352.初めてのお迎え
2009.03.29 [ Edit ]
私が30年間会社にいて、何人の人と出遭ったのだろう?
4年前に退職する時、ちょうど今の時期でした。
名刺フォルダーを整理していた時に、千枚ほどの名刺がありました。
数回の転勤の際に整理したものもあるので、
その倍以上の人に出会っているのだと思います。
変な話だと思いますが、
取引先の方の名刺よりも、社内の人の名刺のほうが多いのです。
会社にいた時は当り前のことだと気にもしませんでしたが、
今思うと、同じ会社の者同士が名刺交換するのは、ちょっと変なのではと思います。
日本の企業では、社内営業なんていう変な言葉もあるくらいだから、
それでいいのかもしれませんが、やっぱり少しおかしいのかもと思います。
新入社員の頃、他部門の本部長に紹介されたことがあって、
その本部長を紹介してくれた上司が、
「この方の名刺は、なかなかいただけないものだ。」
なんてことを言ってたことを思い出しました。
30数年、不思議に思わなかったことですが、
社内の名刺交換は、やっぱり不自然かなと。
べつに、どちらでもいいことです。
何万人も社員がいる会社、関連会社が山ほどある会社なのだから、
同じ会社といっても、違う会社のようなものがいっぱいあったわけですから、
それは必要なことなのかもしれません。
そんなたくさんの人達との出会いがあった中で、
私が一番信頼している、一番大切にしている後輩がいます。
そいつは、日体大のバレーボール部の出身。
きっとスポーツ馬鹿、体育会系の血が、弟のように感じさせたのだと思います。
そいつが自分で言ってました、わたしの脳みそは筋肉ですと。
そいつが営業所のマネジャーになるとの話があって、
祝ってやろうと言う、これも大好きな先輩からの誘いがあって、
久しぶりに難波まで、会社のメンバーとの宴会に出かけました。
実は、裏には、その先輩にも、その後輩にも、
弱っている私を励ましてやろうという気持ちも少しあるのだろうと思っています。
そう思いながらの参加は、ちょっと辛いものがあるのですが、
気づかないフリで参加させていただきました。
会社を辞めた奴の行く末を興味深げに観察するような人がまったく存在しない、
気持ちが良くて、素晴らしい仲間達のみのメンバーだったので、
辞めた会社のメンバーとは、あまり出会わないようにしようなどと考えている世界とは違う世界で、
本音が飛び交う楽しいひと時を、久しぶりに味わいました。
久しぶりの、大阪駅発の最終電車に乗りました。
最終電車に乗り込んでからも、先ほどまでの楽しみの続きみたいなメールが数本入ってきました。
高槻を過ぎるあたりまで、メールで宴会の続きをしていたものです。
そこに違う名前のメールが入ってきました。
メールの中身は、「まだー、寂しい、今どこ?」
これだけのメールでした。
「石山に後25分くらいで着く。」と返しました。
「迎えに行くわ。」こんなふうに返ってきました。
家から、石山駅まで歩くとちょうど25分くらい。
でも、来ることはないだろうと思いながら携帯を胸ポケットにしまいました。
国道一号線の歩道だから、夜中ではあるけれど来るとしても危なくは無いだろう。
そんなふうに考えながら、石山駅の改札を出たところでメール着信。
「着いたでー、タクシー乗り場のところ。」
嬉しそうな顔で、自転車を停めて待ってる娘がいました。
「途中で出会うと思って出てきたのに、わたしのほうが先に駅に着いたわ。」
「わたしは、父さんに頼りすぎてるのが、父さんがいてないと、よう解るわ。」
複雑な思いで、返事が出来ず、頭の中で話していました。
「ゆっくり歩いて帰ろか。」
「うん。」
「おじいちゃんは、駅まで、よう迎えにきたんやで。」
「父さんを迎えに来たのて、生まれて初めてやなあ。」
実は、頭の中で、そのことを考えていた時でした。
俺は、9年近く大阪まで電車通勤していたけど、駅に娘が迎えに来たのは初めてやなあ。
そんなふうに、考えていたところでした。
幼い時に、親父が出張から帰ってくるのを、
大津駅で待っていた情景をぼんやり思い出していました。
その情景は、「おとうちゃん。」っていう言葉をほのぼの浮かび上がらせる情景です。
そういえば、三人の子供が、私を駅で出迎えたという光景は、今までにありません。
勝手に、良い父親だと思い込んでいる自分がいますが、
実は、欠陥親父だったのだと、後悔のような沈んだ反省をしながら歩いていました。
40歳から49歳までが電車通勤。
お父さんの時代のはずが、ひとりの会社員としてだけ生活していたようだなと思います。
背中を見せる親父ではなく、遠くにいる親父だったような気がします。
もっと身近にいてやれば、息子の不良も、娘の病気もなかったのではと思います。
娘と歩く夜中の道の、一歩一歩が反省と悔やみの歩みになっていました。
今、その分を取り返せと命令されて、必死で遅めの親父を務めていますが、
おとうちゃんの時代は、とうに過ぎていますから、きっと取り戻すことは出来ないのだと思います。
とにかく、くよくよ考えても仕方が無いので、
今を、精一杯生きるしかないなと思います。
「今を生きる。」
「それでもええか。」
「それしかしゃあないなあ。」
諦めではありません。
私の、遅すぎた気づきと決意です。
4年前に退職する時、ちょうど今の時期でした。
名刺フォルダーを整理していた時に、千枚ほどの名刺がありました。
数回の転勤の際に整理したものもあるので、
その倍以上の人に出会っているのだと思います。
変な話だと思いますが、
取引先の方の名刺よりも、社内の人の名刺のほうが多いのです。
会社にいた時は当り前のことだと気にもしませんでしたが、
今思うと、同じ会社の者同士が名刺交換するのは、ちょっと変なのではと思います。
日本の企業では、社内営業なんていう変な言葉もあるくらいだから、
それでいいのかもしれませんが、やっぱり少しおかしいのかもと思います。
新入社員の頃、他部門の本部長に紹介されたことがあって、
その本部長を紹介してくれた上司が、
「この方の名刺は、なかなかいただけないものだ。」
なんてことを言ってたことを思い出しました。
30数年、不思議に思わなかったことですが、
社内の名刺交換は、やっぱり不自然かなと。
べつに、どちらでもいいことです。
何万人も社員がいる会社、関連会社が山ほどある会社なのだから、
同じ会社といっても、違う会社のようなものがいっぱいあったわけですから、
それは必要なことなのかもしれません。
そんなたくさんの人達との出会いがあった中で、
私が一番信頼している、一番大切にしている後輩がいます。
そいつは、日体大のバレーボール部の出身。
きっとスポーツ馬鹿、体育会系の血が、弟のように感じさせたのだと思います。
そいつが自分で言ってました、わたしの脳みそは筋肉ですと。
そいつが営業所のマネジャーになるとの話があって、
祝ってやろうと言う、これも大好きな先輩からの誘いがあって、
久しぶりに難波まで、会社のメンバーとの宴会に出かけました。
実は、裏には、その先輩にも、その後輩にも、
弱っている私を励ましてやろうという気持ちも少しあるのだろうと思っています。
そう思いながらの参加は、ちょっと辛いものがあるのですが、
気づかないフリで参加させていただきました。
会社を辞めた奴の行く末を興味深げに観察するような人がまったく存在しない、
気持ちが良くて、素晴らしい仲間達のみのメンバーだったので、
辞めた会社のメンバーとは、あまり出会わないようにしようなどと考えている世界とは違う世界で、
本音が飛び交う楽しいひと時を、久しぶりに味わいました。
久しぶりの、大阪駅発の最終電車に乗りました。
最終電車に乗り込んでからも、先ほどまでの楽しみの続きみたいなメールが数本入ってきました。
高槻を過ぎるあたりまで、メールで宴会の続きをしていたものです。
そこに違う名前のメールが入ってきました。
メールの中身は、「まだー、寂しい、今どこ?」
これだけのメールでした。
「石山に後25分くらいで着く。」と返しました。
「迎えに行くわ。」こんなふうに返ってきました。
家から、石山駅まで歩くとちょうど25分くらい。
でも、来ることはないだろうと思いながら携帯を胸ポケットにしまいました。
国道一号線の歩道だから、夜中ではあるけれど来るとしても危なくは無いだろう。
そんなふうに考えながら、石山駅の改札を出たところでメール着信。
「着いたでー、タクシー乗り場のところ。」
嬉しそうな顔で、自転車を停めて待ってる娘がいました。
「途中で出会うと思って出てきたのに、わたしのほうが先に駅に着いたわ。」
「わたしは、父さんに頼りすぎてるのが、父さんがいてないと、よう解るわ。」
複雑な思いで、返事が出来ず、頭の中で話していました。
「ゆっくり歩いて帰ろか。」
「うん。」
「おじいちゃんは、駅まで、よう迎えにきたんやで。」
「父さんを迎えに来たのて、生まれて初めてやなあ。」
実は、頭の中で、そのことを考えていた時でした。
俺は、9年近く大阪まで電車通勤していたけど、駅に娘が迎えに来たのは初めてやなあ。
そんなふうに、考えていたところでした。
幼い時に、親父が出張から帰ってくるのを、
大津駅で待っていた情景をぼんやり思い出していました。
その情景は、「おとうちゃん。」っていう言葉をほのぼの浮かび上がらせる情景です。
そういえば、三人の子供が、私を駅で出迎えたという光景は、今までにありません。
勝手に、良い父親だと思い込んでいる自分がいますが、
実は、欠陥親父だったのだと、後悔のような沈んだ反省をしながら歩いていました。
40歳から49歳までが電車通勤。
お父さんの時代のはずが、ひとりの会社員としてだけ生活していたようだなと思います。
背中を見せる親父ではなく、遠くにいる親父だったような気がします。
もっと身近にいてやれば、息子の不良も、娘の病気もなかったのではと思います。
娘と歩く夜中の道の、一歩一歩が反省と悔やみの歩みになっていました。
今、その分を取り返せと命令されて、必死で遅めの親父を務めていますが、
おとうちゃんの時代は、とうに過ぎていますから、きっと取り戻すことは出来ないのだと思います。
とにかく、くよくよ考えても仕方が無いので、
今を、精一杯生きるしかないなと思います。
「今を生きる。」
「それでもええか。」
「それしかしゃあないなあ。」
諦めではありません。
私の、遅すぎた気づきと決意です。
Comment
楽しかったみたいで何よりです(´▽`)
上手い酒飲みましたね!
いや〜あ、こちらは2〜3ヶ月に1回は
昔からの仲間と 飲んでいます
完全に 無防備な 何の警戒も無い
ふんわりした 時間ですよね
これも 自分の財産ですよね!!
「あらたむるに 遅き事なかれ」
気づいたときから 人間は 一段 上に
上がれるものです
メタボで 重くとも・・。
やはり 心のつながりが 更に強固になり
存在が 癒しになっているんですね。
でも 微妙に 距離を 伸ばすことも
必要なんでしょうね
春真っ盛りの 住人へ
漸く 蕗の薹が 出始めた
北海道より
「おきばりやす」
昔からの仲間と 飲んでいます
完全に 無防備な 何の警戒も無い
ふんわりした 時間ですよね
これも 自分の財産ですよね!!
「あらたむるに 遅き事なかれ」
気づいたときから 人間は 一段 上に
上がれるものです
メタボで 重くとも・・。
やはり 心のつながりが 更に強固になり
存在が 癒しになっているんですね。
でも 微妙に 距離を 伸ばすことも
必要なんでしょうね
春真っ盛りの 住人へ
漸く 蕗の薹が 出始めた
北海道より
「おきばりやす」
気心の知れたお仲間の方との会合で、楽しまれたようですね。♪
よかったです。
夫も、飲み会に行くと『楽しかった』と、言って、帰ってきます。
10年前は、見る物全てが、不潔恐怖の対象になっていた為、飲み会のような楽しみ事にも、不潔の対象がたくさんあり、夫も行かせる事が出来ないでいました。
少しずつ、恐怖の対象をクリアしていき、数年前から、まだ、条件付きですが、飲み会や遊びに夫が行っても、恐怖をコントロールできるようになりました。
ここまで、何年も、待ってくれた夫に、感謝してます。
娘さんも、おっさんが、留守の間に、感謝の気持ちが、溢れてきてのお迎えだったのかな?
私も、『このままでは、終わらへんぞ』
えへへ。 パクっちゃいました。 ぽんみみ妻でした。
よかったです。
夫も、飲み会に行くと『楽しかった』と、言って、帰ってきます。
10年前は、見る物全てが、不潔恐怖の対象になっていた為、飲み会のような楽しみ事にも、不潔の対象がたくさんあり、夫も行かせる事が出来ないでいました。
少しずつ、恐怖の対象をクリアしていき、数年前から、まだ、条件付きですが、飲み会や遊びに夫が行っても、恐怖をコントロールできるようになりました。
ここまで、何年も、待ってくれた夫に、感謝してます。
娘さんも、おっさんが、留守の間に、感謝の気持ちが、溢れてきてのお迎えだったのかな?
私も、『このままでは、終わらへんぞ』
えへへ。 パクっちゃいました。 ぽんみみ妻でした。
ととへ
病気のおかげ。
こんなん、あんまりいらんわって思うかもしれんけど、けっこうたくさんあるのかなあと思う。
見ようとしなかったことを見たり、見えなかったものが見えたりする。
見たくもないものを、たくさん見せられることのほうが多いんやけど、それらと闘う中で、歩んで行くしんどい道の中でのみ見えるものもある。
病気のおかげなんていう言葉で表現するのではなく、自分の人生を歩んで行く中の必然として受け止めたらいいのかな。
親に対する思いも、そのうちの一つで、自然なことだと受け止めればいいのかな。
とにかく、しんどい道のりの中で、いろんな気づきをしながら、ゆっくり歩いていきましょう。
こんなん、あんまりいらんわって思うかもしれんけど、けっこうたくさんあるのかなあと思う。
見ようとしなかったことを見たり、見えなかったものが見えたりする。
見たくもないものを、たくさん見せられることのほうが多いんやけど、それらと闘う中で、歩んで行くしんどい道の中でのみ見えるものもある。
病気のおかげなんていう言葉で表現するのではなく、自分の人生を歩んで行く中の必然として受け止めたらいいのかな。
親に対する思いも、そのうちの一つで、自然なことだと受け止めればいいのかな。
とにかく、しんどい道のりの中で、いろんな気づきをしながら、ゆっくり歩いていきましょう。
つじつま合わせ。
夢ととが思ったこと書きます。
夢ととは、子供の頃から手のかからない子だったらしいです。
兄に負けじと一人で何でもしていたそうです。
物心ついてからは、夢とと自身が親に迷惑をかけないようにと選択して生きてきました。
そして、今。
夢ととには、理解出来ない部分もありますが、父は父で精一杯夢ととを思い手を貸そうとしてくれています。
母には、母の前でポロポロ涙を流し弱音をはいたり、夜中に泣きながら起こしたことも2回ありますし、先日は、気付かれないと思って独りで夜にわんわん泣いているのを聞き付けて起きて来てくれました。
夢ととが情けないと泣いていると、母は言葉少なくどうしてよいか判らないようにしながら、背中をさすってくれます。
今さら、子供をやり直して居るように思います。
本来なら親の面倒をみている歳になりながら、両親に助けてもらい、生活の面倒を見てもらっています。
そうやって、すべき事は順番は変われどしていくのかなと思いました。
願わくば、夢ととが親孝行出来る時間を両親が健康なうちに取れるように時間配分してくれたら嬉しいです。
おやじ。
独りは辛いって言ってる夢ととは、本当は両親ががっちり支えてくれてるのにね。
なんて親不孝なんだろうね。
自分の事しか考えてない証拠ですね。
涙が止まりません。
どうか、夢ととに親孝行の時間配分をしてくれていますように。
夢ととは、子供の頃から手のかからない子だったらしいです。
兄に負けじと一人で何でもしていたそうです。
物心ついてからは、夢とと自身が親に迷惑をかけないようにと選択して生きてきました。
そして、今。
夢ととには、理解出来ない部分もありますが、父は父で精一杯夢ととを思い手を貸そうとしてくれています。
母には、母の前でポロポロ涙を流し弱音をはいたり、夜中に泣きながら起こしたことも2回ありますし、先日は、気付かれないと思って独りで夜にわんわん泣いているのを聞き付けて起きて来てくれました。
夢ととが情けないと泣いていると、母は言葉少なくどうしてよいか判らないようにしながら、背中をさすってくれます。
今さら、子供をやり直して居るように思います。
本来なら親の面倒をみている歳になりながら、両親に助けてもらい、生活の面倒を見てもらっています。
そうやって、すべき事は順番は変われどしていくのかなと思いました。
願わくば、夢ととが親孝行出来る時間を両親が健康なうちに取れるように時間配分してくれたら嬉しいです。
おやじ。
独りは辛いって言ってる夢ととは、本当は両親ががっちり支えてくれてるのにね。
なんて親不孝なんだろうね。
自分の事しか考えてない証拠ですね。
涙が止まりません。
どうか、夢ととに親孝行の時間配分をしてくれていますように。
おやじ、遅くなんてないよ。
息子さん・娘さん達には、あえていいおやじよりも
健康でいつも自分達を見ていてくれる ただそれだけの
おやじで十分じゃないかな☆
息子さん・娘さん達には、あえていいおやじよりも
健康でいつも自分達を見ていてくれる ただそれだけの
おやじで十分じゃないかな☆
盆唄どの
千歳から札幌の向かう列車の中から見える、線路沿いの黒い土のあちこちから出ていた蕗の薹を眺めていたこと、よく覚えています。
周りの景色は、あまり覚えて無いのですが、蕗の薹の緑色をよく覚えています。
なんで蕗の薹だけ覚えているのか、鮮明に覚えています。
もう一つ覚えているのは、札幌と旭川の、ふんわりとした時間です。
北海道には、現役の時から、ふんわりとした時間を過ごせる場所があったような気がします。
北海道だからではなく、そういう人たちが集まっていたからなんでしょうけどね。
もう辞められたと聞いていますが、札幌の変なおじさん、頑固者の田中さんは、どうされてるのかなあ。
定年後はスキー教室を開催するようなことを言っておられた記憶があります。
あの田中さんに、北海道の海で釣った魚をいっぱい送っていただいたことも思い出しました。
懐かしい、ふんわりとした思い出です。
周りの景色は、あまり覚えて無いのですが、蕗の薹の緑色をよく覚えています。
なんで蕗の薹だけ覚えているのか、鮮明に覚えています。
もう一つ覚えているのは、札幌と旭川の、ふんわりとした時間です。
北海道には、現役の時から、ふんわりとした時間を過ごせる場所があったような気がします。
北海道だからではなく、そういう人たちが集まっていたからなんでしょうけどね。
もう辞められたと聞いていますが、札幌の変なおじさん、頑固者の田中さんは、どうされてるのかなあ。
定年後はスキー教室を開催するようなことを言っておられた記憶があります。
あの田中さんに、北海道の海で釣った魚をいっぱい送っていただいたことも思い出しました。
懐かしい、ふんわりとした思い出です。
娘さんが迎えに来てくれる。しかもお父さんの居るありがたさに気付いて、感謝の言葉を メールで送ってくれるなんて いいですね。嬉しいですね。 娘はまだまだ嫉妬します。羨ましがり 自分ができないことを私がする妬みのほうが強いです。 でも少しだけ 母が楽しくでかけられて 発散できたら、その分自分をもっと優しく包んでくれるのではと期待もしてるようで 少し友達と会っておいでと言ってくれるようになりました。 まぁそれでも妬みは消えませんが… これもぼちぼちやっていきます。
ぼんみみ妻へ
長い道のりで、時々疲れて爆発してしまうこともあるだろうけど、確実に階段を一段ずつ上れていってること感じてますよね。
見守ってくれている優しさにも包まれて、優しさに感謝しながら上って行く階段は、病気がなかったら感じられなかったものです。
病気に感謝なんてすることはないですが、これも人生。
人に見れないものを見せてもらって、感じられないものを感じさせてもらって、しんどさを一つずつ、充実に変換していきましょう。
「このままでは終わらへん。」ために。
見守ってくれている優しさにも包まれて、優しさに感謝しながら上って行く階段は、病気がなかったら感じられなかったものです。
病気に感謝なんてすることはないですが、これも人生。
人に見れないものを見せてもらって、感じられないものを感じさせてもらって、しんどさを一つずつ、充実に変換していきましょう。
「このままでは終わらへん。」ために。
夢ととへ
独りぼっちを感じるのは、苦しい時には仕方ないことやと思う。
生まれるのも死ぬのも独りっていうのは、よく言われてることやろ。
みんな知ってる言葉やんか。
でもな、それぞれの感じ方は、まったく違うやろ。
なんとなく、そうやなあって思ってる人。
頑張らなって思える人。
寂しいなって思う人。
人によって違うのではないよなあ。
その時によって、その人の今によって感じ方がいろいろなんやろう。
ということは、不変ではないということやし、普遍でもないということや。
もとの水にあらず、なんや。
変って行くことに期待して待てばいいとも言える。
難しいことやけど、焦らないということに通じるものかなと思う。
気にしないで、親に甘えたらええ。
甘えっぱなしでも、ええんやで。
がっちり支えることも、親の喜びや。
これは、おっさんの勝手な推測やけどな。
夢ととも、苦労はしたやろうけど、少しは経験したことやろ。
甘えてもらった喜び。
遠慮せんと、胸張って休憩したらええ。
胸張ってっていうのは、ちょっとおかしい表現やなあ。
まあ、ええやろ、そんな感じや。
明日は、独りやって感じないかもしれんし、明後日は寂しいかもしれん。
そんなもんやと思え。
「こんくらいで、よかばい。」やで。
生まれるのも死ぬのも独りっていうのは、よく言われてることやろ。
みんな知ってる言葉やんか。
でもな、それぞれの感じ方は、まったく違うやろ。
なんとなく、そうやなあって思ってる人。
頑張らなって思える人。
寂しいなって思う人。
人によって違うのではないよなあ。
その時によって、その人の今によって感じ方がいろいろなんやろう。
ということは、不変ではないということやし、普遍でもないということや。
もとの水にあらず、なんや。
変って行くことに期待して待てばいいとも言える。
難しいことやけど、焦らないということに通じるものかなと思う。
気にしないで、親に甘えたらええ。
甘えっぱなしでも、ええんやで。
がっちり支えることも、親の喜びや。
これは、おっさんの勝手な推測やけどな。
夢ととも、苦労はしたやろうけど、少しは経験したことやろ。
甘えてもらった喜び。
遠慮せんと、胸張って休憩したらええ。
胸張ってっていうのは、ちょっとおかしい表現やなあ。
まあ、ええやろ、そんな感じや。
明日は、独りやって感じないかもしれんし、明後日は寂しいかもしれん。
そんなもんやと思え。
「こんくらいで、よかばい。」やで。
yumiへ
励ましありがとう。
そうやなあ、遅いことなんかなんもないよなあ。
それに、遅かったって思っても、元には戻れないもんなあ。
いくつになっても、前向いて歩かんとなあ。
頑張って前進するから、yumiも前向いて歩くんやで。
そうやなあ、遅いことなんかなんもないよなあ。
それに、遅かったって思っても、元には戻れないもんなあ。
いくつになっても、前向いて歩かんとなあ。
頑張って前進するから、yumiも前向いて歩くんやで。
しずくさんへ
うちも、母親には、よく言ってますよ。
「母さんは、何でも出来るから、母さんにはわからへん。」
「どこでも行けるし、何でも出来る、わたしは何も出来へん。」
妻は仕方なく黙って聞いています。
その嫉妬は、その瞬間、仕方ないものなんでしょうね。
その瞬間、無茶苦茶を言ってることも娘は解っているのですもんね。
包んであげていたら、びっくりすりような階段の上り方をするときもあるし、一段ずつ上っていきましょう。
お互いの思いやりと優しさは、確実に階段を上らせてくれる力になるものです。
「母さんは、何でも出来るから、母さんにはわからへん。」
「どこでも行けるし、何でも出来る、わたしは何も出来へん。」
妻は仕方なく黙って聞いています。
その嫉妬は、その瞬間、仕方ないものなんでしょうね。
その瞬間、無茶苦茶を言ってることも娘は解っているのですもんね。
包んであげていたら、びっくりすりような階段の上り方をするときもあるし、一段ずつ上っていきましょう。
お互いの思いやりと優しさは、確実に階段を上らせてくれる力になるものです。
甘えてもらえる喜び
おやじへ
寝る前に読まなきゃ良かった。
短い期間だったし、夢ととが体調崩してからは、我慢ばかりさせてたと思う。
探り探りで信頼関係を築いて行ってたと思うし。
やっと夢ととが、心の底から受けとめてやれる様になったかなって位だったんです。
もっと甘えたかったかな?
無理も言いたかったかな?
もっとやってあげられたよな。
もっともっとって、やっぱりたくさん後悔が出てきます。
大人の関係は、終わっても下ろす事の出来ない荷物を持っているのだと考えずには居られません。
夢ととが与えた影響が、悪いものでないと願うしかないのです。
おやじが書いた事が悪いっていうのじゃないです。
自分の喜びよりも、大きな荷物を背負ってしまってるのです。
元パートナーは「あなたが思う事じゃない」と言ってくれますが、そう思えないのです。
吐き出したくて書きました。
負担には思わないで下さい。
すみませんでした。
寝る前に読まなきゃ良かった。
短い期間だったし、夢ととが体調崩してからは、我慢ばかりさせてたと思う。
探り探りで信頼関係を築いて行ってたと思うし。
やっと夢ととが、心の底から受けとめてやれる様になったかなって位だったんです。
もっと甘えたかったかな?
無理も言いたかったかな?
もっとやってあげられたよな。
もっともっとって、やっぱりたくさん後悔が出てきます。
大人の関係は、終わっても下ろす事の出来ない荷物を持っているのだと考えずには居られません。
夢ととが与えた影響が、悪いものでないと願うしかないのです。
おやじが書いた事が悪いっていうのじゃないです。
自分の喜びよりも、大きな荷物を背負ってしまってるのです。
元パートナーは「あなたが思う事じゃない」と言ってくれますが、そう思えないのです。
吐き出したくて書きました。
負担には思わないで下さい。
すみませんでした。
夢ととへ
まいったなあ。
思慮がないおっさんやなあ。
ちょっと考えたら解ることやのに、ほんま、あほな奴や。
解ったようなことを言う、こういう奴が大嫌いなくせに、勇み足。
ごめん、許せ。
思慮がないおっさんやなあ。
ちょっと考えたら解ることやのに、ほんま、あほな奴や。
解ったようなことを言う、こういう奴が大嫌いなくせに、勇み足。
ごめん、許せ。
おやじへ
おやじが気にしたら、夢ととが「かえってすみません」になってしまいます。
書かなければ判らない事だったのでしょうが、夢ととがおやじに甘えて書いてしまいました。
こんな家庭をステップファミリーと言います。
それぞれに困難があるので支援するNPO法人もあるのですが、今は活動停滞してるかも知れません(色々お世話になりました)
そっか、そっかと軽く流してもらえると気軽です(*^_^*)
書かなければ判らない事だったのでしょうが、夢ととがおやじに甘えて書いてしまいました。
こんな家庭をステップファミリーと言います。
それぞれに困難があるので支援するNPO法人もあるのですが、今は活動停滞してるかも知れません(色々お世話になりました)
そっか、そっかと軽く流してもらえると気軽です(*^_^*)
夢ととへ
けっこう軽く流しながらの、「ごめん」やから、お互いに、あんまり気にしないでおきましょう。
でも、こう書くのも、なんか抵抗あるなあ。
リアルで話してたら、こんな面倒な説明は、お互いに不要なんやろうけどなあ。
まあ、お互いに、その辺は理解していることだとして、良しにしておきましょう。
それにしても、すごいNPOやなあ。
難しい仕事や。
でも、あれば助かる人も多いやろ。
そういう受け皿、いろんな方面にあるといいのになあ。
でも、こう書くのも、なんか抵抗あるなあ。
リアルで話してたら、こんな面倒な説明は、お互いに不要なんやろうけどなあ。
まあ、お互いに、その辺は理解していることだとして、良しにしておきましょう。
それにしても、すごいNPOやなあ。
難しい仕事や。
でも、あれば助かる人も多いやろ。
そういう受け皿、いろんな方面にあるといいのになあ。
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私は玄関のドアをガチャリと開ける音が好きです。
あの音は夫が、家族が帰って来た音。
1人じゃなくなる音です。
おっちゃん、私もね、後悔してます。
昔、雨が降った時に両親が留守番してた私に「傘持ってきて」って、駅から電話してきたことがあったんです。
私は「面倒くさい」って行かなかった。
両親はもちろんブーブー文句言って呆れてました。
その時だけじゃない。
私も親を迎えに行ったことが1度もありません(逆は何度もありますが)
そんなこともしなかったなあって今悔やんでます。
私も気付きました。
だからせめて父には、なんらの形で親孝行したいです。
おっちゃん、娘さんが迎えに来てくれてよかったですね。
それが今なんだから、それでいいんですよ。
娘さんとの距離が縮まってるような気がします。