さまざまな症状が毎日続くようになったのが、
滋賀営業所に転勤になる直前くらいからでした。
もっといっぱいいっぱいの症状や出来事が、これでもかと俺を攻めてきていました。
耐えられない、さみしい、かなしい、死にたい、わたしなんか世の中に必要ない、
と言って毎夜1時か2時ころになると泣き出し、過呼吸の発作がおきる。
朝、世の中が明るくなると汚いものが見えるから起きられない。
だから夜明けの前に眠りにつきます。
毎夜、泣き出したり、発作がおきたりすると、深夜喫茶店に連れて行って、
あせらんとゆっくりいっしょに生きていこうって話を2時間ほどして、
帰ってくるのは、4時か5時。
辞める前4年間ほど、私の平均睡眠時間は2〜3時間でした。
パニック障害の発作を自分自身も数回経験しました。
辞めるわけにはいかないけれど、辞めたくないけれど、辞めた方がええのかなあ。
実は、これが私の辞めた理由です。
見栄張りの私は、かっこよく会社を辞めようと思いました。
でも、まったくかっこよくはできませんでした。
辞めたくないという心と、前途の不安と、うろたえた心を隠す為に、
馬鹿みたいなメールを後輩や仲間に送ってみたり。
乱心ってああいう時のことを言うんやろうと思います。
娘には、娘のために辞めるとは、もちろん言えず、
父さん会社辞めたいからやめてもええかなあって言った時、娘が言いました、
父さん、会社辞めて月曜日におはようって言う仲間がいなくなったら、
私みたいな病気になるでって。
なんか、かっこよく辞めようと考えすぎて、不恰好に辞めてしまったんで、
いっぱい誤解されたりしてるんやろうなあと思っていても、
まあ、過ぎたことやし、消え去った奴なんやから、ええやろ
っていうことにしてるんですけど。
反省、やっぱり私は、言い逃れが多いです。
生きるのしんどい 娘の口癖です。
生きるのは、本当にしんどいことです。
普通ってええなあ。
これも娘の叫びです。
普通ってなんやろ?
これから、ゆっくり答えを探そうと思ってます。
言い逃れではない答えを探そうと思ってます。
小学校のころから、先ず親に迷惑をかけない人生を歩もうという頑なな縛りをもって
進むことを決めて生きてきたようです。
(すべてが、発病してから、いろいろな話をして気づいたことなんですが)
耳の聞こえない自分は、普通の仕事はできないから、漫画家になろうと考えたそうです。
(これも、自分は、彼女が単に漫画が好きで、漫画家になることが夢なんや
くらいにしか考えてませんでした)
高校の3年間、寒い冬の通学に一度もコートを着ませんでした。
寒いからコートを買ってあげると言っても、いつも断る彼女に対し、
健康のためと、こだわりなんやと俺は思っていました。
(それも、難聴の自分が生きていく上で、金銭的にも親に負担をかけるだろうから、
出来るだけ今から金銭的にも迷惑をかけないという縛りからだったようです)
高校を卒業するときに、漫画家になりたいので4年間だけ就職せずに
自分で修行したいと相談を受け、美術大学への進学をすすめた時にも、
かたくなに断った彼女がいました。
その後、耳が悪いんですがと説明しながら自分でアルバイトを探して歩き、
漫画の修行の時間がとれて、人と会話をする必要が無い職場をみつけてきました。
プリンスホテルの便所掃除の仕事です。
元気に働いてました、実は、元気にみせて働いていましたというのが本当です。
俺も家内も、一生懸命彼女なりにがんばっていると安心していました。
最初は彼女も、そうだったそうです。
ほんの最初のうちだけは。
働き始めてしばらくしてから、一生懸命自分の手を消毒し、
通勤に使っていた自転車を毎日消毒するようになったそうです。
それを両親は、まったく気づかず、自分もそんなにおかしいことだとは思わなかったそうです。
そして3年が経過した頃、汚物の入った袋を持ってホテルの廊下を歩いていた時に、
家族客とすれ違った時、スーツ姿の父親が、その場で鼻をかんだティッシュペーパーを丸めて
娘に投げつけたそうです。そのティッシュが娘の肩に当たったそうです。
「父さん、その時から、わたしなあ、自分のことが汚いと思うようになったんや。」
ということです。
そのころ、トイレで落し物の財布を拾って届けたそうです。
「わたしは、ほめてもらえるのかなあと思ってたんや。
そしたら次の日にホテルの偉い人に呼び出されて、
中身を開けて見たやろうって怒られたんや。
そのとき、ずーっと泣いてたんや。
そのときから、わたしは耳が悪いから、下の下の仕事しかでけへん
最低の人間なんやって思うようになったんや。」
ということです。
「5年以上働いて、最後の方は、事務所で掃除の制服に袖を通したら、
身体が震えてきて、なんやろうって思ってたんや。」
何も気づいてやれなかった両親の責任も大きいです。
やっと気づいたのは、一日に何度も何度も、長い時間をかけて
手を洗うようになった娘になってしまってからでした。
強迫性神経症というのは、単純に潔癖症だけでなく鬱症状や
情緒不安定なさまざまな症状が複合するそうです。
手洗いや潔癖症だけでなく、大声で泣き出したり、過呼吸の発作があったり、
さまざまな症状が毎日続くようになったのが、
滋賀営業所に転勤になる直前くらいからでした。
もっといっぱいいっぱいの症状や出来事が、これでもかと俺を攻めてきていました。
耐えられない、さみしい、かなしい、死にたい、わたしなんか世の中に必要ない、
と言って毎夜1時か2時ころになると泣き出し、過呼吸の発作がおきる。
朝、世の中が明るくなると汚いものが見えるから起きられない。
だから夜明けの前に眠りにつきます。
毎夜、泣き出したり、発作がおきたりすると、深夜喫茶店に連れて行って、
あせらんとゆっくりいっしょに生きていこうって話を2時間ほどして、
帰ってくるのは、4時か5時。
辞める前4年間ほど、私の平均睡眠時間は2〜3時間でした。
パニック障害の発作を自分自身も数回経験しました。
辞めるわけにはいかないけれど、辞めたくないけれど、辞めた方がええのかなあ。
実は、これが私の辞めた理由です。
見栄張りの私は、かっこよく会社を辞めようと思いました。
でも、まったくかっこよくはできませんでした。
辞めたくないという心と、前途の不安と、うろたえた心を隠す為に、
馬鹿みたいなメールを後輩や仲間に送ってみたり。
乱心ってああいう時のことを言うんやろうと思います。
娘には、娘のために辞めるとは、もちろん言えず、
父さん会社辞めたいからやめてもええかなあって言った時、娘が言いました、
父さん、会社辞めて月曜日におはようって言う仲間がいなくなったら、
私みたいな病気になるでって。
なんか、かっこよく辞めようと考えすぎて、不恰好に辞めてしまったんで、
いっぱい誤解されたりしてるんやろうなあと思っていても、
まあ、過ぎたことやし、消え去った奴なんやから、ええやろ
っていうことにしてるんですけど。
反省、やっぱり私は、言い逃れが多いです。
生きるのしんどい 娘の口癖です。
生きるのは、本当にしんどいことです。
普通ってええなあ。
これも娘の叫びです。
普通ってなんやろ?
これから、ゆっくり答えを探そうと思ってます。
言い逃れではない答えを探そうと思ってます。
Comment
普通てなんでしょう
これが当たり前やとしよう
ちょっと違うかも知れんけど、
娘によく言うことです。
「きれい好きな人がいて、これを触るの絶対いややって言わはる。」「その人といっしょやと思ったらええ。」
気休めなんやで。
でも、逃げ道なんや。
俺自身のな。
どこまでいっても解決なんてないんやろうと思う。
それやから、これが当たり前なんやということで休まろうよ。
ちょっとだけの気休めやけどな。
娘によく言うことです。
「きれい好きな人がいて、これを触るの絶対いややって言わはる。」「その人といっしょやと思ったらええ。」
気休めなんやで。
でも、逃げ道なんや。
俺自身のな。
どこまでいっても解決なんてないんやろうと思う。
それやから、これが当たり前なんやということで休まろうよ。
ちょっとだけの気休めやけどな。
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さて、「普通て何でしょう?」僕には知的障害のある息子がいます。「普通だったら、この歳には何何ができて・・・」と事あるごとに耳にしました。
これから、プログと共にゆっくり「答え」を探していこうと思います。