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強迫性神経症(強迫性障害/OCD)の娘と向き合う父親の体験記・子育てブログ

453.先輩の奥さんの神経症

2009.07.22 [ Edit ]

私の参加しているシニアのサッカーにも、対象40歳以上とは言え、
いくつかの公式戦があります。

40歳代では、マスターズ。
50歳代は、スポレク。
60歳代になると、ねんりんピック。
その他に、40、50、60の年代別に全国シニア大会。

それぞれが、都道府県代表を組んで、真剣に戦うものです。

とは言え、若い頃のように、必死で勝敗にこだわるという色のものではなく、
生涯現役、交流、友情、思いやり、仲良し等の、
幼い子供に教えるようなフレーズがあふれてくるようになります。

しかしながら、そんな精神を持っているような顔をして、
試合をすれば、真剣そのもの。
倒されたり、削られたり、蹴られたりは、当たり前の世界です。
削られるというのは、表現を感覚で受け止めてもらえればわかってもらえると思いますが、
文字通り、ボールを持っている敵の選手の足を削りにいくようなラフなプレーを指します。

50歳を超えた、オヤジたちに、そんな姿を想像しにくいでしょうが、
昨年、試合を見に来た、私の親友が、
「こんな激しい、本格的なサッカーやってるとは思わへんかった。」と驚いていたほどです。

もう、3年前になりますが、全国シニア大会の50歳代の近畿地区予選の決勝で、
ボールを持った私を相手の選手が両側から同時につぶしに来て、
前のめりに押し倒されました。

その時、倒される瞬間に、相手の選手が私をもう一度強く押した為に、
膝から地面に落ちてしまったような状況になり、
膝の内出血で、まったく歩けない状況で、痛みがひどく、救急車で運ばれ、
入院し手術することになってしまったのです。

約一ヶ月の入院になりました。

毎日、たくさんの仲間や友達が見舞いに来てくれて、
変な話ですが、入院生活をすごく楽しみました。

個人病院だったので、まだ院内に喫煙コーナーがあって、
私は、病室にはほとんどおらず、おおかたの時間喫煙コーナーにいて、
誰かと話していることの方が多かったものでした。

その何十人も来てくれた、見舞いの友人の中に、
唯一、夫婦で来てくれた先輩がいました。

初めて会う、先輩の奥さんなので、ちょっと緊張して話していました。

気さくな、すごく美人の奥さんで、

「先輩、俺は入院患者で、見舞いならいいですけど、奥さんの自慢になんか、来なくていいですよ。」

そんな冗談を言って笑っていました。

「お前は、ええけど、娘は、どうなんや?」

という話になり、私が入院することで、娘の強迫が心配なことなど、
いろいろと娘の話になりました。

そんな娘の話を聞いていて、先輩の隣に座っている奥さんが、
ぼろぼろと泣き出してしまい。

「すいません、せっかく見舞いに来ていただいて、つまらん話をくどくど聞かせてしまいました。」
と、私が奥さんに向かって謝った時に、

「実は、わたしも、神経症なんです。」
と、衝撃の告白でした。
泣きながら、自身のことを告白される奥さんの横で、
今まで見せたことの無いような、深刻な顔で奥さんの話に、ただ頷いている先輩。
その先輩は、剛毅な性格の先輩で、
サッカーより酒が好きで、20年前のロールスロイスと、
新車のハーレーを乗り回し、ヤンキーめがねを今だかけているような、不良中年なのですが、
奥さんといっしょに、神妙な表情で、神経症のしんどさを話し合って帰られました。

日曜日にサッカーの試合に宇治まで行ったのですが、
その先輩が、久しぶりに参加されて、帰りに、あまりの暑さの脱水で、
水分補給のために外食レストランに入りました。

その先輩の親友でもある先輩と、キムチのチングの後輩と、私の4人。
その時の話題に、仲間の一人が鬱病に罹っているのですが、
その日も参加した彼の話になりました。

奴の我儘が、奴の、怠慢プレーが、注意力不足、ぼんやり・・・・・
という、彼の最近の行動について、

「病気やから、しゃあないんやけど。」

と言いながらも、すこし非難というような話になった時。

その先輩は、だまって頷いていたのですが、

「わからへんからなあ。」と、しんみり発言されました。

私の娘のことは、その場の3人は知ってくれていることなのですが、
先輩の奥さんのことは知らなかったので、思い切って私が、

「先輩の奥さんも神経症やしなあ。」

と、勝手にカミングアウトしてしまいました。

スポ根仲間にいた経験の無い人は、どきっとされるかも知れませんが、
我々の仲間のなかでは、そんなことはまったくオッケーなんだということを説明しておきます。

「実は、そうなんや。」
「わからへんねん、なかなかなあ。」
「自分の家族でも、わかってても、いらいらする時があったりするんや。」
「なあ。」

と、私に同意を求めてこられました。

「そうですねえ。」
「自分に余裕が無い時には、わかってても、ええ加減にせいよなんて思ってしまう時があります。」
「そう思ったあとで、ああ、こんなふうに思ってやったらあかんって反省しますけどねえ。」

「そうなんや、仕事から疲れて帰ってきたときに、食事の支度がしてなくて。」
「娘が、腹減ったって言いよって、俺がメシの用意する時なんかなあ。」
「解りながらも、いらいらする時がある。」

「ぼちぼち気長に、ともに歩むですねえ。」

「そうやなあ、しんどいけど、気長にゆっくりやなあ。」
「優しくしてやらんとあかん。」
「優しくしてやろうと思う。」

「まあ、奥さんの病気は、先輩の我儘が、大きな原因でしょうしねえ。」

「そうやなあ。」

最後は、大笑いで締めくくりということに。

先輩と私の間で、

「がんばろうなあ、お互いに。」

という、無言のアイコンタクトがありました。

「がんばろうなあ、お互いに。」

これが、ほんとうに、生きていく力になるものです。

独りじゃないと思えることは、ほんとに大切な、心の良薬です。


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