319.韓国との試合
2009.02.23 [ Edit ]
一宮まで、サッカーの試合に行ってきました。
東海地区の12チームと大阪2チーム、韓国1チーム、
そして滋賀の我々を含め16チームが、
組合せ抽選をして、トーナメントで優勝を競うという形式。
対象が40歳以上ということなので、我がチームの平均年齢55歳からして、
一回戦で負けて終わりだなと予想していたのですが、2回勝って準決勝敗退。
3位決定戦で、韓国チームと対戦しました。
後半残り5分まで、2対0とリードしており、
3位なら上々と思っていたら、相次いで3失点。
2対3のスコアで負けてしまいました。
10歳以上も年下の対戦相手で4位だから上出来なのと、
対戦した韓国チームに、昨春に訪韓してと、
昨秋に来日した韓国チームと対戦した時に出会っていた、
韓国サッカー協会の役員と再会して仲良く話せた喜びで充実した一日でした。
ホストチームでも無いのに、韓国チームと仲良く記念撮影して
はしゃいでいた我がチームを、招いていただいたホストチームの役員の方が
怪訝な顔をされていましたが、許していただいて、再会をお互いが喜び、
和やかな親善試合が出来ました。
2回戦の韓国の試合ぶりを見て、若さとスピード、テクニックもあって
対戦したくないなと思っていたのですが、
韓国チームも準決勝で負けてしまったので、
結局3位決定戦で対戦することになり、
訪韓した時に、温かく我々の面倒をみてくれていた
若いサッカー協会の役員に、通訳を介して、
「君達のチームは我々と比べて、若すぎるし、上手すぎるから、
対戦したくないと冗談を言って大笑い。」
彼の話によると、ソウル地区の40歳代の選抜をしたメンバーとのこと、
和やかに試合をしていましたが、我がチームが2点を先行したことにより、
最後は、彼らを本気にさせてしまったようです。
そんな楽しい、仲間達との一日でした。
腰の調子も今ひとつ、右ひざは手術の後遺症が出ていて、ちぎれるように痛い。
そんななかでも、痛み止めを飲みながら、大きな声を張り上げ、真剣に走っていました。
あほな、おっさんです。
サッカーの話をすると、止まらなくなるので、このへんにしておきます。
楽しみも終わり、帰宅すれば、現実が私を待っています。
「父さんは、サッカーがあって、ええなあ。」
帰って来た私に、娘からの第一声。
普通に生活していた頃なら、
「疲れたやろ?お風呂沸かしといたし、入っておいでや。」
こんな声をかけてくれていたような記憶があります。
昨日も、午前中の練習会に行っていたときにゲームの中、
ボールを追いかけながら思っていました。
「俺には、こんな息抜きがあって、苦しみ忘れる時間があるけど、
娘は常に苦しみの継続なんや。」
「おまえの、しんどさは、わかってるんやで。」
「そんなことを言いながら、夢中でボールを蹴っている自分。」
「でも、これは、俺自身の世界やしなあ。」
「娘には、やっぱり、娘が作る世界があるべきやということやしなあ。」
そんなことを、思っていました。
「父さんには、サッカーがあって、ええなあ。」の言葉に、
「これは、父さんが出会ったものやし、
おまえは、自分でなにかと出会わんとしゃあないやろ。」
「父さんが、サッカーやめても、おまえが楽になることはないしなあ。」
そんなふうにしか言えませんでした。
このやり取りの時に、いつも思うことがあります。
「おまえには、これが、あるやんか。」
こう言えたらなあと。
娘の、”これ”。
娘の、”何か”。
いっしょに探してやろう。
でも、娘が一人で手に入れるもの。
きっかけを求めて、いっしょに歩こう。
せめて、ひとりで歩けるように助けてやろう。
「自分で歩こう。」、という気持ちに気づかせてやろう。
いや、そんな気持ちは、いつも持っている。
「自分で歩こう」と、強く思いながら、なかなか歩けない。
サッカーは、何も考えることなく、ゴールを目指せばいいのですが、
娘との葛藤は、いつも堂々巡り。
でも、良く考えてみれば、サッカーも40年以上やってるけれど、
いまだに思うようには行かないもので、悔しい負け方をしたり、失敗もいっぱいあるもの。
「なにも考えずに練習しろ。」
「おまえが、一年間、一生懸命練習しても、
自分がどれだけ上達したかは、自分では解らない。」
「人から見たとき、おまえが上達したのが見えるものなんや。」
そんなことを言ってくれた先輩がいました。
一生懸命、歩いていこう。
自分では解らない”なにか”が得られるかもしれない。
東海地区の12チームと大阪2チーム、韓国1チーム、
そして滋賀の我々を含め16チームが、
組合せ抽選をして、トーナメントで優勝を競うという形式。
対象が40歳以上ということなので、我がチームの平均年齢55歳からして、
一回戦で負けて終わりだなと予想していたのですが、2回勝って準決勝敗退。
3位決定戦で、韓国チームと対戦しました。
後半残り5分まで、2対0とリードしており、
3位なら上々と思っていたら、相次いで3失点。
2対3のスコアで負けてしまいました。
10歳以上も年下の対戦相手で4位だから上出来なのと、
対戦した韓国チームに、昨春に訪韓してと、
昨秋に来日した韓国チームと対戦した時に出会っていた、
韓国サッカー協会の役員と再会して仲良く話せた喜びで充実した一日でした。
ホストチームでも無いのに、韓国チームと仲良く記念撮影して
はしゃいでいた我がチームを、招いていただいたホストチームの役員の方が
怪訝な顔をされていましたが、許していただいて、再会をお互いが喜び、
和やかな親善試合が出来ました。
2回戦の韓国の試合ぶりを見て、若さとスピード、テクニックもあって
対戦したくないなと思っていたのですが、
韓国チームも準決勝で負けてしまったので、
結局3位決定戦で対戦することになり、
訪韓した時に、温かく我々の面倒をみてくれていた
若いサッカー協会の役員に、通訳を介して、
「君達のチームは我々と比べて、若すぎるし、上手すぎるから、
対戦したくないと冗談を言って大笑い。」
彼の話によると、ソウル地区の40歳代の選抜をしたメンバーとのこと、
和やかに試合をしていましたが、我がチームが2点を先行したことにより、
最後は、彼らを本気にさせてしまったようです。
そんな楽しい、仲間達との一日でした。
腰の調子も今ひとつ、右ひざは手術の後遺症が出ていて、ちぎれるように痛い。
そんななかでも、痛み止めを飲みながら、大きな声を張り上げ、真剣に走っていました。
あほな、おっさんです。
サッカーの話をすると、止まらなくなるので、このへんにしておきます。
楽しみも終わり、帰宅すれば、現実が私を待っています。
「父さんは、サッカーがあって、ええなあ。」
帰って来た私に、娘からの第一声。
普通に生活していた頃なら、
「疲れたやろ?お風呂沸かしといたし、入っておいでや。」
こんな声をかけてくれていたような記憶があります。
昨日も、午前中の練習会に行っていたときにゲームの中、
ボールを追いかけながら思っていました。
「俺には、こんな息抜きがあって、苦しみ忘れる時間があるけど、
娘は常に苦しみの継続なんや。」
「おまえの、しんどさは、わかってるんやで。」
「そんなことを言いながら、夢中でボールを蹴っている自分。」
「でも、これは、俺自身の世界やしなあ。」
「娘には、やっぱり、娘が作る世界があるべきやということやしなあ。」
そんなことを、思っていました。
「父さんには、サッカーがあって、ええなあ。」の言葉に、
「これは、父さんが出会ったものやし、
おまえは、自分でなにかと出会わんとしゃあないやろ。」
「父さんが、サッカーやめても、おまえが楽になることはないしなあ。」
そんなふうにしか言えませんでした。
このやり取りの時に、いつも思うことがあります。
「おまえには、これが、あるやんか。」
こう言えたらなあと。
娘の、”これ”。
娘の、”何か”。
いっしょに探してやろう。
でも、娘が一人で手に入れるもの。
きっかけを求めて、いっしょに歩こう。
せめて、ひとりで歩けるように助けてやろう。
「自分で歩こう。」、という気持ちに気づかせてやろう。
いや、そんな気持ちは、いつも持っている。
「自分で歩こう」と、強く思いながら、なかなか歩けない。
サッカーは、何も考えることなく、ゴールを目指せばいいのですが、
娘との葛藤は、いつも堂々巡り。
でも、良く考えてみれば、サッカーも40年以上やってるけれど、
いまだに思うようには行かないもので、悔しい負け方をしたり、失敗もいっぱいあるもの。
「なにも考えずに練習しろ。」
「おまえが、一年間、一生懸命練習しても、
自分がどれだけ上達したかは、自分では解らない。」
「人から見たとき、おまえが上達したのが見えるものなんや。」
そんなことを言ってくれた先輩がいました。
一生懸命、歩いていこう。
自分では解らない”なにか”が得られるかもしれない。
Comment
油断大敵
おっちゃん、最後の5分で逆転された!って、油断してたん違いますか??(笑)でもおっちゃんも、まだまだ若いですね。サッカー
で40代相手にプレー出来るんなんて。サッカーってずっと走りっ放し!ってイメージでしんどいと思うんですけど…。筋肉痛が長引かない事を祈ります。娘さんに、「サッカーがあってええな」って言われ、「お前には、〜があるやんか」と言えなかったとありましたが、おっちゃんの優しさとともに、言えない苦しさがあるのかな?と感じました。簡単にはいきませんよね。私なんか多分、娘さんの友達なら「あんたには絵があるじゃない」と言ってしまいそうです。これは、比較とかそんなんじゃないです。早く絵が描けたら…って勝手に応援してるだけです。でも、娘さんの立場で考えると言われたくないのかな?自分が一番解っててもどかしい思いしてるんだもんね。私が、お風呂に時間がかかるから嫌いで「お風呂入ったらええやん」と言われてムカつくのと一緒なんかな?
さくらんぼへ
応援してくれているのに、素直にありがとうって言っておけばええのですが、どうも、このおっさんは、生真面目というか、流せない性格があって。
これ、自分でも、あんまりええ性格じゃないなあと思っており、流せるように努めてはいるんやで。
そんなことで、ちょっと伝わってないところがあるような気がするから、説明するわ。
娘に、これがあるやろって言えないという表現は、おっさんの優しさとか、苦しさとか、弱さ等ではなく。
絵を描こうと思っても、外へ出て歩けない。
パートに行けたことがあるけど、結局、犬の排泄物を見かけて、通勤が出来なくなった。
もろもろ、そういうことで、今現在は、ほぼ全てが不可能な状態が続いている。
一歩を踏み出そうと、必死でもがいている状態にある。
こういう理由があることを解っていて、娘に対し、
「おまえには、絵がある。」と、言うことは、
極端に言えば、
「怠けてないで、前進しろ。」と、同じ意味の言葉になると思いませんか?
「でも娘さんの立場で考えると言われたくないのかなあ?」と、クエッションマークをさくらんぼは付けていますが、ここのところは、同じように出来ないことや、気になることに苦しんでる さくらんぼには、解って欲しいと思って、ありがとうで済ますことを、しませんでした。
コメントの最後で、言ってる風呂の話とまったく同じだとわかっているのでしょう?
「風呂に入ったらええやん」と言われて、時間がかかるから嫌いなので、ムカつくわけでしょう?
では、さくらんぼが、嫌いなのではなく、風呂に入ることが出来なくて、「風呂に入ったらええやん」と言われたとしましょう。
これは、ムカつく以上に悲しくなるのと違うかな?
これが、おっさんが、娘に、「これが」っていうところを言えなかったことの主因です。
ただし、あえて解りながら、「絵を描くという望みもあるやろう」ということを言ってやるほうがいいのかもしれませんし、
こういうことを含めて、全部わかった上で言ってくれていると思えば、それでいい話なので、
おっさんの、蛇足なのかもしれません。
だから、これは、おっさんが、さくらんぼを責めていると思っってもらうと、困るんやで。
前に、何でも言い合えるのがええなあと言ったことがあると思いますが、それの実践だと思ってくださいよ。
リアルの会話の場合の意見の調整ってとこかな。
なので、ごめんなさいとかいう言葉は、不要ですからね。
これ、自分でも、あんまりええ性格じゃないなあと思っており、流せるように努めてはいるんやで。
そんなことで、ちょっと伝わってないところがあるような気がするから、説明するわ。
娘に、これがあるやろって言えないという表現は、おっさんの優しさとか、苦しさとか、弱さ等ではなく。
絵を描こうと思っても、外へ出て歩けない。
パートに行けたことがあるけど、結局、犬の排泄物を見かけて、通勤が出来なくなった。
もろもろ、そういうことで、今現在は、ほぼ全てが不可能な状態が続いている。
一歩を踏み出そうと、必死でもがいている状態にある。
こういう理由があることを解っていて、娘に対し、
「おまえには、絵がある。」と、言うことは、
極端に言えば、
「怠けてないで、前進しろ。」と、同じ意味の言葉になると思いませんか?
「でも娘さんの立場で考えると言われたくないのかなあ?」と、クエッションマークをさくらんぼは付けていますが、ここのところは、同じように出来ないことや、気になることに苦しんでる さくらんぼには、解って欲しいと思って、ありがとうで済ますことを、しませんでした。
コメントの最後で、言ってる風呂の話とまったく同じだとわかっているのでしょう?
「風呂に入ったらええやん」と言われて、時間がかかるから嫌いなので、ムカつくわけでしょう?
では、さくらんぼが、嫌いなのではなく、風呂に入ることが出来なくて、「風呂に入ったらええやん」と言われたとしましょう。
これは、ムカつく以上に悲しくなるのと違うかな?
これが、おっさんが、娘に、「これが」っていうところを言えなかったことの主因です。
ただし、あえて解りながら、「絵を描くという望みもあるやろう」ということを言ってやるほうがいいのかもしれませんし、
こういうことを含めて、全部わかった上で言ってくれていると思えば、それでいい話なので、
おっさんの、蛇足なのかもしれません。
だから、これは、おっさんが、さくらんぼを責めていると思っってもらうと、困るんやで。
前に、何でも言い合えるのがええなあと言ったことがあると思いますが、それの実践だと思ってくださいよ。
リアルの会話の場合の意見の調整ってとこかな。
なので、ごめんなさいとかいう言葉は、不要ですからね。
想像異常に高い壁の話だったんですね。でも、私はいつも自分は単なる怠け者だと、責めてしまいます。一緒にしてしまってはダメですね…。
さくらんぼへ
想像以上に高い壁でも無いと思うんやで。
さくらんぼの言ってくれてるほうが、自然なのかもしれんと思ってるんや。
さくらんぼの客観性と、おっさんの主観性の違いかな。
だから、おっさんには、さくらんぼの見方が必要。
さくらんぼには、おっさんの見方が必要。
この必要というのも、大きなものではなく、少しずつかな。
これなあ、リアルで、さくらんぼと話してたら、
「こう思ってるんや。」
「あっ、そうか。」
「そんなとこもあるやろ。」
「そうやなあ。」
「そやけど、こうも言えるで。」
「なるほど、そうかもしれんなあ。」
こんな感じで、簡単な話なんやろうなあと、思わへんか?
まあ、おっさんと、さくらんぼは、もう、仲間やと思ってるし、時間はかかるけど、こんな形のコメントの往復でも理解しあえるからええやろって考えてるけどなあ。
それから、単なる怠け者やとか、思ったらあかんで。
さくらんぼも、うちの娘も、怠け者とは、絶対違う。
怠け者は、出来ることを、怠け心で、やろうとしない やろ。
さくらんぼも、うちの娘も、ここの仲間のみんなも、やろうと思うことが悔しいけど出来ないんや。
心の中で、「行動したい」という気持ちと、必死で闘ってるんや。
だから、怠け者だと自分を責めるというようなことは、言わないでほしい。
そういう見方を、勘違いで、されることは多いかもしれん。
でも、ここにいる仲間たちには、みんなわかってることや。
怠け者とは、違うということ。
さくらんぼも、わたしは怠け者と違うと思ってるやろ、心の底では。
そのとおりやで、さくらんぼは、怠け者なんかではないんや。
そんな悔しい考え方を、しなくてもいいようになるまで、時間はかかるのかもしれないけれど、いっしょに、ゆっくり、助け合いながら、歩いていこう。
さくらんぼの言ってくれてるほうが、自然なのかもしれんと思ってるんや。
さくらんぼの客観性と、おっさんの主観性の違いかな。
だから、おっさんには、さくらんぼの見方が必要。
さくらんぼには、おっさんの見方が必要。
この必要というのも、大きなものではなく、少しずつかな。
これなあ、リアルで、さくらんぼと話してたら、
「こう思ってるんや。」
「あっ、そうか。」
「そんなとこもあるやろ。」
「そうやなあ。」
「そやけど、こうも言えるで。」
「なるほど、そうかもしれんなあ。」
こんな感じで、簡単な話なんやろうなあと、思わへんか?
まあ、おっさんと、さくらんぼは、もう、仲間やと思ってるし、時間はかかるけど、こんな形のコメントの往復でも理解しあえるからええやろって考えてるけどなあ。
それから、単なる怠け者やとか、思ったらあかんで。
さくらんぼも、うちの娘も、怠け者とは、絶対違う。
怠け者は、出来ることを、怠け心で、やろうとしない やろ。
さくらんぼも、うちの娘も、ここの仲間のみんなも、やろうと思うことが悔しいけど出来ないんや。
心の中で、「行動したい」という気持ちと、必死で闘ってるんや。
だから、怠け者だと自分を責めるというようなことは、言わないでほしい。
そういう見方を、勘違いで、されることは多いかもしれん。
でも、ここにいる仲間たちには、みんなわかってることや。
怠け者とは、違うということ。
さくらんぼも、わたしは怠け者と違うと思ってるやろ、心の底では。
そのとおりやで、さくらんぼは、怠け者なんかではないんや。
そんな悔しい考え方を、しなくてもいいようになるまで、時間はかかるのかもしれないけれど、いっしょに、ゆっくり、助け合いながら、歩いていこう。
さくらんぼへ
おやじ場を借ります・
そう。自分を責めては、いけないよ。
自分を責めてると、何も出来なくなるよ。
一番いけない事だよ。←経験者は語る
おやじ場を借ります・
そう。自分を責めては、いけないよ。
自分を責めてると、何も出来なくなるよ。
一番いけない事だよ。←経験者は語る
ありがとう
おっちゃん、yumi、しずくさん、その他の仲間たち、ありがとうございます。外で出来ることが、家では出来なかったりすると、単なるワガママだとか、怠け者だと考えてしまうのです。出来ないもどかしさで、イライラしてしまう自分…けっこううんざりしてます。そんな時にみんなに優しい言葉もらって、安心したり…。ほんとうに助かってます。
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