229.人生、棒に振る
2008.11.23 [ Edit ]
「わたし、人生棒に振ってるなあ。」
「耳が悪いだけでも、人より出来へんこといっぱいやのに。」
「おまけに、こんな病気になって、薬飲んで、いっぱい太って。」
「恋人も欲しいし、結婚もしたい。」
「でも、こんな病気わかって、付き合ってくれる人なんかいてないやろうし。」
農家の米を、玄米で友達が買っているのを、譲ってもらったものを精米するのに、
精米機がある場所まで、娘と車でいっしょに行く途中で、
私に言うでもなく、独り言でもなく、ぼそっと、言い出した娘の話。
「耳が悪いだけでも、人より出来へんこといっぱいやのに。」
「おまけに、こんな病気になって、薬飲んで、いっぱい太って。」
「恋人も欲しいし、結婚もしたい。」
「でも、こんな病気わかって、付き合ってくれる人なんかいてないやろうし。」
農家の米を、玄米で友達が買っているのを、譲ってもらったものを精米するのに、
精米機がある場所まで、娘と車でいっしょに行く途中で、
私に言うでもなく、独り言でもなく、ぼそっと、言い出した娘の話。
「あのな、このあいだからお付き合いしてる52歳のおばちゃんの話してたやろ。」
「あのおばちゃんは、病気の最中で結婚しはったと思うし、子供も生んだはる。」
「耳が悪いも、病気も、しんどいけど、解ってくれる人と出会うことは、無いことではないで。」
「それは、また、別の話というか、出会いとか、縁とかいうことやろ。」
無理矢理、苦し紛れみたいな、私の答。
「こうやって、外に出るのも、父さんの車でしか出られへんし。」
「やっぱり、棒に振ってるで、わたしの人生。」
このドライブの前に、今日は休みの末娘が京都の友達と食事に行くということで、
いっしょに末娘を駅まで送っていったことで、
「妹は、ええなあ。」ってことを思ってるんやろうなあということは解っているのですが、
うまく納得させられるような答えが、私の頭の中から出てこないのです。
「お父さんと、弟には、サッカーがあるけど、わたしには、なんにもない。」
この考え方も、これから出てくる言葉やろうなあと、頭の中で考えてました。
私が、サッカーをやめると言っても、それで解決する話でもないし、
私がサッカーと、サッカーの仲間たちを生きる希望にしているようなところがあるとしても、
それは、だれかに結び付けてもらったことでもないし、たまたま、出会ったものな訳で、
サッカーに出会わず、サッカーをしていなかったら、たくさんの人とも付き合ってないだろう。
弟にしても、サッカーを私が無理矢理させたわけでもないし、
私が、サッカーをやっていた影響はもちろんあるにしても、
自然に出会ったといえば、そうも言えるものだと思う。
娘が、中学校に入ったときに、無理矢理にでも、バスケット部に入れとか言ってやればよかったのかなあ。
でも、そんなことは、おかしいやろ?
「わたしは、漫画家になるために、友達はいらんと思って、だれとも付き合わへんかった。」
こんなふうに言ってる娘に、賛成はしなかったけど、悪いことだとも言わなかった。
どうしてやったらよかったんやろ?
こういうふうに、頭の中で、ぐるぐる考えても、
結局、父親が出来ることではないし、することでもないことばかりで、
娘の人生の中での、娘が自分で出来ることでもない、他力の話になるのではということが、
ぼんやりとした答えになる。
そこで、娘が、自分で答えを、また、ぽつりと、独り言のように言いました。
「宇宙の果てが、出さはる答えやなあ。」
娘の言う、宇宙の果てで、人間を眺めて楽しんでいる人たちに、
心の中で、お願いしました。
「ちょっとでええから、苦しみから開放してやってくれよ。」
「もうそろそろ、娘にも、ええことあっても、ええのとちがうの?」
「ええことなかってもええから、普通に歩けるようにしてやってくれよ。」
ずっと、頭の中で話しながら、前を向いて運転していました。
「棒に振ってなかったやろ。」
「こんなええこと、あったがな。」
大きな声で、笑いながら言える日が、きっとあると思っています。
「あのおばちゃんは、病気の最中で結婚しはったと思うし、子供も生んだはる。」
「耳が悪いも、病気も、しんどいけど、解ってくれる人と出会うことは、無いことではないで。」
「それは、また、別の話というか、出会いとか、縁とかいうことやろ。」
無理矢理、苦し紛れみたいな、私の答。
「こうやって、外に出るのも、父さんの車でしか出られへんし。」
「やっぱり、棒に振ってるで、わたしの人生。」
このドライブの前に、今日は休みの末娘が京都の友達と食事に行くということで、
いっしょに末娘を駅まで送っていったことで、
「妹は、ええなあ。」ってことを思ってるんやろうなあということは解っているのですが、
うまく納得させられるような答えが、私の頭の中から出てこないのです。
「お父さんと、弟には、サッカーがあるけど、わたしには、なんにもない。」
この考え方も、これから出てくる言葉やろうなあと、頭の中で考えてました。
私が、サッカーをやめると言っても、それで解決する話でもないし、
私がサッカーと、サッカーの仲間たちを生きる希望にしているようなところがあるとしても、
それは、だれかに結び付けてもらったことでもないし、たまたま、出会ったものな訳で、
サッカーに出会わず、サッカーをしていなかったら、たくさんの人とも付き合ってないだろう。
弟にしても、サッカーを私が無理矢理させたわけでもないし、
私が、サッカーをやっていた影響はもちろんあるにしても、
自然に出会ったといえば、そうも言えるものだと思う。
娘が、中学校に入ったときに、無理矢理にでも、バスケット部に入れとか言ってやればよかったのかなあ。
でも、そんなことは、おかしいやろ?
「わたしは、漫画家になるために、友達はいらんと思って、だれとも付き合わへんかった。」
こんなふうに言ってる娘に、賛成はしなかったけど、悪いことだとも言わなかった。
どうしてやったらよかったんやろ?
こういうふうに、頭の中で、ぐるぐる考えても、
結局、父親が出来ることではないし、することでもないことばかりで、
娘の人生の中での、娘が自分で出来ることでもない、他力の話になるのではということが、
ぼんやりとした答えになる。
そこで、娘が、自分で答えを、また、ぽつりと、独り言のように言いました。
「宇宙の果てが、出さはる答えやなあ。」
娘の言う、宇宙の果てで、人間を眺めて楽しんでいる人たちに、
心の中で、お願いしました。
「ちょっとでええから、苦しみから開放してやってくれよ。」
「もうそろそろ、娘にも、ええことあっても、ええのとちがうの?」
「ええことなかってもええから、普通に歩けるようにしてやってくれよ。」
ずっと、頭の中で話しながら、前を向いて運転していました。
「棒に振ってなかったやろ。」
「こんなええこと、あったがな。」
大きな声で、笑いながら言える日が、きっとあると思っています。
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