強迫性神経症 | 強迫性障害 | OCD体験記・子育てブログ

強迫性神経症(強迫性障害/OCD)の娘と向き合う父親の体験記・子育てブログ

451.おっさんの偏屈思想

2009.07.20 [ Edit ]

「ゆみに、温かい励ましをたくさん、ありがとうございます。」

なんて、私がお礼を言うという行為。

こういうことに、すごく抵抗があります。
こういう行為に、すごく抵抗の感情を持って生きてきました。

なんでやねん?
と言うような話かもしれません。

答えは、偏屈やから、ということになるのだと思います。

素直に、ありがとうございますと言っておけば、それで感謝の気持ちが伝わって、
それの、どこがおかしいんや?ということなのですが。

これは、ゆみの欲したことでもないわけで、
たしかに、ゆみの心の底には、助けて欲しい、励まして欲しい、という気持ちはあるものだと思います。

でも、本人が、私は辛いので、誰か助けてくださいなんてことは言いにくいですし、
言ってもいません。

そして、私は、自分ひとりで癒してやれる自信がないから、
ゆみの気持ちを代弁する形で、ゆみと相談することもなしに、お願いすることにした。

こういう形を振り返ると、私の所作は、触媒としての所作。
触媒の役割は、自発的に進行する方向に反応の速度を増加させるというもの。
だから、触媒としての私が、でしゃばってお礼を言うというのは、おかしいのです。

これが、私の偏屈思想の、ざっとした考え方です。

へんな奴だと、自分でも思いますが、
これに限らず、いろんな場面で、
こういう考え方を、かたくなに崩さずに生きてきました。

触媒の仕事は、自力の動作でもなく、
あくまで補助動作だというわけですから、
「ありがとうございます。」は、私の言うことではないわけです。

温かい心と、苦しんでいるゆみの心が交われば、
私の触媒としての働きは、完了するということです。
なので、触媒としての私は、完了通知は出さずに退けばいいのです。

ゆみと私の関係においては、
または、仲間と私の直接の関係においては、、私は触媒ではないので、
自力の動作での付き合いを続けていくものです。

そんな感じで、いいのかなと考える、偏屈おやじ。

「どうでもええやろ、そんなふうに、ややこしく考える必要がどこにある。」

そんなふうにも考えるのですが、
私の目指す、雨にも負けずを、私なりに考えると、そんな考え方になるのです。

この、雨にも負けずに対する私の考え方も、独自の偏屈思想のような気はしますが。

「まあ、ええやろ。」
「俺は、俺なんやから。」

私の、ややこしい頭の中を、すこし披露してみました。

この話は、こんな短い文字伝達では、伝えきれない話であって、
山の中のログの、暖炉の前の、大きな輪切りの木のテーブルを囲んで、
わいわいと主張をぶつけあって、夜中まで仲間同士で語り合う、
そんな空間の話題にもってこいの話なんだと思います。

ゆみが治って元気になったら、
どこか山奥の温泉宿へ、みんなで出かけて、
囲炉裏のある部屋で、みんなで夜更けまで話してみたいなと、夢描いています。

あたたかい心を持った仲間たちの修学旅行。
これの実現の為の触媒になること。

素敵な風景を想い描いて、夢見ています。

ところで、偏屈おやじは、
どこか、的を定めずに、宙に向かって小さな声で、

「ありがとうございます。」とつぶやいています。

ありがとうございます。
ありがとうございます。

Comment

いつかね・・・

仲間で「ひとりはみなのために みなはひとりのために」の村を作りたいなぁ〜、なんて夢見てます。

ネットでは沢山のコミュを見かけるけれど・・・

実際にあたたかな暖炉の前で、大きな輪切りの木のテーブルを囲んでいつでも何でも話ができる、そんな家(ログハウス^^)を中心にして・・・

自分が本当の自分で居られる、小さな社会・・・

誰もが目と目で「ありがとう」、いつもそういい合える、それが挨拶の村。

夢・・・かな・・・?


美愛さんへ

いつもイワナを釣りに行く山間の渓流のほとりから、細い道を少し登ったところに、日当たりが抜群で、向かい側に、四季変化する山の景色を眺望できる場所があって、その場所にログを建てて、一日に一組の客しか受け付けない民宿を経営する。

経営すると言っても、利益を上げるための経営ではなく、宿泊する客の食事代と、少しの運営資金が残ればいい。

客と言っても、初めて出会う人ではなく、親交のある人のみを客にする。
親交のある人からの紹介があれば、受け入れることとする。

ただし、泊まってもらって帰ってもらうだけではなくて、食事は私といっしょにして、夜は眠くなるまで話をする。

客は、家族でもいいし、友達連れでもいい、一人でもいいし、大勢でもかまわない。
とにかく、一組であればいい。

宿のおやじはでしゃばりすぎずに会話をする。
にこにこしたり、しんみりしたり、でしゃばりすぎずに仲間入り。

食事して、夜更けまで話す場所は、暖炉にするか、畳を敷いて囲炉裏にするか、それはこれから考えます。


前にも書いたと思いますが、
会社員だった頃、40歳研修というのがあって、テーマは、10年後の私。
会社は、50歳のキャリアプランを考えさせることが意図だったものですが、私は、平気な顔で、上記のプランを発表しました。

そのころは、真剣に実現させるものとして考えていました。
実際に、その土地を購入する直前までいきました。

強迫性神経症という悪魔と出会うことがなかったら、
今頃、私は、民宿のおやじとして生きていたのかもしれません。

自分に課した、50歳になったらの約束を、55歳になった今も果たせていません。

でも、この辛苦が無いままに、偉そうに、解ったように話す民宿のおやじより、今の、ずたずたのおやじの方が、痛みや哀しみが、少しくらいは解るようになったのかと、解っていないということに気づいて生きていけるのかと、言い逃れも含めて思っています。

美愛さんが、最後に書いてる、

夢・・・かな・・・?

この言葉に、過剰に反応してしまって、くどくどと言い逃れをしてしまいました。


夢・・・かな・・・?





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