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強迫性神経症(強迫性障害/OCD)の娘と向き合う父親の体験記・子育てブログ

432.リストラ

2009.06.27 [ Edit ]

リストラにあって辞める仲間の送別会に難波まで行きました。

この冒頭で書いた私の文章は、まったくの間違いなのです。
リストラは、英語のRestructuringの略語で、
その意味は、再構築という意味なのですから。

ところが、和製英語になってしまっているリストラは、
いつのまにか解雇という意味を表す言葉になってしまっている。

ただ、私は、単に国語の話がしたいのではなくて、
大きな問題は、私たち全員が、このことを間違いだとも思わずに、
この間違いを受け入れてしまっているところだと考えています。

このことに最初から気づいている一部の賢い人たちは、
今、解雇を意味するリストラという言葉を使わなくなってきています。
「企業の再構築をするために」
なんていうもともとの意味に、表現を戻していっているのです。
最初から、リストラなんて言葉は、無かったとでもいうようにです。

書き始めから脱線している、今日の私ですが、
もう少し続けたいと思います。

賢い人の使う詭弁に、もう少し気をつけなければいけない。

今日の私の脱線話は、これが言いたい為の脱線話です。
今日、送別会の主賓になる私の先輩も、
あまりに良い人なので、「リストラ=解雇」受け入れてしまっている。
受け入れてしまっていると言うより、受け入れざるを得ないのですが。

本来の意味の、再構築であれば、解雇を差し止めるための努力こそ、
リストラの本来の姿であるはずなのではと、私は考えます。

出かけに、時間調整に、駅前の喫茶店に入りました。

ママとの雑談を披露します。

「今日は、どこへお出かけや?」

「うん、会社を辞める先輩の送別会や。」

「定年か?」

「いや、定年じゃないで。」

「リストラか?」

「まあ、そんなところや。」

「なんで、そんなに辞めさせる必要があるんやろうなあ?」

この素朴な疑問に対する私の答えは、

以前は、1000台売れる製品を、1200台売る為に努力をしてたけれど、
ところが、今は、1200台作って、1100台しか売れなかった時の、
残った100台の投売り安売りのリスクを避ける為に、
売れる数量の把握を確実にするようになった。
そこまでは、良かったのだけれど、
200台余計に売ることを考えなくなってしまったときに、
ついでに、努力することも放棄してしまったことが問題で、
売り上げを上げるために努力する社員が不必要になってきたと言う側面がある。
これは、暴論のように感じられるかもしれないけれど、
その結果、会社では、イエスマンを必要とするようになったという理屈が生じて、
いや、理屈ではなく現実があって、
目標をクリアすることに、貪欲なな社員は、強引なところが同居したりするものであるがゆえに、
リスクを生み出す社員として、重宝しなくなっていったというところがある。
それで、幹部達は、自身の生き残りの為に、うるさい努力型社員を排除していったもの。

ちょっと、強引な論法で、喫茶店のママに解ろうはずも無い話を、
自分の憤りで、まくし立てたものです。
ここからの続きの話は、いっぱいあるのですが、
ママに説明する愚に気づいて、このへんでやめて置きました。

この話は、私の、元いた会社の話なので、
すべてに当てはまるものではないと思いますし、
ここまで書いた脱線話は、核の部分ではなく、核をふまえた枝葉の話なので、
私の手前勝手な話として聞き流していただいたらと思いますが、
解る人には、解ってもらえる話かなとも思いますから、
消さずに、そのまま披露することにします。

まったく、他の話をしようと書き始めたのですが、
思いっきり脱線してしまいましたので、
今日は、これだけにしておきます。

わけの解らないような、支離滅裂な話をしてしまったようですが、
この話を完結しようとすると、原稿用紙100枚分くらいの話になりそうなので、
中途半端までもいかない、序章で終わってしまうような話になりましたが、
ほんとに、これだけにします。

核にあるものは、なにかということは、
人の心を誤魔化すと、絶対に、良い結果には繋がらないということ。

実は、そういうことなんです。

Comment

なるほどなぁ〜、と思いました。

>人の心を誤魔化すと、絶対に、良い結果には繋がらない

とても分かる気がします。その通りだと。

いつもとてもおやじさんが凄いな、と思うことは、人への洞察力が鋭い、ということです。

それは、親父さんがきっとご自分の中に「ひっかる部分」を深く見詰めてゆく才能があるからなのだと、私は思いました。

今、経済が世界的に立ち行かなくなっているのは、一言で言えば、私はお金も、物も人が創り出すものだから、そのこころの構造が変らない限り、同じことを繰り返すだろうな、私は、近頃そんなことを感じています。

それならば、経済機構を支える人全ての人のこころのどんな部分が機能していないのか・・・。

それは、社会の1人1人のこころの中にある概念を、1つ1つ見てゆくことがとても必要なのでは、と先日から思っていました。

例えば、親父さんが今回かいているこの言葉。人のこころを誤魔化すと、絶対に良い結果にはならない・・・

これも1つの今の経済が立ち行かなくなっている原因なのだなと・・・。

もしかして、このことは、会社側と雇われる側の関係が、もっと「腹をわって話す関係」が成立していれば、何か建設的な、リストラ(本来の意味の)の方向に向いていけるのではないかと・・・

おやじさんのお言葉から、思いました。

腹をわって話せる関係・・・それは、やはり素直に、正直に自分が真実だと思えることをいえる関係、、それを受け入れあえる関係だと思います。

おやじさんの原稿用紙100枚分くらいの話のお話、お聴きしたい気がしました・・・。


美愛さんへ

父親の心の中、全部がそうではないと思いますが、少し解っていただけたでしょう。
解ってもらえたというより、解っていたことを確認できたと言うほうが正しいのかな。

ところで、今日の私の独り言は、まったくの独り言で、人に聞かせる話ではなかったなと思っています。
かなり狭い思考というか、様々な意見があるところでしょうからね。
自分で、思っていること、それだけでいいような気がしています。
もちろん、同じような考え方の人は大勢いるだろうし、
隣人同士が向き合う為の、底に持ってる考え方、
そんな感じでいいのだろうと思っていたりします。

思考の核に、そんなものが、よく似た思考を持つものが、
自然に、ともに歩くようになるものなのかなと思っています。

昨日は、コメントを書いた後、いろいろ考えていました。

それは、批評と、評価、と判断・・・

それから、どうやって言葉を使って自分を気持ちを明らかにするか・・・。

文字は、言葉は、表現の限界があるとも・・・。

限界を知ることは、自分には良いことなのでは、そんなことも感じていました。


それで、正直、私には、おやじさんの気持ちは、おやじさんのブログを読むまで、そうだとは解りせんでした。

文章を読ませていただいて、解りました。ありがとうございます。
(^^)。(ひゃぁ、本当に自分の思っていることを、こうして文字にするのは難しいです。伝わっていると良いなぁ、と思います。)

私は、今、そのまま物事を受け入れる、受け取るように訓練しているのだとおもいます。


思考の核にそんなものが、良く似た思考を持つ、そのことから私は「101匹目のさる」を思い出していました。

もしかすると、「思っている」だけで世界は変化してゆくものかもしれませんね。

美愛さんへ

文字伝達の難しさ。
これは、もう、ほんとに難しいもの。

私のブログの中でも、文字が故に伝わらなかったこと、
誤解したこと、誤解されたこと、たくさんあるのは、読み返していただいたら、たくさん出てくることなのは、解っていただけるでしょう。

表情を見ながら話をすると、一言で、方向が決まるものが、文字での伝達は、読み方によって、正反対の方向に向かうことだってありますからね。

まあ、ただ、何度も、やり取りしていれば、修正は可能ですから、近い方向に戻せるとは思います。
それでも、同一線上を歩くことは、難しいかもしれません。
瞬間否定、瞬間肯定での修正は不可能ですからね。

そういう意味では、美愛さんの書いている、詩というものの伝達力は、文字の間で考えさせるものがゆえに、柔らかな伝達ができるものかもしれませんね。

それでも、感性の共有がなければ解り合えることは、難しいでしょうから、考えすぎなくてもいいものかもしれません。

このへんにも、”ええかげん”は、重要な役目を果たすものだと思っています。

文字伝達で、”ええかげん”を忘れてしまうと、哲学の道に踏み込んでしまって、曲がり道をくねくね歩いて、しまいは迷路に迷い込むなんてことになりますからね。

だいたい、今、ここで私が美愛さんに書いている言葉達も、そんな種類の言葉達で、リアルで話すときには、一言か二言で解決してしまうようなことを書いていると思いませんか?

でも、文字伝達によって、時間をかけて、思考の核を解り合えるというメリットもあるから、否定するものではなく、いいものだなあという気持ちも強いのですよ。

だんだん、哲学に道の入り口に近づきそうなので、この話は、このへんで。

私がした親父の心の中の話は、美愛さんにとっては、きっと、

「高音の出し方は、これでいいはずだ。」と、迷ったり、悩んだりしていたものを、だれかに、「貴女の高音部の歌い方は、グッドです。」って言われたようなものなのだと思うのですが、どうですか?

親父なんて、単純なもので、表現が下手なことを見栄で隠しているだけのものなんですよ。

詩を書く美愛さんに、説明を簡単にするならば、
金子みすずの詩と、高村光太郎の詩を、比較してみればいい。
そんなものは、比較するものではないのは解っていますが、
この二人の詩を比較すると、女と男の感性が比較できるような気がするので、あえて無茶を言ってみました。

プロの歌手に、歌の話をしたり、無謀で、たいへん失礼な話だとも思ったのですが、リアルでの話なら、出てきても消えていくから許されるようなものでしょう。
そんな感じでの、話だという感じで書いたものですから、流して許してくださいね。

ちょっと、主題の無いような話になりましたが、美愛さんとの雑談をしたという感じで思いつくまま書いてみました。





このおやじさんのレスに気づかずにきました。。。

また、丁寧にレスをいただけてとても嬉しいです。
(^^)ありがとうございます。

おやじさん・・・。

おやじさんが書いていらっしゃること、哲学のお話とっても分かります。私は、自分自身でそのような状態に時々陥ります、思考の迷路みたいなもの・・・。

それを勝手に自分で「思考の編み物」なんて名づけて居ます。
(^^)。

行き着くところはやはり同じ答えで、「はぁ、自分はこれを好きでやってるんだな、愛してるんだ、だから止められない」ということ。。。

苦しいことも、辛いことも、悲しいことも・・・ その感情が「止められない」からやっているんですよね・・・。

こういう自分に陥っている時、自分に聞いてみます。「こんな自分が好き?嫌い?」と・・・。単純にです。その間は、あえて考えません。好きか、嫌いか、即答です。

嫌いだったら、私はその感情を役に立たないものとしてすぐやめるか、その努力をします。役に立たないものは、もっていても仕方が無いです。

とことんその感情を味わいつくすのも、とても大事だと思います。

味わいつくす時に、文字にすること、誰かに話してみることはかなり効果の有る方法だと思います。
こころが整理されてきます、何を自分は感じ、思っているのか、と。

おやじさん。。。私は、この世界は人と人との感情のうねりのように感じているのです。

相手の言葉に傷づくこともあるでしょう、このやろ〜、って思うことも、なんだぁ、なまいきなぁ〜、って思うことも、思いが伝わらない〜、っておもうことも・・・

もちろん、その反対のこころが軽ろやかになるような感情も沢山あります。。

その感情のうねり、・・・・。せいめい、いのちといのちのかかわり・・。

その表現が、言葉であったり、絵であったり、音楽だったり、または、抱擁だったり、セクシュアルなことであったり、暴力だったり・・・

私にとって相手の方から「何を自分が感じているか」、それが何をおいても重要で、その何かを見詰めることによってのみ、世界は変化してゆくのだと、深く納得しています。

その見詰めるものと、相手の人の見詰めるもの、それは表現されて、受け入れ、受け取られて、初めてはっきりした輪郭になり、そして実感となり経験となる。

その表現が、ありのままで、素直なものほど、スムーズで分かり安いものになるとも思います。

このことを語り始めたら、止まりません(^^;)。


こういうことが言いたかったのです。

おやじさんが歌手にたいして、私にたいして持たれているイメージをそのまま表現されても、私にはちっとも失礼に感じません。

でも、失礼人の気持ちにこころを配られるおやじさんが私は大好きです。

(^^)。


最後の文章の失礼の部分ですが・・・

いくら私は「てげてげ」と言っても、そして、おやじさんが許してくださるとしても、この文章は、何だか意味不明ですよね(^^;)アハハ

こう書きたかったんです〜(^^)v。

>でも「失礼、許して受け流してください」そうおっしゃって人の気持ちにこころを配られるおやじさんが、私は大好きです。

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強迫性神経症(強迫性障害 | OCD)と闘う父親の日記。画像は娘が描いたものです。

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