294.踏み出せない一歩
2009.01.29 [ Edit ]
「絵を描きに行きたいと思うんやけど、行けへん。」
「なんでやろ?」
こう言って、涙ぐむ娘。
「ゆっくりでええ。」
私は、こう言うのが精一杯。
頭の中に、言葉が次々に浮かぶことは浮かぶのですが、
口に出しても、娘を焦らせるような言葉ばかりなので、
浮かんでくる言葉を、次々に消去する。
トンネルの出口は、大きな岩だらけ。
なかなかうまく進めません。
賽の河原の石積みを、鬼が出てきて蹴飛ばします。
「なんでやろ?」
こう言って、涙ぐむ娘。
「ゆっくりでええ。」
私は、こう言うのが精一杯。
頭の中に、言葉が次々に浮かぶことは浮かぶのですが、
口に出しても、娘を焦らせるような言葉ばかりなので、
浮かんでくる言葉を、次々に消去する。
トンネルの出口は、大きな岩だらけ。
なかなかうまく進めません。
賽の河原の石積みを、鬼が出てきて蹴飛ばします。
今日、スーパーの中の薬屋に、買い出しに行きました。
うちの家は、薬屋さんに使うお金が、かなり多い。
除菌スプレー、目薬、石鹸、その他除菌関連商品多品目。
普通の家庭の数倍の消費量。
かご一杯の除菌商品。
食費割合が、エンゲル係数ならば、
除菌商品費割合は、強迫係数やなあと、娘と笑いながら納得しています。
そのスーパーで、娘がトイレに行って、出てきた時の深刻な顔。
うつむいて黙っているので、
「コーヒー飲んで、休憩しようか?」
「うん。」
店内の喫茶店に入ったのですが、まだ、うつむいて黙っている。
「なんか、あったんか?」
「トイレ入ったら、おばさんが出てきはったんやけど、ちょっと変な臭いがしたんや。」
「大丈夫かなあ?」
「大丈夫や、大丈夫。」
「他のこと考えよう。」
「ははは。」
なんの意味も無い、私の笑い。
これは、逃避の笑いです。
どうしようもない時に、癖になってる逃避の笑い。
情けないけど、ごまかし笑い。
「父さん、トイレの便器に抗菌って書いてあるやろ、あれはどういう意味?」
「抗菌っていうのは、そうやなあ、菌が付きにくい表面処理がしてあるってことかなあ。」
「そしたら、菌を殺してしまえるってことではないの?」
「そうでは、ないなあ。」
「ということは、いろんな人が触れはったら、菌が付くってことやろ?」
「うん、菌はたくさんある。」
「世の中が、菌だらけやってことは知ってるやろ。」
「でもな、人間には、抵抗力ってもんがあるから大丈夫なんや。」
「人の身体は強いもんなんや。」
「菌を殺す力は、抗菌や除菌って書いてある商品より、人間そのもののほうが強いんやで。」
「解ってるんやで。」
「そういうことは、なんでも知ってるんやけど。」
「知ってるんやけど、あかんねん。」
「父さんは、おまえが知ってて、あかんのやってことも知ってるで。」
「今の話は、それを知ってて言うてるんや。」
「解ってるんやったら、言わんでええやんか。」
「ちがう、前は、この会話は出来へんかった会話やろ。」
「大丈夫やって父さんが言うた瞬間に、おまえは、怒ってたやろ。」
「今は、怒らんと聞けるようになった。」
「ここが、大切なところや。」
「これは、大きな進歩で、父さんは、これを楽しんでるんや。」
「ひとの苦しみで楽しむな、あほ。」
今度は、ごまかし笑いでない、逃避の心ではない、ほんとの笑いが二人から出ました。
こういうふうな話も出来るようになったり、
トイレで変な臭いに出会っても、一定の時間で解決できたり、
歩きながら、私に触れても大丈夫だったり、
いろんなことが、大丈夫には、なってきています。
車に乗っている時、運転している私の手を握る時があります。
「気持ち悪いなあ、離せ、あほ。」
「気持ち悪いって言わんといて、父さんの手が触れるようになったのが嬉しいんや。」
そういうことなんです。
いろんなことが、大丈夫になってきているのです。
でも、絵画教室に行こう、行きたいと、強く思っているのに行けない現実もあるのです。
行って、こうなったらどうしよう。
行く時に、道で、こうなったら、行けへんようになる。
行けるかなあ?
行きたいなあ。
頭の中で、たくさんの敵と闘っているのだと思います。
焦らんでもええ。
三歩進んで二歩下がる。
それでええ。
トンネルの出口に、大きな岩がいっぱいあります。
持ち上げられないので、少しずつ削りながら、砕いていこうと思います。
時間はかかるかもしれませんが、少しずつ削ります。
娘も、手を血だらけにして、岩を削っているのです。
うちの家は、薬屋さんに使うお金が、かなり多い。
除菌スプレー、目薬、石鹸、その他除菌関連商品多品目。
普通の家庭の数倍の消費量。
かご一杯の除菌商品。
食費割合が、エンゲル係数ならば、
除菌商品費割合は、強迫係数やなあと、娘と笑いながら納得しています。
そのスーパーで、娘がトイレに行って、出てきた時の深刻な顔。
うつむいて黙っているので、
「コーヒー飲んで、休憩しようか?」
「うん。」
店内の喫茶店に入ったのですが、まだ、うつむいて黙っている。
「なんか、あったんか?」
「トイレ入ったら、おばさんが出てきはったんやけど、ちょっと変な臭いがしたんや。」
「大丈夫かなあ?」
「大丈夫や、大丈夫。」
「他のこと考えよう。」
「ははは。」
なんの意味も無い、私の笑い。
これは、逃避の笑いです。
どうしようもない時に、癖になってる逃避の笑い。
情けないけど、ごまかし笑い。
「父さん、トイレの便器に抗菌って書いてあるやろ、あれはどういう意味?」
「抗菌っていうのは、そうやなあ、菌が付きにくい表面処理がしてあるってことかなあ。」
「そしたら、菌を殺してしまえるってことではないの?」
「そうでは、ないなあ。」
「ということは、いろんな人が触れはったら、菌が付くってことやろ?」
「うん、菌はたくさんある。」
「世の中が、菌だらけやってことは知ってるやろ。」
「でもな、人間には、抵抗力ってもんがあるから大丈夫なんや。」
「人の身体は強いもんなんや。」
「菌を殺す力は、抗菌や除菌って書いてある商品より、人間そのもののほうが強いんやで。」
「解ってるんやで。」
「そういうことは、なんでも知ってるんやけど。」
「知ってるんやけど、あかんねん。」
「父さんは、おまえが知ってて、あかんのやってことも知ってるで。」
「今の話は、それを知ってて言うてるんや。」
「解ってるんやったら、言わんでええやんか。」
「ちがう、前は、この会話は出来へんかった会話やろ。」
「大丈夫やって父さんが言うた瞬間に、おまえは、怒ってたやろ。」
「今は、怒らんと聞けるようになった。」
「ここが、大切なところや。」
「これは、大きな進歩で、父さんは、これを楽しんでるんや。」
「ひとの苦しみで楽しむな、あほ。」
今度は、ごまかし笑いでない、逃避の心ではない、ほんとの笑いが二人から出ました。
こういうふうな話も出来るようになったり、
トイレで変な臭いに出会っても、一定の時間で解決できたり、
歩きながら、私に触れても大丈夫だったり、
いろんなことが、大丈夫には、なってきています。
車に乗っている時、運転している私の手を握る時があります。
「気持ち悪いなあ、離せ、あほ。」
「気持ち悪いって言わんといて、父さんの手が触れるようになったのが嬉しいんや。」
そういうことなんです。
いろんなことが、大丈夫になってきているのです。
でも、絵画教室に行こう、行きたいと、強く思っているのに行けない現実もあるのです。
行って、こうなったらどうしよう。
行く時に、道で、こうなったら、行けへんようになる。
行けるかなあ?
行きたいなあ。
頭の中で、たくさんの敵と闘っているのだと思います。
焦らんでもええ。
三歩進んで二歩下がる。
それでええ。
トンネルの出口に、大きな岩がいっぱいあります。
持ち上げられないので、少しずつ削りながら、砕いていこうと思います。
時間はかかるかもしれませんが、少しずつ削ります。
娘も、手を血だらけにして、岩を削っているのです。
Comment
長いトンネル
それから
それから、おっさんとお嬢さんのやりとり、いいな〜と思います。ワタシの場合、出た先で気になることあっても、話せないこんなおかしなことを…と思ってずっと一人で解決します。その時すぐ誰かに聞いてもらって、大丈夫だよ の言葉を何回も確認したいのに…
ワタシが「いつもドキドキしてるんだよ 何かある時は」と伝えると、逆に「家族だって、まただめになるんじゃないかってドキドキするよ」の応え…
これだからなかなか言えない。黙ってたら黙ってたで、「もう大丈夫になったんだ。と思ったから…」なんて…
大丈夫になってきたことなんかない!という訳ではないですが、完全にもう 大丈夫! と言えることはありません。
確かに大分気にならなくなってはきましたが…
伝えるのも大変だけど、理解するのも大変かぁ、と諦めています。
今はだめな時は、一言でだめです。と言って、何でだめなのかはもう面倒で言いません。だって長々と理由話すと大喧嘩になるし…
だから、お二人のやりとりのようになれれば、と思うのです。
ワタシが「いつもドキドキしてるんだよ 何かある時は」と伝えると、逆に「家族だって、まただめになるんじゃないかってドキドキするよ」の応え…
これだからなかなか言えない。黙ってたら黙ってたで、「もう大丈夫になったんだ。と思ったから…」なんて…
大丈夫になってきたことなんかない!という訳ではないですが、完全にもう 大丈夫! と言えることはありません。
確かに大分気にならなくなってはきましたが…
伝えるのも大変だけど、理解するのも大変かぁ、と諦めています。
今はだめな時は、一言でだめです。と言って、何でだめなのかはもう面倒で言いません。だって長々と理由話すと大喧嘩になるし…
だから、お二人のやりとりのようになれれば、と思うのです。
強迫退治!
おっちゃん、強迫にもいろいろな症状あるよね。娘さんは外のトイレが行けない…私は行ける。娘さんは家では料理ができる、私は出来ない…除菌、殺菌にかんする洗剤、石鹸の強迫係数私とこも高いよ。旦那は仕方ないなぁと最近は、あきらめてる様子。どうも家でも私が旦那の行動に汚い!と思った瞬間、声を荒げて怒るらしく注意された。今テラスの工事のおっちゃんが来てるんだけど、この前からよく話すようになって、「表鬼門にヒイラギ植えたら魔除けになるんやで!、裏鬼門にナンテン植えたらいいねんで!」と教えてくれた。「買って植えるわ」言うてたら今日おっちゃんが、家からナンテンを分けてくれて、もって来てくれた。木を植えて土の着いた手で玄関のドアノブ触るはめに…汚染された気持ちになったので、またまた拭き掃除をしなくては…私は床や地面が苦手、不潔スポットなんです。公共施設はけっこう平気なんですが、自分の家は縄張りを張ったかのような潔癖ぶり。これには自分でも参ってます。本当は綺麗にしたいんだけど、トイレ掃除やお風呂の排水口掃除などは出来てません。どうしても不潔スポットと決めてしまい触れないんですね。用は足すけど触れない?矛盾してますよね。そこが強迫の手強い所です。自分で、情けなくなるし、綺麗好きなんかズボラなのかも解らなくなります。娘さんも絵画教室に行きたい気持ちと行けない理由との間で苦悩してるのよく解ります。簡単じゃないよね。強迫なんて退治退治!退治できる薬があればいいのに…絵が上手いんだから、絶対描いてほしいです。
おやじへ
娘さん、身の回りの物が触れつつあるね。
おやじ、照れないで娘さんに手を握り締めてあげなよ。
娘さん、身の回りの物が触れつつあるね。
おやじ、照れないで娘さんに手を握り締めてあげなよ。
nemuminへ
解っているようで、全部がわからへん。
周囲は、こういう感じなんやなあ。
おっさんも、まだまだ解ってやれへんこと多いんやで。
「あっ、しもた、これは、こういうことやったんや。」
こんなふうに、失敗することいっぱいある。
でもな、全部は受け入れられへんから、たまに失敗も必要かなと思ったりする。
ただ、これは、しんどくない人間の勝手な発想で、苦しんでる人間にとっては、そんな考え方は受け入れられるものでもないというふうにも考えてはいる。
我慢せんとあかんことなんか無いはずなんや。
なんにも悪いことしてへんもんなあ。
「わたし、なんにも悪いことしてへんのに、なんで我慢せんとあかんのやろ。」
よく、娘が言うことや。
その時に、おっさんが言うのは、
「なんにも悪いことしてないけど、病気になるのは、風邪も、癌も、みんないっしょや。」
「我慢せんとあかんのは、苦しいし、可哀想やと思うけど、おまえが、あんまり、しゃあないと思うのは賛成じゃない。」
「病気になったのは、悔しいけど、抜け出したいと思う自分の心が、薬より重要なことなんや。」
「腹立つ言い方かもしれんけど、これは重要なことなんや。」
こんなん言わんでも、わかっとることなんやけど、言うてしまう。
ここが、一番すれ違ってしまうところかなと思ったりするけど、けっこう二人ともわかってることやもんなあ。
全然関係ないけど、愛してるって言ってという女性がいて、そんなん言わんでもわかってるやろって、ぶっきらぼうに言う男性がいる。
でも、二人は同じくらい強く愛し合っている。
こんなんと、ちょっと似てる話かなと思ったりする。
ああ、これは、難しい話や。
いややろうけど、わかってもらう努力は、諦めないで続けるようにしいや。
喧嘩になって泣かんならんかもしれんけど、黙ってたら、なんでも平気やと思われたりするし、生きにくくなるような気がする。
これも、難しい話やなあ。
とにかく、こうしながら、無理したり、焦ったりしすぎてもあかんのやで。
考えたら、考えるほど、答えが遠くなるような話やなあ。
ここで大切やと思うのが、”ええかげん”や。
「まあ、こんくらいで、よかたい」や。
ゆっくりな。
周囲は、こういう感じなんやなあ。
おっさんも、まだまだ解ってやれへんこと多いんやで。
「あっ、しもた、これは、こういうことやったんや。」
こんなふうに、失敗することいっぱいある。
でもな、全部は受け入れられへんから、たまに失敗も必要かなと思ったりする。
ただ、これは、しんどくない人間の勝手な発想で、苦しんでる人間にとっては、そんな考え方は受け入れられるものでもないというふうにも考えてはいる。
我慢せんとあかんことなんか無いはずなんや。
なんにも悪いことしてへんもんなあ。
「わたし、なんにも悪いことしてへんのに、なんで我慢せんとあかんのやろ。」
よく、娘が言うことや。
その時に、おっさんが言うのは、
「なんにも悪いことしてないけど、病気になるのは、風邪も、癌も、みんないっしょや。」
「我慢せんとあかんのは、苦しいし、可哀想やと思うけど、おまえが、あんまり、しゃあないと思うのは賛成じゃない。」
「病気になったのは、悔しいけど、抜け出したいと思う自分の心が、薬より重要なことなんや。」
「腹立つ言い方かもしれんけど、これは重要なことなんや。」
こんなん言わんでも、わかっとることなんやけど、言うてしまう。
ここが、一番すれ違ってしまうところかなと思ったりするけど、けっこう二人ともわかってることやもんなあ。
全然関係ないけど、愛してるって言ってという女性がいて、そんなん言わんでもわかってるやろって、ぶっきらぼうに言う男性がいる。
でも、二人は同じくらい強く愛し合っている。
こんなんと、ちょっと似てる話かなと思ったりする。
ああ、これは、難しい話や。
いややろうけど、わかってもらう努力は、諦めないで続けるようにしいや。
喧嘩になって泣かんならんかもしれんけど、黙ってたら、なんでも平気やと思われたりするし、生きにくくなるような気がする。
これも、難しい話やなあ。
とにかく、こうしながら、無理したり、焦ったりしすぎてもあかんのやで。
考えたら、考えるほど、答えが遠くなるような話やなあ。
ここで大切やと思うのが、”ええかげん”や。
「まあ、こんくらいで、よかたい」や。
ゆっくりな。
さくらんぼへ
そうやなあ、みんないろいろやと思うなあ。
娘が時々、他の病気と比べて、自分のほうがしんどいと言う。
そんな時は、ちょっと強く否定します。
癌で苦しんでる人も、風邪で熱のある人も、目の見えない人も、みんなそれぞれ自分の人生を大きく邪魔されて苦しんでいる。
苦しみに、上下とか大小とかは、絶対無いんやと強く言います。
自分の苦しみは、人にわからへんし、人の苦しみは自分にはわからへん。
残念やけど、現実やし、事実なんや。
ただ、思いやることは出来るし、慰めあうことは出来る。
そういうことなんや。
そしたら、いっしょに退治できるもんなあ。
娘が時々、他の病気と比べて、自分のほうがしんどいと言う。
そんな時は、ちょっと強く否定します。
癌で苦しんでる人も、風邪で熱のある人も、目の見えない人も、みんなそれぞれ自分の人生を大きく邪魔されて苦しんでいる。
苦しみに、上下とか大小とかは、絶対無いんやと強く言います。
自分の苦しみは、人にわからへんし、人の苦しみは自分にはわからへん。
残念やけど、現実やし、事実なんや。
ただ、思いやることは出来るし、慰めあうことは出来る。
そういうことなんや。
そしたら、いっしょに退治できるもんなあ。
yumiへ
うん、まあ、最近は、yumiのいうようにせんとあかんかなあとも思ってるけど、男子たるものの考え方の強いおやじは、照れまくりやなあ。
これは、やめて、他のことにしてくれって思ってるわ。
ところでyumiよ、おまえ、おやじの照れてるのを、楽しんでるのとちがうやろうな?
これは、やめて、他のことにしてくれって思ってるわ。
ところでyumiよ、おまえ、おやじの照れてるのを、楽しんでるのとちがうやろうな?
三歩進んで二歩下がる
私とおやじさん(お兄さん)はやっぱり近い世代ですね。
偶然なのですが、私も昨夜365歩のマーチを思い出してました。
三歩進んで二歩下がったっていいじゃない、確実に一歩は進んでるんだから!って。 ずっと先を見て進もうと思うと気が重くなるけど、1メートル先位なら楽ですよね。 気持ちを切り替えるのってむずかしいから、昔は下手でしたが今は上手になりましたよ。
年齢とともに、ずうずうしくなったせいかも知れませんが、開き直り精神が私のモットーです。 落ち込んだ時は思いっきり底まで落ちて、底をポンと蹴って反動を利用して上がってきます。 それにこれは私の勝手な思い込みなのですが、強く願った事は必ず叶う! 嘘みたいな話ですけど本当です。 こうして書いてみると、私ってかなりええかげんな奴ですね。 ええかげんついでにモットーをもうひとつ。 思い立ったが吉日!です。
偶然なのですが、私も昨夜365歩のマーチを思い出してました。
三歩進んで二歩下がったっていいじゃない、確実に一歩は進んでるんだから!って。 ずっと先を見て進もうと思うと気が重くなるけど、1メートル先位なら楽ですよね。 気持ちを切り替えるのってむずかしいから、昔は下手でしたが今は上手になりましたよ。
年齢とともに、ずうずうしくなったせいかも知れませんが、開き直り精神が私のモットーです。 落ち込んだ時は思いっきり底まで落ちて、底をポンと蹴って反動を利用して上がってきます。 それにこれは私の勝手な思い込みなのですが、強く願った事は必ず叶う! 嘘みたいな話ですけど本当です。 こうして書いてみると、私ってかなりええかげんな奴ですね。 ええかげんついでにモットーをもうひとつ。 思い立ったが吉日!です。
COCOさんへ
サッカーのドリブルについて、講義をします。
手と違って、足を使うスポーツなので、なかなか思うように行かないところが面白いのですが、自分でボールを持ってドリブルしていく時に、どうしてもボールを見てしまう。
これはね、初心者だけでなく、かなり長く経験している人でも、おちいるところなのです。
ボールばかり見ていると、相手は見えない、味方が見えない、ゴールはどこにあるか解らない。
ということは、展開の見えない選手になってしまって、ボール扱いが上手くても、サッカーがわかっていない選手になってしまうということなのです。
ドリブルをしている時に、ボールの1メートル先を見ていると、視野”の中に、相手が見えて、味方が見えて、ゴールも見える。
ということは、全体の展開が読める選手になれて、サッカーが広く解るということになるのです。
1メートル先を見るのは、こんなに大切なことなんです。
加えて、サッカーほど、ええかげんなスポーツはありません。
何をしても、いいのですから。
右に蹴るのも、左にパスするのも、自身の判断。
その結果が、間違っているのか正しいのか、そんなことを攻める仲間は一人もいません。
先ず、間違っていることは無いのです。
シュートするも良し、パスするも良し。
”ONE FOR ALL ALL FOR ONE”の精神だけ持っていて、仲間とともにプレーすればいいスポーツなんです。
いかんいかん、サッカーの話をしだすと長くなってしまうのが悪いくせです。
夢中になりますから。
とにかく、1メートル先を見ながら、歩いていきましょう。
ええかげんに。
手と違って、足を使うスポーツなので、なかなか思うように行かないところが面白いのですが、自分でボールを持ってドリブルしていく時に、どうしてもボールを見てしまう。
これはね、初心者だけでなく、かなり長く経験している人でも、おちいるところなのです。
ボールばかり見ていると、相手は見えない、味方が見えない、ゴールはどこにあるか解らない。
ということは、展開の見えない選手になってしまって、ボール扱いが上手くても、サッカーがわかっていない選手になってしまうということなのです。
ドリブルをしている時に、ボールの1メートル先を見ていると、視野”の中に、相手が見えて、味方が見えて、ゴールも見える。
ということは、全体の展開が読める選手になれて、サッカーが広く解るということになるのです。
1メートル先を見るのは、こんなに大切なことなんです。
加えて、サッカーほど、ええかげんなスポーツはありません。
何をしても、いいのですから。
右に蹴るのも、左にパスするのも、自身の判断。
その結果が、間違っているのか正しいのか、そんなことを攻める仲間は一人もいません。
先ず、間違っていることは無いのです。
シュートするも良し、パスするも良し。
”ONE FOR ALL ALL FOR ONE”の精神だけ持っていて、仲間とともにプレーすればいいスポーツなんです。
いかんいかん、サッカーの話をしだすと長くなってしまうのが悪いくせです。
夢中になりますから。
とにかく、1メートル先を見ながら、歩いていきましょう。
ええかげんに。
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このことをご了承の上でコメントをお願いします。
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遠く先の方に明かりが見えてるようで、なかなか近くならない。次第にどんどん遠ざかってしまうような時も…
これが出来たら、あれも出来るかな?と思うのですが、思うようにはいかないです。これはこれ、あれはあれ、と一つ一つです。一つ気になったことを短時間で解決出来る物事と何日たってもだめな時はだめになる時と両方あります。短時間で大丈夫になれるかどうかはその時にならないとわからないっていうのが本当に厄介です。
前の話に戻りますが、「安心」について、先生に「先生はどんな時安心を感じますか?」とコメントを送ってみました。先生の応えは「自分の感覚を感じられる時」でした。自分の呼吸等が感じられる時っていうことでしょうかね。 とにかくゆっくり呼吸をすることを身につけるのがいいのかも知れないな、と思ったのでした。
でもかなり難しそう。周りの雑音や、出来事を受け入れやすいワタシにとっては。そう感じています。でも試してみるのもいいかな…