84.自分は自分の頼り主
2008.06.24 [ Edit ]
自分こそ自分の頼り主である。
自分をおいて他にどうして
自分の頼り主になる人があろうか。
自分自身をよく整えたならば、
自分にとって、またとない
頼り主になるだろう。
本屋さんで、延暦寺って大きく表紙に印刷されたグラビアが目に付いたので買いました。
中身は、延暦寺のパンフレットみたいな感じです。
その1ページ目に書いてあった、御釈迦さんの言葉です。
これが書いてあったのは、”いま、釈迦のことば”という主題で、
”身をつつしみ、心を整える”という副題がついている、
瀬戸内寂聴さんの記事の欄外冒頭です。
資料参照ですから、瀬戸内さんのものではありません。
こんなことは、言ってはいけないことだと思いますが、
あんまり心に響かないんです。
なんで、あんまり響かないのか考えてみました。
あまりにも当たり前で、そんなこと、
なんで文字にして仰々しく”御ことば”みたいに崇めなあかんのかなあ?
身を縛って、いい人にならないと頼り主になれないということが言いたいのかなあ?
これを解らなかったら、俺は程度の低いアホなんかなあ?
本文には、”自灯明、自帰依”ていうことばがでてきてるけど、
この方がいいのとちがうの?
この世をどう生きるかの心構えです、
みたいな解説の締めだったけど、なんか響かない。
そんな奴は読まないでよろしい、というよなものですが、
なんか納得できないなあ。
流しとけばいいのでしょうが、流せない。
自分がしっかり受け止められないことに対する焦燥かな。
なんとなく、無理矢理自分を納得させる為に持ってきた考え方は、
その時の自分の心境と境遇によって、
これは、読み方が変わるかもしれないなあというところです。
満足と不満足、幸せと不幸、
これらの映し鏡になる言葉かもしれないなあとも思えます。
今は、そうしときます。
誰かわかる人というか、私にわかるように教えてくれる人いたら、
教えて欲しいなあと思います。
自分をおいて他にどうして
自分の頼り主になる人があろうか。
自分自身をよく整えたならば、
自分にとって、またとない
頼り主になるだろう。
本屋さんで、延暦寺って大きく表紙に印刷されたグラビアが目に付いたので買いました。
中身は、延暦寺のパンフレットみたいな感じです。
その1ページ目に書いてあった、御釈迦さんの言葉です。
これが書いてあったのは、”いま、釈迦のことば”という主題で、
”身をつつしみ、心を整える”という副題がついている、
瀬戸内寂聴さんの記事の欄外冒頭です。
資料参照ですから、瀬戸内さんのものではありません。
こんなことは、言ってはいけないことだと思いますが、
あんまり心に響かないんです。
なんで、あんまり響かないのか考えてみました。
あまりにも当たり前で、そんなこと、
なんで文字にして仰々しく”御ことば”みたいに崇めなあかんのかなあ?
身を縛って、いい人にならないと頼り主になれないということが言いたいのかなあ?
これを解らなかったら、俺は程度の低いアホなんかなあ?
本文には、”自灯明、自帰依”ていうことばがでてきてるけど、
この方がいいのとちがうの?
この世をどう生きるかの心構えです、
みたいな解説の締めだったけど、なんか響かない。
そんな奴は読まないでよろしい、というよなものですが、
なんか納得できないなあ。
流しとけばいいのでしょうが、流せない。
自分がしっかり受け止められないことに対する焦燥かな。
なんとなく、無理矢理自分を納得させる為に持ってきた考え方は、
その時の自分の心境と境遇によって、
これは、読み方が変わるかもしれないなあというところです。
満足と不満足、幸せと不幸、
これらの映し鏡になる言葉かもしれないなあとも思えます。
今は、そうしときます。
誰かわかる人というか、私にわかるように教えてくれる人いたら、
教えて欲しいなあと思います。
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