379.慟哭と安心
2009.04.29 [ Edit ]
日々、変化は当然あるものですが、それを感じられる人、感じられない人。
感なくても、通り過ぎても自然な人、気持ちが引っ掛からない人かなあ。
多くの人は、ほとんど引っ掛からないものなのだと思います。
引っ掛かるっていうのはどういうことか?
人から見れば、考えすぎというところかなあ?
ここに、”普通”が、大きく関係してくるのかなあ?
こんなことを考えなければならない人は、たぶん、”普通” では無いのかも?
またまた、哲学の道に踏み込んだようです。
「ヒマやー。」の、娘の声。
活字では、なかなか伝わらないものですが、
この「ヒマやー。」は、実は、悲痛なものなのです。
感なくても、通り過ぎても自然な人、気持ちが引っ掛からない人かなあ。
多くの人は、ほとんど引っ掛からないものなのだと思います。
引っ掛かるっていうのはどういうことか?
人から見れば、考えすぎというところかなあ?
ここに、”普通”が、大きく関係してくるのかなあ?
こんなことを考えなければならない人は、たぶん、”普通” では無いのかも?
またまた、哲学の道に踏み込んだようです。
「ヒマやー。」の、娘の声。
活字では、なかなか伝わらないものですが、
この「ヒマやー。」は、実は、悲痛なものなのです。
なんとなくのヒマは、とても良いものだと思います。
次のなにかに繋がるものですから。
「なにしようかな?」に、結びついたりするものですから。
でも、前後に、なにも無い場合のヒマは、恐ろしいものなのだと思います。
暗闇の発想から出る”ヒマ”という言葉、”ヒマ”という発想は、
心を押しつぶすような恐ろしい力を持っているような気がします。
「ヒマ」 イコール 「すべての希望が消えている時間」
娘の中では、こんな発想構図が、当てはまるもののようです。
行動が不可能な場合のヒマは、牢獄に繋がれたヒマなのです。
「ヒマやー。」の続きは、
30歳の娘の、幼子のような泣き声になっていくことが多いのです。
幼子の鳴き声は、しだいに慟哭に変化していきます。
長年の経験で、慟哭に安心する私がいます。
変な話に聞こえるでしょうが、いつからか、
娘の慟哭に、安心を感じるようになってきている私がいます。
こらえきれない苦しみと、心の中で闘っている。
悪魔のささやきを、振り払って、悪魔の嘲笑に立ち向かって、闘っている。
我慢して、耐えて、前に向こうとしている。
耐えられなくなりそうになって、心の闘いが、表情に表れる。
苦しくて苦しくて、幼子の泣き声になる。
そして、悪魔を振り払うように大声の泣き声になる。
慟哭が始まる。
慟哭になると、今まで闘っていた戦場が、大爆発して、敵味方がばたばた倒れ、
しばしの停戦に入る。
こんな感じなのだと思います。
なので、私は、慟哭に安心を感じるのです。
娘の目指している絵ではありませんが、温かい友情からの、絵の仕事のプレゼントに出会い、
絶対に踏み込めなかったベランダに出られるようになり、
洗濯物の取り込みが出来るようになったり、
近づけなかった台所で料理が出来るようになったこと。
いろいろな前進が出来ています。
私は、娘の前進に、小躍りするくらい喜んでいます。
もちろん、娘も、喜んでいます。
しかし、私たち父娘の前進は、ほんの少しだけの、普通への回帰に過ぎません。
ほんとの普通へは、まだまだ、程遠いものなのです。
私の頭の中では、そういうふうには考えていないのですが、
娘の中では、覚めて、そういうふうに見ている時間が多いのではないかと思います。
「焦ってはいけない、諦めるな。」
いつも私が、かける言葉です。
言葉をかける側には、なんの苦しみもありませんが、
かけられる側には、想像も出来ない苦しみがあるのです。
昨日、娘が、突然。
居間で、家族で、お茶を飲んでいる時に、突然、もがきだしました。
幼子の泣き声で、涙を流し始めました。
耐えられずに、身体をゆすって慟哭になりました。
慟哭がおさまり、悪魔との停戦がおとずれた時に、
「どうしたんや?」
「なにが、しんどいんや?」
と、娘に、ゆっくり尋ねましたが、娘は、一点を見つめて黙ったままでした。
周りは、簡単に声をかけ、単純に出来たことに対して喜んだりしていますが、
娘の中での闘いは、一瞬の停戦はあるものの、
強い嵐で息も出来ず、泥沼を這うような闘いが続いているものなのだと思いました。
かといって、出来たことは、素直に喜べばいいと思っていますし、
悲観するつもりは、ありません。
負けはしませんし、「このままでは終わらへんぞ」は、いつも思っているものです。
「ヒマやー」のほかに、「さびしいー」っていう魂の叫びがあります。
娘は、泥沼の独りぼっちの闘いを、
「ヒマやー」と、「さびしいー」という言葉だけで表現します。
この二つの、憎んでも憎みきれないような悔しい言葉が、
娘の口から出なくなるときが、トンネルの出口なのだと思います。
簡単な言葉かもしれませんが、
私の中での一生懸命を表す言葉。
「焦らんとこう。」
「諦めんとこう。」
この二つの言葉で、トンネルの出口を目指します。
次のなにかに繋がるものですから。
「なにしようかな?」に、結びついたりするものですから。
でも、前後に、なにも無い場合のヒマは、恐ろしいものなのだと思います。
暗闇の発想から出る”ヒマ”という言葉、”ヒマ”という発想は、
心を押しつぶすような恐ろしい力を持っているような気がします。
「ヒマ」 イコール 「すべての希望が消えている時間」
娘の中では、こんな発想構図が、当てはまるもののようです。
行動が不可能な場合のヒマは、牢獄に繋がれたヒマなのです。
「ヒマやー。」の続きは、
30歳の娘の、幼子のような泣き声になっていくことが多いのです。
幼子の鳴き声は、しだいに慟哭に変化していきます。
長年の経験で、慟哭に安心する私がいます。
変な話に聞こえるでしょうが、いつからか、
娘の慟哭に、安心を感じるようになってきている私がいます。
こらえきれない苦しみと、心の中で闘っている。
悪魔のささやきを、振り払って、悪魔の嘲笑に立ち向かって、闘っている。
我慢して、耐えて、前に向こうとしている。
耐えられなくなりそうになって、心の闘いが、表情に表れる。
苦しくて苦しくて、幼子の泣き声になる。
そして、悪魔を振り払うように大声の泣き声になる。
慟哭が始まる。
慟哭になると、今まで闘っていた戦場が、大爆発して、敵味方がばたばた倒れ、
しばしの停戦に入る。
こんな感じなのだと思います。
なので、私は、慟哭に安心を感じるのです。
娘の目指している絵ではありませんが、温かい友情からの、絵の仕事のプレゼントに出会い、
絶対に踏み込めなかったベランダに出られるようになり、
洗濯物の取り込みが出来るようになったり、
近づけなかった台所で料理が出来るようになったこと。
いろいろな前進が出来ています。
私は、娘の前進に、小躍りするくらい喜んでいます。
もちろん、娘も、喜んでいます。
しかし、私たち父娘の前進は、ほんの少しだけの、普通への回帰に過ぎません。
ほんとの普通へは、まだまだ、程遠いものなのです。
私の頭の中では、そういうふうには考えていないのですが、
娘の中では、覚めて、そういうふうに見ている時間が多いのではないかと思います。
「焦ってはいけない、諦めるな。」
いつも私が、かける言葉です。
言葉をかける側には、なんの苦しみもありませんが、
かけられる側には、想像も出来ない苦しみがあるのです。
昨日、娘が、突然。
居間で、家族で、お茶を飲んでいる時に、突然、もがきだしました。
幼子の泣き声で、涙を流し始めました。
耐えられずに、身体をゆすって慟哭になりました。
慟哭がおさまり、悪魔との停戦がおとずれた時に、
「どうしたんや?」
「なにが、しんどいんや?」
と、娘に、ゆっくり尋ねましたが、娘は、一点を見つめて黙ったままでした。
周りは、簡単に声をかけ、単純に出来たことに対して喜んだりしていますが、
娘の中での闘いは、一瞬の停戦はあるものの、
強い嵐で息も出来ず、泥沼を這うような闘いが続いているものなのだと思いました。
かといって、出来たことは、素直に喜べばいいと思っていますし、
悲観するつもりは、ありません。
負けはしませんし、「このままでは終わらへんぞ」は、いつも思っているものです。
「ヒマやー」のほかに、「さびしいー」っていう魂の叫びがあります。
娘は、泥沼の独りぼっちの闘いを、
「ヒマやー」と、「さびしいー」という言葉だけで表現します。
この二つの、憎んでも憎みきれないような悔しい言葉が、
娘の口から出なくなるときが、トンネルの出口なのだと思います。
簡単な言葉かもしれませんが、
私の中での一生懸命を表す言葉。
「焦らんとこう。」
「諦めんとこう。」
この二つの言葉で、トンネルの出口を目指します。
Comment
こんにちわ!私も昨日 泣きながら声に出して言ってました。 負けない!絶対このままではないから!って。 おっさんに出会えて この気持ち 強く思うようになりました。 ええかげんも習得中です。 今日もがんばりますp(^^)q
まあさんへ
ぜんぜん、すごいことないよ。
いつもいつも、負けそうになる。
ふらふらになったりする。
でもな、負けたらあかん。
諦めたらあかん。
いっしょに、がんばろう。
前にも、書いたと思う。
渥美清のドラマの主題歌。
「泣いてたまるか」
プレゼントするから、負けそうになったら思い出しや。
そらが泣いたら 雨になる
山がなくときゃ 水が出る
俺が泣いても なんにも出ない
意地が涙を・・・ 泣いて 泣いて
たまるかよー とおせんぼ
上を向いたら キリがない
下を向いたら アトがない
さじをなげるは まだまだはやい
五分の魂・・・ 泣いて 泣いて
たまるかよー 夢がある
ええ唄やろ。
俺は、けっこう小さい時から、負けそうな時に、この唄を歌います。
出来たら、メロディをどこかで探して歌うといい。
涙が出そうになるけど、力もわいてくる唄ですから。
いつもいつも、負けそうになる。
ふらふらになったりする。
でもな、負けたらあかん。
諦めたらあかん。
いっしょに、がんばろう。
前にも、書いたと思う。
渥美清のドラマの主題歌。
「泣いてたまるか」
プレゼントするから、負けそうになったら思い出しや。
そらが泣いたら 雨になる
山がなくときゃ 水が出る
俺が泣いても なんにも出ない
意地が涙を・・・ 泣いて 泣いて
たまるかよー とおせんぼ
上を向いたら キリがない
下を向いたら アトがない
さじをなげるは まだまだはやい
五分の魂・・・ 泣いて 泣いて
たまるかよー 夢がある
ええ唄やろ。
俺は、けっこう小さい時から、負けそうな時に、この唄を歌います。
出来たら、メロディをどこかで探して歌うといい。
涙が出そうになるけど、力もわいてくる唄ですから。
Re: タイトルなし
時々、明かりも見え隠れするやろ?
ぜったい諦めんとこうな。
いっしょにがんばろ。
まあさんに、プレゼントだといって書いた、「泣いてたまるか」の歌詞。
しずくさんにも、コピーします。
負けそうになったら思い出したらええ。
そらが泣いたら 雨になる
山がなくときゃ 水が出る
俺が泣いても なんにも出ない
意地が涙を・・・ 泣いて 泣いて
たまるかよー とおせんぼ
上を向いたら キリがない
下を向いたら アトがない
さじをなげるは まだまだはやい
五分の魂・・・ 泣いて 泣いて
たまるかよー 夢がある
ええ唄やろ。
俺は、けっこう小さい時から、負けそうな時に、この唄を歌います。
出来たら、メロディをどこかで探して歌うといい。
涙が出そうになるけど、力もわいてくる唄ですから。
ぜったい諦めんとこうな。
いっしょにがんばろ。
まあさんに、プレゼントだといって書いた、「泣いてたまるか」の歌詞。
しずくさんにも、コピーします。
負けそうになったら思い出したらええ。
そらが泣いたら 雨になる
山がなくときゃ 水が出る
俺が泣いても なんにも出ない
意地が涙を・・・ 泣いて 泣いて
たまるかよー とおせんぼ
上を向いたら キリがない
下を向いたら アトがない
さじをなげるは まだまだはやい
五分の魂・・・ 泣いて 泣いて
たまるかよー 夢がある
ええ唄やろ。
俺は、けっこう小さい時から、負けそうな時に、この唄を歌います。
出来たら、メロディをどこかで探して歌うといい。
涙が出そうになるけど、力もわいてくる唄ですから。
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>負けはしませんし、「このままでは終わらへんぞ」は、いつも思っているものです。
おっちゃんはよく「このままでは終わらへん」と言いますね。
私、いつもすごいと思うんですよ
諦めず、そういう気持ちを持ってるってこと・・・
私息子を見てるとこの子は一生強迫から離れられないんじゃないかと思ってしまいます
諦めてしまう気持ちにもなる
けど、おっちゃんのセリフで私自身を鼓舞することができます
私も諦めない、このままで終わらせない・・・