90.見よ、おやじの威厳
2008.06.30 [ Edit ]
新聞にこんな見出しがありました。
読んでみると、岩手で、ちゃぶ台返し大会があって、
会場が終始笑いに包まれていたとのこと。
あほらしいというか、ほほ笑ましいというか。
そやけど、こんな感想でええのかなあ?
”ちゃぶ台返し”
これが、おやじの威厳に結びつくものでもないとは思うけど、
遊びにして、見世物にして喜んでしまうものだけになったとしたら、
大げさに言って、一つの時代が終わったような感じがする。
これだけに限らず、思いをめぐらしてみれば、いろんなものが時代と共に消えていく。
ちゃぶ台返し大会を否定してるわけではないのですよ。
そんな無粋な人間ではありませんが、なんとなく寂しく感じていしまっただけです。
話は、ちょっと飛んでしまいますが、
私は、中国の街並み風景を見るのが好きです。
末娘が中国にいるからとか、特別に中国が好きだとか、そんなことではないのです。
韓国ではちょっとだめなんです。
何が言いたいかというと、
私は今年55歳になるのですが、中国に行って、
街に出て人々をなにげなく見ていると、
親父を思い出すのです。
私の親父は、59歳で亡くなりました。
厳しい親父でした。
やさしい親父でもありました。
まじめな親父でした。
精一杯生きているのを強く感じさせてくれた親父でした。
中国で人々を観察してると、そんな親父の姿が浮かんでくるのです。
庶民が精一杯生きている姿が、中国にはあるような気がします。
けっして上等な服とは言えない服を着て、
ただ街を歩いているだけの中年の男性を中国で眺めていると、
ぐっと涙が出そうになるんです。
こんな感じで、親父は俺を育ててくれたんやなあと思えてくるのです。
ちょっとわかりにくいかなあ?
とにかく古い日本がそこにあるような感じなんです。
韓国は、その点から考えると、もう古い日本ではなく、今の日本なんです。
今の日本は、とても金持ちの匂いがします。
街全体が贅沢で、努力のあとが、努力の匂いが、あまりしないんです。
ところが、そんな匂いがしないかわりに、
美しい街並みに、怒りの匂いのようなものを感じてしまうのです。
言い換えれば、冷たい感じです。
ちゃぶ台返しが、真剣に行われていたころの日本の街並みには
暖かさを感じさせられたような気がするのです。
その温かさの象徴みたいなものの一つが、ちゃぶ台返しだったような気がして、
それを、おちゃらけにしてしまっていることに、寂しさを強く感じました。
へんな親父だと笑うかもしれませんが、
笑われても、俺は真剣にこう思います。
「ちゃぶ台返しを、笑いのねたにするな」
読んでみると、岩手で、ちゃぶ台返し大会があって、
会場が終始笑いに包まれていたとのこと。
あほらしいというか、ほほ笑ましいというか。
そやけど、こんな感想でええのかなあ?
”ちゃぶ台返し”
これが、おやじの威厳に結びつくものでもないとは思うけど、
遊びにして、見世物にして喜んでしまうものだけになったとしたら、
大げさに言って、一つの時代が終わったような感じがする。
これだけに限らず、思いをめぐらしてみれば、いろんなものが時代と共に消えていく。
ちゃぶ台返し大会を否定してるわけではないのですよ。
そんな無粋な人間ではありませんが、なんとなく寂しく感じていしまっただけです。
話は、ちょっと飛んでしまいますが、
私は、中国の街並み風景を見るのが好きです。
末娘が中国にいるからとか、特別に中国が好きだとか、そんなことではないのです。
韓国ではちょっとだめなんです。
何が言いたいかというと、
私は今年55歳になるのですが、中国に行って、
街に出て人々をなにげなく見ていると、
親父を思い出すのです。
私の親父は、59歳で亡くなりました。
厳しい親父でした。
やさしい親父でもありました。
まじめな親父でした。
精一杯生きているのを強く感じさせてくれた親父でした。
中国で人々を観察してると、そんな親父の姿が浮かんでくるのです。
庶民が精一杯生きている姿が、中国にはあるような気がします。
けっして上等な服とは言えない服を着て、
ただ街を歩いているだけの中年の男性を中国で眺めていると、
ぐっと涙が出そうになるんです。
こんな感じで、親父は俺を育ててくれたんやなあと思えてくるのです。
ちょっとわかりにくいかなあ?
とにかく古い日本がそこにあるような感じなんです。
韓国は、その点から考えると、もう古い日本ではなく、今の日本なんです。
今の日本は、とても金持ちの匂いがします。
街全体が贅沢で、努力のあとが、努力の匂いが、あまりしないんです。
ところが、そんな匂いがしないかわりに、
美しい街並みに、怒りの匂いのようなものを感じてしまうのです。
言い換えれば、冷たい感じです。
ちゃぶ台返しが、真剣に行われていたころの日本の街並みには
暖かさを感じさせられたような気がするのです。
その温かさの象徴みたいなものの一つが、ちゃぶ台返しだったような気がして、
それを、おちゃらけにしてしまっていることに、寂しさを強く感じました。
へんな親父だと笑うかもしれませんが、
笑われても、俺は真剣にこう思います。
「ちゃぶ台返しを、笑いのねたにするな」
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