強迫性神経症 | 強迫性障害 | OCD体験記・子育てブログ

強迫性神経症(強迫性障害/OCD)の娘と向き合う父親の体験記・子育てブログ

230.あざ笑え

2008.11.24 [ Edit ]

今日、やっと、信楽のミホミュージアムの”大和し美し”という展観を娘と見に行きました。

先日、二人で行ったときに、臨時休館だったところです。

妻と、末娘と、姉娘と、私の4人で信楽までドライブ。

新名神高速道路が開通してから、山間の川沿いを登っていく感じから一変。
大津から、高速で30分くらいで行けるようになったため、
先日の経験から、簡単に到着することが解り、娘が緊張せずに、行こうと言えるようになり、
明日になったら、行けないかも知れないということがなくなり、
末娘も誘えたというところです。

実は、昨日、事件があって、
行けないのだろうと、私は思っていたのですが、
行けて、ほっとしています。

「わたしの人生、棒に振ってる。」、この話のときは、まだ、よかったのですが、

「パチンコ、行こうか?」

という、娘の誘いというより、懇願に、
そう、懇願なんです。

「お金、無いから行かへん。」

と、私の拒否。

昨夜、これで、大荒れになってしまいました。



前に、ちらっと話しましたが、パチンコだけが唯一の、自由に動ける人ごみなのです。

弟に、パチンコに連れてもらってから、唯一の楽しみになってしまっています。

ちょっと、恥ずかしくて、情けなくて、白状したくはないのですが、
娘だけが悪いのでもなく、私自身も、娘を楽にさせてやりたいということを隠れ蓑にして、
しんどい気持ちからの、逃げ場にしていたのだと思います。

何も考えずに、ゲーム機の前に座っていると、現実逃避できますから。

ただ、遊戯ではなく、ギャンブルですから、金は相当使うわけです。

私は、ギャンブルが嫌いではなく、それなりに経験してきていますから、
止め時があってとか、深追いをしないとか、ブレーキが必要なことを知っていますが、


私と違って、ずっと自分を縛って真面目すぎるくらい真面目に生きてきた娘には、
解らないことです。

夕方から、閉店時間近くまでを、そこで過ごしたいという気持ちが強く、
ギャンブルに勝つとか、負けるとかの感覚はありません。
ただ、たくさんの人がいる場所に身をおけて、
同じ目的の時間を共有できる喜びなのです。

それが解っているので、少しでも楽にさせてやりたいと、
毎日、毎日、連れて行っていました。

もう一つ、何も出来ない娘が、唯一、自分が稼げる場所でもあるということも大きいのです。
たまに、勝ったときに、家族全員に、プレゼントを買います。
自分のお金で、弟と妹に、なにかをあげられることの喜びが大きいようです。

愚かな、甘い、父親だと言われれば、そのとおりです。

私の友達にも、「パチンコ出来るんやったら、何でも出来るやろ。」
よく、言われます。
もちろん、そんなことは何度も言っています。

「パチンコ行けるんやから、仕事探して行ってみたらどうかな?」

「わたしも、なんべんも考えてるんやけど、出来へん。」
「また、おんなじ説明せんとあかんのか?」
「もう、わかってほしい。」

こう言って、泣かれます。

ここは、娘と、娘の病気を弁護しますが、そうではないのです。
この理屈は、だれにも理解されない理屈かもしれませんが、
そういうところが、とにかく、あるのです。

自分でも、パチンコはもう止めたいなあと、悲しそうにうつむきながら言っています。

なので、いつか、他に目が向いて、
自然に遠ざかっていけばいいかなあとも思ってはいます。

「絵画教室に行こうかな。」
「なにか、出来ること、することがあったら楽やと思うし。」

時々、こうも言っていますから。

ただ、今は、気づいている罪悪感と、出かけたいという欲望の狭間で苦しんでいますし、

単純に我慢するというのと違って、

なんで、これしかないのか?
わたしには、なにもないのか?
どうすればいいのか?
どうしようもない。
くやしい。
苦しい。
かなしい。
寂しい。
というのが、入り混じってしまうので、頭の中が混乱してしまうのです。

そんなことで、また、手の甲に、タバコの火を押し当てたようです。
末娘が気づいて、私におしえてくれました。

世の中の常識なんて、解ってる。
どれが良いことで、どれが悪いことなのかということも、
娘も、私も、解っているんです。

でも、悪いって解ってることも、気がつきながらしている悪いことなのに、
ブレーキを、かけられないんです。

苦しいんです。
悲しいんです。
くやしいです。

「あほか。」

鼻で笑っている、あざけりが聞こえてきます。

”普通”の生活をしている人に解ってもらえないことも知っています。

馬鹿にされながらも、娘といっしょに歩いていきます。

天才のみ登れる坂道を
足の悪い凡夫が登っていく
笑え、笑え、あざ笑え

啄木の詩だったかな?
そんな気持ちです。

Comment

>「笑え、笑え、あざ笑え」は
「がんばれ がんばれ オレがんばれ」って聞こえます
がんばらない日もあっていいですよね

今日は苦しい苦しいの声を他にも聞いて
私にはいったい何ができるのだろう。
私っていったい何やってんだろう
と、心がジタバタしました

神さまは何のためにこの試練を与えているのか
なぜ私なの?なぜあの人なの?なぜこの子なの?

いつ答えがでるのでしょうか
光がほしいですね

すてねこさんへ

あざ笑えもあるけど、おっさんは、不幸と幸福の生涯面積が二等分される法則を信じています。

事象で平等じゃないかもしれんけど、心の中、自分の尺度で、幸福の面積と、不幸の面積が、その人の生涯で半々になるものと信じています。

しんどいから、いい友達にめぐり合える。
自己に犠牲を強いるから、友情があつくなる。
もっと簡単な表現をすれば、電車で席を譲ったら、感謝されて、自分の心も温かくなる。

こんなんも、平等の原則のうちかなと思えば、けっこう、二等分の原則は信じられるものです。

答えは、無理に求めんでええのではと思ったりする。

いつか光が射してくれることを信じて。

でも、正直な本音は、こんな聖人の答えと違うところにあるのかもなあ。

とにかく、
頑張らない日があってもええし、
頑張れない日もあってもええ。

いっしょに、ゆっくり、歩きましょう。

焦ることのないように。

心がジタバタした時は、深呼吸して、お茶でも飲もう。

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