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強迫性神経症(強迫性障害/OCD)の娘と向き合う父親の体験記・子育てブログ

260.言葉の薬 (幼なじみ2)

2008.12.26 [ Edit ]

私が、結婚して娘が生まれたころでしたから、26歳くらいの話。

盆休みだったと思います。
幼なじみの友の帰省の連絡で、家に遊びに行ったとき。
勝手に玄関を開けて、挨拶もせずに奥に入っていきました。
彼の家は、大きな百姓家で、玄関から奥の居間までが遠いのです。

おすっと、声をかけようと思ったところ、
兄貴と彼が深刻な顔で話をしていたので、黙って勝手に上がりこんで、ちょっと離れて座りました。

話の内容は、サッカーをどう続けるかという相談。

法政のサッカー部時代、早稲田との大事な試合でゴール前の簡単なシュートを外してから、
レギュラーを外されて不遇の大学サッカー生活だったことは、彼から聞いていますが、

東芝サッカー部に入って、頑張っているということだったので、安心していたのです。


ところが、東芝に入ってから、監督と意見が合わず、これまた不遇。
努力は人の3倍したはずの彼ですが、運となにかがずれたのか、
その時、彼が兄貴に言ってたのは、
監督が選手はあきらめて、マネジャーの仕事をしろと言う、
自分は選手を続けたいから、東芝のサッカー部はやめて、
神奈川選抜で選手を続けたいということ。

兄貴が、東芝のサッカー部をやめて、他のチームでサッカー続けたら、
サッカーどころか、会社を辞めないといけないことになる。
我慢しろということでした。
彼は、泣いていました。

挫折、人生の中で、これを味わわない人はいないでしょう。
自分の心の中で、耐えられないような屈辱感と闘うのです。

再起して勝利を得ることも、稀にありますが、ほとんどは、諦めか妥協。
彼のサッカーは、その時が頂点というか、最高ポイントだったのだと思います。

一生懸命の、それ以上を目指してしまった辛さだったのかと思います。

妥協して、頂上のサッカーを目指すことを諦めた彼は、サッカーから離れていきました。


その兄弟の相談の時、兄貴が、黙って横に座っている私のことを、彼に言ったことば、


「こいつは、もうサッカーを諦めて、結婚して子供までいて、ちゃんと暮らしとる。」


私は、サッカーを諦めるという感覚がありませんでした。
当時は、今と違ってプロもなかったし、サッカーを職業にできるなどとは考えない時代でしたから。
諦めるなんてことを考えたこともなかったし、
その時は、高校の仲間達とチームを作って、市のリーグに加盟して、
連戦連勝、優勝カップ集めをして楽しんでましたから、
頂上では決してなかったですが、充実していましたし、満足していました。

その後、そのまま、彼との友情は今でも続いているのですが、
まだ私の人生に曇りが見えなかったころ、20年前くらいのことです。
彼から連絡があって、実家に帰るから、友達を集めといて欲しいと頼まれ、
仲のいい男女5人ほどに声をかけて、いつも集まるレストランに集合して彼を待ちました。

その日、彼がそのレストランに着くまで、私に10回以上電話をかけてきたのです。

今から家を出る。
今、横浜駅に着いた。
新幹線に乗った。
富士山が見える。

そんな、彼からの報告の電話が10回以上です。

私は、久々の帰省に、はしゃいでるんやなあと、

「うるさいなあ、着いてから連絡してこい、いちいち報告の電話はいらん。」

そんなことを言いながら、笑っていました。

ところが、レストランに到着してからの彼が異常にはしゃいでいて、
大きな声で笑う、客が大勢いるなかで何度も写真を撮る、変な感じだったのです。

彼がトイレに立った時、仲間の女の子、女の子という歳でもなかったですが、
小学校の同級生なので、いくつになっても女の子です、その彼女が、私にささやきました。

「あの人、ちょっと変やで。」
「病気やと思うわ。」
「心の病気やで、きっと。」
「あんた、何も聞いてへんか?」

彼が席に戻り、その後、そのまま思い出話を楽しんで、
帰りは、私が彼を家に送りました。
久しぶりの彼の家に上がりこんで、遅くまで二人で話したのですが、
女の子の話が気になっていたので、彼に聞いてみました。

「おまえ、なんか調子悪いのか?」
「心の調子や。」

直接的な私の質問に、ちょっと絶句してから、

「おう、鬱病やって言われてるんや。」
「三ヶ月入院してたんや。」

「えっ」

「薬いっぱい飲んでるんや、ふさぎ込んだら三日間でも黙ってたりするから。」

そんな病気にかかる奴ではないと思っていたので、びっくりしました。
それから、夜更けまで、そのことについて話し合いました。
彼を落ちこまさないように気をつけながら。

「おまえ、今でも、サッカーの後輩とかと付き合ってるやろ。」
「そいつら、日本代表張ってきた奴らやろう。」
「おまえのほうが、うまかったことは、そいつらも俺も認めるけど、周囲は解らへんわなあ。」
「例えば、マスコミの人が同席してサッカーの話になる。」
「その時、おまえは、ただの人やからな。」
「プライド傷つくわなあ。」

「そんなことないよ。」

彼は否定しましたが、どんどん私は踏み込んでいきました。
病気に対して知識がなかったわけではないのですが、
彼を引き戻したい一心での荒療治です。

「おまえは、そう思ってなかっても、おまえの心は傷ついてると俺は思う。」
「何回かの挫折での擦り傷のかさぶた剥がしてるようなもんやと思う。」
「あっちに住んでたら、見栄張ってしんどいやろうから、帰って来い。」

簡単に、帰れないのも承知のうえで、どんどん、ずけずけ、そんな話をしました。
今まで、彼のプライドのために、話さなかった話もしました。
彼の心の傷の核心を、彼に気づかせたかったのです。

明け方、彼が、言いました。

「おまえの言うとおりかもしれん。」
「帰ってはこれへんけど、言うてくれたことに注意するわ。」

「おう、まあ気楽に考えて生きろ。」

乱暴な、精神科の医者が聞いたら怒るような内容の話でしたが、
男同士の必死の会話で、裸の殴り合いみたいな会話で、
病気への影響はどうかわかりませんが、
彼との痛みの共有は、そのときから出来たものだと思っています。

その後、そんな過激な話し合いは二度としませんでしたが、
今まで、うまく病気と付き合ってきたようです。

「食後のビタミン剤やと思って、薬飲み続けてるわ。」

そんなことを言っていたこともあります。

「その子、どこの子や?」の母さんの葬儀で出会った久しぶりの友。

「娘の調子は、どうや?」

ぼそっと、聞いてくれました。

「おまえと、同じようなもんや。」

心の中で、そう答えて、口では、

「おう、まあまあかな。」

うまく妥協ができない心は、傷つくことがあって、
すぐに癒えたらいいけれど、治るまでに時間がかかる場合もある。
薬もいるけど、もっといいのは、言葉の薬。
心のこもった暖かい言葉、真剣な思いやり、ほんまもんの言葉は何よりの薬。

これを信じて、ゆっくり歩こ。



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強迫性神経症(強迫性障害 | OCD)と闘う父親の日記。画像は娘が描いたものです。

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