203.私、死んだ方がええか?
2008.10.26 [ Edit ]
息子と末娘と妻が働き出してから、我家の就寝時間が早くなった。
但し、娘と私を除いて。
娘も、早めに寝ようと努力している。
でも、それもストレスになる。
我慢できなくなると、
「母さん、仕事辞めえな。」
「みんな早く寝て、みんな出掛けて、いつもわたし独りぼっちや。」
こういうことになる。
無茶苦茶を言っているのは、解りながら言っている。
もっと、強い寂しさに襲われると、
「わたしが死んだら、家族は楽か?」
「いつでも、どこでも、行けるし、楽やろうなあ?」
「わたしひとり、みんなに迷惑かけてるし。」
「死んだ方がええなあ。」
こんな理屈が出てくる。
かける言葉がわからなくて、気持ちが重くなる。
私がサッカーに行くことも、
「自分だけ楽しみがあってええなあ。」
と、ひがんだ言い方になってしまう。
心の中では、父さんの唯一の息抜き、生き甲斐、
生かされてる仲間との触れ合いだということは理解しているなずなんです。
今夜も、明日仕事があるから早く寝た妻。
妹も、明日は仕事。
私も、明日は和歌山協会主催の大会があって和歌山遠征。
夜中になって、また、寂しさが娘を襲いだしたのでしょう、
「死にたい。」
こう言って泣き始めました。
「おまえが死にたいって言うのは解るような気がする。」
「しんどいやろうなあ。」
泣きじゃくりながら、
「わたしも、仕事に行きたい。」
「そうやろうなあ、行きたいやろう。」
「でもな、途中でトイレに行きたくなっても行けへんやろ。」
「嫌なこと、汚いものに出会ったら、行けへんもんなあ。」
「だから父さんは、おまえが死にたいって言うても黙ってるんやで。」
「子供が死にたいって言うこと、親にとって、こんな悲しいことはないんや。」
「父さんは、おまえが死にたいって言うたびに、心で泣いてるんやで。」
「人と話したかったら、仕事に行け。」
「がんばれって言わんなんからなあ。」
「出来へんの解ってるし、がんばれって言えへん。」
「がんばらんでええねん。」
「でも、我慢はせんとあかん。」
「わたし、我慢はきらいや。」
「我慢が好きな人なんて、どこにもいてないで。」
「生きてることは、我慢することなんや。」
「会社が倒産して、突然収入がなくなる家族もある。」
「元気にしてたのに、検診行って癌やて言われる。」
「サッカーの選手やったのに、事故で車椅子生活になる。」
「そんなこと、いっぱいあるんや。」
「自分はこの世の中で一番辛いんやって、みんな思ったはるんや。」
「人のしんどさは、なかなかわからへん。」
「でもな、自分の子供のしんどさは親ならわかるんやで。」
「おまえが、無茶苦茶言うてても、心の中では謝ってること。」
「我慢しいやって言われて、いややって言いながら、我慢しようと思ってること。」
「これも、父さんはわかってるんや。」
「だから、家族で力あわせて我慢していこう。」
「このままで終らへんぞって思おう。」
「勝ちにいかんでもええ、負けへんかったらええんや。」
泣き止まない娘を抱きしめながら、一生懸命、娘に話しました。
娘に言いながら、自分自身にも言っていることなのです。
「負けへんぞ、我慢するぞ、このままでは終らへんぞ。」
但し、娘と私を除いて。
娘も、早めに寝ようと努力している。
でも、それもストレスになる。
我慢できなくなると、
「母さん、仕事辞めえな。」
「みんな早く寝て、みんな出掛けて、いつもわたし独りぼっちや。」
こういうことになる。
無茶苦茶を言っているのは、解りながら言っている。
もっと、強い寂しさに襲われると、
「わたしが死んだら、家族は楽か?」
「いつでも、どこでも、行けるし、楽やろうなあ?」
「わたしひとり、みんなに迷惑かけてるし。」
「死んだ方がええなあ。」
こんな理屈が出てくる。
かける言葉がわからなくて、気持ちが重くなる。
私がサッカーに行くことも、
「自分だけ楽しみがあってええなあ。」
と、ひがんだ言い方になってしまう。
心の中では、父さんの唯一の息抜き、生き甲斐、
生かされてる仲間との触れ合いだということは理解しているなずなんです。
今夜も、明日仕事があるから早く寝た妻。
妹も、明日は仕事。
私も、明日は和歌山協会主催の大会があって和歌山遠征。
夜中になって、また、寂しさが娘を襲いだしたのでしょう、
「死にたい。」
こう言って泣き始めました。
「おまえが死にたいって言うのは解るような気がする。」
「しんどいやろうなあ。」
泣きじゃくりながら、
「わたしも、仕事に行きたい。」
「そうやろうなあ、行きたいやろう。」
「でもな、途中でトイレに行きたくなっても行けへんやろ。」
「嫌なこと、汚いものに出会ったら、行けへんもんなあ。」
「だから父さんは、おまえが死にたいって言うても黙ってるんやで。」
「子供が死にたいって言うこと、親にとって、こんな悲しいことはないんや。」
「父さんは、おまえが死にたいって言うたびに、心で泣いてるんやで。」
「人と話したかったら、仕事に行け。」
「がんばれって言わんなんからなあ。」
「出来へんの解ってるし、がんばれって言えへん。」
「がんばらんでええねん。」
「でも、我慢はせんとあかん。」
「わたし、我慢はきらいや。」
「我慢が好きな人なんて、どこにもいてないで。」
「生きてることは、我慢することなんや。」
「会社が倒産して、突然収入がなくなる家族もある。」
「元気にしてたのに、検診行って癌やて言われる。」
「サッカーの選手やったのに、事故で車椅子生活になる。」
「そんなこと、いっぱいあるんや。」
「自分はこの世の中で一番辛いんやって、みんな思ったはるんや。」
「人のしんどさは、なかなかわからへん。」
「でもな、自分の子供のしんどさは親ならわかるんやで。」
「おまえが、無茶苦茶言うてても、心の中では謝ってること。」
「我慢しいやって言われて、いややって言いながら、我慢しようと思ってること。」
「これも、父さんはわかってるんや。」
「だから、家族で力あわせて我慢していこう。」
「このままで終らへんぞって思おう。」
「勝ちにいかんでもええ、負けへんかったらええんや。」
泣き止まない娘を抱きしめながら、一生懸命、娘に話しました。
娘に言いながら、自分自身にも言っていることなのです。
「負けへんぞ、我慢するぞ、このままでは終らへんぞ。」
Comment
しんどいけど
しんどいなあ。
でも、負けたらあかん。
勝たんでええけど、負けたらあかん。
しんどいけど、負けたらあかん。
無理せんでええし、
焦らんでもええ。
いっしょに、負けないようにしような。
でも、負けたらあかん。
勝たんでええけど、負けたらあかん。
しんどいけど、負けたらあかん。
無理せんでええし、
焦らんでもええ。
いっしょに、負けないようにしような。
人が苦しいとき、本当はアドバイスとか必要ないのかもって思ったりします。。。。もしかして、ただ、共感だけが、おしつけがましくないのかも・・・。とか思うんです。
ですから、お伝えするとかでなく、ただ、私の体験談なんですが。。。。
私は強迫神経症なのですが、一番ひどかったのは、小学生の頃でした。小学2年生のとき、3,4歩歩いたら、足の裏を確認しなければいけないという、ルールがなぜか出来てしまいました。ですから、それを守りながら学校へいかなければならなくなったんです。それは馬鹿らしくも疲れる登下校でした。その後、抜毛症という、抜きたくないのに、自ら頭の毛をむしりつづけるのがとまらなくなり、小学3年生から5年生時は、ずっと500円玉大のはげ6つ分ぐらいのが頭の両脇に出来てしまいました。そして、今現在は軽減したものの、30代の今も強迫神経症と共存して生きています。
現在はすごく疲れたときは幻聴というか、そういったのがあるので、自分はあぶないタイプだと感じ、統合失調症を発病しないのが、この生涯において願い事であり極めて真剣な目標です。
で、なぜそこまで書いたのかといいますと、私は心身ともに健康なタイプで、人生で学んだ事ってわけではないんです。。。以前、私は20代の頃に6年間、ヒーリングショップにてアルバイトをしていたことがあります。店員とはいえ、ほとんど人生相談や、深刻な心の相談で来店されるお客様が多かったんですね。 でも、利益率が良くなく、一日中お客様の相談を聞いても時給1000円でした。そしてそのころ、自立のため、自分で部屋を借りての生活を2年間したのですが、月収が12万円ほどと限らているので、(東京都内勤務でしたので)家賃、食費、光熱費で、お給料は使い切ってしまい、一年間で自分のために何も買ったり出来ませんでした。
でも、なぜか、月日がたつうちに、自己催眠のようなものにかかっていきました。自分はお給料が少ないんんだから、しかたない。それでも、こんな私に相談しに毎月通ってくださるお客様もいらっしゃるんだから、奉仕しなければ。。。という感じで、自分のアイデンティティが、人に奉仕し、でもお給料は少ないので自分はほしいものがとにかく我慢する。。。みたいな生活になっていきました。。。
そういう生活を何年もしているうちに、自分にご褒美や自分を大切にすることが、もう習慣で出来なくなっていきました。。。
そうこうするうち、わたしは、また心身に限界を感じ、その仕事をやめ、数年、ノイローゼのような状態で実家にひきこもってしまいました。
結局、自分を自分で救えなくなってしまったんですね。。。だから、自分を救えなく、人も救えなくなっていきました。
たぶん、未熟な私でも、アルバイト勤務という出来る範囲で、人に奉仕する仕事を選んだまでは良かったんです。
でも、わたしが、間違えたのは、自分に自分で愛をあげなくなっていった事。自分を大切にしないでひたすら我慢が正しいという自己催眠にかかっていったこと。それを何年も続けたことなんじゃないかなぁと思うんです。。。
長くなってしまいましたが、実体験を話してみました。
こんなに長々とすみません。。。
おっさん(なんだか気安く、いつもこの呼び方で申し訳ないような・・・。)が、なにかこの文章で変化してほしいとかではありません。ただただ、なんというか、わたしなりに、少しでも励ましたかったっていうか、そんな感じのコメントなんです。。
気楽に読み流してください。。。。
ですから、お伝えするとかでなく、ただ、私の体験談なんですが。。。。
私は強迫神経症なのですが、一番ひどかったのは、小学生の頃でした。小学2年生のとき、3,4歩歩いたら、足の裏を確認しなければいけないという、ルールがなぜか出来てしまいました。ですから、それを守りながら学校へいかなければならなくなったんです。それは馬鹿らしくも疲れる登下校でした。その後、抜毛症という、抜きたくないのに、自ら頭の毛をむしりつづけるのがとまらなくなり、小学3年生から5年生時は、ずっと500円玉大のはげ6つ分ぐらいのが頭の両脇に出来てしまいました。そして、今現在は軽減したものの、30代の今も強迫神経症と共存して生きています。
現在はすごく疲れたときは幻聴というか、そういったのがあるので、自分はあぶないタイプだと感じ、統合失調症を発病しないのが、この生涯において願い事であり極めて真剣な目標です。
で、なぜそこまで書いたのかといいますと、私は心身ともに健康なタイプで、人生で学んだ事ってわけではないんです。。。以前、私は20代の頃に6年間、ヒーリングショップにてアルバイトをしていたことがあります。店員とはいえ、ほとんど人生相談や、深刻な心の相談で来店されるお客様が多かったんですね。 でも、利益率が良くなく、一日中お客様の相談を聞いても時給1000円でした。そしてそのころ、自立のため、自分で部屋を借りての生活を2年間したのですが、月収が12万円ほどと限らているので、(東京都内勤務でしたので)家賃、食費、光熱費で、お給料は使い切ってしまい、一年間で自分のために何も買ったり出来ませんでした。
でも、なぜか、月日がたつうちに、自己催眠のようなものにかかっていきました。自分はお給料が少ないんんだから、しかたない。それでも、こんな私に相談しに毎月通ってくださるお客様もいらっしゃるんだから、奉仕しなければ。。。という感じで、自分のアイデンティティが、人に奉仕し、でもお給料は少ないので自分はほしいものがとにかく我慢する。。。みたいな生活になっていきました。。。
そういう生活を何年もしているうちに、自分にご褒美や自分を大切にすることが、もう習慣で出来なくなっていきました。。。
そうこうするうち、わたしは、また心身に限界を感じ、その仕事をやめ、数年、ノイローゼのような状態で実家にひきこもってしまいました。
結局、自分を自分で救えなくなってしまったんですね。。。だから、自分を救えなく、人も救えなくなっていきました。
たぶん、未熟な私でも、アルバイト勤務という出来る範囲で、人に奉仕する仕事を選んだまでは良かったんです。
でも、わたしが、間違えたのは、自分に自分で愛をあげなくなっていった事。自分を大切にしないでひたすら我慢が正しいという自己催眠にかかっていったこと。それを何年も続けたことなんじゃないかなぁと思うんです。。。
長くなってしまいましたが、実体験を話してみました。
こんなに長々とすみません。。。
おっさん(なんだか気安く、いつもこの呼び方で申し訳ないような・・・。)が、なにかこの文章で変化してほしいとかではありません。ただただ、なんというか、わたしなりに、少しでも励ましたかったっていうか、そんな感じのコメントなんです。。
気楽に読み流してください。。。。
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すごく辛く苦しい気持ちがわかります。
おっさんの苦しい気持ちもすごくわかる。
もどかしいこの気持ちをどう伝えたらいいのだろう…。
おっさんも無理したらだめだよ。