523.戦友との会話
2009.11.01 [ Edit ]
ここは、御国を何百里、離れて遠き満州の、
赤い夕日に照らされて、友は、野末の石の下
延々と、15番までだったか、続いていくこの軍歌を、
小学校の低学年くらいだったと思います、
舞台となった場所や、その背景、意味を含めて、
親父に教えてもらいました。
親父の休みの日曜日に、いっしょに軍歌のレコードを聞いて、
私は、たくさんの軍歌を、含まれている重い意味と共に覚えました。
ただし、軍国主義の復活などということとはまったく関係はありません。
戦争賛歌ではないのです。
もちろん、軍歌の中には、かなりのウエイトで、
国民に対する戦争賛美の心の高揚という意味が含まれているのも事実です。
親父は、私に軍歌を教えてくれながら、
「絶対に、あんな戦争はしたらあかん。」
「どんな戦争も、あったらあかんのや。」
ということを、しっかりと付け加えながら教えてくれていました。
冒頭の歌詞は、その中の、「戦友」という唄の歌詞です。
何番目かの歌詞に、
思えば去年、船出して、御国が見えずなった時、
玄界灘に手を握り、名を名乗ったのが初めにて。
というものがあります。
召集されて、戦地へ向かう船の中で知り合って、
それから生死を分ける戦場での友情が芽生えていき、
最後は、戦死した戦友の家族に便りを書くという、
悲しい物語ですが、
友情の美しさも感じられる、素晴らしい唄だと思います。
私が会社に入ったころは、
上司とカラオケに行くと、けっこう軍歌を歌うような方もおられました。
いつのころからか、軍歌を歌う人はダサい人だと言うことになって、
世のカラオケから軍歌ははじき出されてしまったようです。
こんなことを言っている私も、けっして軍歌世代ではないし、
それは、それで、仕方のないことというか、自然な流れなのだとは思います。
軍歌談議がしたいわけではなく、
昨日、久しぶりに戦友と話しをしたということが言いたかったのです。
赤い夕日に照らされて、友は、野末の石の下
延々と、15番までだったか、続いていくこの軍歌を、
小学校の低学年くらいだったと思います、
舞台となった場所や、その背景、意味を含めて、
親父に教えてもらいました。
親父の休みの日曜日に、いっしょに軍歌のレコードを聞いて、
私は、たくさんの軍歌を、含まれている重い意味と共に覚えました。
ただし、軍国主義の復活などということとはまったく関係はありません。
戦争賛歌ではないのです。
もちろん、軍歌の中には、かなりのウエイトで、
国民に対する戦争賛美の心の高揚という意味が含まれているのも事実です。
親父は、私に軍歌を教えてくれながら、
「絶対に、あんな戦争はしたらあかん。」
「どんな戦争も、あったらあかんのや。」
ということを、しっかりと付け加えながら教えてくれていました。
冒頭の歌詞は、その中の、「戦友」という唄の歌詞です。
何番目かの歌詞に、
思えば去年、船出して、御国が見えずなった時、
玄界灘に手を握り、名を名乗ったのが初めにて。
というものがあります。
召集されて、戦地へ向かう船の中で知り合って、
それから生死を分ける戦場での友情が芽生えていき、
最後は、戦死した戦友の家族に便りを書くという、
悲しい物語ですが、
友情の美しさも感じられる、素晴らしい唄だと思います。
私が会社に入ったころは、
上司とカラオケに行くと、けっこう軍歌を歌うような方もおられました。
いつのころからか、軍歌を歌う人はダサい人だと言うことになって、
世のカラオケから軍歌ははじき出されてしまったようです。
こんなことを言っている私も、けっして軍歌世代ではないし、
それは、それで、仕方のないことというか、自然な流れなのだとは思います。
軍歌談議がしたいわけではなく、
昨日、久しぶりに戦友と話しをしたということが言いたかったのです。
私にとっての戦友。
サッカーの仲間たちです。
高校時代にライバル校だった甲賀高校、
滋賀県では長くサッカー有名校だった高校です。
今は、全国制覇した野洲高校や、井原を輩出した守山高校が全国的には有名ですが、
甲賀高校も、何人かの日本代表選手も輩出している名門校です。
その甲賀高校のOBチームから、
スポレク代表チームとの親善試合の誘いがあって試合をしました。
ライバル校だったこともありますが、
国体県選抜チームの合宿練習を、この高校でしていたこともあって、
この高校は、私のサッカーでの第二の母校のような感じになっています。
同じ高校の先輩と同じように扱ってくれる後輩たちや、
敬うべき先輩方もいらっしゃいます。
そんな、私にとっては大切な高校のOBチームです。
試合開始の挨拶を交わすときに、
5年前まで、わがシニアチームに所属していた懐かしい顔を見つけました。
「おい、久しぶりやなあ。」
「元気にしてるんか?」
一つ年下の後輩で、いまだにやんちゃ坊主の臭いが残る可愛い後輩です。
試合を楽しんで、まあ、私の場合は、肋骨の痛みに耐えてですから、
楽しんでと言うわけにはいきませんでしたが、それでも、楽しんで。
終わった後に、懐かしく話しました。
「おまえ、サッカーは、もうしてないのか?」
「うん、ほとんどしてないなあ。」
「この近所で、スナックやってるんや。」
「小さいスナックやけどなあ。」
後輩でありながら、こいつは、私に敬語で話しません。
それは、あり得ないことなのですが、
稀に、ほんとに仲が良くなると、そんなこともあるのです。
そんな数少ない、敬語のない後輩です。
まあ、時々、敬語が挟まれるって感じの会話になる奴です。
「娘は、どうなんや?」
「おう、かなりマシやけど、相変わらずやなあ。」
「そうか、まあ、人生いろいろで、しゃあないわなあ。」
「そんな感じや。」
「ぎりぎり頑張ってるわ。」
「おまえも、奥さんで苦労したもんなあ。」
「うん、今は自由人や。」
「気楽に生きてるで。」
こんな短い会話で、お互いを思いやる、これぞ戦友なのです。
大きな建築会社を経営していた彼ですが、
奥さんが、癌に侵され、長い闘病生活の看病を頑張ってきた奴なのです。
奥さんの葬儀の日の、疲れきりながらも安堵したような彼の顔を思い出しました。
今は、息子に会社を任せて、自分は自由に生きているそうです。
深い話など別にしていませんし、
長くも話しませんでしたが、
お互いをしみじみ思いやっていることを深く感じた、久しぶりの会話でした。
「人生いろいろで、しゃあないわなあ。」
このお互いにかけた呟きにも似た一言が、
たくさんの会話を必要ないものにしていますし、
お互いの心をすべて表せるものにしています。
美しく、ありがたい、戦友の会話です。
私には、贅沢な宝物がたくさんあります。
宝物のような美しい戦友たちに生かせてもらっている。
そんなことを実感させてくれた、久しぶりの戦友との会話でした。
サッカーの仲間たちです。
高校時代にライバル校だった甲賀高校、
滋賀県では長くサッカー有名校だった高校です。
今は、全国制覇した野洲高校や、井原を輩出した守山高校が全国的には有名ですが、
甲賀高校も、何人かの日本代表選手も輩出している名門校です。
その甲賀高校のOBチームから、
スポレク代表チームとの親善試合の誘いがあって試合をしました。
ライバル校だったこともありますが、
国体県選抜チームの合宿練習を、この高校でしていたこともあって、
この高校は、私のサッカーでの第二の母校のような感じになっています。
同じ高校の先輩と同じように扱ってくれる後輩たちや、
敬うべき先輩方もいらっしゃいます。
そんな、私にとっては大切な高校のOBチームです。
試合開始の挨拶を交わすときに、
5年前まで、わがシニアチームに所属していた懐かしい顔を見つけました。
「おい、久しぶりやなあ。」
「元気にしてるんか?」
一つ年下の後輩で、いまだにやんちゃ坊主の臭いが残る可愛い後輩です。
試合を楽しんで、まあ、私の場合は、肋骨の痛みに耐えてですから、
楽しんでと言うわけにはいきませんでしたが、それでも、楽しんで。
終わった後に、懐かしく話しました。
「おまえ、サッカーは、もうしてないのか?」
「うん、ほとんどしてないなあ。」
「この近所で、スナックやってるんや。」
「小さいスナックやけどなあ。」
後輩でありながら、こいつは、私に敬語で話しません。
それは、あり得ないことなのですが、
稀に、ほんとに仲が良くなると、そんなこともあるのです。
そんな数少ない、敬語のない後輩です。
まあ、時々、敬語が挟まれるって感じの会話になる奴です。
「娘は、どうなんや?」
「おう、かなりマシやけど、相変わらずやなあ。」
「そうか、まあ、人生いろいろで、しゃあないわなあ。」
「そんな感じや。」
「ぎりぎり頑張ってるわ。」
「おまえも、奥さんで苦労したもんなあ。」
「うん、今は自由人や。」
「気楽に生きてるで。」
こんな短い会話で、お互いを思いやる、これぞ戦友なのです。
大きな建築会社を経営していた彼ですが、
奥さんが、癌に侵され、長い闘病生活の看病を頑張ってきた奴なのです。
奥さんの葬儀の日の、疲れきりながらも安堵したような彼の顔を思い出しました。
今は、息子に会社を任せて、自分は自由に生きているそうです。
深い話など別にしていませんし、
長くも話しませんでしたが、
お互いをしみじみ思いやっていることを深く感じた、久しぶりの会話でした。
「人生いろいろで、しゃあないわなあ。」
このお互いにかけた呟きにも似た一言が、
たくさんの会話を必要ないものにしていますし、
お互いの心をすべて表せるものにしています。
美しく、ありがたい、戦友の会話です。
私には、贅沢な宝物がたくさんあります。
宝物のような美しい戦友たちに生かせてもらっている。
そんなことを実感させてくれた、久しぶりの戦友との会話でした。
Comment
お久しぶりです
ミミリンさんへ
姑さんを戦友と思えるなんてことは、素晴らしい幸せだと思います。
まあ、裏返しに言うと、それだけの辛さを共有していると言うことでもありますが。
って、こういうことを言うのが、俺のあかんところなんやなあと思いつつ、
一旦消して、また書いてしまいました、この一行。
「まあ、ええやろ」って感じと、リアルで話してたら、
きっと、こんなふうに俺は言うやろうなあってところからです。
とにかく、戦友と思える人がいることは、闘いにおいて、なにより心強いものです。
前進していくのみ、共に歩んでいくのみです。
「諦めずに負けないように。」
もう一つ、付け加えるんやで。
「焦らないように」っていうのもね。
まあ、裏返しに言うと、それだけの辛さを共有していると言うことでもありますが。
って、こういうことを言うのが、俺のあかんところなんやなあと思いつつ、
一旦消して、また書いてしまいました、この一行。
「まあ、ええやろ」って感じと、リアルで話してたら、
きっと、こんなふうに俺は言うやろうなあってところからです。
とにかく、戦友と思える人がいることは、闘いにおいて、なにより心強いものです。
前進していくのみ、共に歩んでいくのみです。
「諦めずに負けないように。」
もう一つ、付け加えるんやで。
「焦らないように」っていうのもね。
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戦友って、共に戦ってく仲間でしょ?
職場の友は戦友ほどじゃないな。
私の戦友は…お姑さんだな。
いつのまにか、好きになれなくて、そいでもってライバルでもあった姑が、主人の躁鬱や借金や、はたまた娘の病気で、嫌いどころか頼り合い、励まし合い、相談し合っていつのまにか一緒に手を取り合って挑んで、くぐって、飛び込えて、はたまたぶち壊して進んで行くというか、気づいたら、もう大分一緒に歩んできた仲間になってた。これって戦友だね。
病気やらの不幸がなければ手を取り合えなかったなんて少々情けないけど、仕方がない。
お姑さんのお陰でなんとか頑張れる。
もし同居してなければ、主人も娘も病気が無かったかもしれないけど、とにかく現実は変えられない訳だ。
母の希望で私が家を守る事になった。
先日、おっちゃんにも話したけど、主人の借金のせいでね。
いろいろ手続きがあってやっと目処が立ってきたよ。
これからも前進していくのみだね。
諦めずに負けないように頑張るね。
いつも素敵な話しをありがとうございます。