強迫性神経症 | 強迫性障害 | OCD体験記・子育てブログ

強迫性神経症(強迫性障害/OCD)の娘と向き合う父親の体験記・子育てブログ

402.行けなかった悔しさ

2009.05.23 [ Edit ]

今日、末娘と妻が、大阪行き。
姉娘は、誘われていましたが行けませんでした。

「なんか、むなしいなあ。」
「まだまだ、出来へんこと多いなあ。」

「行けへんかったんと違って、行かへんかったって考ええな。」

「違う、行けへんかったんや。」
「今まで、大便は一日おきやったけど、このごろ毎日やねん。」
「いややわあ。」
「どこへも行けへんようになる。」

「うーん、そうやなあ。」
「そては辛いことやけど、自分のペースで生きればええんやで。」
「今日は、妹と母さんが誘ってくれたのに行けへんかって悔しかったやろうけど。」
「自分に出来ることだけしたらええんや。」
「トイレ行って、風呂入ってからやったら出かけられるやろ。」
「それでええやんか。」

「うん。」
「でも、行きたかった、すごく行きたかったんや。」

ひとすじ涙を流しながら話し出しました。
「うん、そうやなあ。」
「それは、辛いことやったと思うけどな。」
「出来へんことって多いもんやで。」
「父さんが、ジャガー欲しいなあって思っても、今は買えへんしなあ。」
「それって、出来へんから、我慢せんとあかん話やろ。」
「でも、まあ、ボルボがあるしええか。」
「そんな感じでどうや?」

これは、このまま行くと、一直線にブラックホールかなと思ったので、
笑いでごまかすことにしました。

落ち込んで、今にも雨になりそうな顔を、
おちゃらけで戻す努力に切り替えました。

以前には、絶対に出来なかった、
絶対に成功することのなかった、この切り替え作戦が、
最近は、けっこう功を奏することが多いのです。

これも、前進の一つだと喜んでいます。

ただし、喜んでいるのは、例によって周囲だけの話で、
本人には、なんの自覚もないものだと思います。

あと一歩、もう一歩だと思っているのも私だけの話。

「あと、トイレの問題が気にならなくなったら、ずいぶん楽になるのになあ。」

こういうふうに言った私に、娘からの返事はありませんでした。

ただ、うつむいて、暗い表情になっただけ。

「まあ、ぼちぼち行こう。」
「焦らんとこう。」
「ゆっくりでええやろ。」
「諦めんと、がんばれよ。」

そんな心の中の独り言を、繰り返していました。

Comment

母からの言葉に対して

夢ととが出来ない出来ないと嘆くと母は
「前はそれをするのも大変やったんちゃうの」
「出来る事増えてきてるよ」

おやじと同じように言います。

一足飛びに全部が出来るようになったり、休憩なしにやり続けたりする事は、無理なのかもしれない。
でも、出来ない事実が嫌でたまらない。

ポリアンナの良かった探してならぬ「出来るようになった事探し」がスムーズに出来れば良いのだろうけどやっぱりそうは行かないんですよね。

出来ない事は減っても、出来ない事実は変わらない。

なかなか、母にも伝わりません。
母は、応えに困ると
「そのあたりは、先生(主治医)は何て言うたはるの?」
と、聞いてきます。
あぁ、お母さんも辛いんやなぁって話を終わる方にもっていきます。

夢ととの中に何かがポツリと残ります。
わからないねんなぁって諦めかなぁ?


独りで抱えることなんやろけど、手伝って欲しい。
抱えきれない大きな何かがある気がする。

言葉にすると違うんだけど、何かそんな感じかなぁ。

書いてて、夢ととにイライラ虫がわいてきた。
困ったなぁ。

夢ととへ

サッカーの話をします。

俺は40年間、今のサッカーで言うところの、トップ下っていうポジションでプレーしています。
試合の、特に攻撃の組み立て役みたいなポジションです。

後ろからも、前からも、パスを受けて、右か左か、前か後ろか、どこへパスをだしてやったら味方が楽に攻められるか、それを考えながら誰にパスを出すのかを判断します。

味方は俺のほかに10人いますから、誰にパスを出してもいいわけです。

野球なら、打ったら一塁に走るとか、受けたらどこに投げるかが決まっているでしょう。
サッカーは、なにも決まりごとがないスポーツなので、誰がなにをしてもいいし、どこにパスを出しても、間違いじゃないんです。

でも、ボールは一個だから、パスを出すところは一ヶ所に限られますよね。
それを自分で判断するわけです。

その時に、一番大切なことは、右にパスを出してやる時に、左の味方も見えているってことなんです。

何年サッカーやってても、そういう時に、片方しか見えていない奴が多いんですよ。

右にパスを出したけど、左の奴も見えていて、どちらがいいかの判断をしたのならいいのですが、見えていない選手は、長い目で見たときに、結局全体が見えない選手、判断の鈍い選手という評価になってしまいます。

簡単に言うと、サッカーが解っているか、いないかが、そのことに左右されるくらい大切なことなんです。

これ、おっさんは、わかってるんやけど、何が言いたいか解りにくいかもしれんなあ。

もっと、深く書いていこうと思ったんやけど、サッカーやってる奴でも、なかなか理解しよらへん話やからなあ。

突然、直接的に表現するわ。

「独りで抱えることなんやろけど、手伝って欲しい。」
ここのところに関して。

出来てきているって思ってる、それを表現する。
でも、出来ていないことがあることも理解している。
出来ていないことが辛くて、それを表現する。
でも、出来ていることがあることも理解はしている。

これがな、右にパスするか、左にパスするかっていうところと同じやと思うんや。

解ってるか、解ってないかは、大きいんや。

お互いが、解っているものであれば、独りで抱えているって思わなくても、ええのと違うかなあ。

そんなふうに思うんや。

パスは、出したり、受けたりするもんやからなあ。

変な話で、解らへんわって言うかもしれんけどなあ。

これ、出会って話したら、ゆっくり説明してやるんやけどなあ。
文字表現は難しい。

おやじ、力不足の巻でした、みたいな感じやなあ。



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