436.神経科治療について
2009.07.01 [ Edit ]
昨日の通院の話に対して、アドバイスコメントをいただきました。
息子さんの病気と必死に向き合っておられる、お母さんです。
そのなかで、薬のことについて、こんなふうに書いていただいていました。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
強迫性障害には、抗うつ剤が効くとされていますが、
息子の場合はルボックスをマックス処方されても、何も変わりませんでした。
ところが、4年前の発病以来飲んでおります抗精神薬の量を、
増やしてもらったところ、グンと良くなりました。
「良くなった」と言っても、生活するのが楽になると言った感じですが、
酷い時は家から一歩も出られない状態でしたので。
お嬢さんも、かなりまだ苦しい状態にあるとお察しできます。
完璧に治るのは難しいかもしれませんが、もう少し生活し易く、生き易くなるはずです。
長い年月、苦しんでこられて可愛そうでなりません。
お医者様はお薬のことはどのようにおっしゃっておられるのでしょうか。
体重も倍になられたとの事ですが、
薬がもう少し合っていれば、そんなに体重も増えないのではと思ってしまいます。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
これに対して、最初は、「ありがとうございます。」だけの返事にしようかと思ったのですが、
自分の考えを、くどくど書いてしまいました。
極論、暴論にもなりかねない私の主観です。
その返信を読んでいただく方もいらっしゃると思うと、
くどくどに、もう一つ、くどくどを加えて、説明しておくほうがいいかなと思いました。
その返信は、あくまで私の主観であり、
ただ、主観ではあるけれど、
頑固に変えることの無い主観ではないのですよ、ということが言いたく、
また、いっしょに考えてくださる人がいれば、ありがたいなあと、
転載して、意見をいただいてみたいなとも思いましたので、
以下に、転載します。
賢い人は、「おまえの考え方は無茶苦茶や。」って言われるかもしれませんが、
そうなのかもしれないと、自分でも思っていますし、
これでいいと思っている自分もいます。
文章が拙いので、伝わりにくいところもあるのかもしれませんが、
いっしょに考えてみていただければ、ありがたいです。
息子さんの病気と必死に向き合っておられる、お母さんです。
そのなかで、薬のことについて、こんなふうに書いていただいていました。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
強迫性障害には、抗うつ剤が効くとされていますが、
息子の場合はルボックスをマックス処方されても、何も変わりませんでした。
ところが、4年前の発病以来飲んでおります抗精神薬の量を、
増やしてもらったところ、グンと良くなりました。
「良くなった」と言っても、生活するのが楽になると言った感じですが、
酷い時は家から一歩も出られない状態でしたので。
お嬢さんも、かなりまだ苦しい状態にあるとお察しできます。
完璧に治るのは難しいかもしれませんが、もう少し生活し易く、生き易くなるはずです。
長い年月、苦しんでこられて可愛そうでなりません。
お医者様はお薬のことはどのようにおっしゃっておられるのでしょうか。
体重も倍になられたとの事ですが、
薬がもう少し合っていれば、そんなに体重も増えないのではと思ってしまいます。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
これに対して、最初は、「ありがとうございます。」だけの返事にしようかと思ったのですが、
自分の考えを、くどくど書いてしまいました。
極論、暴論にもなりかねない私の主観です。
その返信を読んでいただく方もいらっしゃると思うと、
くどくどに、もう一つ、くどくどを加えて、説明しておくほうがいいかなと思いました。
その返信は、あくまで私の主観であり、
ただ、主観ではあるけれど、
頑固に変えることの無い主観ではないのですよ、ということが言いたく、
また、いっしょに考えてくださる人がいれば、ありがたいなあと、
転載して、意見をいただいてみたいなとも思いましたので、
以下に、転載します。
賢い人は、「おまえの考え方は無茶苦茶や。」って言われるかもしれませんが、
そうなのかもしれないと、自分でも思っていますし、
これでいいと思っている自分もいます。
文章が拙いので、伝わりにくいところもあるのかもしれませんが、
いっしょに考えてみていただければ、ありがたいです。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
統合失調症、躁鬱病、パニック障害、強迫性神経症・・・
誰かが、名づけられたものですよね。
その名前を、類似点を見つけて、当てはめていかれる。
それが、精神科医の最初の仕事ですね。
そして、こういう症状には、この薬が抑制効果があるからと、薬を処方してくださる。
患者は、それに従う。
時には、反応暴露方なんていう、行動療法を試してくださる。
さまざまな臨床例と、統計の上に成り立つ治療だと思います。
でも、多分ですが、私に確信はありませんが、
脳の中は、心の中は、まだ未知の部分が多くて、
お医者様も判らないことだらけのはずだと思うのです。
だからといって、治療や投薬を否定しているのではないのですよ。
これ、書きながら、どきどきしています。
大きな誤解を生じる可能性のある話をしていますから。
リアルでしか、話してはいけないことを、文字にしている気がします。
かよさん、わかって下さいね。
私は、○○さんのアドバイスや、精神医療を否定しているのではなくて、
現実は、どうなのだろうと考えているのです。
症状を抑制する薬はあっても、治療する薬は無いのではないでしょうか。
これは、非難しているのではなく、私は、現実を見据えて、
苦しんでいる患者を、娘を、息子を手助けしてやる方法を、
考え続けないといけないのではないかと思っていますということが言いたいのです。
今、かかっているお医者様を疑っているというのではないのです。
信じてついていっているのですが、頼りきってしまってはいけないぞと思っているのです。
信じているがゆえに、薬が合ってないとか、薬をどうしてくれって言うのは、私には言えません。
娘は、眠すぎるとか、身体がだるいとか、直接的に不調は遠慮なく訴えて、
種類や量を調整してもらっていますから、臨床的には、意見を言っていることにはなりますけれど。
くどくどと、何が言いたいかというと、これも確信はないのですが、
私の役目は、娘の心の開放、気持ちの安らぎ、立ち向かう心の共有、
諦めない意識の共有、焦らない穏かさの提供、哀しみや寂しさの理解・・・
そういうものだと思っています。
なにもかも、確信はないのですよ。
でも、親としての精一杯、親としての一生懸命を続けていこう。
間違っているとされることがあったとしても、一生懸命の心には、
心の傷を癒す力が、きっとあるものだと思っています。
間違っているとされたことを、強引に続けていくということではないのですよ。
間違っているといわれれば、やめる素直さも持っていますし、
それは、大切なことだと認識しています。
何度か、無知識の精一杯が大切だと思っているというようなことを書いた覚えがありますが、
そういうことなのです。
これも、前に書いたことがあると思いますが、
息子が、不良の仲間入りをして、暴走族に入って、
刺青を入れてきて、家出してっていう時期がありました。
その時に、いろんな人からアドバイスいただきました。
すべて、ありがたいアドバイスでした。
そのなかで、一番、心に響いたというか、その通りだと思って実践したこと。
けっして、学のある、賢い人からいただいたアドバイスではありません。
田舎の無知なおばさんからのアドバイス。
「いつでも、玄関の鍵を開けといてやって、メシの用意をしといてやって、
風呂の用意をしといてやれ、そしたら、いつか、帰ってきよる。」
このアドバイスの中には、信じてやれ、見守ってやれ、安心しろ、自信を持て、
その他いろいろな意味が含まれていたのだと思っています。
今、娘にも、玄関の鍵を開けておいてやって、
メシをいつでも食べられるようにしておいてやって、
いつでも入れるように風呂を沸かしておいてやろうと思っています。
とにかく、親として精一杯を続けていこうと思っています。
「この薬は、脂肪燃焼を妨げる副作用があります。」
今かかっている医師から言われた言葉です。
でも、体重が倍になったのは、これだけが理由ではありません。
外に出られない、自由に行動できない、運動不足。
食べることしか楽しみが無い、過食。
これを、黙って許した、親と、娘自身の責任でもあるのでしょう。
でも、悲しい、寂しい、心が痛い。
「生きるのが、しんどい。」
これを、楽にしてやるほうが、先の問題であったわけです。
まだまだ先になるかもしれませんが、心の痛みが軽くなったら、
いっしょに運動して、もとの身体になれるようにしようと思っています。
でも、あくまで、親は触媒だと思ってもいます。
いっしょに運動をしようと思っていますが、
させるのではなく、娘が、しようと思うように、影で触媒になるようにしようと思っています。
くどくど書き連ねていますが、書けば書くほど、うまく伝えられないような気がします。
なので、中途半端な気もしますが、今日は、このへんでやめておきます。
出会って、話せれば、
「こう思うんです、こう思ってるんです、ああ、それは、そうじゃないのですよ、こう思ってて、こうしてるんです。」
「ええ、それは、わかります。」
「ありがとうございます、そういうふうにしてみます。」
こんなふうな会話が出来ると思うのですが、文字伝達は難しいです。
アドバイスいただいたことに、おおきな感謝をしているのです。
舌足らずの文章に、気を悪くなさらないでくださいね。
これからも、共に歩く仲間として、
あたたかく付き合っていって欲しいと思っていること、正直な私の気持ちです。
○○さんの息子さんのこと、うちの娘のこと、
焦らずに、諦めずに、ともにがんばりましょう。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
以上が、転載した私の返事です。
自分で読み返しても、なかなか、自分自身にも伝わらない部分がある。
そんな感じです。
いっしょに考えてくだされば、ありがたいです。
統合失調症、躁鬱病、パニック障害、強迫性神経症・・・
誰かが、名づけられたものですよね。
その名前を、類似点を見つけて、当てはめていかれる。
それが、精神科医の最初の仕事ですね。
そして、こういう症状には、この薬が抑制効果があるからと、薬を処方してくださる。
患者は、それに従う。
時には、反応暴露方なんていう、行動療法を試してくださる。
さまざまな臨床例と、統計の上に成り立つ治療だと思います。
でも、多分ですが、私に確信はありませんが、
脳の中は、心の中は、まだ未知の部分が多くて、
お医者様も判らないことだらけのはずだと思うのです。
だからといって、治療や投薬を否定しているのではないのですよ。
これ、書きながら、どきどきしています。
大きな誤解を生じる可能性のある話をしていますから。
リアルでしか、話してはいけないことを、文字にしている気がします。
かよさん、わかって下さいね。
私は、○○さんのアドバイスや、精神医療を否定しているのではなくて、
現実は、どうなのだろうと考えているのです。
症状を抑制する薬はあっても、治療する薬は無いのではないでしょうか。
これは、非難しているのではなく、私は、現実を見据えて、
苦しんでいる患者を、娘を、息子を手助けしてやる方法を、
考え続けないといけないのではないかと思っていますということが言いたいのです。
今、かかっているお医者様を疑っているというのではないのです。
信じてついていっているのですが、頼りきってしまってはいけないぞと思っているのです。
信じているがゆえに、薬が合ってないとか、薬をどうしてくれって言うのは、私には言えません。
娘は、眠すぎるとか、身体がだるいとか、直接的に不調は遠慮なく訴えて、
種類や量を調整してもらっていますから、臨床的には、意見を言っていることにはなりますけれど。
くどくどと、何が言いたいかというと、これも確信はないのですが、
私の役目は、娘の心の開放、気持ちの安らぎ、立ち向かう心の共有、
諦めない意識の共有、焦らない穏かさの提供、哀しみや寂しさの理解・・・
そういうものだと思っています。
なにもかも、確信はないのですよ。
でも、親としての精一杯、親としての一生懸命を続けていこう。
間違っているとされることがあったとしても、一生懸命の心には、
心の傷を癒す力が、きっとあるものだと思っています。
間違っているとされたことを、強引に続けていくということではないのですよ。
間違っているといわれれば、やめる素直さも持っていますし、
それは、大切なことだと認識しています。
何度か、無知識の精一杯が大切だと思っているというようなことを書いた覚えがありますが、
そういうことなのです。
これも、前に書いたことがあると思いますが、
息子が、不良の仲間入りをして、暴走族に入って、
刺青を入れてきて、家出してっていう時期がありました。
その時に、いろんな人からアドバイスいただきました。
すべて、ありがたいアドバイスでした。
そのなかで、一番、心に響いたというか、その通りだと思って実践したこと。
けっして、学のある、賢い人からいただいたアドバイスではありません。
田舎の無知なおばさんからのアドバイス。
「いつでも、玄関の鍵を開けといてやって、メシの用意をしといてやって、
風呂の用意をしといてやれ、そしたら、いつか、帰ってきよる。」
このアドバイスの中には、信じてやれ、見守ってやれ、安心しろ、自信を持て、
その他いろいろな意味が含まれていたのだと思っています。
今、娘にも、玄関の鍵を開けておいてやって、
メシをいつでも食べられるようにしておいてやって、
いつでも入れるように風呂を沸かしておいてやろうと思っています。
とにかく、親として精一杯を続けていこうと思っています。
「この薬は、脂肪燃焼を妨げる副作用があります。」
今かかっている医師から言われた言葉です。
でも、体重が倍になったのは、これだけが理由ではありません。
外に出られない、自由に行動できない、運動不足。
食べることしか楽しみが無い、過食。
これを、黙って許した、親と、娘自身の責任でもあるのでしょう。
でも、悲しい、寂しい、心が痛い。
「生きるのが、しんどい。」
これを、楽にしてやるほうが、先の問題であったわけです。
まだまだ先になるかもしれませんが、心の痛みが軽くなったら、
いっしょに運動して、もとの身体になれるようにしようと思っています。
でも、あくまで、親は触媒だと思ってもいます。
いっしょに運動をしようと思っていますが、
させるのではなく、娘が、しようと思うように、影で触媒になるようにしようと思っています。
くどくど書き連ねていますが、書けば書くほど、うまく伝えられないような気がします。
なので、中途半端な気もしますが、今日は、このへんでやめておきます。
出会って、話せれば、
「こう思うんです、こう思ってるんです、ああ、それは、そうじゃないのですよ、こう思ってて、こうしてるんです。」
「ええ、それは、わかります。」
「ありがとうございます、そういうふうにしてみます。」
こんなふうな会話が出来ると思うのですが、文字伝達は難しいです。
アドバイスいただいたことに、おおきな感謝をしているのです。
舌足らずの文章に、気を悪くなさらないでくださいね。
これからも、共に歩く仲間として、
あたたかく付き合っていって欲しいと思っていること、正直な私の気持ちです。
○○さんの息子さんのこと、うちの娘のこと、
焦らずに、諦めずに、ともにがんばりましょう。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
以上が、転載した私の返事です。
自分で読み返しても、なかなか、自分自身にも伝わらない部分がある。
そんな感じです。
いっしょに考えてくだされば、ありがたいです。
Comment
人それぞれに沢山の経験、考えがあるのだな、と思いました。
美愛さんへ
主観と、客観の難しさ。
引いて見たり、離れて考えたり、時間を置いてから考えたりしても、自分の目を客観の目にすることは、とても難しいことです。
自分の気に入らない考え方を、喜んで受け入れる、納得する自分は存在しないものだと思います。
思いやっても、自分流。
やさしかっても、自分流。
助けても、自分流。
もっと言えば、勝利者の優しさ。
占領軍のチョコレート。
自己犠牲。
どこまで出来るものなのか?
テレサの心は、誰のものだったのか?
シンドラーは・・・
ガンジーは・・・
時々、そんなふうに考えて、自分が嫌になったりします。
”ええかげん”の真髄を探す必要あり。
そんな時は、そう考えます。
凡人の情けなさかな。
引いて見たり、離れて考えたり、時間を置いてから考えたりしても、自分の目を客観の目にすることは、とても難しいことです。
自分の気に入らない考え方を、喜んで受け入れる、納得する自分は存在しないものだと思います。
思いやっても、自分流。
やさしかっても、自分流。
助けても、自分流。
もっと言えば、勝利者の優しさ。
占領軍のチョコレート。
自己犠牲。
どこまで出来るものなのか?
テレサの心は、誰のものだったのか?
シンドラーは・・・
ガンジーは・・・
時々、そんなふうに考えて、自分が嫌になったりします。
”ええかげん”の真髄を探す必要あり。
そんな時は、そう考えます。
凡人の情けなさかな。
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興味があって、ネットいろいろなサイトを日ごろ見ていますが、私の気に入っているサイトを載せさせてください。
投薬だけに頼らない栄養療法をしているクリニックのサイト
http://orthomolecule.jugem.jp/
総合病院の精神科医をなさっている先生のサイト
(精神科医として日々感じられることなど、ざっくばらんに書いていらっしゃいます。)
http://ameblo.jp/doctor-kawausoo/entry-10291186511.html
人は程度の差はあれ、皆こころの病を持っていると思うんです。
私の考えとしては、普通の病院に特別な精神科を設けるのではなく、専門知識を持ったカウンセラーまたは精神科医が、常時他の専門医と連携して患者さん(クライアントさん)の診療にあたるのが良いと思っています。(私の今後の医療へ「希望」です。)
体は、こころと密接に関係してますものね。
そして、こう思うのです。病気の人もさりながら、病気を看る人1り1りが、まず自分自身を大切にすることが大事だと。病気を看る側の人も、こころの隙間をつくっておく技術を身につけるのが大切かと、思ったりします。。
物理的な支援に加え、こころの支援もできたらいいなぁ、と。
子供は親の背を見て育つと思います。こころにゆとり、余裕を持った親だと、子供も安心すると思います。自分自身をしっかり生きている両親(自分自身を1人の人間として愛している親)を見ると、子供はそれだけでも安心です。これが、心の支援だと私は思います。
それから、やはり人のこと(病気の人も、健常者も)を「この人はこうだ」と決め付けないで、「なるほどこの人はこういう感じの人なのだ」、と「そのまま」を受け入れることも大切だと思います(時として、ものすごくそのまま受け入れるのは大変ですが^^;)。。。一人一人の心の中から、偏見がなくなったときに、外の世界も変化してゆくと思うので・・・。
私の意見をつらつらと書きました(ちょっと力が入っちゃったかな^^;)。。。