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強迫性神経症(強迫性障害/OCD)の娘と向き合う父親の体験記・子育てブログ

409.黙して憤る

2009.05.29 [ Edit ]

夕方に、元の会社の仲間からメールが入ってきました。
簡単な文面のメールでした。

「元気ですか?俺は、明日で終わりです。」

それだけの、短い文面でした。

リストラの嵐のなかでの選択だったようです。
彼は、私より一つ年上だから、今年57歳になるのかな。

以前に話したことがある、息子の不良時代に、大阪で同じ部署にいて、

「高校中退なんて、最近はめずらしくないから気にするな。」と声をかけてくれ、
私が、「自分の子供が中退しても、そう思えるか?」と質問した時に、
絶句して黙り込んで、「すまん。」と、短く謝ってくれた彼です。

彼も辞めるということを、後輩からの連絡で知りました。
「彼も」なのです。
数多くの仲間たちが、退職に追い込まれるそうです。

「来期からのミッションの中で、あなたのポジションはありません。」

こんな直接的な、言い方をされたそうです。

言われた人たちは、こんな言い方をされたとは言いません。
「黙して憤っている。」こんな様子です。

彼と、それから、もう一人の2年先輩の辞める方にだけは、電話をしました。
その時も、二人とも、辞めることに関しては、「黙して憤っている。」
そんな感じでした。

変な話ですが、辞めない人が、憤りを口にするのです。

これは、変な話では無いのかも知れません。
会社の愚痴は、会社にいる人のものですからね。

時代の流れについていってないと言われそうですが、
どうしても、やっぱり、私は思ってしまいます。
これは、間違っている、絶対に、これは、おかしいと。

戦争に負けて、日本を立ち直らせようと意気込んで設立された会社。
良いものを作って、日本の国民の力にするのだと思われていた創業者。
その意志に共感して集ってきた仲間たち。
もちろん、慈善事業をしようと思われていたものではありません。
自分たちの生活も向上させようと必死だったものだと思います。

創業者グループの一員として働かれていた、数人の方と話したことがあります。
会社が、世界の・・・と呼ばれるようになってからですから、
同じ会社にいても、私にとっては、雲の上の人たちです。

「言葉だけじゃなく、ほんとに死に物狂いで働いたものだよ。」
「会社にお金が無いから、すまんが、ボーナスは株券を渡すって言われてねえ。」
「こんな紙切れで、飯は食えねえぞって思ったけどね。」
「それでも、みんなで頑張ったものだよ。」
「その紙切れが、今じゃ、私の一番の財産になってるんだけどね。」

そんな話を聞いたことがあります。
やり遂げてきた人の、自信に満ちた懐古の話でした。

世界の・・・になる前から、
創業者が、社員の子供が新入学する時に、
ランドセルをプレゼントすることにされました。

私の子供も、そのランドセルをいただいて小学校の入学をしたものです。

まだ亡くなっていなかった私の親父が、

「ええ会社やなあ、社長の温かい人格が感じられる。」

こう言っていたことを思い出します。

社員が何万人にも増えた今も、その習慣は続いています。
ただ、いつのころからか、習慣としてだけになったような気もします。

創業者の心がランドセルについてきていたものが、
ランドセルが配られる、ただ、それだけになってしまったのではと思われるのです。

その創業者が、今、まだ生きておられたら、
社員の生活よりも、会社を優先することに対して、どう思われるのだろうと、
あれこれ想像してしまいます。

いや、会社が倒れてしまっては、社員の生活も何も無いってことくらいは、
私にも解っています。

アメリカの保険会社ほどではないにしても、
どこから上を、幹部と呼ぶのかは別にして、
切られる者と、残る者の、待遇の違いを、どう捉えたらいいものか?

こんな単純な疑問は、誰もが持っているものでしょう。

私が、もといた会社だけでなく、日本丸すべてが、航路を誤っているような気がします。

余計なお節介も含めた、人の心の温かさ。
日本人の温かい心は、どこに行ってしまったのでしょう?

近所の、怖いおっちゃんも、
近所の、うるさいおばちゃんも、
医は仁術も、そうですし、
実るほど頭をたれる稲穂も、そうです。

分け与える心、自分を犠牲にする心。

いろんな大切なものが消えかけていて、
その隙間を、逃さないように、悪魔たちが暗躍している。
心の中に、悪魔たちが活躍できる隙間がたくさん出来てきている。

短い友のメールから、こんなことを、くどくど考えてしまいました。

とにかく、俺一人でも、
近所の、うるさいおっさんになってやろう。

そんな気持ちになっています。

Comment

何でも簡単に手に入ってしまう今の時代。物は溢れてるのに 人の心に余裕がないのは何ででしょうか? 目まぐるしく速い流れに心がついていかなくて 生きることに必死にもがき 闘ってる娘達に 生身の人間を感じます。 私も娘が普通の生活をしていたら ただ自分の生活を営むだけに 人の痛みにも気付かず過ごしていたと思います。 見てみぬ振りかな? 寂しい人生ですね。 声を掛け合うくらいしかできないかもしれないけど それだけでも私は心がポッと温かくなります。 一人では生きていけません。一人で生きてるようで どこかで絶対助けられてる。 私も何か役に立てば嬉しいです。

こんばんは。

”自分を犠牲にする心”
この価値観で、今の世の中を生きていくのは、本当に苦しいですね。
このスタンスで生きていると、川の流れに逆らって歩いているかのように感じます。しょっちゅう、大木が流れてきて怪我ををしたり、あまりに流れが激しくて、手足がちぎれてしまうんじゃないかと思う時もありますが、たまに、同じ方向をむいて歩いている人に出会うと、嬉しく思ったり、力を貰えたりもします。かと思えば、握っている手を振り払って方向転換する人もいますが・・・。
いろいろな苦しみはありますが、この価値観は何が何でも守りたい、貫きたいものの中の一つです。

しずくさんへ

そういうふうに考えていること自体が、私は、世の中の役に立っていることだと思います。
役に立とうとして、役に立つより、自然の中で、役に立つことって、そんな感じで生じるものだと思います。
娘の役に立つ親は、世の中の役に立つことの一歩目ですもんねえ。
娘を助けてやらなければ、なんとかして助けるぞ、
こう思う心が、助けてもらっている自分を、気づかせてくれます。

あたたかい心を持って生き、
あたたかい心に感謝して生きていれば、
必ず、幸せが近づいてくる。

安心して、自信を持って、ゆっくり歩いていきましょう。

ぼんみみさんへ

貫こう。

大きな喜びのために。
自分の満足のために。
となりの人のために。

しんどいし、損ばかりするなあって思うかもしれん。

でも、解る人には伝わるものやし、伝わった人は、同じことを損してでもするようになる。

大きなことが出来なかっても、となりの一人、そのとなりの一人と、ほんまもんで付き合うことや。

苦しいけれど、おおきな満足もあるし、あたたかい心に励まされることも多いから。

貫こうぜ。

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強迫性神経症(強迫性障害 | OCD)と闘う父親の日記。画像は娘が描いたものです。

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